2015年06月

2015年06月30日

落花生

落花生2近所の畑の人にもらった落花生の花が咲いた。

初めての栽培だが、豆類の花らしいかたちをしている。


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2015年06月29日

ラジオ深夜便

子どもの頃、ラジオは生活の中で大きな位置を占めていた。

小学校のころは、新諸国物語というシリーズがあって、夕方6時30分から15分間連続ドラマが放送された。
「笛吹き童子」、「紅孔雀」、「オテナの塔」や「七つの誓い」などはラジオにかじりついた。あらためて調べると、それぞれ小学校の1年生から4年生のときだ。

「シャラリシャラリコ、シャリコシャラリロ、誰が吹くのか不思議な笛だ」という「笛吹き童子」の主題歌は、今でも歌える。

「赤胴鈴之助」は、小学校5,6年のときだったが、以来小百合役の吉永小百合さんのファンになった。

朝は、「明るいナショナル」の曲で目を覚ました。

機材は、当時は5球スーパーだったか。

電蓄を買ったときは家族で大騒ぎだった。夜は、8時か9時に母親と電蓄の前に座って双葉百合子の浪曲を聴いた。
でも肝心のレコードは、「お富さん」くらいしかなかったように思う。

その後、トランジスターラジオというものが出た。
プロ野球(父親は、「職業野球」と言っていた)の国鉄ファンだった父親が、試合の実況放送の、遠く山を越えて来る、かすかな、波のように強弱があり、雑音にまぎれた東京の放送局の電波を聴くために、耳に押し付けて聴いていた姿を思い出す。

東京へ出てからは、FM放送は聴いてカセットの音楽テープをつくって、山のようになった時期もあるが、その後はラジオというものからすっかり遠ざかってしまった。
今はクルマの中でたまに聴くくらいであり、そもそもラジオというものが部屋の中にない生活が続いてきた。



ラジオ深夜便でも「ラジオ深夜便」の本は、本屋で見かけてときどき買う。読書として、面白そうなテーマもあるからである。

教育学の大先輩の小川利夫さんが、晩年「深夜便」を聴いていると話していたことも思い出す。

今度、ボーズのラジオを買った。
このあいだ初めて「深夜便」を聴いた。

ところで雑誌の『深夜便』の読者は、どうも老人ばかりのようなのである。

老人は早く寝るのではないかと言うと、ばかね、老人は早く起きて聴くのよ、と連れ合いに言われた。
そういえば、小川さんは飲兵衛ですこぶる酒豪だったが、朝早く起きて原稿を書くのだとも言っていたっけ。



山田太一 『ラジオ深夜便』の4月号には、山田太一さんが登場しているが、山田さんは同じ「老い」のテーマでエッセイ集も出している。






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ジャガイモ

ジャガイモ2この日は快晴。梅雨の合間のジャガイモ堀り日和。










ジャガイモ4ジャガイモ3








ジャガイモ1今年は豊作。種芋と肥料がよかったらしい。

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2015年06月28日

紅花

紅花1














紅花2

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2015年06月27日

父の日

2父の日父の日3小さき者らからの父の日の贈り物。








父の日4父の日1ぼくは、父の父なのだが。

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2015年06月26日

小さな実

名称不詳駐車場の入り口にある小さな潅木に小さな実が付いている。
きれい。

これは何の実なのだろう。

ここにどんな花が咲いていたっけ?


