2018年08月

2018年08月31日

臼井吉見『安曇野』

安曇野日本を代表する良心的な出版社を創業し、あるいは編集長を務めた長野県出身者として岩波茂雄(岩波書店)、古田晃・臼井吉見(筑摩書房)、小宮山量平(理論社)などがいるということはすでに書いた。

臼井吉見さんは、晩年自ら小説『安曇野』(全5部)を、これが小説であるかと自問しながら、書いた。ぼくは近代日本の文化の創造に関わった人々の群像を描いた傑作だと思う。

本の発売年月日を見ると、ぼくは多分1973年から4年にかけて、つまり44,5年前に読んだ。

長野の穂高で研成義塾をつくり、集った若者の学習要求の発露から始まる。木下尚江もそのなかにいた。その卒業生の相馬愛蔵と妻・黒光は東京に出て新宿中村屋をつくる。新宿中村屋のあゆみはこの小説の背骨である。

黒光を恋慕する、やはり安曇野出身の萩原碌山。
このことについては多くの著作があるが(宇佐美承『新宿中村屋相馬黒光』、林文雄『萩原守衛』)、黒光と交友のあった野上弥生子も日記に書いていたのをさきごろ見つけた。

インドの独立運動に参加し、亡命したボースは、中村屋の婿となり、インドカレーを伝えた。
ロシアの盲目の詩人エロシェンコとの交友。(昨日、三鷹のDTPユースラボで見た新刊には、ロシアに関係した厚い本があったが、その中にも「相馬黒光」についての1章があった。)

長野の教育・文化運動についての記述は、もうひとつの小説の流れであり、その歴史小説でもある。たとえば、小林多津衛は白樺派に参加し、武者小路実篤や柳宗悦を招いて文化運動を広げる。

第5部は戦後だが、1930年代に、古田晃が岩波茂雄の反対を押し切って筑摩書房をつくり、のちに臼井吉見が編集に参加していく様子も描かれる。

次回の「まほろばニュ−ス」は『安曇野』について書こうと思っているが、そのためには現地に行かなければ。


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2018年08月30日

『書き残された和合史』

昨夜飲んでいるとき、Kさんに、ブログでみると、(どういう表現だったか正確ではないが)昔の忘れ物を探しているみたいというようなことを言われた。そう言ってもよいが、ぼくとしては多忙のために(あるいはそれを言い訳にして)、重ねてきた不義理を埋め合わすみたいな気持ちもある。

和合史先日、書庫でこの本を発見した。Mさんからいただいたものである。
Mさんは、大学の青桐会長野支部の支部長さんを務めていただいた人で、何回かお会いした。夫人にも学生である娘さんにもお会いしたことがある。
日付は2012年3月となっているので、6年半も前のことだ。
ほんとうに申し訳ないのだが、そのままにして読むこともなかった。

昨日、お詫びしながら手紙を書いたところである。

去年、阿南町の和合に行ったことはブログで書いた。
和合は国指定重要文化財である念仏踊りで有名なところである。

Mさんの家はその和合にある。
M家は700年も続く家柄であり、家屋自体も350年にもなるという。(今は住まいは移しておられるらしい。)
膨大な史料、文献が残っており、東京大学や東京外国語大学の研究者も入って整理しているという。
本は、Mさんが新聞に連載したものなどをまとめたものである。

新野の盆踊りや雪祭りにも行ってみたいし、Mさんたちにもお会いしたいと思う。


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文化学習協同ネット

引きこもりについて、もっと体感的にも研究しなければと思い、文献を漁ったり、現場に触れたりしている。そういうことから文化学習協同ネットの洋作さんに頼んで、勉強の機会を作ってもらった。
洋作さんとは、もう何十年にもなる研究仲間だが、彼の仕事を密着して学ぶ機会はほとんどなかった。

吉祥寺1吉祥寺2








久しぶりに歩く吉祥寺から学習センターまでの道は、緑が多く、幸せな気分になる。
玉川上水。少し上流に太宰治が入水したところがあるという。

吉祥寺3センターはジブリ美術館のすぐ近く。

洋作さんが遊び仲間のKさん、Oさんも誘ってくれて、待っていてくれた。

センターには、若者たちが働くベーカリー「風のすみか」もあり、この日は農園「ニローネ」の若者たちが作物を持って販売に来ていた。

洋作さんは、質問に答えてレクチャーもしてくれたが、引きこもりの経験者や、就労準備中の当事者たちと話す機会をセッティングしてくれていた。

センターの後は、ITを使った仕事づくりの「DTPユースラボ」や、サポートステーションも訪問。みっちりと勉強させてもらった。

全容は(ほかにも相模原、練馬、世田谷などの事業もあるが)、壮観であり、あらためて洋作さんの築き上げてきたものの大きさに感銘を受けた。

吉祥寺4夜は、ここも洋作さんの予約で、おいしい料理と酒をいただいた。辛子蓮根がうまかった。

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2018年08月29日

自由研究

今年は、ヒビキは「台風12号の逆走」、ヒカルは「火星大接近」という夏休みはじめころの現象について調べるという。

「火星大接近」は、地球の公転周期が365日であり、火星の公転周期が680何日かであり、2年2か月に一度接近するということがわかった。
これから火星について調べたいというので、ブログのコメントにあった次のことを教えた。(「47年来の悪友」)

