2019年07月
2019年07月31日
北欧
北欧に行ってきた。フィンランド以外はいずれも初めての国。
船と山岳鉄道でめぐるノルウェーのフィヨルドの旅と、一日だけだがバルト海のクルーズがメインだった。
添乗員のWさんがとてもよくておかげさまで楽しい旅だった。
これがプロの技だなあと何べんも思った。その国、土地についての的確な知識もさることながらやっぱり技がすごいのだ。たとえば、途中で遭遇するほかのグループの添乗員さんの中には大声で人を集めたり、せかす指示を出したりする人もいたが、Wさんは決して大きな声を出さない。むしろ小さな声で静かに話す。ゆったりした気分を大事にしたいからだという。それで集合が遅れたり迷子になったりすることはない。
楽しい旅をしてもらうということに専心しているようで心配りがすごい。
その日の部屋に入るとまもなくノックがあって、水回りなどの不具合を見てくれる。
毎夜、「Wかわら版」が発行される。翌日のスケジュールや見どころなどが書かれており楽しみだった。
ぼくのようにドジばかり踏んでいる者や、ぼくから見てもわがままだなあと思うような要求にも嫌な顔一つ見せず誠実に対応してくれる。
カリスマ添乗員のような人もいるようで、Wさんもその一人。ツアーによっては添乗員の名前も出して募集するものもあり、旅のベテランさんの中には添乗員で選ぶ人もいるらしい。実際グループの中には2組の「Wさんの追っかけ」というファンがいた。
これだけ気力も体力も使うのだから当然疲れるだろう。Wさんは一つのツアーで2キロくらい痩せるのだそうだ。
ぼくは、帰ってから体重計に乗ったらなんとちょうど2キロ増えていた。これはまずい。これはWさんに返したい。
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角笛シルエット劇場「花さき山」
角笛シルエット劇場の「花さき山」公演があると新聞で見て、一家総出で行ってきた。日経ホール。
切り絵の画面はきれいだし、それなりによかったが、なにせあまりに幼児対象だった。
ぼくにはまったくわからない「パプリカダンス」についてヒビキに「これ知ってる?」と訊くと、「知ってるよ」とは言っていたが。
マリアはともかく、今は「クィーン」に夢中の、シシュンキにさしかかるヒビキやヒカルにはなんともはや申し訳なかった。
息子たちもそうだったが、孫たちもいつまでも子どもではない。あっという間に成長していく。それでも一生懸命に見てくれた。
1,2年前、六本木のドラエモンの展覧会があって行ってみたら、このときは大人の画家対象だったし。むずかしいものだ。
読売新聞社前で。
「いだてん」の金栗四三さんの像と、箱根駅伝歴代優勝校。
池袋の海鮮市場で食事。これはとてもおいしかった。
masao55ota1 at 19:31|Permalink│Comments(0)│
「記者たち 衝撃と畏怖の真実」
2002年、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、サダム・フセイン政権を倒壊させるためにイラク侵攻に踏み切った。そのときの理由は、「大量破壊兵器の保持」「生物化学兵器の存在」だった。ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストといった大手新聞やほとんどの新聞が大統領の発言を信じて報道を続ける中、ナイト・リッダー社の記者、記者ジョナサン・ランデーとウォーレン・ストロベルは、大統領の発言に疑念を抱き、情報源をたどって真実を追求していく。ナイト・リッダー社というのは、日本の共同通信社のような新聞社らしい。事実に基づいたストーリーである。
この事件はまだ記憶に新しい。
ちなみにこのときの副大統領はディック・チェイニーである。チェイニーは、歴代副大統領の中で最も権力を持った男と言われ、ブッシュ大統領を意のままに操り、行政のあらゆる分野で実権を握ったとされる。その映画「バイス」はまだ見ていない。
この事件はまだ記憶に新しい。
ちなみにこのときの副大統領はディック・チェイニーである。チェイニーは、歴代副大統領の中で最も権力を持った男と言われ、ブッシュ大統領を意のままに操り、行政のあらゆる分野で実権を握ったとされる。その映画「バイス」はまだ見ていない。