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2015年06月25日

姨捨 塩尻

姨捨今日は、科研費による研究調査で、長野県塩尻志学館高校へ。

初めての北陸新幹線に乗り、長野で篠ノ井線に乗り継ぐ(「かがやき」は全車指定で、大宮の次は長野)。
途中に姨捨(おばすて)がある。
棄老伝説で有名なところ。
下に棚田の「田毎の月」を望むこの風景は、「日本三大車窓」なのだそうだ。
「三大ガッカリ」にならないように。



塩尻1塩尻3共同研究者の人たちとキャリア教育・職業教育の視点から「総合学科」の研究をしている。ほかのひとたちは、これまでも来ているが、ぼくは初めての訪問。

総合学科の特徴は、職業教育や専門教育の多彩さと、その選択。
この日は、その講座選択の第1回の説明会。

元気で、挨拶のよくできる生徒たちだった。


塩尻2この学校の前身は、農業科だった。
全国の高校で唯一ワインをつくっており、文化祭などで販売される。

昔、飲ませてもらったことがある。







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悲しい本

悲しい本これも柳田邦男さんの紹介。
谷川俊太郎さんの訳。

最愛の息子を失った男。

悲しみは、どこにあるのか?
いたるところにある。

悲しみは、いつくるのか?
時をえらばない。

悲しみとは何者か?
人をえらばない。
そいつはやってきて、きみを見つける。

でも、ローソクの小さなあかりが、…。


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2015年06月24日

ムラサキシキブ

ムラサキシキブムラサキシキブ。









ムラサキシキブ2










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2015年06月23日

いつでも会える

いつでも会えるぼくはシロ、
ミキちゃんの犬。
ミキちゃんがいなくなった。
ミキちゃんはどこ?

目をつぶるとミキちゃんと会える。
いつでも会える。



でも、ぼくは最近はミキちゃんの側で考えることが多い。
先にいなくなるぼくは、どうしたらいいんだろう。



飼い犬のブンが20歳で亡くなったとき、ぼくはぼくの人生の3分の1をともにしたことを思い、ぼくの人生って短いと思った。

田植えを始めて22年、子どものときを含めて30回弱か。
でも日本人はまだ歴史では2000回くらいしか田植えをしていない。
そのなかでの30回だから、ぼくの人生ってけっこう長い。


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柴栗

柴栗隣の畑の人に教えてもらったのだが、背の高い雑草に埋もれるように柴栗(山栗)の幼木がある。
小さい実をいくつかつけている。

今日は沖縄慰霊の日。


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2015年06月22日

柿の木

柿の木庭の柿の木の大枝が、先日の雨の時に折れて落下した。

枝の先には近来になく、たくさんの実がついており、それが次第に大きくなって重さが増したところに、雨の重さが加わってのことらしい。

柿の木が折れやすい、柿の木から落下したという話はよく聞くが、ほんとうにそうなのだと実感。


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2015年06月21日

日曜日

中央大戦日本言語学会の第150回大会が板橋校舎で開かれた。
6,700人が集まる大きな学会だった。

ぼくは、教育学からの言語学に対する関心と期待を述べた。

そのあと、東松山キャンパスへ。
春季リーグ戦の最終戦。惜しくも逆転の、1点差で負けた。

でも大事なのは、これから。
秋までに、さらに冬までにどれだけ強く、うまくなれるか。一日一日、意識をして練習して欲しいと選手たちに話した。

昨日は、予選後すぐ学科の卒業生で石川県の坂君からお祝いのメールをもらったが、今日はやはり卒業生の長島君が応援に来てくれた。彼は毎週のように来てくれる。


週末、さすがに少し疲れた。


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土曜日

札幌3朝早く、札幌を発つ。

北海道庁の庭の蓮。






6.20東松山東松山キャンパスで、青桐会の校舎見学会。東北が多かったが、なかには広島からの方も。






慶応横浜・日吉の慶応大学で行われた伊勢駅伝の予選へ。

4回行われるレースのうち、3回目から見た。
今年は、出場校20大学のうち記録上は16番目。正直不安だったが、1年生の大久保陸人君(初代山登り男、大久保初男さんの息子)をはじめ選手たちはがんばった。

