2019年09月

2019年09月30日

庭で今を盛りと咲いているのがホトトギス。
やっぱり秋の花だ。
ピンクから、秋になると青が強くなるような気がする。

ふと気がつくと、ピンクの椿が一輪咲いていた。
好きな花で、これは来年の2月くらいまで咲く。

ホトトギス19.9.1


















椿19.9

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北本

北本0北本で「映画と講演につどい」というのがあって行ってきた。
北本のワーカーズ・コープの主催。
2,3か月前岩槻で講演したのを島野正紀さんが聴いていて声をかけてくれた。
島野さんたちは、障害者の作業所づくりなど仕事づくり、地域づくりなどの活動を活発にされている。

けっこうたくさんの人が参加していた。
市長さんも来たが、自然環境派の人だそうで、ぼくの話も最後まで聞いてくれた。
「若者と社会をつなぐ」という題で話した。

チラシを見たと言って、高橋さんも来ていた。高橋さんは、東京の王子工業高校の先生をしていて、ぼくは大学院生時代に調査で学校を訪ねたこともある。最初はすぐにはわからなかったが、もう80才になられるということだがお元気で、北本9条の会というのをやっておられるそうだ。会場に行くクルマの中で、荒川をわたったところに立つ看板を見た。

ユースサポートネットの青砥さんも来ていた。子どもや若者の貧困や引きこもりに取り組んでいる。

北本1北本2








終わってから誘われて、駅前の居酒屋「鳥越」さんで飲んだ。
チェーン店ではなく地元の居酒屋さん、と注文してここにした。
こういう猥雑な店が好きだ。
おかげさまでもう47年やっているとおかみさん。
うなぎの本体はないが、肝焼き、骨の佃煮、うざくなど好物が並んだ。








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2019年09月29日

白い曼珠沙華

駅まで歩く途中に咲いていた白の曼珠沙華。

曼珠沙華白19.9.1

















曼珠沙華白19.9.2

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どらふぇす

どらふぇす1どらふぇす19.9.3








劇団銅鑼の「どらふぇす」に出た。銅鑼のフェスティバル、という意味だろう。銅鑼を叩く会という応援団と劇団員たちとの交流会。
この1年間、若者の演劇ワークショップ、「エンドレス」の実行委員会など銅鑼とのかかわりも増した。

劇団員さんたちが作った料理とお酒をいただきながら、これからの公演や企画の紹介、芸達者のひとたちのアトラクションなどがつづいた。家族的でいい。久しぶりにお会いした市田さんと同じテーブルで話も弾んだ。

終わってから「もつ九」さんで飲み、さらに、……というわけで、ちょっと過ぎた。

「もつ九」さんは、昔大学がラグビー日本一になったとき、学生がアルバイトに来ていたこともあって、店を上げてのお祝いの会をしてくれたのだという。

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2019年09月28日

ふるえる

いただいたコメントを放置しておいたことに今気がついた。
返信に代えて。
『明日戦争が始まる』から。


慄え(ふるえ)         宮尾節子

いじめをやめようと、という作文のコンクールで、いじめの主犯格の子が、賞をもらったという話を聞いて。真偽のほどはともかく。こういう場合。救いのないのはいじめられっ子ではなく。この子のほうだと気の毒に思った。この子は自らのことばで自らを裏切ったのだから。
生涯、真のことばをもつことはない。
そして、誰かの、真剣な愛のことばが届くこともないだろう。
……
「いじめは、大丈夫ですか」と尋ねると
ほとんどの親が「うちは、さ、れ、て、ない、はず」と答える。
妙だ。
……
ほとんどの親が「うちは、し、て、ない、はず」と答えるべき、はずなのに―。

答えられない。
この無自覚こそが、悪なのだ。

悪とは、
鈍さだ。

それが、じぶん、かもしれないとおもうとき。こをそだてる
みも、こころも、ふるえる。

知ることの、できなさ、即ち鈍さに
まさか我が身の―悪に
ふるえあがる。



(この詩を読んで、ぼくは中島みゆきさんの歌を思い出した。)


ファイト!

私ほんとうは目撃したんです昨日電車の駅階段で
ころがり落ちた子どもとつきとばした女のうす笑い
私驚いてしまって助けもせず叫びもしなかった
私の敵は私です
……
ファイト!闘う君の唄を
闘わない奴らが笑うだろう
ファイト!冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

*     *     *     *

どちらの詩も、問い詰め、せめ、励ましているのはまず自分である。
どちらもふるえながら。



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彼岸花

彼岸花1畑の彼岸花が咲いた。

昨日の朝は夜の会合のことを覚えていたのに、原稿を書いたり、畑に行ったり、病院に行ったりしている間に忘れてしまった。9時ころにメールや電話がたくさん入っているのを見て青くなった。申し訳なく落ち込んだ。














彼岸花2


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2019年09月27日

「アルジャーノンに花束を」

アルジャーノンに花束を劇団昴の「アルジャーノンに花束を」を観た。
2人の脳医学者が知能を高める手術を発明し、ハツカネズミのアルジャーノンで試したのち、最初の人間の臨床実験としてチャーリーを被験者に選ぶ。
チャーリーは、子ども時代を「低能」「白痴」と馬鹿にされながら育ち、今はパン屋のドナーさんのところでからかわれながらも愛され可愛がられて働いている。