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金子文子と朴烈
1923年の東京。金子文子は、在日のアナーキスト詩人・朴烈の「犬ころ」という詩に強く惹かれて知り合い、いっしょに暮らすようになる。ほかの仲間とともに抵抗組織の「不逞社」を創立するが、9月1日、関東大震災に見舞われる。日本政府は社会主義者や朝鮮人を無差別に一斉検挙、二人も捕らわれの身となり、大逆罪で死刑を宣告される。文子は宇都宮刑務所で獄死、朴烈は終戦後に解放された。
若い二人の奔放で情熱的な青春が描かれる。
関東大震災後の朝鮮人虐殺も描かれるが、大東文化学院はそのさなか、同年9月20日に創設されている。
日本人役をやる俳優たちの日本語がうまい。これは韓国映画を観ていつも思うことだが、そのこと自体に両国の歴史が反映されている。
若い二人の奔放で情熱的な青春が描かれる。
関東大震災後の朝鮮人虐殺も描かれるが、大東文化学院はそのさなか、同年9月20日に創設されている。
日本人役をやる俳優たちの日本語がうまい。これは韓国映画を観ていつも思うことだが、そのこと自体に両国の歴史が反映されている。
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ビン沼
自転車で、この日は富士見市のビン沼をめざした。
はじめてのコースだが、25分ほどで着いた。距離は約6キロ。
ビン沼では大勢の釣り人が糸を垂らしていた。
ほとんどが広い側道がついているので走りやすい。時間も距離も少ないが、普通の道なので交差点や信号では止まるし、小路や家屋への道が多いのでスピードを緩めるので、けっこうペダルを踏む。それに跨線橋や鉄道の下のトンネル道もあり起伏があって運動量は多い。
午後は明治大学で、北田耕也先生の偲ぶ会の打ち合わせ。
明大の小林さん、東大の新藤さん、千葉工大の草野さん、それにご子息で大東文化大の志郎さんと。
8月5日に明治大学で開く。
夜は、三芳町竹間沢公民館で、劇団銅鑼の「Endless−挑戦」の公演の実行委員会。銅鑼の劇団員を含めて10人ほど。チケットの普及はまだまだ。この芝居は、石坂産業のとりくみに取材したものなので、公演初日は三芳町に持ってきた。8月24日(土)午後3時から、文化会館・コピスで。どうぞお出かけください。チケットもご用命ください。
masao55ota1 at 16:28|Permalink│Comments(0)│
2019年07月18日
庭の7月の花
長雨で、消毒のチャンスもなかったが、昨日は少しだけ青空が見えて消毒をした。
ブリ―ベリーは、去年大幹が枯れて実が少なくなったが、その分大きい実になった。先日少しだけ子どもたちが食べていった。
あと今咲いているのは、バラ2種、ムクゲ1種。
ミズヒキも咲いた。強くて繁茂するので、春先、葉に斑の入ったのだけ残して整理した。
それにしてもこんなに早く咲くんだったっけ。
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2019年07月17日
就活など
昨日は、民主教育研究所の研究会。
この日も新しいメンバーを迎えた。9人中4人が大東文化大学の教員(元を含む)になった。「元」をのぞくとみんな若い。自然、研究会も活気が出るような気がする。
この日は、K県A高校とN県B高校の調査の報告と討論。
研究会の中で、大学生の就職活動とその支援のあり方が話題になった。
同じようなリクルートスーツとグッズに身を固め、3回のドアノックと45度のおじぎ。面接では、「貴社」の魅力を語り、明るくなくとも自分の明るさをアピールしなければならない。就職は学生には切実である。それでもお前はいらないと学生によっては何度も何度も落とされる。若者の引きこもり調査で、「就活の挫折」は、「不登校」「職場」と並んで3つの原因のひとつである。
大学にとっても就職率は社会的評価のバロメーターのひとつだから、それを上げるために一生懸命にならざるを得ない。学生の尻を叩き、当てはめ、追い立てるような指導になりがちだ。だから良心的な教職員は戸惑いと葛藤に直面する。もっと多様な生き方があるはずだ、人間らしく働く仕事もあるはずだ、と。
