2011年10月
2011年10月31日
塩にぎり
青森・十和田の苫米地ヤス子さんが送ってくれる米。
感動するくらいうまいので、塩にぎりにしてもらった。
苫目地さんはずっと無農薬の米づくりをしていて六ヶ所村の原発再処理工場に反対をしている。鎌仲ひとみさんの映画を観て、いきなり訪問をし、以来米を送ってもらっている。「原発米」だ。
福島の阿部さんが丹誠込めてつくる梨は、自然のままのおいしい梨だ。
今年もあちこちに贈答用に贈った。少し勇気が要った。
阿部さんは、普段の半分くらいの注文になったと言っている。
ぼくは原発被害には敏感であるべきだと思っているし、風評も仕方ないと思っているが、安全だと証明されたものについてはいただいた方がいい。
贈った人から、ぼくらしい、と返事をもらった。
だからといって東電や国を許すのではない。
感動するくらいうまいので、塩にぎりにしてもらった。
苫目地さんはずっと無農薬の米づくりをしていて六ヶ所村の原発再処理工場に反対をしている。鎌仲ひとみさんの映画を観て、いきなり訪問をし、以来米を送ってもらっている。「原発米」だ。
福島の阿部さんが丹誠込めてつくる梨は、自然のままのおいしい梨だ。
今年もあちこちに贈答用に贈った。少し勇気が要った。
阿部さんは、普段の半分くらいの注文になったと言っている。
ぼくは原発被害には敏感であるべきだと思っているし、風評も仕方ないと思っているが、安全だと証明されたものについてはいただいた方がいい。
贈った人から、ぼくらしい、と返事をもらった。
だからといって東電や国を許すのではない。
2011年10月28日
ミズヒキ
この仕事に就いて、昨日で1年になった。
1年は、残された大きな課題の処理や、震災など外からの課題への対応に追われた期間であり、前に向けての、なかみの改革や創造の課題はこれからである。まだ何事もやりおおせていないという焦りや忸怩たる思いもあるが、気持を新たに使命に立ち向かいたい。
それはともかくよく体が持ったという思いがする。もともとぼくは身体が弱い。小さいときは体質と栄養失調で(多分)、長じてからは不摂生で始終病気をしていたが、この1年は年齢相応に2,3の病院に通ってはいるが、持病の胃潰瘍で苦しむこともなく、風邪らしい風邪すらひかなかったのは驚異的である。(最近少しガタが来ているが。)
むしろ体重は増えたくらいである。もっともこれは健康になったというのではなく、運動不足とストレスからの不健康のせいかもしれない。
いずれにせよ、大勢の人に助けられながらの1年であり、御礼を申し上げたい。
1年は、残された大きな課題の処理や、震災など外からの課題への対応に追われた期間であり、前に向けての、なかみの改革や創造の課題はこれからである。まだ何事もやりおおせていないという焦りや忸怩たる思いもあるが、気持を新たに使命に立ち向かいたい。
それはともかくよく体が持ったという思いがする。もともとぼくは身体が弱い。小さいときは体質と栄養失調で(多分)、長じてからは不摂生で始終病気をしていたが、この1年は年齢相応に2,3の病院に通ってはいるが、持病の胃潰瘍で苦しむこともなく、風邪らしい風邪すらひかなかったのは驚異的である。(最近少しガタが来ているが。)
むしろ体重は増えたくらいである。もっともこれは健康になったというのではなく、運動不足とストレスからの不健康のせいかもしれない。
いずれにせよ、大勢の人に助けられながらの1年であり、御礼を申し上げたい。
2011年10月27日
鰯雲2
一昨日。
鰯雲。板橋キャンパスの中庭で見た。じっと見ていると、左から右へ、かなり早く動いているのだ。川が流れるように。
夕方、2年生へのゼミ説明会で東松山キャンパスへ。