「火星に水があるんだってね」
「ありゃ飲めねえよ」
「なぜだい」
「カセイソーダらしいぜ」

ヒカルは、「サミー(寒い)」と言っていた。

「台風12号」は、難しかった。
ヒビキは、入門書から専門書までのたくさんの本をそろえたが、専門書になるほどむずかしい。
ネット上でもさまざまな見解や説明がある。
台風の進路を決定するのは、高気圧の位置、偏西風などがある。そのとき、月の後ろに巨大な質量の物体があり、地軸がずれて偏西風が止まっていたというような説もあったが、ヒビキはそんな馬鹿な、と一蹴し、太平洋高気圧、チベット高気圧、北海寒冷渦で説明したらしい。

お祭り3お祭り2







夏祭り。

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ふじみ野駅前

昨日の夜は、地元の「年金支給日の会」。こしじさんでいつもの5人。昨日は、芋焼酎で通した。
年金受給者になっても、それぞれ地域で頑張っている。

ふじみ野駅前ふじみ野駅でバスを待ったが、ガーガーギーギーとスピーカー音がうるさい。ムクドリを寄せ付けないためのものだそうだ。
たしかにムクドリは騒がしいし、憤慨ものの糞害もあるので困りものだが、神経に触るこの音もどうしたものか。

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若者演劇ワークショップ

演劇ワークショップ文化庁の委託事業で劇団銅鑼とワーカーズなどが行うワークショップ。

チラシの右下の文章は、ぼくが書いたが、以下の通り。

演劇は、声、表情、動作で表現することで体を劈(ひら)く。
演劇は、たくさんの人とつくりあげるなかで心を開く。
演劇は、さまざまな生活や人生の可能性を教えることで新しい世界を拓く。
だれもが「生きづらさ」を抱える世の中ですが、演劇を通して、協同して新しい人間や社会のあり方を探求するこの事業に期待しています。

ふじみ野駅前プログラム第1日の昨日、オリンピック青少年センターに行った。
見学と思ったが、ワークショップに混ぜてもらった。普段使わない筋肉と脳みそを使って、とても楽しく疲れた。

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2018年08月26日

伝統工芸スクウェア青山

上田紬の小岩井カリナさんから案内をもらったので、青山まで行ってきた。
「女匠衆」展が開かれていて、女性伝統工芸士の作品展示や実演が行われている。
カリナさんは、江戸時代は3大紬と言われた上田紬の継承者で、上田で手織りは一軒だけになってしまった。反物や帯のほか、それを使った洋服、帽子、小物などを展示していて説明をしてもらった。

大学の卒業生で、同級生の人も来ていた。

伝統工芸スクウェアは、以前は池袋駅のメトロポリタン口にあったが、青山に移った。

青山18.8.25.1渋谷18.8.25それにしても暑い。都会の暑さは別格で、出るだけで疲れる。
青山のツインタワーと渋谷。


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2018年08月25日

優先席

優先シート久しぶりに山手線に乗って、優先席の床が真っ赤に塗装されているのにびっくりした。座る目の前方にあるというのもよい。

これだけやれば、健常者や若者はおちおちと座っておられまい。

左のスニーカーとサンダルは若いような気がするが、必要とする人がいれば席を立つのだろう。

優先席2つづけて東上線に乗るが、こちらは変わらずガラス窓の掲示だけ。
この下には、若者が3人いて、みんなスマホをいじっている。
そこまで入れて写真を撮りたかったが。

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東京芸術座「蟹工船」

蟹工船東京芸術座の「蟹工船」を観た。

もちろん小林多喜二の小説が原作である。この小説は、1926年の博愛丸事件をモデルにしたもので日本のプロレタリア文学の金字塔とされる。
4ヶ月の北洋での航海で、蟹を撮り、それを缶詰にして日本に送る。「くそつぼ」と呼ばれる場所で寝起きし、過酷な奴隷のような労働に追われるが、耐えかねてストライキを起こす。駆逐艦が駆けつけてくるが、労働者たちが自分たちの味方だと思っていた帝国海軍によって鎮圧される。…

エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」や山本薩夫「奴隷工場」の映画、演劇では「郡上の立百姓」などのような集団的な演技の迫力が見どころだ。シケのときの船中の演技は、こちらが船酔いになりそうなくらいだ。

同時に、登場人物である、かつての芝浦の労働者、文学青年、ばくち打ち、大工職人など個々の人物の形象も見事だ。
最後のソーラン節は心打つ。

この芝居は、1968年、50年前に初演されている。
連れ合いの記憶をたどると、ぼくは、多分1970年の再演を川崎で観ている。
50年を隔てて舞台はまだ生きている。



