2019年05月

2019年05月31日

スイカズラ

今日も畑の水やり。

(草がなくて)畑がとてもきれいだねとKさんやFさんが褒めてくれる。
それでお礼にFさんに大根をあげた。
そしたらこのあいだ大根をあげたKさんやGさんに、この大根は見事だと褒められた。
365連休だからね。

畑にスイカズラが咲いている。
ほのかな芳香が漂う。

スイカズラ19.5.2

















スイカズラ




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更科ウツギ

更科ウツギ19.5.1今の季節、さまざまな花が次々と開く楽しみ。

勝手に更科ウツギとなずけているものだが、この花が好きだ。
ピンクの蕾が開くと、真っ白な細い花弁が吹きこぼれるように咲く。(なまの蟹肉の、鋏のある足の部分をお湯に入れるとパッと開くのに似ているので、「蟹肉鋏足ウツギ」と言ってもいいかなと思っているが情緒がないか。)

3メートルくらいの高木になって、花は見上げるようになってしまった。
この花が咲いているのは新宿・伊勢丹屋上の花園だが、以前見たとき低木で藪のように咲かせていた。
それで去年から何本か幹を縮め、下の方の枝芽を伸ばしてみた。
今年はかなり下の方に、目の位置でも咲くようになった。

更科ウツギ19.5.4更科ウツギ19.5.5








更科ウツギ19.5.2
















更科ウツギ19.5。3

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2019年05月30日

対馬2

対馬は、地理的に韓国、大陸に最も近く交流と防衛の要衝だったと書いた。

古墳時代の中国の文献『魏志倭人伝』(3世紀末)には、早くも「對馬」が登場するし、飛鳥時代、663年の韓国(新羅)・中国(唐)との白村江のたたかい(663年)で大敗したあと、天智天皇は対馬と壱岐に「防人」を置き(664年)、金田城(かなたのき)を築き(667年)、防衛に備えたという。

だから万葉集には、対馬の防人の歌が多く残されている。
「対馬の嶺(ね)はしたくもあらなふ神の嶺にたなびく雲を見つつ忍ばも」

日本が「ヤマト」の名と中央集権をを強く意識するようになるのはこのころからだという。

対馬15対馬16








第2日は、その金田城があった城山のハイキング。
前日と打って変わって快晴。
この日のガイドは、自ら「敦姫」「敦っちゃん」という敦子さん。楽しい案内だった。

対馬17対馬19








対馬は、近代になってから再び防衛上重視されるようになった。
日露戦争が近づく、1900年ころから金田城に砲台を築き、要塞化した。
そのために整備された軍道を登る。

上陸してくる軍に備えた石塁。

対馬20対馬18








金田城の遺跡。

右は、途中見た山々。
対馬は、島の面積の89%は森林。
それも原始林を含めて日本有数の照葉樹林帯である。
もともと大陸と陸続きだった日本列島が大陸と離れるとき、最後までくっついていたのが対馬だったという説があるらしい。だから植生も中国に近いものが多く、ヤマネコなど本土にはいない生物も多い。

対馬21


















頂上は圧倒的な景観。リアス式の海岸線が続く。

対馬23対馬22








対馬24お昼は、対馬の伝統的な料理「ろくべえ」。サツマイモの澱粉を固め、保存食にしたものだということだ。(このあと、夕飯でひじき蕎麦というのも食べた。)






対馬26対馬27








これも明治時代、東海岸と西海岸を結ぶ軍艦を通すためにつくった水路。
万関橋がかかっている。

対馬25万関橋のたもとでみつけたエノキの実。小さいころ、「イノミデッポウ」をつくって遊んだ。まじまじと見たのはその頃以来か。






対馬28対馬29








烏帽子岳展望所から見た360度のパノラマ。
対馬には、池、湖はなく、そう見えるのはすべて入り込んだ入江。

対馬30対馬31








最北端の比田勝にある日本渚百選の渚。
ここからは天気の良い時は韓国が見えるという。夜は、釜山のあかりも見えるとか。
日露戦争では、この沖で日本海海戦があり、今は日ロ平和と友好の丘となっている。