ぼくも責任者として関わってきて、働くことについて、毎年の就活キックオフや告辞で語りかけてきたが、もっとやれることはなかったかと自省する。
終わってからハラさん、ハヤシさんとひょうたんへ。
芝居の話から井上ひさしさんの話になり、山形県川西町にある遅筆堂文庫の話になった。井上さんの私設図書館である。15年くらい前のことだが、そこを訪ねたときのことを話したら、大受けで、ブログに書けという。実はもうだいぶ前に書いたのだが、書く。
当時、ぼくは『人間と教育』という雑誌の編集長をしており(学長と同じ6年半やった)、巻頭インタビューでさまざまな人を訪ねた。宮崎駿さん、灰谷健次郎さん、落合恵子さん、辺見庸さん、など20人以上になる。井上ひさしさんに登場をお願いしたいと、そのころ、こまつ座座長をしていた井上都さんに仲介を頼んだのだが、直接やってくれと言われ、手紙を書き、ぼくの本も同封したのだった。これは、実現しなかった。大江健三郎さんもダメだったが、大江さんからは本の感想を書いた返事をもらった。
遅筆堂文庫では、井上さんの仕事ぶりや勉強の様子がよくわかるようになっている。大江健三郎さんの本には付箋が貼られ、赤鉛筆で書き込みもある。『燃え上がる緑の木』だったか、「両極性」とかいう書き込みがあったのを覚えている。
「両極性」というのは、井上さんの思考の重要なキーだとぼくは思っており、『若者の中の世界 世界の中の若者」という小冊のあとがきで書いたこともある。
ほかの部屋に行ったら、何とぼくの本があった。付箋も、書き込みももちろんなかった。
書架から本を取り出したらぽろっと落ちたものがある。何だと思ったらぼくの手紙だった。
赤面し、持ち帰った。
ハラさんは図書館のものは持ち出してはいけないんだと、昨日言っていたが、私信を公開の場所に置く井上さんの方が悪いと思っている。
masao55ota1 at 12:21|Permalink│Comments(0)│
2019年07月16日
畑とシシュンキ
子どもたちが種を蒔いたトウモロコシも花が咲いた。
この日の収穫。
ヒビキ、ヒカルは今年小学6年生。
家で、連れ合いとヒビキの母親のなっちゃんと大人同士の会話の中で、連れ合いが、いつまで来てくれるかしらね、友達は中学になったらパッタリ来なくなると言ってたけど、などと話していた。ソファーでぼくのおなかに頭を乗せて聞いていたヒビキが、「ぼくはシシュンキになっても来るよ」と耳元でささやいていた。
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一指禅
日曜日。
コウジと、新しくできたラーメンの一指禅さんに行った。
一指禅さんは、店をどんどんと増やしていて、多分これが6軒目。
かつて常連さんだったコウジはここでも顔で(店主が昔の本店にいた)味卵をみんなにサービスしてもらった。
コウジが帰ってから、ヒビキ・ヒカルの一家が来た。
どこにいるのかと思ったら、押し入れで本を読んでいた。
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2019年07月14日
『面白くても理科』
25年も前の本。『どうころんでも社会科』はそのころ読んだが、なぜ沖縄で昆布の消費量が多いのかなど社会認識の真髄に迫るところもあり、面白かった。
この理科は?
走っている電車の中で飛び上がったとき、電車は動いているのだから少し後に降りてもいいはずだが、同じところに着地するのはなぜか。(慣性の法則)
先日、小学6年のヒビキとヒカルが理科の実験の話をしていた。澱粉にヨードを入れると青紫色になる、唾を入れてかき混ぜると変わらない、という話である。著者が小6のとき、唾を入れたが、口内事情が悪くて(虫歯がいっぱいで)失敗したという話。
数年前、愛媛に行き、大洲に泊まるはずが八幡浜に泊まらなければならなくなり、でもおかげで居酒屋さんで初めて「亀の手(カメノテ)」なるものを食べた。グロテスクだがうまかった。
この本によると、亀の手は岩の隙間に住んでいるそうで、獲るためには岩を砕かなければならず、環境派の人たちから抗議されているのだそうだ。
宇宙の話もけっこう本質的に考えさせる。宇宙はビッグバンから始まったが、時間はいつ生まれたのか?