グランドに行くと、ちょうど女子陸上部の選手達が練習していた。
みんな明るかった。満里さんも元のように元気だ。
テレビBSで、ローカル線についての番組をやっていて、フラワー長井線の横山直幸さんの「方言ガイド」を放映していた。
この日、プロ野球公式戦の最終試合。ヤクルトは、9回1アウトまでノーヒットだったが、逆転サヨナラ勝ちをおさめた。
試合後、石井弘寿投手の引退セレモニー。石井投手は、左腕最速記録を持つストッパーで、オリンピックやWBCでも活躍したが、最近の5年間はケガで登板できなかった。挨拶はその直球のようにさわやかで、いい顔をしていた。
鰯雲。板橋キャンパスの中庭で見た。じっと見ていると、左から右へ、かなり早く動いているのだ。川が流れるように。
夕方、2年生へのゼミ説明会で東松山キャンパスへ。
グランドに行くと、ちょうど女子陸上部の選手達が練習していた。
みんな明るかった。満里さんも元のように元気だ。
テレビBSで、ローカル線についての番組をやっていて、フラワー長井線の横山直幸さんの「方言ガイド」を放映していた。
この日、プロ野球公式戦の最終試合。ヤクルトは、9回1アウトまでノーヒットだったが、逆転サヨナラ勝ちをおさめた。
試合後、石井弘寿投手の引退セレモニー。石井投手は、左腕最速記録を持つストッパーで、オリンピックやWBCでも活躍したが、最近の5年間はケガで登板できなかった。挨拶はその直球のようにさわやかで、いい顔をしていた。
2011年10月23日
杜の都・全国大学女子駅伝
杜の都・仙台で、全国大学女子駅伝大会。
昨年は、選手4人でスキー部の選手も借りての出発だったが、創部2年目の今年見事初出場を果たした。1,2年生だけの若いチームだが、マスコミは「初出場、初シード」を期待していたらしい。
大学は3台のバスを出し、近年にない応援態勢をつくって臨んだ。
前日までの雨も上がり、ぼくはこの日も晴れ男。
スタート。1区の双子の姉、田山絵理さんは頑張って6位。
2区の森さんは、区間3位で、チームも3位に浮上させた。
バスで、市役所前の広場に移動。
紅葉も始まって美しい。
今日は、iPodにワンセグのチューナーをつけてレビを見ながら応援。
4区の応援の地点を決めて、座った途端に、テレビは3区の田山満里さんのアクシデントを伝えた。倒れて途中棄権。応援の人たちもその姿を見て涙。
それでも、4区の宮本さん、5区の渡辺さん、6区のキャプテン・岩田さんが懸命に走った。それぞれ区間13位、6位、6位、と立派。
となりの公園で、報告会。
こんなに大勢の人たちが駆けつけてくれた。
選手たちのひたむきに走る姿に感動した。応援に来てよかった。
白石に住む友人のヌマッチャンが応援に来てくれた。
レースの後、ヌマッチャンは、わが大学を2つの点ですごいとほめてくれた。
ひとつは、大会の選手アンケートで、わが大学の選手だけが、震災のことに触れていたということ。
今あらためて見てみた。
岩田裕子「被災した土地仙台の復興のために頑張っている方々に私たち若い私達のパワーを贈りたい」
田中里実「走ることに感謝の気持を持ち、私たち若い力で全力でたたかっている姿を見て、被災地の方に勇気を与えられるようにしたい」
それは十分できたと思う。
もうひとつは、アンカーの岩田選手が走り終わった後、コースの方を向いて礼をしていたこと。
帰ってから、録画を見てもう一度涙が出た。
いま、外園監督に電話をしたところ。
満里さんの様子を聞き、ねぎらい、ケアをして欲しい、選手みんなに「ありがとう」と伝えてもらいたいと。
2011年10月21日
環境創造フォーラム
昨日、大学で第10回環境創造フォーラムがあり、半分くらい傍聴した。
テーマは「まちづくり市民事業が描く地域社会」