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2018年08月24日

「ワーカーズ被災地に起つ」

ワーカーズ被災地に起つドキュメンタリー映画「ワーカーズ被災地に起つ」の完成披露と祝賀会があった。

ぼくは2回目だが、あらためて気が付いたことを含めて、いい映画だといっそう思った。

「ワーカーズ」には第1作があるが、それが東京など都市中心だったのに対して、今回は被災地を中心に東北が舞台。

「(亡くなった)お父さんと一緒に死ねばよかった」という老婆。「震災でいろいろなものを無くしました」という中年男性の加賀さん。そうした喪失の悲しみのなかから、「困っている人」のために立ち上がった人々がいる。岩手県大槌町「ねまれや」の東梅麻奈美さん、宮城県亘理町「ともにはま道」の池田道明さんの土台にある思いは、「自分が生かされている」ということである。

そうして支えられる存在から支える存在へと変わっていく。

映画には、障害を持つ人や、生きづらさを抱える引きこもりの若者も多く登場する。
母親の山王千恵さんは、(障害を持つ)子どもが大人になったとき、支援されるだけでなく、‘ありがとう’といわれるような、生きることが実感できるような仕事もできるようにしていけたら」と語る。引きこもりだった原畑耕治さんは、「自分のやった結果で、頑張ってとか言われるので、それに応えたい」という。

生きて、働いて、人の役に立つ、人間の生き方の原点がここにある。
そういう素敵な言葉が散りばめられている。
ドキュメンタリーだから脚本のセリフがあるわけではない。そういう言葉を言える活動がそこにあるということだ。
人間のコミュニティの再建ということだ。

今回は、「自然と人間」のテーマにとりくむ活動も紹介される。
宮城県登米市「Reborn Forest 登米」である。このことにふれて、つぎのように書いた。

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東日本大震災は、いのちの極みで人間の何たるかを考えさせた。
現代の日本社会では、市場原理が生活の隅々にまで浸みとおろうとしている。お金は、世界の人々を結びつけるが、顔の見える生身の人間の関係を断つ。「生きづらさ」はすべての人の抱える課題である。
他方、市場原理はもうけのあがらない仕事には手を出さない。森林などの自然は放置され、人間と自然との関係は断たれる。
人間と人間の関係、人間と自然の関係をもういちどつくりかえることはできないか、そこに挑戦することで、関係を断つのではなく、関係を復活させるようなお金の流れをつくりだせないか、そんなことを考えさせられた。

映画は、東中野ポレポレで、10月20日から公開される。

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祝賀会では、懐かしい人、新しい人、たくさんの人に出会った。
主催の日本社会連帯機構理事長手作りの奥丹後料理はおいしかった。こういう気持ちのこめ方が今の日本社会で失われているということだ。

長野の中川村に住む玉木さんに会ったこともうれしいことだった。
実は、駒ケ根の妹の連れ合いの黒川さんは、今年玉木さんと蜜蜂の箱を仕掛けたのだが、先日行ったときに、熊が出て壊されたと言っていた。
玉木さんは、6箱やられたということだった。去年はもらった日本蜜蜂の蜂蜜だが、今年は無理かもしれない。


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2018年08月23日

しょうゆ豆

しょうゆ豆酒の肴には、もちろん季節のものがいいが、一年を通じて常備しているものには発酵食品が多くなる。
チーズ(ブルーチーズ、イギリスのスティルトン、もう30年)、漬物(キムチは今、「イチオシ焼肉屋さんの味」)、佃煮(発酵ではないか)など。

長野には、長野だけではないかもしれないが、「醤油豆」というのがあって、好物である。メーカーも売っている店もさまざまだが、一番のお気に入りは松代の成沢商店のものである。これは、スーパーの「つるや」さんで売っている。

最近、つるやさんの平林店が開店して、買い物はもっぱらそこになった。
去年、大学の卒業生が就職した(別の店だが)というだけでなく、品ぞろえがいいし、そこでしか買えないものも多いから。