第3日。

対馬32最大の目的である御岳トレッキング。
高くはないが、急坂が続く。
登山路は、樹木が日差しを遮ってくれるので涼しかった。

途中、ヤマネコの糞らしきものが何か所か落ちていた。

何とか頂上まで行った。

対馬33大船越。こちらは江戸時代につくられた、東海岸と西海岸を結ぶ水路。当時の難工事が思いやられる。







対馬34対馬35








空港には2時半ころ着いたが、チケットのミスで予定の飛行機に乗れず、7時過ぎまで空港に待機することになった。待合室で、持って帰る予定だったヤマネコ焼酎やつまみで酒宴。これがおいしかった。

ぼく自身は、今回は忘れ物、落とし物のオンパレード。
家に着替え、靴下、ストックなどを忘れ、島に1軒しかないファミマで買い物、ストックはヨシハルさんに借りた。
それだけでなく、傘、本、その他を次々となくし、リュックに穴が開いているのではないかとしみじみと底を見た。(本は、帰りに対馬の空港で取り戻した。)
穴が開いているのはぼくの頭かもしれない。

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対馬1

「山歩会歩こう会」で対馬に行ってきた。一行10名である。
去年、ヨシハルさん、ツボヤンに誘われて白神山地、長野の青木村に行ったのにつづく3回目の参加である。山登りというので恐れをなしたが、会員は女性、高齢者が多いので何とかついていける。

対馬については「対馬海流」以外に何の知識もなく、地図で言えば白地図のようだったが、行ってみてそこはカラフルな場所に変わった。

対馬01対馬02








第1日目(27日)は、早朝4時過ぎに家を出てふじみ野駅前からのリムジンバスで羽田へ
(これは時間がかかって失敗だった)。福岡空港に行き、プロペラ機(ダッシュエイト)に乗り換えて「対馬やまねこ空港」へ。おりからの雨と強風で、飛行機が引き返すかもしれないという条件付きだったが、何とかついた。この日はこの1便しか飛べなかったらしく、宿の人に運がいいと言われた。

対馬03対馬04








交流センターの食堂で大陸から渡ってきた日本蕎麦の元祖という「対州そば」を食べた。
対馬は、福岡からは134キロ、韓国の釜山からは49.5キロと圧倒的に韓国、大陸に近い。歴史を通して、大陸との交流の入り口だった。
その後、頼んであった「やんこも会」の地元ガイドの俵次男さんと落ち合い、嵐の中市内観光へ。

対馬05最初に向かったのは、「お船江」。江戸時代の船着き場で、船のドックでもあったという。江戸時代のものがほとんど残っている船着き場はめずらしいらしい。






対馬06続いて訪ねたのは、江戸の初代藩主・宗義智(よしとし)の像。
室町時代以来、韓国を支配してきたのは宗氏である。宗氏は江戸時代には藩主となり、大陸外交の中心を担った。





対馬07近くにある阿比留何とかという名の入った碑。
宗氏の前、平安時代からの豪族だったのは「阿比留」氏だったという。
今でも一番多い姓は阿比留さんだという。




対馬08対馬09








小茂田浜神社へ。
この海岸は、1281年「元寇」が上陸したとされるところ。神社の碑には、「元寇七百年平和之碑」とある。

対馬10ポスターにもあるように、対馬は「国境の島」である。外交、交流の拠点であると同時に、防衛の要衝でもあった。
元寇の時には多くの島民が被害を受けたが、漁民たちの多くは舟で逃れ、青森に移住したらしい。
だから「対馬」という苗字は島内にはいないが、一番多いのは青森だという。
そして、「対馬」は、古事記には「津島」と書かれており、もともとは津島だったという(『つしまっこ郷土読本』)。太宰治の本名は「津島」だが、祖先は対馬だったのかもしれない。

対馬11対馬12








万松院。宗家の菩提寺。

対馬13対馬14








この日の宿は、厳原町(いずはら)の丸屋旅館。
食事が豪華で、島名物のヒオウギ貝から始まり、石焼から刺身、南蛮漬けなどブリのオンパレード。
だれかが、箸袋にあった対馬の歌を聴きたいと言ったら、私でよければと女将さんが「対馬の娘」「対馬音頭」「対馬旅情」を歌ってくれた。宿の人はみんないい人たちで、孫のアオイちゃんはとてもかわいらしい。もしまた対馬に行く機会があったらぜったいこの旅館に泊まる。(つづく)