報告者は、
菅野芳秀さん(山形県長井市、農民)「住民主導の循環型まちづくり」
奥野雅史さん(名古屋・医療生協)「介護福祉事業づくり・まちづくり」
小島靖子さん(十条、スワンベーカリー)「コミュニティダイニング『ヴィ街なか』を中心に」
済藤哲仁さん「地域にふさわしいまちづくり手法の発見」
始まる前、控え室を訪ねて報告者の皆さんにご挨拶した。
先月、長井市に調査に行ったが、菅野さんは、そのときにお会いしそびれた方。
共通の長井市の知り合いも多いことがわかった。
障害者雇用の場としてつくられたスワンベーカリーは、クロネコヤマトの創業者・小倉昌男さんが晩年つくったものだが、小倉さんには、わが大学の理事を務めていただいた縁もある。
中身の濃いフォーラムだった。こういう話を聞くことのできる学生は恵まれている。
テーマは「まちづくり市民事業が描く地域社会」
報告者は、
菅野芳秀さん(山形県長井市、農民)「住民主導の循環型まちづくり」
奥野雅史さん(名古屋・医療生協)「介護福祉事業づくり・まちづくり」
小島靖子さん(十条、スワンベーカリー)「コミュニティダイニング『ヴィ街なか』を中心に」
済藤哲仁さん「地域にふさわしいまちづくり手法の発見」
始まる前、控え室を訪ねて報告者の皆さんにご挨拶した。
先月、長井市に調査に行ったが、菅野さんは、そのときにお会いしそびれた方。
共通の長井市の知り合いも多いことがわかった。
障害者雇用の場としてつくられたスワンベーカリーは、クロネコヤマトの創業者・小倉昌男さんが晩年つくったものだが、小倉さんには、わが大学の理事を務めていただいた縁もある。
中身の濃いフォーラムだった。こういう話を聞くことのできる学生は恵まれている。
2011年10月20日
2011年10月18日
ウォーク2011
今日は、大学の「ウォーク2011」。
最高気温22度と過ごしやすく、空は晴れても,風があってさわやか、絶好のウォーク日和。今日も晴れ男だ。
ぼくは、2度目の参加。はじめの挨拶でも、「ぼくは帰り着けないと思うけど、みなさんは最後まで歩いてください」と挨拶した。
ほんとうに、少し歩くだけ、と思っていたが、同歩したメンバーが悪く、みんな真面目に最後まで歩こうという人たち。
何と17.5キロを、(自分で言うのも何だが)見事!完歩してしまった。
出発前、待機する人たち。
学生、教職員、父母など700人。
スタート。
下赤塚公園の方に向かう。
板橋植物公園を通る。
曲がり角には、係が待っていて指示してくれる。
前を行く相撲部。右の黄色が里館健君、震災被害にも負けず頑張っている。
光が丘公園はすっかりきれいに整備され、歩いていて気持ちいい。
途中、幼稚園(保育所)の園児たちが並んで応援していてくれる。
写真を撮っていると、保母さんが、「この子のお母さんは、そちらで働いているんですよ」と言う。誰ですか、と聞き、エーッとびっくり。
春日町を通って、早宮町へ。
石神井川沿いの小道を通る。
ぼくは、花を見かけると写真を撮り、遅れて追いかけるので疲れる。
花の写真はあらためて。
最後の休憩の城北中央公園。
飲み物、チョコレート、お菓子などをもらう。
しばらく同行した学生のS君は、左手にトング、右手にポリ袋を持って、ゴミを拾いながら歩いていた感心青年。
公園からの4,5キロが急にきつくなった。
足の裏が痛み、皮が肉から離れてしまったようだ。
ぼくのは、ジャパンホームセンターのしかも特売の1480円のものだから、靴底が薄い。
同行のOさんに聞くと、平気だと言う。
昨日、西武デパートのスポーツ用品売り場で靴を買ってきたのだという。
16590円だと言い、レシートまで見せてくれた。
靴の差は大きい。
それとなく見ると、前を行くYさんの靴もヨサゲだ。