それで気がつけば、電車は川越で、ふじみ野駅で待っているコウジから「どこにいる?」と電話が入ったのだった。
* * *
次男のコウジが半年ぶりに来た。御用達のIデパートでぼくの好きなものたちを手に入れてくるので夕食は豪勢だった。
masao55ota1 at 15:34|Permalink│Comments(0)│
池袋界隈
土曜日朝。池袋駅北口方面に東西を結ぶ地下道がある。ウイロードという名前は初めて知った。
壁を補修している職人さんがいた。割れ目に接着剤を入れていくのだそうだ。
「東アジア文化都市2019豊島」の一環で、ウォールペインティングをしている画家さんもいた。
JRの線路に沿って公園がある。ワーカーズの事務所へ行くとき通る。ぼくにはかっこうの喫煙所だったが、全面禁煙になってしまった。ここはまたべテブクロなどホームレス支援のパンを配ったりする拠点のひとつでもある。
この日はJYCの、午前中は理事会と社員総会、午後は研究大会。
理事会では代表の任を解いてもらい、平理事にしてもらった。一人時代を含めて5年半務めた。肩が軽くなるのが実感できた。
午後の研究大会は、若者サポートステーションについて。5人の報告があったが、サポステの歴史や概要から、直面する運動や理論の課題までよくわかるものだった。
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2019年07月13日
イッツフォーリーズ「てだのふぁ」
「てだのふぁ」、「太陽の子」はぼくの人生にとって格別の意味を持っている。
人生の色合い、生き方、―ひとつの作品がぼくに大きな影響を与えた。
イッツフォーリーズが、「てだのふぁ」をミュージカルの舞台にした。
音楽という仕立てのせいもあるだろう、子どもを主人公にしているというストーリーのせいもあるだろう、星茜音さんという子役のけなげで精一杯の演技とこぼれるような笑顔のせいもあるだろう、鵜山仁さんの演出のせいもあるかもしれない、こんなに感動した舞台はそんなにない。
神戸の沖縄料理店「てだのふぁ・おきなわ亭」が舞台。
そこの娘の小学生のフーちゃんが、両親が出身の沖縄について学びながら成長していく物語。
お父さんは、心の中では戦争が終わっていなくて、フーちゃんを守るために今もたたかっている。それで心の病にかかってしまった。ロクさんがアダンの葉の風車を大事にするのは集団自決で殺した幼子への痛切な思いからである。キヨシ君は母親に反抗してぐれているが、母親は基地があるが故の犠牲者である。
県民の3分の1をなくした沖縄戦争の悲惨を、フーちゃんは勇気を出して学ぶ。
今も基地を抱えてその犠牲も大きい。
それなのに、本土の人たちは沖縄に思いをはせず、それどころか沖縄の人を差別する。
でも沖縄の人たちはやさしい。「肝心(ちむぐくる)」がキーワードである。人の痛みや悲しみを我がこととし、思いやる。
原作の灰谷健次郎さんは、1978年にこの作品を書いた。教員になったばかりのぼくはすぐ大学の1年生の授業で課題図書にした。
ほどなく前進座が青少年向けの演劇にして舞台に乗せた。その主題歌の「あなたの知らない人生は」を、ぼくはゼミのコンパで歌い、以来歌い続けた。
90年代に入って、ゼミで沖縄に行くようになって、那覇の松山のライブハウス「エルパピリオン」でもその歌を歌い、となりのテーブルにいた灰谷健次郎さんと知り合い、雑誌などでご一緒させてもらった。
最終講義でもその1節を歌ったのだった。サトシ君は、歌詞をそのときの資料にも載せてくれた。
40年以上たって観た芝居は、そういう意味で格別だった。
masao55ota1 at 23:37|Permalink│Comments(0)│
自転車
久しぶりに自転車に乗った。
今年初めて!8ヶ月ぶりくらいか。
雨がポツポツするのでクルマで遠出するのはやめて、近くの一般道を走ってみることにした。
三芳、所沢方面だが、道が狭くてトラックに押しつぶされそうな怖さもあったが、けっこう側道が整備されていて走りやすいところも発見した。
三芳はお茶農園と芋農園がずっと並んでいると実感。
もうもうと湯気の出る堆肥の山を手入れしている家も2軒あった。
畑のなかであちこちで煙がのぼっていた。何を焼いているのだろうか。
ぼくにとって自転車は旅だ。
今年初めて!8ヶ月ぶりくらいか。
雨がポツポツするのでクルマで遠出するのはやめて、近くの一般道を走ってみることにした。
三芳、所沢方面だが、道が狭くてトラックに押しつぶされそうな怖さもあったが、けっこう側道が整備されていて走りやすいところも発見した。
三芳はお茶農園と芋農園がずっと並んでいると実感。
もうもうと湯気の出る堆肥の山を手入れしている家も2軒あった。
