2015年09月
2015年09月30日
2015年09月27日
2015年09月26日
吾亦紅
中秋節の帰り、地下鉄で化粧品の広告を見て、そういえば卒業生のM子さんはどうしているだろうと思い出していた。
彼女は、卒業して教員になって働き始めた。
ところがすぐ、4月の20日過ぎだったと思うが、朝の4時か5時ごろ電話がなって、「先生、今日学校へ行けません」と言う。ご両親とも相談して、彼女は結局そのままやめた。
そのご化粧品関係の仕事をして、近くの店にいるときなどときどき会ってもいた。
その仕事もやめたらしく、しばらく会っていなかったが、今年の年賀状には、「初めて心から打ち込めることができました」というようなことが書いてあった。
地下鉄でそんな思いにふけっているとき、携帯にメールが入り、なんとM子さんからだった。「相談がある」と言う。
自宅につく頃、今度は電話があり、役者の仕事をしており、今度自主制作の映画に出たので見て欲しいし、宣伝にも協力してくれというものだった。
タイトルは「カラス姫」、子どもを主題にしているという。彼女は、水瀬ゆうりという芸名で出ているということだ。
原宿などで上映の後、千秋楽は板橋のイオンの映画館、11月27日午後7時15分からだそうで、この回は無料とのこと。
ゼミの人たちにも見て欲しくて、と。
とにかく元気そうで安心した。
吾亦紅。
最近は、植物や動物にカタカナを使うことが多くなった。
学名ならいいけれど。
このあいだ、「伊佐木」という字を見て、なんて美しいのだろうと思い、できるだけ漢字をと思う。
彼女は、卒業して教員になって働き始めた。
ところがすぐ、4月の20日過ぎだったと思うが、朝の4時か5時ごろ電話がなって、「先生、今日学校へ行けません」と言う。ご両親とも相談して、彼女は結局そのままやめた。
そのご化粧品関係の仕事をして、近くの店にいるときなどときどき会ってもいた。
その仕事もやめたらしく、しばらく会っていなかったが、今年の年賀状には、「初めて心から打ち込めることができました」というようなことが書いてあった。
地下鉄でそんな思いにふけっているとき、携帯にメールが入り、なんとM子さんからだった。「相談がある」と言う。
自宅につく頃、今度は電話があり、役者の仕事をしており、今度自主制作の映画に出たので見て欲しいし、宣伝にも協力してくれというものだった。
タイトルは「カラス姫」、子どもを主題にしているという。彼女は、水瀬ゆうりという芸名で出ているということだ。
原宿などで上映の後、千秋楽は板橋のイオンの映画館、11月27日午後7時15分からだそうで、この回は無料とのこと。
ゼミの人たちにも見て欲しくて、と。
とにかく元気そうで安心した。
吾亦紅。
最近は、植物や動物にカタカナを使うことが多くなった。
学名ならいいけれど。
このあいだ、「伊佐木」という字を見て、なんて美しいのだろうと思い、できるだけ漢字をと思う。
2015年09月17日
オーラル・ヒストリー学会
とうとう安保関連法案が特別委員会で採決された。
今日のゼミでは、いきなり(と、ぼくには思われた)N君が「無関心ではいられても無関係ではいられない」と話し出した。沖縄のあのきれいな海をつぶしてはいけない、とKさんが感極まっていた。ぼくは驚き感心し感動しながら聞いていた。
過日、オーラル・ヒストリー学会に出た。
ぼくは、石牟礼道子さんの『苦海浄土』について話した。
オーラル・ヒストリーというと、ぼくの狭い見聞では、歴史学では吉田裕氏や新聞記者の本田勝一氏を連想するが、今再読しているこの本こそと思った。
池澤夏樹さんが、個人編集の世界文学全集を刊行したが、日本の文学者として唯一入れたのが、石牟礼さんである。
その解説は、異例で「破格」である。
中西新太郎さんの若者論の講演も久しぶりに聴いた。
今日のゼミでは、いきなり(と、ぼくには思われた)N君が「無関心ではいられても無関係ではいられない」と話し出した。沖縄のあのきれいな海をつぶしてはいけない、とKさんが感極まっていた。ぼくは驚き感心し感動しながら聞いていた。