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小宮山量平『千曲川』

まほろばニュースNo.327が発行された。そこに載せたもの。

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小宮山量平『千曲川』と青春の彷徨

 長野県は、良心的で、学問と文化の薫り高い出版社の創業者・編集者を輩出してきた。岩波書店の岩波茂雄、筑摩書房の古田晃、臼井吉見、理論社の小宮山量平などである。
 小宮山さんは、『優しさごっこ』の今江祥智さん、『兎の眼』『太陽の子』の灰谷健次郎さん、『宿題ひきうけ株式会社』の古田足日さん、『一年一組先生あのね』の鹿島和夫さんなど数多くの創作児童文学者の著作を世に出してきた。倉本聰さんのシナリオ全集も理論社である。小宮山さんは、そのことに強い自負を持っておられた。
 その小宮山さんは、晩年、郷里の上田に居を移し、今度は自ら小説を執筆した。それが『千曲川』であり、第一部「そして明日の海へ」は、1997年、ご自身が81歳の時に出版された。第四部の完結は、2002年である。
 第一部は、家庭の事情から幼少期を親戚のもとで過ごした望月町(現在の佐久市望月)から東京の小学校に転校、旧制中学校への進学を断念し、第一銀行給仕として働いた18才までである。銀行給仕時代は、学問への思い断ちがたく、仕えた渋沢敬三のすすめもあり、大蔵商業学校の夜間部に通う。17才で労働運動に参加し、治安維持法違反で検挙されるが、留置場で新劇作家の千田是也や哲学者の粟田賢三と知り合う。子どもらしい稚気と青年の覇気がほとばしりあふれる物語である。
 第二部「青春彷徨」は、東京高等商業学校(現一橋大学)での学生生活、友人や上原専禄、大熊信行、大塚金之助ら教授とのめぐりあいとやりとり、最後は授業ボイコット事件がもとで停学になる。
 第三部「青春回帰」、第四部「青春新生」は、召集されて兵隊として入隊するまでと、敗戦を迎えるまでの軍隊での生活を描いている。
全巻を通じて、戦前戦中という時代・社会を批判的に自立的に見、主体的にかかわり、学問や映画をはじめとす文化を大事にした姿勢が貫かれている。
 今回、この稿を書くために、上田駅前にある「Editor’s Muzeum」(「小宮山量平の編集室」)を訪ねた。歴史研究者で友人の桂木恵さんに紹介されてのことである。桂木さんは、小宮山さんが上田で開いた「太郎山塾」に参加し、小宮山さんを人生最大の師と仰ぎ、年表作成などミュージアムの開設にも尽力された。
 そこは、小宮山さんのお仕事の全貌と幅広い交友がわかる、落ち着いた空間である。
 『千曲川』については、灰谷健次郎さんの言葉が添えられていた。これは単なる自伝では断じてない、という趣旨だった。(メモしてくるのを忘れた。)小宮山さんは、現在、瀕死の状況にある「青春」、青年たちの生き方に対して、「不屈の魂の輝きを継承するための熱い炎」を灯したかったのだ思う。
 ぼくは生前、個人的には2度お会いしている。一度は、上田市で開かれた教育科学研究会の開会式で(そのときに買った第二部には「童心ひとすじに」という署名をいただいている)、もう一度は、望月町の「小林多津衛民芸館」の鍬入れ式だった。そこは、『千曲川』第一部に出てくる「自宅」からつづく「御牧ケ原の段丘」にある。


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2018年08月22日

「ひめち」

ひめち劇団銅鑼の「ひめち」を観た。

徳島の漁村にある白浜壮という旅館が舞台。(海部町の方だろうか?)
お遍路さんが泊まる宿。さまざまに傷ついた人が癒しを求めてもやって来る。

櫁柑山があり、ヒメチの獲れる海もある。しかし、蜜柑も魚もだんだん獲れなくなり、開発の波が寄せてきて、人々が分裂しはじめる。……

劇は、でもだれもがもがき苦しみ、傷つくやさしい心を持っているというメッセージをくれる。

ヒメジちなみにヒメチはこんな魚であるらしい。ウィキペディアには「ヒメジ」で出ており、「オキノジョロウ」(富山)、「ヒメ」(東京)、「ハナジャコ」(和歌山)、「キンタロウ」(岡山、山口)、「キシノメンドリ」(鹿児島)などとも呼ばれているらしい。


劇の後、劇団のSさんたちのお世話で、「いぶき」で飲んだ。
青年劇場や鶴ヶ島の友人たちもいっしょで、とても楽しかった。
いぶきは3,4回目だが、いい店だ。

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2018年08月21日

ムクゲ

4種目のムクゲが咲いた。
白の八重。一重のは、キブシの日陰になって咲きそうもない。

ムクゲ白八重18年

















ムクゲ白八重18年2

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ゼミ論

卒業生たちに昔のゼミ論を返却したら、返事をもらった。

「改めて読んでみましたが、…その当時はあれでも一生懸命書いたのでしょうね。学生時代の自分の文章を読む機会をいただき、またずっと持っていていただき本当にありがとうございます。大切にします。」

「この40年前のレポートには、苦い思い出があります。太田先生にあきれられ、叱られたものです。「Oさんのこのレポートにはがっかりした」と。そのレポートが私の手元に届いたので、恥ずかしいやら、冷や汗が出るやら…でした。太田先生のおっしゃる通り、つけ焼き刃のようなレポートを書いてしましました。論理性もなく、感情のみで書いているなあと今でも思います。60才になった今でも性格は変わりませんが、教員生活は感情のみで動いてはいけないことを肝に銘じておりました。…」

「…放課後児童指導への道に路線変更させたものは、なんと言っても太田ゼミで実施した公民館活動の実践でした。
 公民館に子どもたちと宿泊して、イナゴを取って煮て食べたり、うどん作りをしたり、竹馬をつくって遊んだり、またその実践のまとめ作成をわたしの実家で泊まり込んで、FやH,後輩のOさんたちと徹夜したことを忘れられません。
 学校外で見せる子どもたちの生の姿や声を聞いていくうちに放課後指導に興味を持ち、職業を探して児童館職員という職を見つけた時のことは今でも鮮明に覚えています。」