畑のなかであちこちで煙がのぼっていた。何を焼いているのだろうか。
ぼくにとって自転車は旅だ。
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2019年07月11日
F市ピースフェスティバル
F市の会議が行われたのは図書館だったが、その1階ではピースフェスティバルの一環として作品展が開かれていた。野村東央留さんが受付をしていた。会議終了後、みせてもらった。俳句、短歌、絵、写真など。友人たちの名前も多い。「時の鐘」の絵は峠さんの作品。
masao55ota1 at 10:01|Permalink│Comments(0)│
F市の公民館
水曜日。一日、F市教育委員会の事業の外部評価の会議。
このもとになる振興基本計画作成にも関わらせてもらった。
午前中は学校教育、午後は社会教育。社会教育にこれだけの比重をかける見識もすばらしい。
関係者の説明を聞いて議論するのだが、トミヅカさんはじめ公民館長4人も出席。
評価というよりぼくの方が勉強させてもらった。
あらためて、F市の公民館が地域に根ざし、人々の生活と結びついて活動を展開していることに感銘を受けた。
南畑公民館の「農バルプロジェクト」は「街バル」(食べ歩きプロジェクト、「ふじバル」はふじみ野駅周辺)に対抗して農業や商工業の活性化を期して賑わいを取り戻す試みだ。
鶴瀬公民館は、「子育てサロン」「介護サロン」「一人暮らしサロン」「ピースサロン」「回想サロン」などつぎつぎと課題別のサロンを開設している。
地域の賀詞交歓会も公民館が主催しているところもある。
今度、公民館巡りツアーをしようかなあ。
masao55ota1 at 09:46|Permalink│Comments(0)│
2019年07月10日
有楽町
昨日の火曜日。午後有楽町のマリオン11階・朝日ホールロビーで、ヨウサクサン、フルムラさん、大阪のNさんとまちづくり調査について打ち合わせ。
そのあと、ヨウサクさんと2人で、いろいろな相談があって場所を探した。まだ3時半。
ビールの飲めるライオンは遠いので、近くでと駅のガード下の居酒屋に入った。
交通会館と国際フォーラムの間で、いまどきこんな店があるとは思わなかった。なつかしかった。
半地下で、外を通る人を下から見るようなお店。
昭和の時代そのままの居酒屋で、流れている歌は、天地真理や黛ジュン。20才くらいの時の歌。
けっこうデカイ蠅が飛んでくる。蠅をパタパタ追っていたら、おやじさんが来てケロッと言う。「好かれてんだねえ、(蠅は)メスだよ」。ヨウサクさんは店のメニューで3匹くらいつぶした。
料理と酒はまずまずだった。あえて店の名前は言わない。
masao55ota1 at 23:41|Permalink│Comments(0)│
2019年07月09日
キミガヨラン
しばらく前、長野のこの花の名前がわからないと書いたら、智證君が教えてくれた。智證君は高校以来の友人で、詩人、元居酒屋店主、山男である。
「キミガヨラン」は「君が代蘭」。アメリカのジョージア原産で明治時代に日本に来たらしいのに、何でこんな国粋的な名前になったのか。調べてみると、命名者は牧野富太郎。小石川植物園で咲いていたのを見て、学名のGloriosaには「栄える」という意味もあることから名付けたらしい。ところが、その学名は別種の「アツバキミガヨラン」のものであり、間違いだったことが判明したが、そのまま使われるようになったということである。
masao55ota1 at 10:33|Permalink│Comments(0)│
青年劇場「見捨てられた島」
青年劇場は、中津留章仁さんの作・演出になる芝居を、ここ数年間で3本つくっている。
その最初の「見捨てられた島」の再演。
初演と比べて、はるかに見やすくなった。芝居は生き物だとつくづく思う。
20xx年、近未来の戦争の後のある島が、本土から切り離されて独立せざるを得なくなった。憲法から作らなければならない。防衛、軍隊はどうするか、経済的な自立をどう目指すか、島民は激しい議論をしながら、自分たちの島の未来を見据える。
それらは、今の日本にとっての切実な問題である。
中津留さんは、社会と人間が直面する、選択を迫られる基本問題にいつも正面から挑み、観客に挑戦する。そのほとばしる情熱は見ているものがたじろぐほどである。長時間のタブーもおそれない。
それにしてもセリフの生硬さと冗舌は、若い時の井上ひさしさんの芝居のようでもあるが、疲れるときもある。前半最後の政治論議はとくに。
後半の、人々の決断と選択、和解と友情は共感を飛ぶ。
masao55ota1 at 10:15|Permalink│Comments(0)│