帰ってから、市民ランナーであるOgさんに聞くと、私のだって10倍以上すると言われた。
来年は、銀座三越で16590円以上の靴を買って参加してやる。
ゴール。
初参加のときは、600か700番台だった順位が、142位と大躍進。
今度は、足の裏に続いて、太股が痛い。
足全体がかちんかちんに堅い。
多分、鍛えたために、カモシカのような、駅伝選手のような足になっているのだろう。
でも痛いのはつらい。
それで三芳町の温泉に行き、マッサージをしてもらった。
ついでに福島の「大七」をいただき、初物のカキを食べた。
問題は、明日朝、立つことができるかどうかだ。
最高気温22度と過ごしやすく、空は晴れても,風があってさわやか、絶好のウォーク日和。今日も晴れ男だ。
ぼくは、2度目の参加。はじめの挨拶でも、「ぼくは帰り着けないと思うけど、みなさんは最後まで歩いてください」と挨拶した。
ほんとうに、少し歩くだけ、と思っていたが、同歩したメンバーが悪く、みんな真面目に最後まで歩こうという人たち。
何と17.5キロを、(自分で言うのも何だが)見事!完歩してしまった。
出発前、待機する人たち。
学生、教職員、父母など700人。
スタート。
下赤塚公園の方に向かう。
板橋植物公園を通る。
曲がり角には、係が待っていて指示してくれる。
前を行く相撲部。右の黄色が里館健君、震災被害にも負けず頑張っている。
光が丘公園はすっかりきれいに整備され、歩いていて気持ちいい。
途中、幼稚園(保育所)の園児たちが並んで応援していてくれる。
写真を撮っていると、保母さんが、「この子のお母さんは、そちらで働いているんですよ」と言う。誰ですか、と聞き、エーッとびっくり。
春日町を通って、早宮町へ。
石神井川沿いの小道を通る。
ぼくは、花を見かけると写真を撮り、遅れて追いかけるので疲れる。
花の写真はあらためて。
最後の休憩の城北中央公園。
飲み物、チョコレート、お菓子などをもらう。
しばらく同行した学生のS君は、左手にトング、右手にポリ袋を持って、ゴミを拾いながら歩いていた感心青年。
公園からの4,5キロが急にきつくなった。
足の裏が痛み、皮が肉から離れてしまったようだ。
ぼくのは、ジャパンホームセンターのしかも特売の1480円のものだから、靴底が薄い。
同行のOさんに聞くと、平気だと言う。
昨日、西武デパートのスポーツ用品売り場で靴を買ってきたのだという。
16590円だと言い、レシートまで見せてくれた。
靴の差は大きい。
それとなく見ると、前を行くYさんの靴もヨサゲだ。
帰ってから、市民ランナーであるOgさんに聞くと、私のだって10倍以上すると言われた。
来年は、銀座三越で16590円以上の靴を買って参加してやる。
ゴール。
初参加のときは、600か700番台だった順位が、142位と大躍進。
今度は、足の裏に続いて、太股が痛い。
足全体がかちんかちんに堅い。
多分、鍛えたために、カモシカのような、駅伝選手のような足になっているのだろう。
でも痛いのはつらい。
それで三芳町の温泉に行き、マッサージをしてもらった。
ついでに福島の「大七」をいただき、初物のカキを食べた。
問題は、明日朝、立つことができるかどうかだ。
2011年10月16日
箱根駅伝予選会
昨日、土曜日。箱根駅伝予選会に早朝から出かけた。立川市の昭和公園が会場。強い雨の中をスタートしたが、雨はじきにやんだ。スタート地点で応援した後、ゴール地点に行き、オーロラビジョンを見ながら応援した。
昨年、わが大学は、初出場以来43年連続で続けてきた箱根駅伝出場権を失った。しかし、今年は選手たちが力をつけ、出場権奪還が期待された。