手術によってチャーリーの知能は68から185に飛躍的に向上した。20の言語を使い、最先端の数学を理解し、作曲もできるようになった。それによって自我もめざめたが、かつて友だちが自分をからかいいじめていたこと、家族も邪魔にしていたことなど知りたくない事実も理解するようになり、孤立を深める。感情(愛情)や社会性との著しいアンバランスに悩むようになる。

アルジャーノンと暮らすようになったチャーリーは、医学も研究し、自分がいずれは元に戻ることを明らかにする。死んだアルジャーノンの墓に花束を贈ってくれるように言い残して去る。芝居では、元のパン屋さんに戻ることになっている。

教養は愛する人々との間に楔を打ち込む、知識を求める心は愛情を求めたり与えたりする心をむしばむ、というのは作者の言葉である。


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2019年09月26日

「北の果ての小さな村で」

北の果ての小さな村で北極圏にまたがる地球最大の島、グリーンランドがデンマークの領土だと知ったのは北欧に行ったときである。

デンマーク人の28才の若者が、父がやっている農業を継ぐことに疑問を持ち、グリーンランドにやってくる。教職の資格はないが、採用され、イヌイットの人たちが住む人口80人の極北の小さな村の小学校教師になる。
島の言葉をおぼえたいという彼に、教育委員会は、そんな必要はなく、デンマーク語を学ぶことが子どもたちの将来の幸せになると言う。
しかし、勉強に関心が向かない子どもたちを相手に授業にならず、村の大人たちからは外来者として受け入れてもらえない。悩み、孤立する。

狩りに行って学校を休んだ子どもの家を訪ねると、おばあちゃんは「学校に行かなくとも(狩りなど)必要なことはみんなおじいちゃんが教える」と言う。
彼は、自分の橇をつくってもらって習い、アザラシの解体を見、島の言葉をおぼえ、オーロラの神話を聞いて、村の人たちの生活に溶け込んでいく。……

昔からの労働と生活、その中で育つ子どもたち、産業と文明の変化に見合うように近代科学や標準語、外国の言語を教える学校、という対立する構図は、最近までの日本にもあった。ある意味では現在もある。


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伊豆長岡・その後


昨夜、ヒビキとヒカルからメールがあって(電話は出られなかった)、「鯨は釣れたか」とあった。松崎さんが、見送ってくれた子どもたちに、鯨を釣ってくるから、と言ったからだろう。

出先だったので、「ブログに書いたから」と知らせたが、今見たら「拍手」が100回ついていた。

伊豆長岡93昨日、ヤオコーさんが3枚におろしてくれたのを、皮を取って刺身にした。
すこぶるうまい。連れ合いは、こんなおいしいの久しぶりと言っていた。

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2019年09月25日

ヤブラン


まだ「8月」だった花カレンダーをめくると、今日の誕生日花は、オトコエシ(男郎花)である。
再掲する。

また、20日の花はヤブランだったので、今庭で撮ってきた。
なお27日は萩である。23日は彼岸花だが、近所のはまだ咲いていない。各地で開花が遅れているそうである。

能登の花01


















ヤブラン

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伊豆長岡

鶴ヶ島の松崎さんと岸田さんと伊豆長岡に釣りに行ってきた。正確には、二人に連れていってもらった。お二人はかつて市の社会教育職員であり、ぼくもいっしょに活動させてもらった仲間である。松崎さんには、つい一年ほど前まで大学の非常勤講師もお願いしていた。
釣り仲間のYさんも行くことになっていたが、奥さんが手術をすることになり、それでも行くと言って子どもに叱られてあきらめたという。ゼミのサトシ君も手術入院でそれどころではなく、三人になった。

23日午前、家まで迎えに来てくれて伊豆に向かった。伊豆までクルマというのは、ぼくは初めてである。めざすは駿河湾にある海上釣り堀の「まるや」さん。松崎さんがずっと通っている場所である。

伊豆長岡2伊豆長岡1








この日は下見だけ行ったが、台風の影響で曇り空、風もあった。

伊豆長岡8伊豆長岡3








宿泊は千歳荘。国民宿舎だが立地もいいし、きれいだし、なによりかけ流しの温泉がいい。
夜は部屋で飲みながら釣り談義と世の中談義。
釣りキチの二人は、仕掛けや釣り餌で周到な準備。いろいろな練り餌のほか、ギンペイ(ウグイ?)、アジなどの生餌なども用意するらしい。岸田さんは、生きたカエルまで用意していた。

伊豆長岡4

















伊豆長岡5翌朝は、よく晴れた。富士山もきれいだ。
とても珍しい雲だったらしく、その日の夜のNHKテレビでも報道されていた。






伊豆長岡6伊豆長岡7








海上釣り堀は2回目。10数年前の前回も松崎さんに房総の「海王丸」に連れていってもらった。
「まるや」さんの釣り堀は5つあって、そのひとつで釣った。富士山をバックに釣るのは気分がいい。

結局ぼくは鯛2尾。ほかにワラサをふくめてバラシも3回だったが、十分楽しんだ。

*     *     *     *

松崎さんが自分の分の釣果も全部くれたので、帰ってからヤオコーの駒林店へ持っていって調理を頼んできた。(急な持ち込みはダメ)
釣り仲間に富豪のHさんがいて、友人のヤオコーの社長さんに持ち込みの魚の調理を頼み、今は全店でやってくれるようになったそうだ。その話を聞いたからである。