過日、オーラル・ヒストリー学会に出た。
ぼくは、石牟礼道子さんの『苦海浄土』について話した。
オーラル・ヒストリーというと、ぼくの狭い見聞では、歴史学では吉田裕氏や新聞記者の本田勝一氏を連想するが、今再読しているこの本こそと思った。
池澤夏樹さんが、個人編集の世界文学全集を刊行したが、日本の文学者として唯一入れたのが、石牟礼さんである。
その解説は、異例で「破格」である。
中西新太郎さんの若者論の講演も久しぶりに聴いた。
2015年09月12日
2015年09月11日
白樺
志賀直哉「我孫子日誌」に触発されて調べてみる。
白樺派の拠点となった雑誌『白樺』は、1907年に藤沢で武者小路実篤と志賀直哉が相談したことで発刊されたといわれる。これに、作家では、『小さき者へ』への有島武郎、長与善郎、画家では梅原隆三郎、岸田劉生、中川一政、民芸の柳宗悦らが参加する。柳宗悦、バーナード・リーチの民芸運動の母体ともなった。思想的な中心は武者小路であったとされている。
1914年に柳宗悦が我孫子に住み、誘われて1915年に志賀直哉が、その翌年武者小路が居を構え、さらにリーチも窯をつくる。「我孫子日誌」はそのころの作品であろう。
白樺派は、そのヒューマンで自由と平和を尊ぶ思潮で影響力を広げるが、長野県でも同様であった。それは教育と文化運動において顕著であり、教育では後に赤羽王郎たちの自由教育や綴り方教育に結実する。しかし、昭和の軍国主義化のなかで「2・4(教員赤化)事件」として弾圧される。赤化といわれるが、その内実は自由への弾圧だったというのは、故野口清人さんの映画「草の実」で明らかにされている。
長野県では、民芸運動も盛んだった。『白樺』の読者であった望月町の小林多津衛は、ロマン・ロランやシュバイツァーの影響も受け、民芸運動を行なった。
望月町のかたりべの会の人たちが中心になって、小林多津衛さんの収蔵品をもとに「民芸館」をつくったのは20年ほど前だったか。不肖ぼくもその会員に加えてもらっている。(ちなみに今日の東京新聞に、柳宗悦さんがつくった駒場の日本民芸館の記事が大きく掲載されている。)
民芸館(望月の)は、吉川徹さんが館長になってとても素敵な活動を展開している。その雑誌である『平和と手仕事』の最近号には、伊藤盛久さんがまちづくりの歴史について寄稿しており、そのなかでぼくのゼミとの交流についても書いてくれている。
さて、志賀直哉は、「我孫子日誌」と同時期、「十一月三日午後の事」という作品を書いている。住んでいる近くで遭遇した陸軍の演習についてであり、最後に次のように記している。
「自分は一人になると又興奮してきた。それは余りに明らか過ぎる事だと思った。それは早晩如何な(どんな)人にもハッキリしないではいないことがらだ。何しろ明らか過ぎる事だ、と思った。総ては全く無知から来ているのだと思った」。
興奮が過ぎるせいか、時勢への配慮かどうか、何が「明らか」なのか書いていないが、軍隊への怒りであることは明らかである。
今、日本が将来の大きな岐路にあることも明らかである。
戦後出版された雑誌『信州白樺』は、大学院生時代からとっていたが、廃刊になり、ぼくも置き場に困って処分してしまった。返す返すも残念である。
白樺派の拠点となった雑誌『白樺』は、1907年に藤沢で武者小路実篤と志賀直哉が相談したことで発刊されたといわれる。これに、作家では、『小さき者へ』への有島武郎、長与善郎、画家では梅原隆三郎、岸田劉生、中川一政、民芸の柳宗悦らが参加する。柳宗悦、バーナード・リーチの民芸運動の母体ともなった。思想的な中心は武者小路であったとされている。
1914年に柳宗悦が我孫子に住み、誘われて1915年に志賀直哉が、その翌年武者小路が居を構え、さらにリーチも窯をつくる。「我孫子日誌」はそのころの作品であろう。
白樺派は、そのヒューマンで自由と平和を尊ぶ思潮で影響力を広げるが、長野県でも同様であった。それは教育と文化運動において顕著であり、教育では後に赤羽王郎たちの自由教育や綴り方教育に結実する。しかし、昭和の軍国主義化のなかで「2・4(教員赤化)事件」として弾圧される。赤化といわれるが、その内実は自由への弾圧だったというのは、故野口清人さんの映画「草の実」で明らかにされている。