しかし、9位までに与えられる出場権を逃し、去年よりも順位を下げた14位に終わった。各チーム上位10人の平均タイムは、最初の5キロは上位で期待を抱かせたが、10キロ8位、15キロ13位と下がり、ゴールは14位だった。
報告会では泣き崩れる選手もいた。応援には、父母会や同窓会、OB会、学生応援団、職員など実に大勢が参加した。コースに林立する旗、応援は、圧倒的だった。
父母会で、食事をいっしょにいただいた後、熊谷へ行き、ラグビーのリーグ戦の応援。
この日は、4連覇中の東海大学戦。前半は19−7で終わっており、後半戦から見た。結果は33−10で負けた。選手たちが、最後までキレずにがんばったのはよかった。故障した選手も多いが今後に期待。
帰途、野球チームの報告も入った。ラグビーと同じ東海大学を相手に1−2で負けた。今年のプロ野球のドラフトで、ジャイアンツから指名確実な菅野投手が相手だったそうだから健闘したということだろう。
でもこの日は、さんざんな一日だった。
2011年10月13日
登山家・加藤保男
朝。登山家・加藤保男展の開会式に参加。
登山についてはぼくは何も知らないが、加藤保男さんは、アイガー北壁直登(1969年)、エヴェレスト冬季初登頂(1972年)などで著名な登山家である、と初めて知った。3度目のエヴェレスト登頂の後、下山途中で行方を断った。33才の若さだった。
その加藤さんは、付設校である第一高校の卒業生である。
今日から大学の歴史資料館で加藤保男展が始まった。その開会式とテープカット。
昼休み。
全日本女子駅伝大会に女子チームが初出場するので、大学としてバスツアーを出すことにした。その宣伝に参加。
夕方。
ゼミの後、近くの公園で「肝高の阿麻和利」の踊りの練習。
ぼくも歌で参加。一昨年は、三線(サンシン)を務めたが、今年は練習の時間がなく、間に合いそうにない。
写真を見ると、AYAさんだけが激しく踊っている。
公園で知ったのだが、マホラ君の芸がすごい。
1 2本の腕で身体を支え、
2 その足を縮めて、腕の間を通して、後ろに出し、
3 そのまま持ち上げて倒立する
4 足をさらに前に曲げてブリッジをして、立つ
見ほれて写真を撮るのを忘れた。今度。
登山についてはぼくは何も知らないが、加藤保男さんは、アイガー北壁直登(1969年)、エヴェレスト冬季初登頂(1972年)などで著名な登山家である、と初めて知った。3度目のエヴェレスト登頂の後、下山途中で行方を断った。33才の若さだった。
その加藤さんは、付設校である第一高校の卒業生である。
今日から大学の歴史資料館で加藤保男展が始まった。その開会式とテープカット。
昼休み。
全日本女子駅伝大会に女子チームが初出場するので、大学としてバスツアーを出すことにした。その宣伝に参加。
夕方。
ゼミの後、近くの公園で「肝高の阿麻和利」の踊りの練習。
ぼくも歌で参加。一昨年は、三線(サンシン)を務めたが、今年は練習の時間がなく、間に合いそうにない。
写真を見ると、AYAさんだけが激しく踊っている。
公園で知ったのだが、マホラ君の芸がすごい。
1 2本の腕で身体を支え、
2 その足を縮めて、腕の間を通して、後ろに出し、
3 そのまま持ち上げて倒立する
4 足をさらに前に曲げてブリッジをして、立つ
見ほれて写真を撮るのを忘れた。今度。
稲刈り
月曜日(10日)。
ゼミの学生、地域の友人と、長野県望月町へ。
伊藤盛久さんとの、18年目を迎えた農業体験交流。
ぼくは実家から新幹線で向かい、途中でクルマに拾ってもらった。
今年、晴れ男のぼくは、やっぱり秋晴れの空に恵まれた。
1枚目は、かなたに浅間山、反対方向の2枚目はかなたに蓼科山。
モリちゃんに講習を受けてから、稲を刈り、束ねて、はぜかけ。