*     *     *     *

ところで岸田さんがクルマの提供と運転手を買って出てくれたのだが、聞けばクルマに関する免許は、牽引、大特からすべて持っているというプロドライバーである。(交通の一斉などで警官に免許の提示を求められ出すと、われわれの上官でいらっしゃいますか、と言われたこともあるそうだ。勤務時代、公民館や図書館に勤めるようになると、自分で通信教育を受け、社会教育主事の資格も取ったそうだ。凝り性というか、突き詰めなければすまない性格なのだろう。)

伊豆長岡9それだけでなく、おもてなしがすごい。
ピカピカのランドクルーザーに乗せてもらったが、すぐ出てきたのがお手拭き、冷えたビール、おにぎり。……、釣りの後は手を洗う水の入ったポリタンクと釣り用の石鹸まで用意してくれた。ささやかな贈り物といって、爪ブラシと茶こしまで。「つねにそなえよ」がモットウだそうだ。

驚くのは、友人たちの動静を実によく知っていることで、懐かしい人々のことも教えてくれた。濃密な交友と献身をものがたると思った。
すっかりお世話になった。

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森林公園の花


森林公園は文字通り森林の公園で、樹々の新緑や紅葉を楽しむのがいいが、花は少ない。
今は、植え込みなどに花がある程度だった。

森林公園19.9.73

















森林公園19.9.71

















森林公園19.9.72

















森林公園19.9.74

















森林公園19.9.75

















森林公園19.9.76

















森林公園19.9.77

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森林公園

森林公園19.9.3

















森林公園19.9.2森林公園19.9.1








ヒビキ・ヒカル一家と森林公園にサイクリングに行った。
自転車に乗れるようになったマリアの希望である。

森林公園19.9.4森林公園19.9.5








森林公園のサイクリングロードは、自転車だけ(歩行禁止)、一方通行なので走りやすい。ほとんどが森の中で涼しい。起伏があってけっこう本格的なコースである。
数年前は、上り坂でめそめそしていたこともあったヒビキたちだが、今はグイグイがんばって走りきる体力と根性がついた。

マリアたち女性陣は、マリアのペースでコースをショートカットしたりして楽しんでいた。

森林公園19.9.6栃の実やポプラの実が落ちていて、紅葉こそ始まったばかりだが秋の気配である。
ポプラの実は半分にして空中に投げると、ブーメランのように舞うので遊んでいた。

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2019年09月22日

ハナトラノオ


ハナトラノオ(というのだそう)だが、畑で夕方の薄暗闇の中で見ると、なかなか幽玄な趣がある。
写真はうまく撮れないが。

ハナトラノオ3

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公民館学習会

21日(土)、大井中央公民館で「ふじみ野市の公民館を考える会」の学習会。
準備やとりくみが十分でなかったのに25名も集まった。ありがたいことだ。初めての方も多かった。

元鶴瀬公民館長で前『月刊社会教育』編集長の金田光正さんに「有料化問題をどう考えるか」について話をしてもらった。公民館の理念もだが、全国的な状況についてホットな情報を提供してもらった。

参加者からは、「受益者負担の原則」について原理的に考える必要がある」、「一部の人だけが使っている」という言い方に問題がある(それなら福祉は成り立たない)などの意見も出された。
他方、公民館がほんとうに住民の課題に応えているか、どう充実させていくか、なども大事さも指摘された。

先立って、18日に市議会を傍聴した。公民館運営審議会や社会教育委員の会議も有料化方針に同意したという市の答弁を聞いて、がっかりしていたのだが、少しずつでも前に進まなければと思った学習会だった。

写真を撮るのを忘れた。

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2019年09月21日

「もうひとりのヒト」


もうひとりのヒト太平洋戦争の末期、皇族で軍歴を持つ為永殿下の防空地下壕が舞台。いずれ東京も空襲され焼け野原になることを予知してのことである。ちょうど天皇のための松代大本営も掘られていた時期である。

もう一つの舞台は、競馬の長靴づくりではだれにも負けないと自慢の靴職人、杉本の自宅。酒飲みだが、家族思いで息子の出征を悲しんでいる。ところが生活苦で売った家財の中に三種の神器があり、南朝の正閏の子孫だと言われるようになる。
為永の友人の小沢中将は、今の天皇が北朝だから戦争に負けるのだといい、杉本を天皇として仰ぐべきだと説く……。

小沢は狂気だが、そもそも戦争は狂気である。ブラックコメディである。

この芝居は飯沢匡さんが書き、1970年に民藝が宇野重吉、滝沢修らで初演した。当時は右翼の攻撃もあったようだ。それを1995年に青年劇場がやり、今度が再演。ほぼ25年ごとに舞台にかけていることになる。元号が変わるときに再演するのは青年劇場らしい。


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2019年09月19日

能登の野の花

能登の野菜2


















「丹精」の「丹」というのはもともと「赤」の意味で(丹頂鶴!)、丹精とは赤心、真心を込めるというような意味らしい。前回の野菜の写真、どう見ても丹精ではなく、端正でもなく、嘆声がもれる。あらためて丹精して写真を撮った。

能登の花01


















能登の花06


















能登の花03

















能登の花05


















能登の花07

















能登の花08


















能登の花02



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2019年09月18日

男郎花(オトコエシ)

鈴木敏治さん1


















能登に住む農民版画家、鈴木敏治さんが野菜を送ってくれた。
ヒユナ、ツルナ、トカドヘチマ、沖縄赤毛瓜、紫コショウ、白いゴーヤ、自然薯、大きなニンニク、長い長いササゲ、などめずらしいものばかり。一つひとつを丁寧に新聞紙でくるんでいるのを見て、いつもながら丹精という言葉を思い浮かべる。