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2019年05月27日

桶川

hibikiカフェ25日は、桶川・HIBIKIカフェで、JYCの「社会的自立を支える学び」の第4回研究会。
この日は、平野和弘さん(駿河台大学)の「浦商定時制の教育実践とMoonlight Project の取り組み」の報告と討論。

テレビ放映の「てーじせー」で、サチコが机に腰かけて赤いパンプスで平野さんと対する場面。
普通なら、学校教育ではありえない場面で、「おまえ、なんだその態度は!」ということになる。平野さんはなぜそうしなかったのか。議論はそこから出発した。
平野さんは、子どもたちに寄り添うことで、学校と教師を変えた。

平野さんの「8つの力」という教育の内容、学校から社会へと移行する仕組みの変化と構築の課題、をめぐって活発な議論が行われた。

太鼓集団響のこれからの構想もいよいよ面白い。

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2019年05月26日

僕に、会いたかった

僕に、会いたかった隠岐の島は、近年、海士町をはじめとする地域おこしで有名になった。
教育魅力化プロジェクトで学校も地域再生を担うようになり、「島留学」でも知られるようになった。
この映画は、島前(とうぜん)高校を舞台にしたものである。
「島留学」で全国から生徒たちがやってくる。そのこと自体が地域を活性化する。「島親」になった人たちは、生徒たちの面倒を見、地域の教育力を担う。「親」たち自身が元気になる。
高校では、カリキュラムの中に「グローカル学習」、「地域生活学」、「地域地球学」のような地域学習が組み込まれ、「島全体が教室」になる。

映画は、島留学で木村めぐみ(山口まゆ)がやってくるところから始まる。
島の生活のように、ゆっくりしたテンポで、人々のあたたかい見守りのなかで物語が進行していく。…

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2019年05月25日

庭の君子蘭

君子蘭5.24.1以前に、今年は異変で君子蘭が一輪しか咲かなかったと書いた。
ところが庭に出すと、さらに四輪咲いた。
愛情はいつかきっと届くものだ。
いずれも大輪で、赤の色がとても濃い。













君子蘭5.24.2

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僕は希望という名の電車に乗った

友人のブログを見て、観に行った。

僕は希望という名の電車に乗った1956年のハンガリー事件を背景に、旧東ドイツのスターリン州で実際にあった話の映画化。
エリート進学高校であるギムナジウムの生徒たちが主人公である。
クルト、テオ、エリックたちは、西側のラジオを聴いて自由を求めるハンガリー事件を知り、授業で2分間の犠牲者への黙とうを捧げる。それが、ついには教育大臣まで出てくる「反革命」の事件とされ、厳しい尋問と脅迫にさらされることになる。
生徒たちは、アビトゥーア(大学進学資格)の剥奪と友情のどちらを選択するかを迫られる。

エリックの父親は、戦前共産主義者だったが、ナチスに捕らえられ、転向。そのことで戦後裏切り者としてソ連軍によって処刑された。クルトの父親は、エリックの父親を処刑する側に回り、今は市議会議長を務める。テオの父親は鉄鋼労働者だが、息子にはエリートとしての道を歩んでほしいと願い、友達を裏切るように勧める。
そういう親たち自身の生きざまも浮き彫りになる。

高校生たちの多くは、友情を貫き、西側に脱出してアビトゥーアを取得する。…

映画館のヒューマントラストシネマは初めてだったが、併映の映画は満員。この映画も前から3列目で、スクリーンを見上げて観た。こんなに混んでいる映画館もあるんだ。

下は、喫煙場所の数寄屋橋公園。

数寄屋橋公園1数寄屋橋公園2


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2019年05月24日

わが街再生

わが街再生ぼくは、「地域づくり(と学校づくり)」に関心がある。
そしてぼくは、映画と演劇が好きだ。
この本は、映画や演劇による地域づくりをテーマにしているので、面白く読んだ。
映画や演劇と言っても、映画祭とか演劇フェスティバルという方法によるのではない。

映画では、「街中映画館」やミニシアターの保存、フィルムコミッションなどコミュニティシネマの運動を対象としている。当然、竹石研一さんの深谷シネマなどが出てくる。川越スカラ座は、残念ながら出てこない。

演劇では、昔からの芝居小屋が対象である。
全国芝居小屋会議というものがあって、16ほどの小屋が関係しているらしい。
内子座はぼく自身2回行ったが、もちろんこの本の中心のひとつである。
ぼくが行ったことのあるのは、そのほかでは、桐生の「ながめ余興場」くらいしかない。