最後のレースでは原君が序盤に転倒してしまい、最後尾に付く展開で、ハラハラし通しだったが、8位で予選を通過した。

これで2年連続して、3大大会(出雲、伊勢、箱根)出場権を得ることができた。




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札幌

札幌1札幌219日。札幌へ。

北海道新聞社で、大学の広報展開の一環としての対談。

夜は、高校の教員をしている卒業生に集まってもらって懇談。
なかには、同じ学校で校長と教頭をしているというコンビの方もいらした。

北海道は、東京と同じくらい暑かった。

時計台と大通公園。


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2015年06月19日

田村義也さん

田村1一昨日、病院めぐりをしていたら、ある待合室の本棚にこの本の背表紙が見えた。
もしやと思って見てみると、やはり田村義也さんの装幀だった。
田村さんの装丁の本は、書店でもすぐ目に飛び込んでくる。本棚で力強く主張している。
感心する。



田村3ぼくは、1995年ころから6年半ほど雑誌『人間と教育』の編集長をした。その雑誌の装幀をしていただいたのが、装幀家として著名な田村さんだった。
文字ばかりだが、この文字は田村さんによってデザインされたものである。
書体はすべてご自分でつくり、何種類も持っていた。

田村さんは、もともと岩波書店で編集の仕事をしており、『世界』や『文学』の編集長であった。元都立大学総長だった山住正巳さんが若いころ、最初の岩波新書をだしたときの担当が田村さんであり、最初の原稿は真っ赤な朱を入れられて戻ってきたそうである。

そういうこともあってか、仕事は装幀の範囲をはるかに超え、特集のタイトル名、論文の題名にもうるさかった。「12文字以上の論文タイトルは許さない」、これは装丁の美学の問題もあるが、端的にテーマを出せということであった。「○○の現状と課題」というようなおざなりのタイトルは代えろ、など、どちらが編集長かわからないようなありさまだった。


田村2
その雑誌でのぼくのインタビューをまとめたときには、装丁をしてくださり、タイトルも田村さんが、これで行け、とつけた。

田村さんは、お酒もこよなく愛した。ぼくも一度、「信濃のかたりべ」を持ってご自宅に伺った。
『酒文化研究』という雑誌も自ら編集していた。
もう20年も前のことである。

5年ほどもしてから、編集費の都合で田村さんには降りてもらうことになった。
そのあとは、ぼくの写真を表紙に使った。これは、編集長をやめてからも何年もつづいた。
しかし、風格からして、田村さんのものには遠く及ばない。


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2015年06月18日

大人が絵本に涙する時

大人の絵本気がついた人もいると思うが、以前に紹介した『だいじょうぶだよ、ゾウさん』の訳者は、柳田邦男さんである。
ぼくは、『ガン病棟の朝』や『犠牲』などノンフィクション作家としての柳田さんのファンであったが、柳田さんが絵本の分野で問題提起したり、活躍していることを迂闊にもまったく知らなかった。

柳田さんが、「大人こそ絵本を読もう」というよびかけを始めたのは、この本によると1999年のことだそうである。この『大人が絵本に涙する時』も2006年に書かれている。
全く知らなかった。
なべさんの最近のブログで、彼が最も大事な本と紹介しているのを見て、手に入れた。
2,3年前になべさんが贈ってくれた絵本もすべてこの本の中に紹介されている。

「絵本という表現ジャンルは、実は子どもだけのためのものではなく、年齢や世代を超えて共有できるものなのだ。ユーモア、機智、悲しみ、別れ、思いやり、心のつながり、支えあい、愛、心の持ち方、生き方など、人間として生きるうえで大事なものを、深く考えさせられる」。