電話で話すと、道楽です、という。

鈴木敏治さん2


















いっしょにたくさんの野の花があった。
ユリ、ミズヒキ、ワレモコウなどのほか、男郎花(オトコエシ)もあった。
野の風情である。

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2019年09月17日

「RBG」と「ビリーブ」

ぼくは、社会の原理として「自由」と「民主主義」を最もだいじにしたいと思っている。
アメリカは自由と民主主義の国という神話がある。独立以来、自らそれを標榜してきたのは事実である。
このあいだ、それは1970年代からだとある論者が言っているのを聞いて、はっとした。この場合の民主主義とは、少数者の人権を守る民主主義のことである。1970年代というのは、人種差別に反対する公民権運動と、女性差別の撤廃運動の前進という意味である。

公民権運動を象徴するのは、マルチン・ルーサー・キング牧師である。
余談だが、先日ストックホルムのノーベル賞博物館を訪ねた。その正面を飾っているのはキング牧師の写真であり、売店の入り口にずらりと並んでいたのはキング牧師の著作だった。
(賞の受賞者は、椅子の裏に署名する習慣があるらしいが、山中教授の椅子は、あまりに日本人来館者が多いせいだろう、天井に飾られていた。)

rbgそして、女性差別撤廃運動を象徴するのは、RBG、ルース・ベーダ―・ギンズバーグという人らしい。ぼくはこの映画で初めて知った。そのドキュメンタリー映画である。

アメリカでは、男性は仕事、女性は家庭、という暗黙の了解が存在し、仕事における女性の地位や待遇の差別、逆に育児や家事における男性の役割の無視といった実態があった。それら性やジェンダーによる差別を容認する法律が178存在した。(レディーファーストは圧倒的な男性優位社会を大前提にした「思いやり」だった。)

ギンズバーグは、それらが憲法修正14条にいう「法の下の平等」に反しており、憲法違反であるという論拠から裁判闘争に挑みつぎつぎと勝利し法律を改正していく。1990年代には、オバマ大統領によって女性として初の最高裁判事に任命された。

この映画を観ていて、現職の最高裁判事まで映画にしてしまうアメリカの「自由」を思った。そして、それぞれの判事が「保守的」か「リベラル」かが公然と語られる。
彼女は、先の大統領選挙のとき、トランプ批判の発言をして、そのこと自体は不適切だったと謝罪したのだが、日本とアメリカの自由の度合いの違いについて考えさせられた。日本でも最高裁判事の国民審査が行われるが、ほとんど情報がないままに投票しているのが現状である。

民主主義の前進は一直線ではない。トランプ大統領の人種差別、女性差別問題についての発言は報道されているとおりである。

ギンズバーグが、法曹の道を進もうと思った学生としての出発点に、「赤狩り」に反対して言論の自由を守ろうとした弁護士の先輩たちの運動があったというのは興味深い。「赤狩り」の反省もまた70年代だった。

*     *     *     *

ビリーブ「ビリーブ」は、RBGを主人公にした劇映画である。
若きギンズバーグが1970年代に最初の「男女平等」裁判で勝利をかちとるところまでを描いている。
後半は、法廷映画のようで面白い。


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劇団四季「ライオンキング」

ライオンキング91ライオンキング92








敬老の日だというので、ヒビキたち一家が劇団四季「ライオンキング」の公演に招待してくれた。
劇場は大井町。臨海線で行けるので近くなった。
ライオンキング専用劇場。
右の写真、それぞれ違うところを見ているのが面白い。

ディズニーランドと劇団四季はまだ行ったことがなく、もちろん初めて。

ライオンキング1ライオンキング3








華やかな美しい舞台を楽しんだ。
ライオンの住むアフリカの雰囲気いっぱいの言葉(ズールー語)、音楽(ジャンベ)、衣装、踊り。度肝を抜かれたのは、登場する背の高いキリンや、大きなゾウ。さまざまな動物のパペット(人形浄瑠璃の技術を使ったらしい)。螺旋形にせりあがる専用劇場ならではの舞台も見事。

俳優さんたちの歌や踊りはもちろんすごい。

ライオンキング2ところでこの場面、鳥を会場いっぱいに飛び回らせるシーン。これを見て「肝高の阿麻和利」を思い出した。平田太一さんは20数年前にこの芝居を観て、自分の芝居でも使ったのではないだろうか。

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2019年09月15日

智子さん結婚式


軽井沢のルグランで、ゼミ卒業生のトモ子さんの結婚式。よく晴れて、緑の中の結婚式だったが、萩やモミジなど秋の気配も。

智子さん01

















智子さん02智子さん03








智子さん05智子さん06








智子さん07智子さん08








智子さん09智子さん10








智子さん11智子さん12








智子さん13智子さん14









トモ子さんは長野市の出身だが、ナオト君とは家が近く幼稚園、中学校といっしょだったそうだ。誕生日も6日違いとか。
トモ子さんとはゼミのほか、ぼくの家に近かったり、駅伝もいっしょに応援に行った。お父さんが、大学の青桐会の支部長をしてくださっていて、家族で食事をしたりしたので、夫婦でお招きいただいた。

ちなみに今中学校の先生をしているお兄さんも大東文化大学出身。ついでに、披露宴でテーブルのウェイターを務めてくれたアルバイトのS君は「僕も大東です」と、現役の2年生だった。