その土地には入ったが、小屋自体にはいかなかったところが多い。
香川・琴平町の「金丸座」(現存するものでは最も古い)、10年ほど前講演に行った岐阜県中津川市加子母町の「明治座」一昨年行ったばかりの兵庫県出石町の「出石永楽座」、石川県七尾市の「でか小屋」(2番目に古いらしい)などなど。
その存在すら知らなかったので仕方ないが、あらためて行ってみたいと思ったことだった。


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つゆくさ

まだ梅雨にはならないが、ツユクサが咲き始めた。

ツユクサ1ツユクサ2

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ビールストリートの恋人たち

ビールストトリートの恋人たちタイトルから甘いラブストーリーと思ったが、違った。アメリカの人種差別の現実を見せつけられる重苦しい映画だ。

1970年代のニューヨーク・ハーレム。ホイットニー・ヒューストンの歌がバックに流れる中、物語が進行する。

幼馴染のファニーとティッシュは、それぞれが22才と19才のときに結婚する。
しかし、ファニーは白人警官とのトラブルから無実の罪を着せられて、家族やまわりの人たちの尽力にもかかわらず、刑務所に入ることになる。そういうなかでもティッシュは生まれた子どもを育て、ファニーはつらい獄中生活に耐えて愛を貫き通す。……


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2019年05月23日

棟梁

昨夜は元同僚と東武練馬・居酒屋「棟梁」で懇親。
棟梁さんは、あいかわらず刺身はもちろん、ホヤ、ホタルイカ、白エビのから揚げなど酒のつまみが一級でうれしい。
退職者は「365連休の林某」とぼく。あとの3人は現職。
この人たちと飲むのもうれしい。そういうわけで過ぎるほど飲んでしまった。
醤油は「下総のお百姓見習い」のお土産。

棟梁5.22棟梁5.22.2


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2019年05月22日

イモカタバミ

昨日は、雨が夜中から激しくなり、お昼過ぎまでつづいた。
夜は、麹町の民主教育研究所の研究会に。

写真は、雨の前に家の前の空き地で撮ったものだが、このイモカタバミは芝桜のように群生する。
太陽の下では花の色は濃く、いかにも強靭だ。
しかし、日陰に咲くと、淡い色で可憐な装いを見せる。

イモカタバミ1

















イモカタバミ2

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2019年05月21日

ジャスミンとコガネカズラ

今日、いま(午前9時)は雨。恵みの雨だが、降りすぎての災害は困る。

門扉にからませたカズラ類。

門扉3


















門扉2門扉1


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宇都宮

日曜日(19日)は、宇都宮で全国若者・ひきこもり協同実践交流会の第1回実行委員会。

電車で行く途中、昨日の関東平野の標高が気になって調べてみると、久喜や蓮田付近では4,5メートル。縄文海進の時は海だったということか。

宇都宮19.5会場は総合福祉センター。
現地の人を中心に80人くらいが集まった。
「若者共同実践とは何か」をテーマにしたJYCの共同代表対談というのが企画されていて、佐藤洋作さん、古村伸宏さんと話した。
第2部の高根沢町の「ひよこの家ものがたり」は、創設者の高橋克法さんと卒業生の宗俊貴恵さんの話。不登校の子どもたちを、「適応指導教室」という学校への復帰を前提としたものではなく、「もうひとつの学校」を実現した10数年の実践を紹介した。

終わってから市内の餃子会館で、さまざまな餃子を食べた。



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2019年05月20日

岩槻

岩槻118日(土)は、岩槻のワッツホールで開かれたワーカーズ・コープ北関東の事業所の総会で講演。参加者は100人弱。

これは、今は事務局にいる青柳さんに頼まれた。青柳さんは、かつては板橋のワーカーズにいて、大学の板橋キャンパスの裏、露香の前にあった障害児のデーサービスをやっていたので、昼食の後などときどき顔を出していた。

協同組合法の成立を目前にしているということで、ぼくもあらためて勉強し直したりした。
講演後は、分科会のひとつに参加。これも勉強になった。

岩槻2ところで岩槻の駅前に写真のような土偶のレプリカがあった。3000年くらい前、縄文時代のものだという。ぼくは浦和の向こうは、縄文海進の時はすべて海だったと思っていたので、縄文土器があったということに驚いた。すぐスマホアプリで標高を調べると15メートルくらいだった。縄文海進のときは今より海面が5メートルくらい高かったと言われているので、ここは陸地で(大宮半島?)縄文集落があっても不思議ではないことになる。