そうなのだ。簡潔で、やさしく、短い文章は、凝縮されていて詩のように人を撃つ力がある。余韻や深さがある。

ぼくは、この本に紹介されている80冊近い絵本を読みながら、この本を読み進めたいと思う。


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2015年06月16日

スグリ

スグリ赤1スグリが赤く色づいた。













スグリ赤2

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2015年06月15日

ラグビー

ラグビー大東1ぼくだけ動物園を早く出て、隣接する大学のラグビーグランドへ。

春季リーグ戦の青山学院大学戦。

観客も増えている。強くなると人気も出る。









ラグビー大東21年生のアマト君。身長は195センチあり、足もチーム一くらいに早い。












ラグビー大東3試合は、130点あげて勝った。
ぼくが見た試合の中で最高得点。


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オセアニア

カンガルー













コアラ小さき者らとのお付き合い。

考えてみると、このこども自然動物園には、カンガルー、コアラなどオーストラリアのものが多い。










南洋ハト鳥もニューギニア。原色鮮やか。












インコ














花6.14.1鳥小屋の前にあった花。これらもそうなのだろうか。












花6.14.2













花6.14.3













花6.14.4














花6.14.5














花6.14.6













7

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2015年06月13日

ナンテン

南天の花ナンテンの花。










先日、横浜のほうへ出かけ、用事が終わった後、大学院時代からの友達の家が近いことを思い出し、夜はかなり遅かったが電話をしてみた。
このあたりは店も少ないから家へおいでよ、ということでお邪魔した。

Yさんは千葉の大学に勤めていたが、もうだいぶ前に定年を迎え、今は悠々自適の生活である。昔から犬が好きだったが、今もイングリッシュなんとかという大型の、でもおとなしい犬がいた。

Yさんは、この僕よりものんびり屋で、ゆっくり、ゆったりしている人で、よく大学に受かったなあというような人だったが、深くしっかりと考える人だった。

豆をひいてコーヒーを入れてくれたり、そのうち帰ってきた、やはり大学に勤める奥さんにはおいしい中国茶もごちそうになった。

奥さんの話では、Yさんはしばらく前に胃が痛み、医者に行ったのだそうだ。
そしたら胃壁が荒れていたようで、医者から「何かストレスがありますか」と訊かれたのだそう。困ったYさんは、安倍さんが、と答えたそうだ。
人間、生きていれば悩みもストレスも生まれるわけだ。


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ネパール地震

ネパール大学には、10数人のネパール人留学生がいる。
彼らの家族にも被災した人がたくさんいる。

構内でネパールへの支援活動をしている。
見ていると、学生たちがけっこう募金をしていく。うれしいことだ。

(顔写真公開了承済み)

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2015年06月12日

防災訓練

防災訓練今日は、防災訓練の日。

東日本大震災以来つづけており、今年5回目。
このところ、火山活動が盛んで何とはなしの不安もあるし、関東に地震が多く、ここ2,3週間でも警報が作動したり、構内放送をすることもあった。
近所の町会のかたがたも参加。

いろいろな会議、会合があり、夜はメトロポリタンで、学園全体の懇親会。


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アマリリス、あるいは川崎

アマリリス1死者9人を出した川崎の簡易宿泊所の火災からだいぶ経った。その前には、その近くの地域で中学生の少年が殺される事件があった。
そこは僕が、学生時代の前半、セツルメントというサークルで活動した地域である。

セツルメントというのは、キリスト教に発するイギリスの社会福祉や救貧、博愛の事業で、日本では関東大震災のときに、帝大の学生たちによって始められた。
戦後復活し、加賀乙彦さんや倉橋由美子さんによって小説にもなった。

ぼくがセツルメントを知ったのは、中学、高校、大学と先輩だった人からである。彼は、大学卒業後、弁護士になり法律事務所を開いている。定期的に事務所の便りを送ってくれるが、弱い者、困っている者の味方として今も初心を貫いている。

1965年のことだから日本の高度経済成長の真っ盛り。京浜工業地帯のコンビナートに隣接してスラム街というか、ドヤ街があった。(ドヤ顔ではない)山谷、釜ケ崎、寿町のように簡易宿泊所が立ち並ぶ街。
ぼくらが住んだのは、どこが入り口かわからないようなベニヤ板を貼り付けたバラックだった。韓国、朝鮮の人も多かった。