ゼミの同級生のミオさん、キワさん、大学のサークル「わんぱく少年団」で上福岡西公民館で活動していたYさん、Kさんも出席。1年前に結婚したキワさんは、9ヶ月になった息子の写真をみせてくれた。「おじいちゃんにそっくりだね」と言うと、私が苦労して産んだのにと不満そうな顔をしていた。みんなに言われるらしい。

とてもいい結婚式だった。

智子さん04


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2019年09月13日

中等教育研究委員会


一昨日になってしまったが、麹町で民主教育研究所の中等教育研究委員会。
8月は休んだので、このかんの経過について共有し、今後の経過について話し合った。
新しい人が加わってくれたので、新しい視点も得てありがたい。

終わってから残った4人で、「食為鮮」へ。ここは四川料理なのだが、辛くていい。(辛くないものもある。)
Hさんと帰ったが、しきりにNHKに悲憤慷慨していた。昭和天皇報道も公表が一部なので編集の作為が疑われても仕方ないし、少し前の秘密保護法や共謀法の報道における呼称にしても最も政府寄りというか、政府のいうとおりだったので、公共放送から国営放送に近づいているのではないかと危惧される。

総じてメディアのありかたが心配される。深刻化する日韓関係についてもテレビはもっぱら韓国政府批判で日本政府の対応については批判的視点が少ない。日本の人々の中にも歴史認識から始まってさまざまな意見があるはずなのに報道されない。これでは大本営発表をうのみにさせた戦前と同じではないかと思う。


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2019年09月11日


上は、南畑の民家の通路で、下はぼくの家の玄関先。
花は、どうしたらこんなきれいな色と形をつくりだせるんだろう。
どちらも名前を知らないが、きっとカタカナの(ほんとうのカタカナの)名前だろう。

名称不詳9−2


















鉢9月



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『帰郷』


帰郷浅田次郎さんの短編集である。
解説の成田龍一さんによると、斉藤美奈子さんは戦争小説の書き手をつぎのように分類しているのだそうだ。戦争に行った(送った)「戦争世代」、父親が戦争に行った「戦後第一世代」、おじいさんが戦争に行った「戦後第二世代」。戦争世代は、自らの体験を証言として書いた。第一世代は、運命に翻弄され大義に生きた戦争世代を慰霊し、戦後社会とそこに生きる人々に深く刻印された傷跡を明らかにしようとしているという。第一世代である浅田さんによって、「戦争がしがらみを複雑にし、あらたなしがらみを作り出すことが、一人一人の人生のひとこまとして」描かれるという。

だから「非戦小説」なのだというのだが、また新しい言葉である。反戦でもない非戦とは何だろうか。もっとも帯には「反戦」とも書かれているが。


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2019年09月10日

ハナトラノオ

ハナトラノオ先日、「台風の前」にアップしたこの花、ハナトラノオというのだと、倉石智證君が教えてくれた。「かみさん」が教えてくれたのだそうだ。ありがとう。


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肝高の阿麻和利

昨日、鶴瓶の家族に乾杯を見ていた。キムラ緑子さんと訪れたのが福島県南会津。見ていると高校生と出会い、踊り、とか言っている。もしかして、とゼミ卒業生のコンノ君、トモミさん、南会津に住む梅宮ソウくんたちに電話をして、「肝高の阿麻和利」が出るかもと言い、ラインでチャットをしながら見ていた。ソウ君は、子ども歌舞伎が出るんじゃないですかと言っていたが。

ゼミは1990年代半ばから20年間沖縄に行ったが、そこで「肝高の阿麻和利」に出会った。平田太一さんが、大城さん(若いころ、大東一高の先生だった)の脚本に音楽、踊りをつけて、現代版組踊として中高校生が演じた。沖縄中に知られるようになり勝連町のまちづくりにも一役買った。

ゼミでは、そのフィナーレのところだけ音楽と踊りをやるようになり、ぼくの退職まで10数年間教育学科のコンサートに出た。平田さんたちが、初めての本土公演をするときには、ゼミ生が地域の人たちと実行委員会をつくって頑張った。
本土で「阿麻和利」を熱狂的に支持して、「息吹」という子どもたちの劇団をつくったのが南会津だった。

阿まわり番組では、「息吹」が出た。地元の百姓一揆を劇化した「南山義民伝」とかいうものだったが、音楽、踊りは平田さんのに違いなかった。キムラ緑子さんは、練習風景を見ながら泣いていた。

南会津には12年前に行った。
連れ合いが胃の手術をして2ヶ月後だった。前沢宿、大内宿、湯之上温泉などに行ったが、前沢宿ではソバを詰まらせて難儀した。ちょうどたしか同じ日に王貞治さんが胃の手術をしたのだが、王さんはその後カレーライスを詰まらせて再手術した。
そんなことをチャットすると、ソウくんが「(宿の)入口のところ(の蕎麦屋)ですね」と返事。そう、ソウ。



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台風15号


畑夕焼け昨日畑に行くと、モロヘイヤ、ネギ、シソなどがのきなみ横倒しになっていた。風のすさまじさを思った。うちなどは生計には関係ないのでいいのだが、テレビでは梨が落ちて「今年は終わりです」という農家さんもいた。亡くなった方、けがをされた方もいる。お見舞い申し上げる。