長野県では、民芸運動も盛んだった。『白樺』の読者であった望月町の小林多津衛は、ロマン・ロランやシュバイツァーの影響も受け、民芸運動を行なった。
望月町のかたりべの会の人たちが中心になって、小林多津衛さんの収蔵品をもとに「民芸館」をつくったのは20年ほど前だったか。不肖ぼくもその会員に加えてもらっている。(ちなみに今日の東京新聞に、柳宗悦さんがつくった駒場の日本民芸館の記事が大きく掲載されている。)
民芸館(望月の)は、吉川徹さんが館長になってとても素敵な活動を展開している。その雑誌である『平和と手仕事』の最近号には、伊藤盛久さんがまちづくりの歴史について寄稿しており、そのなかでぼくのゼミとの交流についても書いてくれている。
さて、志賀直哉は、「我孫子日誌」と同時期、「十一月三日午後の事」という作品を書いている。住んでいる近くで遭遇した陸軍の演習についてであり、最後に次のように記している。
「自分は一人になると又興奮してきた。それは余りに明らか過ぎる事だと思った。それは早晩如何な(どんな)人にもハッキリしないではいないことがらだ。何しろ明らか過ぎる事だ、と思った。総ては全く無知から来ているのだと思った」。
興奮が過ぎるせいか、時勢への配慮かどうか、何が「明らか」なのか書いていないが、軍隊への怒りであることは明らかである。
今、日本が将来の大きな岐路にあることも明らかである。
戦後出版された雑誌『信州白樺』は、大学院生時代からとっていたが、廃刊になり、ぼくも置き場に困って処分してしまった。返す返すも残念である。
2015年09月09日
漢字の読み
漢字の読み方について間違って覚え込んでしまっていたり、つい混乱してしまうということがある。似たような形の字について、たとえば「貝」と「具」や「宣」と「宜」などがある。単語や熟語についてもたくさんあるが、その都度恥ずかしい思いをしながら修正してきた。
名称についてはもっと多く、「水上(ミズカミ)勉」さんを「ミナカミ」と読んでいたし、サッカーチームの「松本山雅(ヤマガ)」については、つい最近まで「サンガ」と言っていた。
先週、岐阜から学会で上京したKTさんと池袋の「北の国から」で会ったとき、同席した友人のYTさんの話。
YTさんがずっと若かった時のこと。本屋でいっしょになった友人(仮にNAとしておこう)との会話。
NA「おい、ムシャコロミスイって読んだことあるか?」
YT「………?」
N「何だ、知らないのか、あの有名な、ほら『友情』とか書いている」
Y「もしかして武者小路実篤のこと?」
N「………!」
Y「でも、どうしてミスイなの?」
N「だって、推薦という字だろ」
(「篤」という字と「薦」は似ていなくもない?)
Y「だったら、ミセンと読むべきなんじゃないか?」
N「………」
ぼくの同僚にムシャコロ先生がいるが、ミスイの一番いいところを受け継いでいて、大好きな友人である。
* * * * *
帰りの電車で、志賀直哉の「雪の日 −我孫子日誌」という小編を読んでいた。
ちょうど、柳宗悦やB.リーチ、実篤らとの交友に触れるところが出てくる。
そこで、志賀直哉は、実篤のことを「武者」とだけ呼んでいる。
名称についてはもっと多く、「水上(ミズカミ)勉」さんを「ミナカミ」と読んでいたし、サッカーチームの「松本山雅(ヤマガ)」については、つい最近まで「サンガ」と言っていた。
先週、岐阜から学会で上京したKTさんと池袋の「北の国から」で会ったとき、同席した友人のYTさんの話。
YTさんがずっと若かった時のこと。本屋でいっしょになった友人(仮にNAとしておこう)との会話。
NA「おい、ムシャコロミスイって読んだことあるか?」
YT「………?」
N「何だ、知らないのか、あの有名な、ほら『友情』とか書いている」
Y「もしかして武者小路実篤のこと?」
N「………!」
Y「でも、どうしてミスイなの?」
N「だって、推薦という字だろ」
(「篤」という字と「薦」は似ていなくもない?)