何度か、生活のためもあって、「立ちん棒」もした。富士見公園で立って並んでいると、手配士がいて、次々と乗り付けるトラックに押し込まれ、どこかわからない仕事場に連れていかれる。憶えているのは、日立造船と埠頭の作業だ。埠頭では、八丈島だったか、小笠原だったかから荷揚げされたフェニックスや虎の尾を鉢につめる作業で、夏のさなか裸でやったので、翌日は背中全部が水ぶくれになった。
そのころは、ニコヨンと呼ばれた。

セツルメントは、労働法律相談、医療・栄養相談、子ども会、集団就職の若者のサークル、などをした。そういう研究をしたくて大学3年になるとき、専門を決めた。
とにかくタフな地域だった。

数年前、診療所の看護婦さんで、当時お世話になった人が入院して、その地域を訪ねた。ずいぶんきれいになっていた。
でも、今度の火事や事件を見て、貧困の連鎖は断ち切れていないのかと思う。


アマリリス2

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2015年06月11日

カイソウホウ

そらいろ若い友人のKさんが仲間とともに、ぼくと同じ市内に食事処「そらいろ」を開いた。ランチ中心のようである。地元のいい食材を使って、地域のたまり場になるような場所にしていきたいという。

これからみんなで盛り立てていこうとお祝いを兼ねて、社会教育の仲間が集まった。

近況報告で、IMさんは定年退職後、NPOを手伝ったり、地域のサークル活動に参加しているという。そのサークルのひとつが「カイソウホウ」というのだそうだ。
「どういう漢字?」とぼく。
「回想法」。自分の人生を回想し、聞いてもらうのだそうだが、ボケ防止にいいそうだ。

ぼくもこれ以上のボケの進行を遅くするために、回想法をしてみようか。

それで、このブログも最近回想が多い?


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偶然

あじさい・寺昨日の朝、連れ合いがご近所のKさんの奥さんと立ち話していたとき、Kさんが、「昨日、熊谷の能護寺にアジサイを見に行ってきたの。きれいだった」というのだそうだ。

夜、新聞(東京新聞)をみていたら、能護寺のアジサイの記事があり、その写真に何とKさん夫婦が写っている。
こういう偶然もある。
読んでいる新聞は違うらしく、今日、新聞記事をKさんにあげると言っている。

松本清張の小説で、たまたま新聞記事の写真に写ったことから、事件に発展するというようなのがあったような気がする。


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2015年06月10日

ジャガイモの実

ジャガイモの実ジャガイモに実が付いていた。
花が咲くのだから実が付いて不思議はないが、あまり見たことがなかったような気がする。


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峠の釜飯

峠の釜飯先日、連れ合いが友人たちと碓氷峠のバスツアーを組んで出かけ、おみやげにおぎの屋の峠の釜飯の漬物だけくれた。
自分のお昼の残りである。小茄子、きゅうりの古漬け、やまごぼう、小梅などが入っている。

今は、長野から新幹線で1時間ちょっとで上野まで来てしまうが、ぼくが学生でまだ信越線が走っていた頃、上京するときは、いつも夜行だった。昼間の急行で4時間、準急で5時間くらいだったと思う。

いずれにせよ、碓氷峠の26のトンネルを抜けて横川駅に着くと、アプト式の機関車を増結したり、切り離すためにしばらくの時間止まった。
そのときにホームで買って必ず峠の釜飯を食べた。当時の汽車は窓を開けることもできた。
ほんとうにうまかった。

炊き込みご飯に、鳥、たけのこ、ごぼう、椎茸、赤しょうが、それにあんずが入っていた。
瀬戸物の小さな釜は、持ち帰り、それでご飯を炊くこともできた。
やはり瀬戸物のお茶もついていた。

信越線はなくなったが、上信越自動車道の横川PA(上り。下り線は高崎のだるま弁当)や、佐久インターのおぎの屋で食べることができる(諏訪インターにもあったような気がする)。