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2019年09月09日

宮尾節子「明日戦争が始まる」

明日戦争が始まる明日戦争が始まる
宮尾節子

まいにち
満員電車に乗って
人を人とも
思わなくなった

インターネットの
掲示板のカキコミで
心を心とも
思わなくなった

虐待死や
自殺のひんぱつに
命を命と
思わなくなった

じゅんび

ばっちりだ

戦争を戦争と
思わなくなるために
いよいよ
明日戦争がはじまる

*     *     *     *

宮尾さんは、この詩を「反戦詩」と言われることに違和感をおぼえるという。「反戦詩を書いたのではない、わたしは詩を書いたのです」。書いたのは、ひとと、こころと、いのちであって反戦ではない、と。
これだけを見ると、ぼくは逆の違和感を持つ。だれだって反戦や平和の思いの土台になるのは、人と心といのちではないのか、と。反戦であることと、と反戦でないものの境目はどこだ、反戦詩は、まず政治ありきの人だけが書くものだろうか、と。

でも、この詩集のほかの詩を読むと、詩人の思いがすこしわかるような気がする。詩人は、人を、心を、いのちをこよなく愛しやさしいまなざしを注ぐ。同時に、そのありように厳しい批判の目を忘れない。思考停止するこころ、いのちのきらめきに鈍感になっているこころ、変わらない人、変わろうとしない人、なによりも恥ずかしい自分自身。

そう考えると、この詩は人のこころの怖さを描いたものであり、戦争は、この詩人の言葉を使えば、極端だが、比喩ということにもなる。現代社会と、そこに生きそれをつくっている人間への鳥肌が立つような批判の詩ではある。


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台風の前


15号台風が来ると言う。その前。
畑に行った。

台風の前1台風の前2








北の空と南の空。

台風の前3台風の前4








左の花、名前をすぐ忘れる。
百日草と同じ、小さいころの花。

台風の前5


















*     *     *     *

ゴーヤ、ミニトマトなどの棚は片づけた。

台風の前6台風の前7









台風の前8秋ナスは丸ナス、長ナスとも今年は元気。

モロヘイヤも大きくなって畑や家の隣近所に分けている。

子どもたちと植えた落花生も大きくなった。試しに1本抜いてみたが、もう土中の殻はけっこう付いている。でも殻の中の実はまだ小さい。あと一か月くらいか。でもそのあいだに半分くらい虫に食べられてしまう。

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2019年09月08日

ホトトギス

ホトトギスが咲いている。ムクゲとともに長く咲いてくれるのでありがたい。
遠くから見ると可憐な花だが、近くに寄るとけっこうおどろおどろしいですね。

ホトトギス0ホトトギス3









ホトトギス2



















*     *     *     *

ぼくがホトトギスをいいなあと思い、自宅で育て始めたのは唐津焼のためである。
唐津焼の窯を訪ねたとき、その庭に咲いていた。陶芸というか陶器というかによく似あうと思った。

いつだったか。唐津は2度行っているが、最初のときで、ゼミのタツコさんの結婚式に出るためだったと思う。それはこれまでで一番と言っていいほど盛大なものだった。たしか400人以上、タバコの煙で向こうの端っこがかすんでいるくらいだった。式のあと、虹の松原、唐津焼、イカの呼子、伊万里、有田と歩いたのだった。多分、30年くらい前である。

帰ってすぐホトトギスを植えた。
今では、庭を席巻し、最大勢力になっている。今年はずいぶん刈り込んだが。

唐津焼2唐津焼1








そのときのぐい飲みが左。箱入りのもあったが、使わないうちに多分息子のだれかに行っている。だから窯の名前はわからない。
右は典型的な唐津だが、あとで手に入れたもの。


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江戸川橋

江戸川橋1江戸川橋2









江戸川橋3ほんとうに久しぶりに江戸川橋に行った。
ちょうどお祭りだった。
かつてはこの店、あの店で、あるいは反対側の神楽坂でもよく飲んだものだった。

1980年代まで、ぼくは主として学校教育に関わる教育科学研究会(教科研、戦前からの民間教育研究団体とその雑誌『教育』の編集)、社会教育の社会教育推進全国協会(社全協)の両方に関わっていた。恩師の宮原誠一さん、先輩の北田耕也さん、小川利夫さん、みなさんがそうだった。

80年代の終わりころ、社全協の雑誌『月刊社会教育』の編集委員にもなり(佐藤一子さんが編集長になったからだ)、地域でも『月刊社会教育を読む会・飲む会』を始めて、これはいろいろな意味でぼくの財産になった。

ところが1989年の夏、教科研の方の事務局長になることになり、迷った末引き受けたので『月刊社会教育』の編集委員はやめた。人生の岐路だった。自分の選択だった。43才のときだ。

事務局長になって、教科研の事務所を新宿からこの江戸川橋に引っ越した。当時の委員長は山住正己さん。社全協の方は小川利夫さんだったので話し合ってその後同居することになった。

今度、来年4月号の『月刊社会教育』の編集担当を引き受けたので、編集委員会に出たのだが、ちょうど30年ぶりの編集委員会の参加ということになる。気後れするので出ないと新藤編集長には言っていたのだが、それも無責任だと思い直したのだ。気後れはもちろんしたが、ぼくより年輩のYさんもいたし、なにより事務所はとても懐かしかった。


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2019年09月07日

山頭火

山頭火全集市の図書館から全集11巻を借りた。
本の奥付は1990年だから、出版は約30年前か。
ところがほとんどの巻は、まだ注文票がそのままで、しおり紐も折って挟まったまま。
つまりぼくが初めて読むらしい。
それだけで本にいいことをした気持ちになる。