Y「だったら、ミセンと読むべきなんじゃないか?」
N「………」
ぼくの同僚にムシャコロ先生がいるが、ミスイの一番いいところを受け継いでいて、大好きな友人である。
* * * * *
帰りの電車で、志賀直哉の「雪の日 −我孫子日誌」という小編を読んでいた。
ちょうど、柳宗悦やB.リーチ、実篤らとの交友に触れるところが出てくる。
そこで、志賀直哉は、実篤のことを「武者」とだけ呼んでいる。
2015年09月08日
エニグマ
双子たちはピアノを習っている。楽しんでいるのがいい。ぼくの馬鹿振りを発揮すれば、どちらもときどき才能のひらめきを見せる。
ヒビキさんは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」を弾くのが目標である。もちろんまだ弾けないが、始終CDを聴いているらしく、ターン、タタント、ターン、タタント、と口ずさんでいて、第1楽章は暗譜しているのではないかと思うくらいである。
家に来たとき、せがまれてCDをかけてやると、「マサオさんのは早すぎる」と言い、ジャケットを見て、「ほらね、7分50秒でしょ、ぼくのは9分8秒だよ」などと言っている。
エルガーのエニグマ変奏曲について書いたら、ナベさんがレナードバーンスタイン指揮、BBC交響楽団、1882年のものを聴け、と言う。
注文からずいぶん時間がかかったが、届いて聴いてみると、ものすごく遅い。
聴きなれた前のもののほうが(アンドリュー・デイヴィス指揮、BBC交響楽団)親しい。
一番好きな章、「二ムロッド」は、デイヴィスのは4分15秒なのに、バーンスタインのは1分くらいも長い。
ナベさんは、これについて、「晩年のバーンスタインは、その演奏の「遅さ」が、しばしば批難されます。BBC交響楽団とのこの録音、とくに「ニム・ロッド」の演奏は、マーラーの交響曲第9番の最終楽章のような音楽の深遠性や諦念、そして鎮魂の歌になっています。ひとつひとつの音や節を確かめ聴き過ぎる様な解釈は、当然その結果としてテンポも遅くし過ぎてしまいました」と解説する。
その後、手に入れた、デイヴィス指揮、ロンドン交響楽団のものは、3分54秒と一番早い。
バーンスタインの新しい盤が9月25日に発売されるので、それも楽しみである。
「二ムロッド」は、エルガーの友人・イエーガーにささげられた曲である。
イエーガーが、スランプに陥ったエルガーを励ましたときのエピソードが伝えられている。
ベートーヴェンだってピンチがあった、と言い、「悲愴」第2楽章を口ずさんだのだという。
「エルガーによる後日談によれば、『エニグマ変奏曲』第9変奏『二ムロッド Nimrod』には、あの時イェーガーが歌ってくれたベートーヴェン「悲愴」第2楽章の主題がエッセンスとして取り入れられているという」。
「悲愴」と「エニグマ」が思わず結びついた。
ぼくも70歳になったら、双子に倣って、ピアノを習いたい。
ヒビキさんは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」を弾くのが目標である。もちろんまだ弾けないが、始終CDを聴いているらしく、ターン、タタント、ターン、タタント、と口ずさんでいて、第1楽章は暗譜しているのではないかと思うくらいである。
家に来たとき、せがまれてCDをかけてやると、「マサオさんのは早すぎる」と言い、ジャケットを見て、「ほらね、7分50秒でしょ、ぼくのは9分8秒だよ」などと言っている。
エルガーのエニグマ変奏曲について書いたら、ナベさんがレナードバーンスタイン指揮、BBC交響楽団、1882年のものを聴け、と言う。
注文からずいぶん時間がかかったが、届いて聴いてみると、ものすごく遅い。
聴きなれた前のもののほうが(アンドリュー・デイヴィス指揮、BBC交響楽団)親しい。
一番好きな章、「二ムロッド」は、デイヴィスのは4分15秒なのに、バーンスタインのは1分くらいも長い。
ナベさんは、これについて、「晩年のバーンスタインは、その演奏の「遅さ」が、しばしば批難されます。BBC交響楽団とのこの録音、とくに「ニム・ロッド」の演奏は、マーラーの交響曲第9番の最終楽章のような音楽の深遠性や諦念、そして鎮魂の歌になっています。ひとつひとつの音や節を確かめ聴き過ぎる様な解釈は、当然その結果としてテンポも遅くし過ぎてしまいました」と解説する。