ぼくも30才前後と若く、学生に無理をさせたり、ひどいことを言ったりしたもので、こちらこそ恥ずかしいが、みんなそれなりに人生の糧にしてくれている。


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2018年08月20日

埼玉に帰ったら、ぎっくり腰になった。
ぼくは長野の草取りのせいだと思っているが、連れ合いは運動不足が原因だという。

庭も畑も11日分の草がすごい。
ぎっくり腰を押して、午後から庭と畑の草取り。
スベリヒユなどで、畑は地面が見えないくらいだったが、ようやく少し土が見えるようになった。

庭の方だが、いつの間にか鉢物も増えて、水やりがけっこう大変だ。
留守の11日間、近所のお二人が分担を決めて水やりをしてくれた。感謝、感謝である。おかげでみんな元気である。

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2018年08月19日

菅平

マリア誕生日昨日、埼玉に帰った。

写真はマリアの誕生日のお祝い。長野のアップルグリムで。

長野には11日間いたことになる。こんなに長くいたのは初めて。

ヒビキとヒカルとは丸々2週間一緒に暮らしたことになる。

帰りの菅平。もうわずかに秋の気配。

菅平帰り


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散歩

散歩1散歩3








散歩2散歩4








子どもたちと散歩。
左の写真の小さな川は、小学校のころは、両岸に鬼ぐるみの木が生い茂り、魚の豊かな川だった。
父親が20分も入ると、大きな鯉、フナ、ナマズ、ハヤなどがバケツ一杯獲れた。
少し上流には蛍も湧いた。

中学、高校と川を離れている間に、木は切られ、川はコンクリート護岸にされ、農薬の影響もあって、魚はまったくいないただの水路になった。

右は、運動公園から見た志賀方面。

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教育研究全国集会 in 長野

この集会は、23才の時、岐阜で初めて参加し、26才からずっと講師や共同研究者を務めてきた。
しかし、この8年間は欠席。今年は、フォーラムのコーディネータを頼まれたので久しぶりに参加した。

16日は、打ち合わせ。そのあと旧知のYさんと、居酒屋比呂志さんに行くと、長野のHさんがいて3人で飲んだ。談論は、教育のことはもちろんだが、スポーツ、映画、落語、本におよび、その間も知り合いが続々来たが、最後まで飲んだ。

教研1教研2








翌日は集会の初日。
善光寺木遣りで幕を開けた。
もう一枚の写真は、大会実行委員長を務めた友人の原貞次郎さん。原さんは、信州教育の伝統を体現する一人の教師として望月町の小林多津衛さんを紹介した。

講演は、小諸出身のジャーナリストの青木理さん。人前で話すことは好きではないと言いながら、話は途切れなかった。韓国のキムデジュン(金大中)さんの「日本は民主主義を自分の力で勝ち取ったことがない」という言葉を紹介しながら、民主主義は待っているだけでは実現しないと、若い人たちへのメッセージを送った。

教研3教研4








現地長野の企画は、信州教育の伝統と現在。
高校平和宣言などを紹介した。

右は、今年6月23日の戦没者追悼式で14才の相良倫子さんが読み、美しい沖縄を讃え、音楽家、詩人などから絶賛された「平和の詩」の一節。

参加したフォーラムは、みなさんの熱い発言のおかげで盛り上がった。

そのあと誘われた別のつどいは、自宅に帰るバスの都合と前夜の疲れでキャンセルした。


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駒ケ根三回忌

妹の3回忌。早い。
駒ケ根のホテル山吹で。
河原は太田切川。

3回忌13回忌2









3回忌3子どもたちはカエルやバッタを捕まえるのに夢中。

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戸隠の花

長野夏2 18.11
















長野夏2 18.12
















白いフジバカマ。

長野夏2 18.14

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2018年08月14日

迎え盆

長野夏2 18.1813日は迎え盆。

今年もボーイソプラノ(プラス ガールソプラノ)で、迎え盆の歌を歌ってくれる。

14日の今日は、和尚さんと庵主さんがそれぞれ来て、お経をあげてくれた。
妹の分骨後は初めてのお盆。

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戸隠

12日、みんなで戸隠に行った。
戸隠は始終行くが、奥社まで行くのは高校時代以来。(このときは、蟻の塔渡も登った。)