実にたくさんの句をつくったものだ。
紛失や散逸をしたものも多いらしい。
山を詠み、風を詠み、流れや水を詠んだ。清冽だ。

実によく歩いた。
多くは僧の衣装で行乞(托鉢)をしながら歩いた。
ぼくが四国・松山で訪ねた一草庵は、最後の1年足らずの住居だったようだ。
長野には、50才を過ぎて(57才没)都合3回ほど来ている。佐久(から善光寺)、飯田・清内路、伊那など。だから駒ケ根の妹のところに句を飾るのはふさわしい。

実によく飲んだ。
日記には、前夜の飲み過ぎの反省が始終出てくる。
アル中で悩んだ時期もある。

若い時にはツルゲーネフの翻訳などもしている。
知的で、権力というものをとことん嫌った。関東大震災の時には社会主義者と間違われて投獄されてもいる。神経衰弱にも悩み、自殺未遂もあった。

いやはやすさまじい人生である。

*     *     *     *

「しおり紐」のことである。本のページの間に挟む紐のことだが、正式には何というのだろうと困った。ネットを見ると同じ疑問を持つ人がたくさんいるようだ。

「紐」はあまりに一般名詞だ。
「しおり」「ブックマーカー」「スピン」などともいうらしいが、しおりやブックマーカーだと紙や皮の短冊を思い浮かべるのではないだろうか。「しおり紐」が一番しっくりきた。
文庫本では、ほとんどが紐をやめて(費用が掛かる)残っているのは新潮文庫だけらしい。


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夏から秋へ

前回の続き。
道端や野原に咲いていた。

葉鶏頭9−1葉鶏頭9−2








葉鶏頭

鳳仙花9−1鳳仙花9−3








鳳仙花、沖縄では、てぃんさぐぬはな。
めっきり見なくなった。

鳳仙花9−2蓼








鳳仙花と蓼。
そしてカンナ。

カンナ9−1

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2019年09月06日

百日草


先日の自転車の散歩のときに見つけた。
百日草をみることが、昔の長野に比べてだが、少なくなった。
それと、やはり昔と比べて花が少し違うように見える。
洋種だろうか。野菜も含めて種の生産地が外国が増えているような気がする。

百日草9−2

















百日草9−4百日草9−5








百日草9−6百日草9−7

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2019年09月05日

自転車


自転車でビン沼方面に行った。
いつのまにかこんなに稲の穂が出て、黄色くなった。
ふじみ野市のR254のバイパス付近と、富士見市のビン沼。

稲9月2

















稲9月1



















自転車ところで自転車を手に入れて、10ヶ月。これで7回目。出番がなくて申し訳なく、せめて写真で晴れの姿を。O先生と車種も色までも同じである。

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教育研究運動

昨日、民主教育研究所の顧問会議に出た。ぼくは初めての参加、年齢も相対的に若い。
研究所に限らず、民間の教育研究運動は、少なくともぼくが関係しているものは参加者の数が減っているし、高齢化が著しい。雑誌の部数も少なくなり経営上困難になっているところも多い。若い人にとっての魅力や必要に応えられていないのだと思う。

教育で、また教育研究で守らなければならないものはある、変えてはならないもの、貫かなければならないものはある。しかし、社会と若者は変化しているのは事実なのだから、その変化をしっかりととらえ、その中に芽吹く大事なものを大きくしていく以外ない。だからまず若者の意見を聴くこと、若者にゆだねることを真剣に考え行っていくことが必要だと思う。


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2019年09月04日

平場の月

平場の月 高田馬場駅から地下鉄東西線に乗ったら、「埼玉に根ざした……」小説という広告が目に飛び込んできた。うれしくなって、早稲田駅で降り地上に出たところにある本屋で買った。

 埼玉というのは、朝霞、志木、新座だった。ますます地元みたいなものである。
地名はもちろん、病院、スーパー、量販店、コンビニ、パン屋、みんなほとんど実名で出てくる。ふじみ野も池袋もそこのデパートやレストランも。ああ、このあたりは土地勘がなければ、感覚がつかめないだろうな、と根拠のない優越感にもひたりながら読んだ。「地元小説」である。

 しかしながら、また当然のことながら(こういう文語体が出てくるのは、今翻訳の作業を自らに課しているからである)、この小説の真髄はそこにあるのではない。

中学校の時、同級生であり、すこし曰くもあった男女のふたり、「青砥」と「須藤」が、50代を迎え、両方ともバツイチになり、地元の病院の売店で偶然に出会ってからの濃密な1年の恋愛の物語である。

タイトルにもなっている「平場」がキーワードだ。平場とは、貧しい庶民の世界である。高卒で印刷会社で働く青砥の給料は年収350万円、売店で働く須藤は200万円にも遠く及ばない。そもそも二人が接近するのは、町の焼き鳥屋で「外食」するのももったいないという須藤の思いからだ。中学時代に青砥が須藤に感じていた魅力の「太さ」の背景には、貧困とすさまじい家庭の崩壊があった。

他人の私生活や人間関係に興味津々で、情報を得ればすぐに知り合い中に流してしまう、やはり同級生だったウミちゃんや、大五郎を飲みながら上司や同僚たちへの不平をたらたら愚痴る青砥の職場のヤッソさんは、どこにでもいる庶民である。