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REVOLUTION FOR LOVE

REVOLUTION FOR LOVE と銘打った太鼓集団響の公演。浦和の埼玉会館。
響はこれまで、自前のコンサートのほかに、ム―ンライトプロジェクトとしてほかの芸術・芸能分野とクロスオーバーする舞台をつくってきたが、今回は見事な出来栄えだった。

内田文夫さんの筝曲、須藤早苗さんの歌、上尾のかぐら結衣の民舞、ロビンをはじめとするインディアンフォークバンドとのフュージョンに成功した。
これには、ジャンベを中心とするインディアンフォークバンドとの相性もよさもあっただろう。ロビンたちのパフォーマンスは観客を乗せ会場を一つにした。筝曲や歌も太鼓と響きあった。

合同の練習のためもあったのか、出演者どうしの一体感が伝わった。
これまでのように他分野との単なる協演という枠を超えていた。
響が中心に座り、軸になった豚いあだからこそコラボが成功したのだと思う。

これにはおそらく平野和弘さんの演出の力が大きい。

響の太鼓はいっそう練達になったが、なつ子さんの民舞への挑戦も立派だった。

もうひとつ。
タイトルにも表されているように、愛や平和を希求するという精神性というか、メッセージ性を押し出したいという思いが強くなっているのではないかと思った。ロビンたちとも共有したいという願いがあったとも言う。響とは何かという個性にも関わることであり、今後を見守りたい。

ぼくは夜の部だったが、観客ではJYCやワーカーズの面々の姿が目立った。これは学君たちメンバーの日頃の活動や、普及活動の成果だろう。響きファンの輪がいっそう広がりますように。

響01響02








響03響04








響056響0








響07響08


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2019年05月19日

佐倉義民伝

佐倉1佐倉2








前進座の芝居は半年くらいの間に3つ目。「ちひろ」「柳橋物語」のような現代劇ではなく、今回は前進座の出自ともいえる歌舞伎の定番。平河町の国立劇場。
『佐倉義民伝』は江戸時代末期の嘉永年間(1981年)に初演されているが、史実としては確認されていない。「宗吾(惣五郎)」らしき人物はいたらしいが、義民ではなかったらしい。「義民伝説」を芝居にしたものか、芝居によって義民伝説ができたものか。
前進座としては久しぶりの通し公演ということだ。

前進座は公演のたびごとに「口上」を変えるという。しかし、圧政に対して立ち上がる民衆の姿、人々への思いやり、家族の愛情という普遍的なテーマは現在の社会にもそのまま通じる。

華やかな舞台、迫力のある演技を堪能した。


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2019年05月18日

あまりに雨が降らない。
畑の土はカラカラ、サラサラである。
ヒビキたちと蒔いたトウモロコシと落花生の芽を出さなければならないのと、植え付けた茄子とキューりの苗が枯れそうなので、毎日朝と夕方に水を持って行って撒いている。4,5リットル入りのペットボトルを4,5本使う。

採れ始めているのは、イチゴ、春蒔き大根。

畑の近く、ふじみ野高校の門前に羽生山稲荷神社がある。
ここは忘れ物さがしの神様で近在では有名らしい。

羽生山神社

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2019年05月16日

『星よおまえは知っているね』

星よおまえは知っているね大学の事務のYさんからメールがあった。久闊の挨拶とともに、「大学時代のご学友」から電話が入ったという知らせである。それはたっちゃんからだった。

たっちゃんは大学の友人ではなく、1960年代半ばセツルメントが川崎市古市場で組織していた働く若者のサークル「やまびこ」の仲間だった。
たっちゃんは青森の深浦町の脇野沢川沿いの、五能線から6キロも入った「山の中」の出身だ。山は白神山地の山並みにつながるという。

集団就職かどうかはわからないが、古市場に2つあった東芝の工場のどちらかで働き、やめて町の工場に勤めていたのではなかったか。彼女がもう一人の友だちと借りていた部屋は、ぼくが住み、サークルの寄り合いの場所にもしていた部屋から数軒を隔てただけだったので始終行き来していた。利発で仲間思いの彼女はサークルの中心だった。