長野夏2 18.01長野夏2 18.02






奥社の大鳥居から社殿までは2キロだが、中間にある何とか門までは、緩い上り坂で、杉のほかは栃木などが多い。

長野夏2 18.04長野夏2 18.05

















長野夏2 18.09














長野夏2 18.06そこを過ぎると勾配がきつくなり、最後の石段は青息吐息。
ヒビキたちに追い付けない。





長野夏2 18.07長野夏2 18.08







社殿に近づくと、参拝客でいっぱい。

戸隠山は、天照大神が隠れた天岩戸が飛んできてできた山と言われており、天岩戸を投げたタジカラオノミコトを祀っている。

せせらぎにはオニヤンマがたくさん飛んでいた。

蕎麦屋さんはどこもすごく混んでおり、「そば道場」で10組くらい待って食べた。

長野夏2 18.15長野夏2 18.16








帰りの飯綱で、ブルーベリーを採った。
あとでジャムにした。




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バーベキュー

長野夏2 18.17
















長野も暑い。

ヒビキたちのパパが、大きなテント(屋根?)を買ってきて庭に広げてくれているのでずいぶん助かる。

長野夏2 18.10近所に住むハトコ?にあたるケント君、ソウタ君たちが来て、庭の冒険の後は、恒例のバーベキュー。いつも通りと思って用意した食べ物が足らなくなるくらいみんなよく食べるようになった。

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20年位前、庭の芝生にベニヤ板を敷いて寝たことを思い出して、昨夜は庭に面した廊下に布団を敷いて寝た。


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2018年08月11日

山田牧場 七味温泉

昨日、子どもたちと山田牧場に行った。

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長野夏18.14














長野夏18.13長野夏18.15






長野夏18.16長野夏18.17








ヒカルの帽子にとまっているのはイナゴ。

長野夏18.11七味温泉に行った。
滝の湯までは何回か来ているが、ここは初めて。
硫黄泉で、白い湯や、緑の湯があり、大いに気に入った。どうしていままで来なかったのだろう。

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百日草

長野夏18.18お隣のK子さんは、いつも裏の畑で作った野菜やトマトを持ってきてくれる。
足もきかないので、長野にいる間、孫たちが水やりと手伝うことにした。

水は、畑の脇を流れる水路から汲むのだが、水を貯める堰をつくることにした。
それで大工仕事。

長野夏18.09長野夏18.10






畑の百日草。

長野夏18.07














長野夏18.04














長野夏18.06














長野夏18.05














K子さんの畑に咲いている花は、昔ぼくの母親がつくっていた花と同じ。
百日草と東菊とグラジオラス。

お盆の花として育てているらしい。


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百日紅

長野では、植木職人さんたち3人が来て2日間作業。
ぼくも草取りなどをした。
長野といえど昼間は猛暑。何度も立ち眩みをした。

翌日ケーズデンキにパソコンを見に行った。後日来る息子の意見を聞いてからと帰ったが、奇跡的に壊れたと思っていたパソコンが回復した。

wifi環境を求めてコメダ珈琲に来て書いている。

今年は、百日紅がきれいに咲いている。

長野夏18.01















長野夏18.02















長野夏18.03



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2018年08月08日

教員免許講習・板橋

ブルーベリー8月1日ころ昨日に続いて、今日は板橋キャンパスの教員免許講習。

受講者102人だが、卒業生は?と言ったら半数くらいが手を挙げた。驚いた。わざわざ遠くから来てくれた人もいて、懐かしいのだと言っていた。

ゼミの卒業生も3人。
大東学園高校や和光高校の親しい学校の先生たちも参加されていた。
元気が出る。

そのあと、事務職場を回った。懐かしい人たちばかりである。

*******************

これから長野に向かうが、ノートPCが動かない。
一応持っていくが、ブログは書けないかも。

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教員免許講習・東松山

教員免許講習雨東松山今日は、東松山キャンパスで、教員免許講習。

受講者は少なかったが、ゼミ卒業生のI君、ゼミのW君から勧められたという卒業生、基礎演習に出ていたという人、地域のぼくの友人の友人、など、I君を除けば、終わってから挨拶に見えたのだが、縁がある人が多かった。

今日は雨で気温は下がった。
でも、体調がすこぶる悪く、講義をしているうちに少し元気が出たが、終わったらバテバテで、そのあとの約束はキャンセルさせてもらった。

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2018年08月07日

大昆虫展

ヒビキとヒカルが来ているので、月曜日、川越の丸広で開かれている「大昆虫展」に行った。
世界のカブトムシが展示されている。

昆虫展1昆虫展3







昆虫展5昆虫展8







昆虫展91昆虫展9







「キモイ生物」というコーナーもあった。
ウーパールーパーは可愛かったが、右のはナントカガエル。顔だと思ったが、お尻らしく、いっそうキモクなった。

昆虫展6この子たち、とくにヒビキはムシに極端なほど臆病だが、何とかつかめるようにはなった。大進歩である。





昆虫展2ところどころにクイズがある。これにはみなさん、挑戦してほしい。行かなくても回答できる。

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2018年08月06日

ムクゲ

ムクゲ18.8.3














3種目のムクゲが咲いた。
あらためて数えてみると、家には、5種8本ある。
あと白の一重と八重はこれからである。キブシのおかげで日陰になっているからだ。
夏はムクゲ。

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8050問題

8050問題・東洋大8月5日、全国進路指導研究会の夏季セミナー。「8050問題」とは、引きこもりが長引いて50才になり、親は80さになってしまうという問題。これはもちろん当事者と家族の問題だが、社会問題にもなろう。