でも昔のほうがうまかった気がするのはなぜだろう。






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2015年06月09日

アジサイ

アジサイ庭アジサイ。
入梅らしい。
















アジサイ庭2


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2015年06月08日

柿の実、梅の実

柿の実今年は柿の実がたくさんついた。
おそらく20年ぶり以上だろう。
そのころ、かちかちのコンクリートみたいになってしまった化成肥料を柿の木に埋めた。
あまりに豊穣すぎたのか、柿の木は実をつけるのをサボってしまうようになった。

剪定が下手なのも原因だったかもしれない。
去年の暮れは、剪定をまったくしなかった。


梅の実花数も少なかった梅の実だが、採ってみると、思いのほかたくさんあった。5,6キロくらいか。

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2015年06月07日

『地域に希望あり』

地域の希望大江正章『地域に希望あり -まち・人・仕事を創る』(岩波新書)。

1700の自治体のうち、896の自治体が「消滅可能性都市」であるとする、いわゆる「増田レポート」がマスコミをにぎわわせている。この本は、それに対抗する報告と見解である。

地域の希望を創るさまざまなとりくみが紹介されている。
キーワードは、「環境」、持続可能な自然・産業をつくること。
もうひとつは、「自治」、自分たちで決め、みんなで実現する。
そうすることでIターンが増える。

近いところでは、埼玉県小川町と、群馬県南牧村が紹介されている。




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シルクロードの東と西

国語学会大学で開かれた全国大学国語国文学学会に出席。

公開シンポジウムのテーマは、「シルクロードの東と西をむすぶ −文学・歴史・宗教の交流」。万葉集・山上憶良研究の中西進先生、古代国家研究の鈴木靖民先生など錚々たるメンバーが参加していた。基調報告では、宮沢賢治、井上靖ら日本文学を世界との交流の中でとらえる試みの提唱。

元同僚の辰巳先生とも久しぶりの再会。先生は、「シルクロードの終点は奈良である」と。

いいなあ、遥かな過去が対象だけれど、夢のある研究って。


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2015年06月06日

サラシナウツギ

サラシナウツギ1ぼくが勝手に命名したウツギ。













サラシナウツギ4














サラシナウツギ2














サラシナウツギ3














更科うつぎ2

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2015年06月05日

スグリ

スグリ枝で買ってきて、玄関前の火鉢に盛ってある。

スグリを見ると、小さいときを思い出す。

ぼくの母親は村の中で結婚し、実家は近くにあったから、ぼくは始終「えんきや」と呼ばれた母親の実家に遊びに行っていた。屋号を持つ家は珍しかったが、どういう漢字を当てるのかは今もわからない。

中庭を囲む大きな家だったが、ぼくは今でもその家の全体を思い浮かべることができる。
その家で体験したあれこれは子ども時代の大切な風景だ。

ばあやん(祖母)は、夫を亡くし、3人の娘は嫁ぎ、一番下の国鉄の車掌をしていた息子(ぼくは兄ちゃんと呼んでいた)と2人暮らしだったので、兄ちゃんが夜勤のときは小さい僕がとまりに行った。

そのにいちゃんが座敷で結婚式を挙げたときは、ぼくは三三九度のお酌をした。

田んぼがたくさんあって、田植えには戸隠から早乙女さんたちが来た。
夜、座敷で宴会をしているとき、中庭の白樫の木の陰で、若い早乙女さんが泣いていた。

兄ちゃんの息子のM君が生まれてからは、ぼくが子守役だった。
一度、村の子どもたちと遊びに夢中になり、M君がいなくなった。
えんきやの庭に、暗い中、大人たちが集まって、大騒ぎになった。
ぼくの父親が数キロも離れた尾張部神社にいたのを探して、自転車で連れたきた。ぼくはほんとうにうれしかった。
でも村の人への手前もあったのだろう。ぼくは父親に殴られた。父親に殴られた記憶はそのときだけである。