「オーデュボンの祈り」
書店を見ると、伊坂幸太郎さんの本がいつもあふれている。
ぼくは1冊も読んだことがない。でもこれだけ読まれる作家ってどういう人だろう。
そういう興味で、一番最初のデビュー作を読んでみた。処女作には、その作家のすべてがあるというから。
島なのだが(多分東北地方の)、誰にもその存在を知られず、150年も鎖国をしている島に連れてこられた主人公。そこには、未来を見ることができて島民の心のよりどころとなっている「優伍」という案山子がいて、犯罪を犯したり規律を破る者がいると殺すことが許されている「桜」がいて、みんな平和に暮らしている、……。
小説として許される想像力を超えた設定がされて、ユーモラスにゆったりと読ませ、推理させるが、ときどき怖いハードボイルドの面も出てくる。それは今の社会の確かにある断面なのだろう。
この作家はおそらく音楽が好きなのだろうということもおぼろげにわかる。
masao55ota1 at 10:29|Permalink│Comments(0)│
トモコさん
昨日の日曜日、ゼミ卒業生のトモコさんが、お連れ合いのナオト君とともに家に来た。
もう3月に入籍して結婚しているのだが、9月に式と披露宴をあげるのでその招待状を直接に届けたいということだった。いろいろなお付き合いもあったので夫婦2人で出席してほしいとのこと。
ナオト君とは初めて会った。かっこいいし、なにより好青年でよかった。
2人は中学時代に出会っているそうで、途中休憩もあったようだが、おそれいった。
トモコさんもナオトくんも実家はぼくと同じ長野市内。共通の話題も多かった。
クルマも同じ車種らしい。
昼食を一緒にというのでぼくも朝からスープづくりなどをした。
なんでもおいしいと言って食べてくれた。
masao55ota1 at 10:22|Permalink│Comments(0)│
2019年07月07日
「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」
コミック『赤狩り』、映画「真実の瞬間(とき)」につづくハリウッド・レッド・パージシリーズ。
1940年代後半、非米活動委員会は映画界からアメリカ共産党とそのシンパを追放しようと委員会に召喚し、証言を拒否した監督、脚本家、俳優を訴追し、業界から追放する活動を展開した。ダルトン・トランボは、投獄された「ハリウッド・テン」の中心メンバーだった。
この映画は、トランボとその家族の物語である。
トランボは投獄されて服役し、出所後は名前を隠して主としてB級映画の脚本を書いて生計を立てる。家族は困窮を強いられ何度も崩壊の危機にさらされる。
しかしその間に、友人の名前で書いた「ローマの休日」(1953年)、つづいてペンネームで書いた「黒い牡牛」(1957年)はアカデミー賞を受賞する。もちろん執筆を社会に公表し、受賞することはできない。
転機は1960年である。「スパルタカス」を制作・主演したカーク・ダグラスと、「栄光への脱出」(ポール・ニューマン主演)を撮った監督のオットー・プレミンジャーは、映画界の反対を押し切り、あいついで脚本のクレジットに「トランボ」の名前を掲げたのだった。
ハリウッドの和解は、1970年、全米脚本家協会がトランボに功労賞を送ることによってだった。トランボが、あらためて「ローマの休日」のアカデミー賞を授与されるのは1993年のことである。
2015年の映画。「ローマの休日」には及ばないが、トランボへのオマージュとなるいい映画になっている。
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2019年07月06日
両立領域
上田の友人、桂木さんが、読んでいてぼくを思い浮かべたと言って、その本の一部を写真に撮って送ってくれた。きたやまおさむ 前田重治『良い加減に生きる』(講談社現代新書)という本だそうだ。きたやまおさむさんは、あのフォークルの北山さん、精神科医の北山修さんである。
「(北山さんの)家人は私の弱点をつかまえて、お前は忘れ物が多い、無神経だという。しょっちゅう財布を忘れる、眼鏡を忘れる、クレジットカードがなくなる、…旅好きなのだけれど、特に旅の間で物を忘れる。…」
なるほど、似ていなくもない。
しかし、一方で北山さんは同僚の精神科医からは強迫神経症だと言われるくらい、神経質なのだという。神経質と無神経という矛盾することがらの共存があるという。これは精神科で言う「両立領域」というのだそうで、「おかげさまで私は矛盾する原則が緩く共存する領域を、人よりも広大に持っていると思います」と誇っている。キャパシティがあるというのだ。
ぼくがむしろ似ていると思ったのはこの神経質と無神経の共存のことだ。