その後、手に入れた、デイヴィス指揮、ロンドン交響楽団のものは、3分54秒と一番早い。
バーンスタインの新しい盤が9月25日に発売されるので、それも楽しみである。
「二ムロッド」は、エルガーの友人・イエーガーにささげられた曲である。
イエーガーが、スランプに陥ったエルガーを励ましたときのエピソードが伝えられている。
ベートーヴェンだってピンチがあった、と言い、「悲愴」第2楽章を口ずさんだのだという。
「エルガーによる後日談によれば、『エニグマ変奏曲』第9変奏『二ムロッド Nimrod』には、あの時イェーガーが歌ってくれたベートーヴェン「悲愴」第2楽章の主題がエッセンスとして取り入れられているという」。
「悲愴」と「エニグマ」が思わず結びついた。
ぼくも70歳になったら、双子に倣って、ピアノを習いたい。
2015年09月07日
2015年09月04日
沖縄2
写真は名護市役所。
象設計の設計になるもので、素晴らしい建築物。
シーサーなどの彫刻物が見事。
紅い色が退色してしまっているのが残念。
午前中、毎年会っている東恩納琢磨さんに会おうと思ったが、議会中だと思い、議会傍聴。
琢磨さんとは、二言三言会話し、市長席の稲嶺進さんとはアイコンタクトで挨拶。
今日の琉球新報でも、政府と知事との集中審議に参加をさせろという市長の要求が大きく報じられていた。
午後は、学校班の屋我地中学校訪問に参加。
総合学習で行うフィールドワークもさせてもらった。
夕方、教育長と次長さんに挨拶と懇談。
夜は、社会教育班の屋部公民館に。
それから、斉藤博孝先生と学校班の懇親会に途中から出て、今まで部屋で学生とまとめ。
12時を過ぎたので解散。
少し疲れた。
象設計の設計になるもので、素晴らしい建築物。
シーサーなどの彫刻物が見事。
紅い色が退色してしまっているのが残念。
午前中、毎年会っている東恩納琢磨さんに会おうと思ったが、議会中だと思い、議会傍聴。
琢磨さんとは、二言三言会話し、市長席の稲嶺進さんとはアイコンタクトで挨拶。
今日の琉球新報でも、政府と知事との集中審議に参加をさせろという市長の要求が大きく報じられていた。
午後は、学校班の屋我地中学校訪問に参加。
総合学習で行うフィールドワークもさせてもらった。
夕方、教育長と次長さんに挨拶と懇談。
夜は、社会教育班の屋部公民館に。
それから、斉藤博孝先生と学校班の懇親会に途中から出て、今まで部屋で学生とまとめ。
12時を過ぎたので解散。
少し疲れた。
2015年09月02日
沖縄
昨日からゼミ合宿で来沖。
天気はよく、昨日、平和の礎あたりではみんな汗びっしょりになっていた。
アブチラガマでは、シュンサク君はシャワーを浴びたようだった。
今日は、社会教育班、まちづくり班と2つの班にまたがって、4か所訪問。
沖縄市役所商工課の玉城さん、観光デザイン会社・ファンターレ・ジャパンの眞栄田さん、ファミリー・サポートセンターの與座さん、名護市・宮里青年会の宮城さん、と4人から聞き取り。
学生がしっかり準備して、質問や要望を伝えていたこともあり、資料や説明、現地案内などとても丁寧な応対をしていただいた。
驚いたり、感心したり、感動を持って学んでいる。
今日のホテルは、名護の「ゆがふいん沖縄」。大学OGの前田さんが笑顔で迎えてくれた。
写真は、移動中の金武町の海岸。
天気はよく、昨日、平和の礎あたりではみんな汗びっしょりになっていた。
アブチラガマでは、シュンサク君はシャワーを浴びたようだった。
今日は、社会教育班、まちづくり班と2つの班にまたがって、4か所訪問。
沖縄市役所商工課の玉城さん、観光デザイン会社・ファンターレ・ジャパンの眞栄田さん、ファミリー・サポートセンターの與座さん、名護市・宮里青年会の宮城さん、と4人から聞き取り。
学生がしっかり準備して、質問や要望を伝えていたこともあり、資料や説明、現地案内などとても丁寧な応対をしていただいた。
驚いたり、感心したり、感動を持って学んでいる。
今日のホテルは、名護の「ゆがふいん沖縄」。大学OGの前田さんが笑顔で迎えてくれた。
写真は、移動中の金武町の海岸。