洋作さんが話すというので会場の東洋大学まで出かけた。最近は日曜日の研究会に出るのが多くなった。もっともぼくの場合、曜日はあまり関係ないが。

2時間たっぷり洋作節を聴いた。これまでの自身の活動を総括する意気込みで、準備に力をいれたことがよくわかった。

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2018年08月05日

初雪葛

ハツユキカズラ18年8月















お隣のお隣のもの。いつも見事である。

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カチャーシー、ゼミ飲み

夏休みになったらゼミで集まりましょうと、卒業生のコンちゃんが提案してくれて、久しぶりのゼミ飲みをした。彼の前後の学年に触れを出してくれて、結局、最近数年間の9人ほどが集まった。

ゼミ飲み18.8.1コンちゃん世代がよく行っていた池袋の沖縄料理のカチャーシーである。
小学校教員が多いが、大学職員、このあいだまで若者支援のNPOをやっていた人など多彩である。みんな元気に頑張っている。

初めて知った面白い話もあった。
S君は、式根島の出身だが、名前は共正と言い、キョウショウと読む。みんな苗字よりも名前で呼んでいた。おじいちゃんが漁師で、孫が生まれたら、自分の持ち舟の名前の「共正丸」と付けると決めていたそうなのである。でも、おばあちゃんがさすがに「丸」はやめようと言ってくれたので、今の名前になり、おばあちゃんに感謝していると言っていた。しかし、「共正丸」もいいなあ。

ゼミ飲み18.8.2店のオーナーも店長もマスターも変わらず元気。
突然暗くなって、花火の付いたケーキ(サーターアンダギー)が運ばれてきた。そして、ハッピーバースデーの歌。
ぼくは誕生日じゃないのに、とういうと、久しぶりだから、と。

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2018年08月04日

ゼミ論、昔の

ゼミ論・昔の書庫を整理していたら、学生(卒業生)の作品が出てきた。ゼミ論文などである。

最近のワープロでのものは、データは本人も取ってあるだろうから、手書きのもので住所がわかるものは返却することにした。

この数名は、1名を除いて1976年入学なので、小学校の教員をしていれば今年くらいに定年退職のはずである。長いのは、400字詰め原稿用紙で6,70枚も書いている。

子ども会について書いているHさんは、学生の頃、児童文化研究部で子ども会をしていて(ぼくはそこの顧問でもあった)、青森、東京で小学校教員をした。

「働く母親」について書いたOさんも新潟の小学校教員だが、自分自身が働く母親としての人生を歩んで、今どう振り返るだろうか。

児童館について書いたS君は、卒業後東京の学童保育で働いてきた。一度、彼の職場の研修にも呼んでもらった。

W君は、学年はずっと下だが、クラリネットを演奏していてこういう論文を書いた。このブログでも何回か紹介したが、ブログの「つぶやきコラム」は音楽評、美術評、映画評など感性に一層の輝きを見せている。

それぞれここから飛躍していった。



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知らないこと、知ろうとしないことは罪ではないのか

常盤木ぼくの研究生活の出発点にセツルメントがあったということは、何度も書いた。
中学、高校と1年先輩だったSさんが折に触れて高校生だったぼくに送ってくれた手紙で、セツルメント活動がいかに素晴らしいかということを熱っぽく語ってくれて、大学に行ったらぼくもセツルメントに入ろうと決めていたのだった。だからSさんは、ぼくの人生である意味、決定的な役割を果たしている。

でもそのSさんは、ぼくがセツルに入ると入れ違いにセツルを辞めた。司法試験の勉強に集中するということだったと思う。
Sさんは、その後弁護士になり、江戸川に法律事務所を開いた。「地域に根差した町の法律事務所」がモットーで、医療過誤の問題では本も書いた。

18、9才のころから一度も会っていない。
でも年に数回発行している事務所のニュースは、定期的に送ってくれる。

今回の文章は、映画の「ゲッペルスと私」と、原作になっている本についての所感である。
ゲッペルスは言うまでもなく、ヒットラーの片腕として宣伝担当を務めた。「私」は、ブルンヒルデ・ポムゼル(2017年、105歳で死亡)、ゲッペルスの秘書を務めた人物で、73年間の沈黙を破って回想したのが映画であり、本である。

Sさんは、「ナチスのあの数々の残虐非道行為を一体どのように見、どのように考え、受け止めていたのか」という期待で映画を見たが、映画は見事に裏切る。しかし、「裏切ることで、私たちにとても重要なことを教えてくれます」という。

ポムゼルは、非人道的な残虐行為については、「何も知らなかった」、「知らなかったのなら、やっぱりそれは私たちの罪ではない」、「ぜったいに」と言い切る。

ベルリンの「貧しい人々が住む特別な界隈」を語りながら、「人々はそういうものを見たいとは思わなかった。そして、目を向けなかったから見えなかった」、「すべてがあまりにものどかだった」と感じていたという。

Sさんは、本の編者、トーレ・D・ハンセンの言葉を借りながら、現代社会の何百万人ものポムゼル(自分の出世と物資的保障ばかりをいつも考え、社会の不公正や他者への差別を受け入れてしまう人々)の存在を憂うる。
知らないことは罪ではないのか、知ろうとしないことは罪ではないのか、と。