小さい時、潔癖症的に手洗いをした時期があるが、歯には無頓着で今苦労している。
今、強迫的に神経を使うのは、タバコの火の始末、出かけるときの戸締りなどだ。出かけてから玄関の扉の鍵をかけたか気になって、映画をやめて戻ったこともある。扉は閉まっていなかったことはないのだが。(そのかわり居間の戸が開いていたというようなことはあった。)また、玄関の扉を気にするあまり、財布やスマホを忘れるのだ。
旅も同様で、このあいだ対馬へのプロペラ機で本を忘れたのは、棚の上の荷物を降ろすことに集中していて座席のポケットに注意が向かなかったからだ。
リスボンでスリにあったのは、家人が迷子にならないか、神経質に気を使っていたので、リュックのチャックをしっかり閉めるのを忘れたのだ。
考え事をすると、他人の話が上の空になるのも同様。
ひとつことに一生懸命になるとほかに注意が行かないのだと思う。だからどうも「両立領域」とかではなくてキャパシティが小さいのではないか。
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2019年07月04日
埼玉への旅
3日は駐車場のコンクリートの補修をするつもりだったが、長野は夜には雨になるという予報。それでは、作業しても無駄になるかもしれないので、やめて埼玉に帰ることにした。
せっかくできた時間だから、楽しみながら帰ることにした。
菅平を越えて久々のサンロードを行く。自動車道ができる前は始終通った。
東御町に「雷電くるみの里」という道の駅ができていて、遅い昼食。くるみ手打ちそばがおいしかった。(雷電は江戸時代の力士だが、彼以来長野県は大関を出していないので御嶽海にかける期待は大きい。)
18号線で碓氷峠を越え、松井田からは一般道で富岡をめざした。
通ったことのない集落があり、ちょっとした山越えもあって面白かった。
富岡に入ったところに「上州一の宮」の看板があり、すぐにハンドルを切った。
上野の国の一の宮は富岡にあったんだという発見。
なかなかに見事なお宮だった。
すぐに254号線に合流するが、あえてバイパスを行かず、旧市街を通ることにした。
富岡高校前を通るが、「七日市藩藩邸跡」とあった。
富岡には、江戸時代に七日市藩というのがあったと初めて知った。
隣町の甘楽には、小幡藩があって、ここの桜は見に来たことがある。この辺は小さな藩があったんだと思い、今調べてみると、さらにその隣には吉井藩があり、その上には安中藩があった。いずれも1,2万石の小藩である。どうしてこうなったのかはわからないが、面白い。
すぐ近くに世界文化遺産の富岡製糸場跡があったので寄ることにした。
世界遺産になってからもう5年経つという。
ガイドツアーに申し込むと、ぼくひとりで、マンツーマンのガイドになった。(人出が心配だ。)
明治5年(1872年)の創業というから「学制」公布、日本の学校教育の開始といっしょ。
新橋−横浜間に蒸気機関車が走ったのも同じ年だから、蒸気機関の創業もいっしょ。
日本の産業革命、近代はここから始まった。
ここをモデルに日本各地に製糸工場がつくられるが、13のうち5つは長野県だった。
また、この工場は官営から民間経営に移されるが、三井→原善三郎(埼玉・神川の出身で、横浜の三渓園をつくった)につづいて1930年代に受け継いだのは長野・岡谷の片倉製糸だった。
(あるいはそういうことも関係があるのか、工場前の店には「信州屋」「信乃屋」の名があった。)
1930年代には、工女たちのために工場青年学校がつくられている。ぼくの修士論文とも関係するので興味深かった。
* * *
長野に行くときなど、始終すぐ近くの自動車道を通りながら、行く機会がなかったのでいい旅だった。
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アメリカとのたたかい
長野の庭に咲いている花。左のは、ぼくがものごころついてからずっと咲いているが、何という花だろう。豪華できれいな花だ。(ほかにはチチコグサ、さつき)
長野での一人暮らしの4日間は、アメリカシロヒトリとの戦いだった。
2回の駆除については書いた。その後、2日の夕方には念入りに消毒もした。
ところが翌日朝、柿の木の下に立ってみると、まだ毛虫がいて愕然とした。大きくなった幼虫には、消毒は効かないという村の人の話はほんとうだった。それでまた小一時間、葉っぱや枝を落として潰す作業。それでもまだいるかもしれない。
masao55ota1 at 11:22|Permalink│Comments(0)│
2019年07月03日
松本
1日、クルマで松本へ。
途中の姨捨SA。