いっしょにやったのは1,2年間だったと思う。どういう事情だったかは覚えていないが、たっちゃんは故郷の青森に帰ることになった。ぼくの結婚式の時招待状を出したらしいが、彼女は再び神奈川に来ていて、がそれを見たのはだいぶ経ってからのことだったらしい。

そんなあれこれも教えられた番号に電話をして話してわかったこと。50年ぶりである。
電話をして彼女の人生の一端を知ったが、いろいろな意味でサークルは彼女の人生に影響を持ったようだった。1時間以上も話したのだった。

このサークルのことは、2年後輩の永尾広久君が『星よおまえは知っているね』に書いている。


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青シャガ

埼玉市民劇場の地元のサークル「アマリリス」の班会。中華料理の一指禅さんで。
新しく会員になった3人の人の歓迎会。なにせ9人中7人が女性なので、それはそれはにぎやかで、3時間半も食べて飲んだ。

このうち5人が11日の学習会に来てくれたわけで、日常の付き合いが大事。

この店、宴会が入ったときは通常営業をしないということなのだが、この日はオーナーのKさんも来ていた。

青シャガ今年はたくさん咲いた。勝手に青シャガと言っている。

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2019年05月15日

完全365連休

元同僚で現役のF氏が、退職した元同僚を評して、「365連休のH某」と言っていて大笑いしたが、考えてみれば(みなくとも)ぼくも365連休の男である。
2年前に退職したが、非常勤で2年間勤めたので、1週間に一日といえど(毎週6連休)、定期的な生活のリズムがあった。それに非常勤といえど肩書があった。
完全365連休は4月以来始まったばかりである。ありがたい。

今年もシャクヤクが咲いた。30数年間咲き続けている。ありがとう。

シャクヤク19.1

















シャクヤク19.3



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2019年05月14日

青虫

青虫72候では「蚯蚓出(ミミズイズル)」である。
畑にはテントウムシや青虫が出てきた。

ぼくがソファーに寝転んでテレビを見ていると、ヒビキがぼくの腹を枕にしていっしょにテレビを見ている。この写真、それに似ている。

写真は見るのが嫌な人もいるだろうから小さく載せているが(見たい人はクリックして見てください)、青虫が4,5匹いて、大きさが親子、孫子のように見える。でも青虫が子どもを産むはずがないので生育の違いなのだろう。

畑では消毒薬は使わないので、隣の畑のKさんははさみでちょん切るのだという。
ぼくは土ごとシャベルで運んで遠くの道路の草むらに避難してもらった。

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2019年05月13日

シラン

シラン19.2

















シラン19.1

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子どもたちの畑仕事

晴れた日曜日、ヒビキたちと畑仕事。

響たち5.12.1響たち5.12.2








サヤエンドウやイチゴを収穫し、

響たち5.12.3響たち5.12.4








耕してトウモロコシや落花生の種を蒔いた。
久しぶりの中沢さんにも会えて。
中沢さんは、かつては畑仲間で子どもたちとは何度もいっしょになっているが、今は体を痛めてこの畑はやめている。今はぼくの病院仲間である。

仕事の途中、グキッと音がしてギックリ腰が再発。
今回は重い痛さ。

希望者3人で一指禅にラーメンを食べに行った。
ヒビキも一人前を平らげるようになった。

畑5.12.01畑5.12.02








夕化粧、昼咲月見草

畑5.12.03野草01



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2019年05月12日

公民館学習会

第4回学習会11日は、公民館を考える第4回学習会。
西公民館の集会室は80人以上が来てぎっしり埋まった。
審議会関係の委員や職員の顔も見られた。ぼくの隣近所の人も。
講師の佐藤一子さんの話も熱が入り、司会の石井ナナエさんの絶妙な司会もあって会は盛り上がった。
この日のためにみんなで準備をしてきたので、うれしい。

終わってから西口の天狗で反省会。
腹の中の大酒飲みの虫がたくさん飲んだ。

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2019年05月11日

ダブルデライト3

昨日(10日)、午前中からずっと庭の手入れ。まだすべて終わったわけではないが、こんなにきれいになったのは10年前以来だと思う。

3時ころから何人かで公民館問題で市役所の担当課を訪ねたり、今日の学習会の資料を印刷したり。

デライト04

















デライト01

















デライト03

















デライト02

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2019年05月09日

アイリス

アイリス2昨日は、午前中畑仕事。
今年は寒い。ジャガイモの苗などは今朝も霜にやられた。キューリの苗もあやしい。
今採れるのはサヤエンドウ。

もう花が咲き始めたカキナを抜いた。
このカキナ、ネットによると、万葉集にも出てくる植物だそうで、群馬の桐生あたりから栃木の足利、佐野あたり、つまりは両毛線沿線で盛んに栽培されているらしい。今年はよく生育し、たくさん食べたし、人にもあげた。