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2018年08月03日

まつりぬい

志の輔落語の「歓喜の歌」のなかに「まつりぬい」という言葉が出てくる。知らない男は、「なんでえ、その目出てえような縫い方は」と笑いを誘う。

小学校の通信簿で家庭科が「よくできる」だったぼくはわかる。5才のチコちゃんは知っています。チコちゃんなら、「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と叫ぶだろう。

まつりぬいはもちろん「まつる」から来ているが、説明は難しい。
辞書では、「スカートのすそなどの折り返した部分を、表がわに縫い目がめだたないようにして、裏から表へ針をわたしながらぬいつける」(『三省堂国語』第6版)とある。「わたす」がさらにわかりにくい。)

「布の端などがほつれないように、二つか三つに折って手前の布と向こうの布を交互にすくって縫う」(『新明解』第7版)。「すくう」?

日本語、あるいは大和言葉には、生活にまつわる豊かな情感の動詞が多い。それが死語になりつつあると、池澤夏樹さんが『終わりと始まり』で書いていた。
「うがつ」「うるかす」「かしめる」「くける」「「こく/しごく」「なう」「はつる」。

これらの多くは、農仕事、大工仕事、裁縫仕事など手仕事の言葉である。その仕事はカンとコツの世界である。
そもそもそういう仕事が生活の中になくなってしまっているのだから、言葉も必要なくなるのは仕方ないのかもしれない。

小さいころの脱穀は、「稲こき」と言った。
「こく」(扱く)は、「何かの間にはさんだり、通したりして引っ張りまわりに付いている物を取り除く」(『新明解』)ことである。これなどは、千歯こきをつかったり、見たりしたものでなければわからないだろう。もっともぼくの頃の主力は、ずん胴に、山なりの針金の突起をつけた足踏脱穀機だったが。それでも「こく」は生きていた。(「扱く」は「しごく」とも読む。「(運動部の上級生が下級生に対して行う)きたえあげるという名目で行われる過酷な練習」という意味の「しごき」は現代も残っている。)

日本語には、色に敏感な感性を反映して、色を表す言葉も多い。
そういえば、実物を示しながら色を説明した本があったなあ。探してみよう。


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2018年08月02日

「歓喜の歌」−立川志の輔さんと公民館

映画歓喜の歌1年ほど前、落語の好きな元同僚が、立川志の輔さんの創作落語のCD2枚を送ってくれた。無類に面白い。

映画「歓喜の歌」は、その志の輔さんの創作落語を映画化したものである。
涙を拭きながら笑い転げた2時間だった。

映画は、文化会館の職員とそこで発表会をするママさんコーラスの市民の物語である。
文化会館は、「負け犬」のダメ職員の「吹き溜まり」と設定されている。その職員が、コーラスの活動をしている市民の真剣な姿に触れて、市民のために奮闘する職員になっていく。

原作である落語の「歓喜の歌」は、いいのかどうかわからないがyou tube で聴くことができる。
Fさんに教えられて聴いてみたが、これも素晴らしい。

落語の筋は映画と一緒だが(当たり前だ)、原作では、「文化会館」ではなく、「公民館と公民館職員」だったのだ。落語での「公民館」が、映画では「文化会館」になってしまっている。

これは、事実の問題として、今多くの自治体で現実に起こっていることである。
先日演劇集団大河の公演を観たことはこのブログに書いたが、場所はT市の西文化センターだった。当日、現地でぼくは職員の人に、ここは公民館じゃなかった?と訊いたものだが、4,5年前に「公民館から文化センターになった」という返事だった。(ぼくのクルマのナビではまだ「公民館」で出てくる。)
同様のことは近隣市町村で怒涛の流れになっている。

落語の方では、公民館活動、市民の文化活動の姿がリアルに描かれる。
職員は、練習風景に接してママさんたちの恐ろしいほど真剣な姿に驚く。
練習が終わると何人もすぐ家計のためのパートに駆けつける。
病気で入院した夫に代わってラーメン屋をしながら、本職の洋服のリフォームもし、夜も眠れないような生活をしながら、生活の励みにコーラスに通うママさんもいる。

「私たちはもちろん個人の趣味もあるけれど、少しでも家庭を明るくしたい、地域もよくしたいと思ってやってんのよ」と言うママさん。
そんな姿にほだされて職員も変わっていく。志の輔さんではないが、だから人間って面白い。

最後は、「公民館のみなさん、ありがとう」で終わる。現代人情物落語と言っていいのだろう。
公民館職員必聴の落語である。


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2018年08月01日

火星大接近

昨夜、ヒカルから電話があり、今夜火星が大接近するので写真に撮ってくれと注文があった。
ベランダに三脚を立て、一番長い500mmのレンズを、D300に着けて750mmくらいにし、試みて撮ったのがこれ。

途中、電話してなかなかうまくいかないと言うと、ヒカル、「がんばれ」だと。

火星

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