小説は、独特の文体で、平場の小説の世界に引き入れていく。

最後の数ページは滂沱の涙である。


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2019年09月03日

絶唱

絶唱トンガを舞台とした短編集。
青く大きな空と海。豊かな緑と自然の恵み。ゆったりと流れる時間。
そこへ日本人たちが観光に来る。のんびりと観光に来るようだが、一人ひとりは、心に傷や鬱屈を抱えている。どの短編にも登場して、観光案内だけでなく、人生の相談役になってくれるのは尚美さんである。

トンガと向かい合っているのは、神戸である。
阪神淡路大震災は人々の心に大きな傷をつけた。

それは、自然の恐ろしさを見せつけ、愛する人々を奪い、哀しみに暮れさせた。
人が苦しむのはそれだけではない。死んだのはなぜ親であり、子であり、愛する人であり、自分ではなかったのか。自分がなぜ生き残ったのか。
さらに、あのとき、ああすれば救えたのではないか。自分はなぜ助けに行かなかったのか。

東日本大震災でも、広島・長崎の原爆でも、生き残った者を苦しめたのは、その問いである。

せつない。
それでも明日も生きていこうという呼びかけである。

著者の私小説でもあるようだ。


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2019年09月02日

名田造

名田造夏休みに長野の駒ケ根に行ったとき、長男が「信濃鶴」の酒蔵に行きたいというので寄ったのだが、そのときに女将さんに勧められたのが、この「名田造」だ。

蔵(長生社)の百周年を記念して新しく作った銘柄で、米は49%まで削っているので大吟醸でもいいのだが、あえて純米吟醸として売り出した自信作だという。ラベルが白抜きなのはプロトタイプだからで、いずれカラー印刷になるらしい。

名田造という名前は、創業者の次男の名前で、1960年ころ駒ケ根市長も務めたという。名物市長であの駒ケ根ロープウェーもその奔走で架けられたという。

無濾過生原酒で、ほんとうに上手い。

この壜は、一昨日、上福岡の「丸文」さんで買ってきた。いろいろな蔵を訪ねてお酒をそろえてくれる丸文さんはエライ。
もう一軒、鶴瀬には「よしのや」さんがある。ここも明鏡止水など日本酒もすごいが、ウィスキーの品ぞろえが群を抜いていい。(たとえば、これも駒ケ根にある「地ウィスキー」のマルスもある。)
こういう酒屋さんが近くにあるのはありがたい。

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2019年09月01日

信州、旅、…

「鴎外、信州の旅」について、上田の歴史家、桂木先生からメールをもらった。

8月30日
「酒中日記」、8月30日付けも楽しく拝読。鴎外の仕事での来信。興味が湧いてきました。
1か所解せなかったか所です。上野−高崎鉄道開通までは、東京古河間は舟でという箇所です。
古河とはどこを差してのことでしょうか?茨城の古河ではないでしょうし。
ちなみに信州と江戸を結ぶ流通の拠点は群馬県倉賀野だったはずです。倉賀野は大きな川港でしたから。
この点のみ気になりました。今后のご健筆を祈念致しております。

同日、ぼくの返事
ありがとうございます。
茨城の古河です。まず向かったのは栃木なので、そのルートを取ったのではないかと思います。
東京のどこか、新しくできた港を出たと思います。

8月31日
早速にありがとうございます。得心しました。
東京千駄木にある森鴎外記念館の展示で彼の辿った足跡の地図をみたことがありますが、
日本中歩いたことに驚かされました。彼は文学者であると同時に明治の急速な軍国主義体制の一端を担っていたわけですから歴史学からアプローチが必要かもしれませんね。これまでほとんどなされていないので、先生のお仕事に注目しております。


*     *     *     *

ぼくは今のところ信州にこだわっているので、そしてあと2,3回は「旅」をテーマにしたいので、次は山頭火か若山牧水かと思っている。
昨日、上福岡図書館から山頭火全集全11巻など20冊ほど借りてきた。


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通信制高校


早稲田大学戸山早稲田大学戸山キャンパス、喫煙所付近。

昨日は、JYC(若者フォーラム)の高校通信制についての研究会。

高校の通信制課程は、もともとは働く若者や地理的に不利な若者のために高校教育を保障するものとしてつくられた。しかし今は違う。不登校だった生徒や、学力その他の理由で高校に行けない生徒たちが入るようになっている。多くは高校卒業の資格を得るということが目的である。

そのために需要が大きく、今は全高校生の5%にまで比率が高まっている。その需要にこたえているのが民間の教育産業である。私立の広域通信制というかたちをとるが、かつての専門学校経営者だけでなく、教育以外の業者も参入している。株式会社経営のものもある。
卒業して資格を取っていく生徒もいるが、転校や中退する生徒も多く、その実態はわからないところも多い。

しかし、なかには、高校生のために真剣に向き合い、教育実践に取り組む教師たちもいる。滋賀でも今年もお会いした浦田直樹先生や小山民先生もそうした教師である。

この日は、おふたりの先生に来ていただいて報告してもらった。
通信制の全体像がまだわからない、教育制度上の意味や、教育実践の方向性については、人によって思いや解釈が違う、そういう中での議論だから混線するが活発だった。

おふたりのうちのお一人、I先生は、2008年にぼくが名古屋大学に集中講義に行ったときに受講してくださったかたである。

*     *     *     *

そのあと、「舟形や」さんで飲んだが、斜め前に座ったI先生は、名古屋大学の時もちょうどこういう位置で飲みましたよと言っていた。


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