家業というのではないのだが、ばあやんは、訪ねてきた人にお灸をするのが日課だった。ぼくは、百草(モグサ)をまるめるのをよく手伝って、駄賃をもらった。

ばあやんは、ときどき年金をもらいに、バスで長野の町まで出かけた。
そのときに付いていくのもぼくの役割だった。
帰りに天ぷらそばを食べさせてもらえるのも決まりのコースだった。

ばあやんが寝込むようになったのは、ぼくが高校生だったか。
久しぶりに訪ねて立っているぼくのふくらはぎを、ふとんのなかから触って、「かたくなったなあ」と言った。

座敷の裏に、スグリがあった。
食べると酸っぱくて、細かい種がたくさんあった。

その家は、何十年も前に取り壊された。
ばあやんも、3人の娘も、にいちゃんも、ぼくより若いMくんも今はない。

これは豆スグリ。


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『火花』

火花漫才の世界を生きる人々を描いた又吉直樹さんの小説。

作中人物の「神谷さん」の言葉を使えば、「めちゃ、面白いねん」。

そして、哀しい。


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2015年06月04日

ブルーベリー

ブルーベリー1連れ合いが友人からもらったブルーベリーの鉢。

日当たりが悪かったそうで、実は7つくらいしかついていない。












ブルーベリー2今日、元ドイツ大使のシュタンツェルさんが、学生の講義に来てくださった。

お会いするのは、2回目。前回はフランス大使と同伴だった。

シュタンツェルさんは、1933年の独仏不戦条約(エリゼ条約、エリゼの誓い)を高く評価している。日本の憲法9条と同じだと。


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2015年06月03日

『だいじょうぶだよ、ゾウさん』

ゾウさん絵本小さき者らに絵本などを読んでやるときが好きだ。そういうときの彼らの輝く目は、普段と違う集中や心根の優しさをあらわすから。

2,3年前、なべさんが数冊の絵本を贈ってくれた。絵本は、子どものものだと思っていた僕は、その本を小さき者らに読み始めた。しかし、途中まで読んでやめた。死と別れについてのものであり、3,4歳の子どもにはきついと思ったので。
ましてかれらの一人は東日本大震災のときにパニックになり、その後もPTSDが残るほど繊細な感受性の持ち主だったから。

ローレンス・ブルギヨン作・ヴァレリー・ダール絵・柳田邦男訳『だいじょうぶだよ、ゾウさん』。

*******************

幼いネズミくんは、年老いたゾウさんと友達です。やさしいネズミくんは目が悪くなり始めたゾウさんのために眼鏡をつくってやったりもします。

年老いたり、重い病気になったゾウさんは、谷を隔てたゾウの国に行かなくてはなりません。戻ることはできません。二人で一度見に行くと、谷を渡る吊り橋が壊れていました。ゾウさんと別れるのが嫌なネズミさんは、そのまま戻ってきます。

幸せな日々が過ぎ、ゾウさんはいよいよ目が見えなくなり、食べ物も食べられなくなりました。心が成長したネズミさんは、吊り橋を直してあげ、「こわがらないで」と言って見送ります。…

********************

絵本は、おとなにとっても、いい、と思った。
『百万回生きた猫』や『ごんぎつね』もおとなになってから読んだ。
そして考えてみれば、いずれも死や別れについてのものだ。
この本でも、僕は年老いたゾウに身を寄せて考える。
小さき者らには、幼いネズミになって感じてもらいたい。
そろそろもう一度、今度は最後まで、読んであげようかと思う。


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楽しい病院のバラ

病院バラ1初めて院長先生の診察を受けた。説明がとても丁寧で、語り口はやさしい。病気も治るような気がする。













病院バラ2中庭のバラはきれいに咲いていたが、駄洒落の新規更新はなく。













病院バラ3

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