2012年10月
2012年10月29日
双子
いま、大学駅伝では双子の兄弟・姉妹の活躍が著しい。
男子では、大東文化の市田兄弟、東洋の設楽兄弟、駒沢と城西の村山兄弟、女子では、大東文化の田山姉妹、筑波の九馬姉妹などである。双子は足が速い。
実はぼくの孫に男子の双子がいて、ぼくはひそかに将来の長距離ランナーを期待している。
仙台の女子駅伝の帰り、新幹線の車中で、4才になるその子たちから電話が入った。「6位、オメデト」、「6位、オメデト」。
家に帰ると、家にも電話があったそうで、「6位、オメデト」と言い、一人は「ぼくは4位だったよ」と言っていたそうだ。
先日、幼稚園の運動会があり、ぼくも見に行った。双子の一人のB君はケガで参加できず、もう一人のR君がかけっこに出た。20メートルくらいの距離だったと思うが、4人走って4位だった。それも相当の4位で、先頭の子がゴールしたころ、道半ばだった。
でも短距離だから実力が発揮できなかったので、長距離の才能はあるかもしれないと夢は捨てていない。
男子では、大東文化の市田兄弟、東洋の設楽兄弟、駒沢と城西の村山兄弟、女子では、大東文化の田山姉妹、筑波の九馬姉妹などである。双子は足が速い。
実はぼくの孫に男子の双子がいて、ぼくはひそかに将来の長距離ランナーを期待している。
仙台の女子駅伝の帰り、新幹線の車中で、4才になるその子たちから電話が入った。「6位、オメデト」、「6位、オメデト」。
家に帰ると、家にも電話があったそうで、「6位、オメデト」と言い、一人は「ぼくは4位だったよ」と言っていたそうだ。
先日、幼稚園の運動会があり、ぼくも見に行った。双子の一人のB君はケガで参加できず、もう一人のR君がかけっこに出た。20メートルくらいの距離だったと思うが、4人走って4位だった。それも相当の4位で、先頭の子がゴールしたころ、道半ばだった。
でも短距離だから実力が発揮できなかったので、長距離の才能はあるかもしれないと夢は捨てていない。
全国大学女子駅伝、シード権獲得
28日、全国大学女子駅伝大会、「杜の都駅伝」が行われた。
去年初出場したわが大学は、途中棄権で無念の涙を呑んだ。
2回目の出場となった今年、選手たちはそれぞれ力一杯走って6位、見事シード権を獲得した。去年、途中棄権した田山満里さんがアンカーとしてゴールに飛び込んできたときは涙が出た。
思えば去年の無念がドラマの始まりだった。
選手たちのがんばりはもちろんだが、応援もすごかった。
青桐会は100人を越す大応援団で、コースの各所に散らばり、幟の数で圧倒した。仙台駅の各改札口には案内係まで配置したという。
大学からも3台のバスを出し、学生や教職員が参加、同窓や陸上OBなどを含めると優に200人を超えただろう。最後の写真は匂当台公園で開かれた雨の中の報告会。報告しているのは外園監督。
白石に住むヌマッチャンも、去年に続けて応援に駆けつけてくれた。
前夜は、青桐会主催の顔合わせ。
そこで、宮城のMさんから神社のお守りをいただいた。実は、男子の箱根駅伝の予選会の時にもいただいていて、縁起物。
こういう願いが集まってかなったシード権獲得でもあるかもしれない。
2012年10月20日
箱根駅伝復活
やった!やりました!