姨捨伝説の土地。近くの中央線・冠着(かむりき)駅付近は急勾配のため、昔はスイッチバックだった。このSAの下は有名な田毎の月(たごとのつき)の棚田。
この景色は、JRの三大車窓風景のひとつ。
姫リンゴの木。
松本美須々が丘高校へ科研費の調査。
最初の挨拶と調査の打ち合わせ。
校長先生はじめ快く迎えてくださる。
東京からは5人が参加。
この学校憲法はいい。
最初の自由の希求の格調と、最後の「購買のおばさんに感謝しよう」という人間らしい具体的な宣言。
コース制を取らず、全天候型の教育課程といい、長野らしさがあふれている。
ちょうど文化祭の双蝶祭の準備で生徒たちが生き生きとしていた。
* * *
長野に帰って、駅前で30代からの友人である原貞次郎さんと待ち合わせ。
いつもの居酒屋さんで、と言ったら原さんは駅前の油屋さんにしようという。原さんはさらに、その油屋さんは「信濃のかたりべ」のライバルであるお酒を出すのでやめようと言い、「小樽」へ。
飯山の「水尾」を飲みながら、久しぶりに話し込んだのだった。
masao55ota1 at 21:28|Permalink│Comments(0)│
2019年07月02日
地域の力
22年前に父親が死んで、母親が一人になった。(一時は、妹の子どものリエちゃんやリョウ君が住んでくれたこともあるが。)
家の左右の隣の家、前後の家、ちょうど十字型に5軒がひとり暮らしになった。
9年前、母親が死んだ。
今は左隣を除いて4軒が無人になった。
長野に着いた翌日、人が来たので表に出てみると村の人たちだった。農作業姿で5人。
ぼくの家と右隣の家の柿木などにアメリカシロヒトリが出ているので、留守だろうと思って駆除に来たという。
見るとたしかに網のような巣ができている。
大きくなった幼虫は消毒くらいではだめだという。
虫の付いた葉や枝を下ろして、付いている、あるいは逃げまわる虫を踏み潰す。もちろんぼくも支度して作業に加わった。葉に1,2匹ならいいが、ときにはびっしりと付いている。進行は隣の家の木の方がひどく、柿の木の1本は葉がまったくなくなった。小1時間もかかった。
留守の家も含めてみんなの力で守る、と言っていた。東和田のコミュニティの力だ。
ありがたい。
終わってからお茶を持っていったら、もうみんな帰って誰もいなかった。申し訳なかった。
* * * * *
今朝、柿の木をじっと眺めているとまだ虫がいる。
3,40匹は駆除したが、まだいるだろう。
masao55ota1 at 16:02|Permalink│Comments(0)│
長野
長野に来ている。
今の車に乗って2年になるが、2年も乗って初めてオートクルーザーという機能が付いていることを知った。少し前、ケンイチに教わった。これを使うと、高速道の場合、埼玉から長野までアクセルもブレーキもほとんど使わないで来れる。長距離の疲れが全然違う。なるほど自動運転の技術が進んでいるわけだ。
もうひとつ。ガソリンの燃費も格段に違う。いかに無駄なアクセルやブレーキを踏んでいるかということだ。
2年損した。
写真は、甘楽PA.
masao55ota1 at 15:36|Permalink│Comments(0)│
2019年07月01日
「新聞記者」
東京新聞の望月衣塑子さんの著書『新聞記者』(読んでいない)を「原案」にしているというが、映画としての独自の主題、ストーリーになっているのだと思う。
新聞記者としての主人公の人物像の設定も、現実の望月さんをイメージすると相当に違う。
新聞を含むメディアは政府の広報機関のようになっており、国民の知る権利に基づき真実を知らせるという役割が弱くなっている。
他方、政府内部では内閣府の力が強まり、権力の集中の傾向がみられる。
これらの現状に対する危機意識が背景にある。
映画は、松坂桃李をのぞいて地味な俳優で固め、極度に明度を押さえ、音楽もほとんど入れない。静かな怒りと将来への不安が表現されている。
望月さんと前川喜平さんは映画の中のテレビ討論で登場する。
新聞記者としての主人公の人物像の設定も、現実の望月さんをイメージすると相当に違う。
新聞を含むメディアは政府の広報機関のようになっており、国民の知る権利に基づき真実を知らせるという役割が弱くなっている。
他方、政府内部では内閣府の力が強まり、権力の集中の傾向がみられる。
これらの現状に対する危機意識が背景にある。
映画は、松坂桃李をのぞいて地味な俳優で固め、極度に明度を押さえ、音楽もほとんど入れない。静かな怒りと将来への不安が表現されている。
望月さんと前川喜平さんは映画の中のテレビ討論で登場する。
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