午後は、麹町で「教育のつどい」の実行委員会。第4回目だが、少しずつ会議の様子もわかってきた。

いったん自宅に帰り、三芳町竹間沢公民館で「Endless」公演の実行委員会。こちらは3回目。

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2019年05月08日

紅花

紅花昨日はほぼ終日、自宅で公民館問題の発送などの作業。苦手な事務仕事もだいぶこなれてきた。発送にはたまっている切手を使うのだが、季節を考え、相手を思い浮かべて選ぶのも楽しい。





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2019年05月07日

四季バラ

バラ19.4.17.1

















四季バラ01

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民主主義

5月5日、ふじみ野市の公民館を考えよう会の事務局会議。連休中だが、この日のために帰省先から戻ったという人もいて頭が下がる。
あらためて地方自治や民主主義ということについて考えさせられることが多い。
民主主義は選挙など多数決の原理が公理とされるが、他方マイノリティの存在や批判的な意見や少数意見が尊重されなければ全体主義に堕する。大学にせよ自治体にせよ、行政やその担当者が自らの施策を遂行しようとするのは当然だが、その議論において批判的な意見を排除することがあれば施策の充実や洗練は望めない。民主主義はこの度量が求められる。この度量がなければ民主主義とは言えない。



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2019年05月06日

鳴子百合 昼と夜

今日は連休最後の日。終日、庭の木の剪定と畑仕事。

鳴子百合2

















鳴子百合1



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2019年05月05日

悟君、智美さんの結婚式

5月4日、大宮・キャメロットヒルズで、ゼミの卒業生の悟君、智美さんの結婚式。
8年の交際期間を経ての挙式なので、ぼくもほんとうにうれしい。教会での式では涙が出た。
ゼミ生も10人以上も参加。渡辺恵津子先生、山中吾郎先生、職員の白石崇さんも来てくれた。
ほんとうにいい会だった。

最初の挨拶をと言われていて準備していたのだが、思っていた披露宴ではなく、式直後のガーデンセレモニーで突然言われてあわてた。二人は抜群の「人とつながる力、人をつなげる力=結う力」をもっていると話したのだが、披露宴の席について二人が書いてくれたメッセージを見ると、「先生に学んだのはつながりの大切さ」とあって、符合にびっくりした。

一番盛り上がったのは、大東文化の卒業生のビギン「オリオンビール」の歌。大学の底力。

紺野結婚式1紺野結婚式2








紺野結婚式3紺野結婚式4








紺野結婚式5紺野結婚式6








紺野結婚式7紺野結婚式8

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長野の庭の花

今年の春は寒かった。だから、いつもの5月連休では見られる花がまだ咲いていなかったが、いつもは咲き終わっている花を見ることができた。

長野5月26長野5月03








春蘭。

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ヒマラヤ雪ノ下とイカリソウ。

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紫モクレンと山吹八重。

長野5月13長野5月14







ライラックと花桃。

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長野日記

4月29日から5日間、長野にいた。ヒビキたちの家族は、9日間もいた。

4月30日。
ほぼ1日、庭の草取り。
マリアが自転車に乗れるようになった。

長野5月01








5月1日。
新潟県の新井、高田、上越方面に行った。新井の道の駅、高田の「続名城100選」のお城を見るのが主たる目的。

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高田の雁木。
坂口謹一郎さんが高田の出身だと初めて知った。坂口さんは『日本酒学集成』全5巻を著したが、「信濃のかたりべ」の大沢酒造さんについても2回書いている。
上越でお寿司を食べるのに1時間以上待った。でもおいしかった。

5月2日。
小川村、大町方面に北アルプスを見に行った。

大町の鷹狩山頂上は、長野県の展望台ランキングの1位。
アルプスの見える里山風景もいい。

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一番下は、鬼無里から見た戸隠と、長野市のリンゴ畑。

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