箱根駅伝、予選会突破。
わが大学は初出場以来43年連続出場、4回の優勝を誇るが、2年前に予選会に破れ、連続出場がとぎれた。
1年半ほど前、芦ノ湖にある箱根駅伝ミュージアムに行った。その中にはわが大学の華々しい戦績が称えられているが、外の幟にはわが大学のはなかった。
どうしてなのか、係の人に尋ねると、その年の箱根出場校の幟だけなのだという。
去年の予選会もむなしく敗れた。
予選会は40数大学の各校12人、全部で600人ほどがいっせいに走り、上位10人の合計タイムで競う。
わずか約60分が1年間を決める。思えば残酷だ。
箱根出場はぼく自身にとっても使命だった。
それが今日、予選会を4位で通過。
選手たちはほんとうによくやった。
監督も宙に舞った。
林立する幟、応援団もすごかった。
ゼミの学生も連れて行ったが、卒業生も来てくれた。ほんとうにうれしい。
ありがとうございました。
2012年10月19日
2012年10月15日
小さな賓客
キャンパスに小さな賓客たち。
宮城県東松島市と埼玉県東松山市は、字が1字違いということで交流が深いらしい。
東松島市で祭のイベントが企画され、その一環として「ちびっ子相撲」が行われることになった。東松山市を通して大学の相撲部を派遣してもらえないかという依頼があり、相撲部と、ほかの行事の手伝いをするボランティアとして職員数名がでかけることになった。
団長のO先生によると、第1日目は大震災で被災した野蒜地区、大曲地区などを訪問。
第2日目の「ちびっ子相撲」では、子どもたちがぶつかり稽古をしたり、あかちゃんを抱いて記念撮影をしたりと大人気だったらしい。
小学校教員をしたあと地元の図書館に勤めるゼミの卒業生のSさんが、大量のかまぼこを差し入れてくれたとのこと。帰りの電車で相撲部員たちの腹に収まったらしい。
2012年10月11日
「十二夜」
青年劇場の「十二夜」(シェクスピア)を観た。あらかじめ小田島雄志訳の本を半分程読んでいった。
ぼくが渋谷の学生だった頃、当時流行っていた名曲喫茶に行ったとき、先輩から、あれが小田島雄志だ、と教えられた。階段下の小さなスペースにいた。大学の教員だったが、いつも同じこの場所で仕事をしているという伝説だった。その後、小田島さんはシェクスピアの全訳を完成させた。
「十二夜」は、歴史劇、喜劇、悲劇と変遷するシェクスピアの喜劇時代の最後の作品。
「だまし劇」「取り違え劇」などの構成の劇だが、言葉遊びが面白い。洒落(やダジャレ)は、原作では英語の音韻を踏んでいるのだと思うが、それを日本語に翻訳してしまうのだからすごい。
たとえば、こういう調子。
「いいふくめる?おれの服はいい服だぜ、ふくいくたる酒を注ぎ込むこのふくよかな腹を包むにゃ不服はない。靴だってそうさ、この靴がおれにキュウクツな思いをさせるなら…」
また。
「男 そんならぼくの手をとってもいいよ。
女 とってもいいお考えだとは思いますが、あなたのお手は酒蔵のとってにおいておかれるほうがよろしいでしょう。
男 どういうことだい、ねえさん、どうして酒蔵のとってってなんだい?
女 とっておきの酒がありますから」
全編この調子である。
こういう文章を、小田島さんは、同じ言葉遊びの名人の井上ひさしさんもそうだったと思うが、辛苦してつくりだしたに違いない。そして、ひそかににんまりしていたに違いない。
名曲喫茶で、どういう顔をしていたかは覚えていない。
舞台で話されると、音に関係する分、いっそう面白い。
旧い友人の広戸聡さんの道化役が秀逸である。こんなにうまかったかなと思うほど歌もいい。役のはまり具合では「シシとササの伝説」に匹敵するのではないか。
今は、やはり友人の吉村直さんが出演している新国立劇場の「リチャード3世」を読んでいる。
この文体は一転して荘重である。
本のイラストは、池田満寿夫さん。
2012年10月10日
2012年10月05日
2012年10月01日
『生と死の記録』
毎日新聞の萩尾信也さんが書いた、東日本大震災の被災者の記録『三陸物語』について、またその本が日本記者クラブ賞をもらったことはすでに書いた。時間が経ってしまったが、その後に出た『生と死の記録 -続三陸物語』。障がいを持つ人々の視点からの取材が多いのも特徴だ。
震災から時間が経った分、前著に比べて取材は精細だし、ドラマはいっそうリアルだ。「悲しみを時が解決してくれるってウソですよね」。
萩尾さんは、「記者とは何か」を自問し続け、「人の心や営みを記す者」と規定する。いのち、生と死と向き合った人々の取材を通じて、今は「生と死は決して断絶されたものではなく、同じ地平にあるのではないか」という思いを強くしていると言う。
萩尾さんの取材は、「常に現場にこだわり」、「五感に情景を焼き付けながら、人々の思いに触れる」。被害者の生活に寄り添い、可能な限り自らも追体験して思いを共有しようとする。
慈愛福祉学園の通所者が「花売り」に来た陸前高田の広田半島(そこは、ぼくらも昨年萩尾さんに案内してもらった)で被災し、自宅のある綾里半島をめざして歩いていく場面がある。瓦礫を避け、水たまりを通って歩くのだが、萩尾さん自身も自ら歩いてみたという。地図で見てもたしかに20キロは優にある。
そういう肉薄が文章のすごみをつくる。
そういう取材の中で選ばれ、紡ぎ出され、鍛えられた言葉は、藤原新也さん同様最も文学的であると思う。