この日は、朝いつもより早く着き、みっちり仕事をした。
バーベキュー。田んぼでの、いい空気での食事はうまい。
学生は練習中の「肝高の阿麻和利」の踊りを披露。
そのあと、「農業と原発」についての学習会。
「親子バッタ(イナゴ)」「おんぶバッタ」と、学生が言い合っていた。
花の写真も多いが省略。
夕まぐれの里山。
まだ野焼きの煙が上がっていた。
ゼミの学生、地域の友人と、長野県望月町へ。
伊藤盛久さんとの、18年目を迎えた農業体験交流。
ぼくは実家から新幹線で向かい、途中でクルマに拾ってもらった。
今年、晴れ男のぼくは、やっぱり秋晴れの空に恵まれた。
1枚目は、かなたに浅間山、反対方向の2枚目はかなたに蓼科山。
モリちゃんに講習を受けてから、稲を刈り、束ねて、はぜかけ。
この日は、朝いつもより早く着き、みっちり仕事をした。
バーベキュー。田んぼでの、いい空気での食事はうまい。
学生は練習中の「肝高の阿麻和利」の踊りを披露。
そのあと、「農業と原発」についての学習会。
「親子バッタ(イナゴ)」「おんぶバッタ」と、学生が言い合っていた。
花の写真も多いが省略。
夕まぐれの里山。
まだ野焼きの煙が上がっていた。
2011年10月11日
ミツバチの羽音と地球の回転
鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー映画「みつばちの羽音と地球の回転」を観た。
原発に反対する山口県の祝島の人々を描いたものである。
中国電力が山口県上関町に原子力発電所の建設を決めたのは、29年前の1982年。予定地の対岸に位置する祝島の島民の9割は、ずっと反対運動を続けてきた。
島の自然は豊かだ。島民は海でひじきを採る、鯛の1本づりで生計を立てる漁師もいる。山では、びわを作り、豚の放し飼いも始まった。おばちゃんたちも元気だ。
でも建設が始まってから、海が汚れ、貴重な微小生物も絶滅している。
脱原発で、風力や波力発電をするスウェーデンの様子も取材されている。
小規模分散型の再生可能なエネルギー生産がめざされている。
題名は、ミツバチの羽音も地球の回転に影響を与えるかもしれないという意味で、そういうエネルギー生産のあり方や、人々の小さな努力の積み重ねへの期待を表明している。
この映画は、震災によるフクシマ原発事故よりも前につくられた。それだけに新鮮で衝撃的だ。
でもこの9月末の町長選挙では、ダブルスコアで原発推進派町長が当選した。
鎌仲さんは、この映画の前に「六ヶ所村ラプソディ」を撮った。
ぼくは、数年前、旅の途中で思い立ち、その映画に出てきた十和田の苫目地ヤス子さんの家を訪ねた。突然の、映画を観て来た、という訪問に驚かれた。以来、お米を送ってもらって食べている。
ところで最近、大江健三郎さんたちが呼びかけた脱原発の大きな集会が開かれた。しかし、東京新聞など一部を除いて新聞やテレビなどマスコミではほとんど報道されなかった。インターネットの世界だけで情報が交換されている。
これは、統制なのか自主規制なのかわからないが、ジャスミン革命前の独裁国家のようでもある。
原発に反対する山口県の祝島の人々を描いたものである。
中国電力が山口県上関町に原子力発電所の建設を決めたのは、29年前の1982年。予定地の対岸に位置する祝島の島民の9割は、ずっと反対運動を続けてきた。
島の自然は豊かだ。島民は海でひじきを採る、鯛の1本づりで生計を立てる漁師もいる。山では、びわを作り、豚の放し飼いも始まった。おばちゃんたちも元気だ。
でも建設が始まってから、海が汚れ、貴重な微小生物も絶滅している。
脱原発で、風力や波力発電をするスウェーデンの様子も取材されている。
小規模分散型の再生可能なエネルギー生産がめざされている。
題名は、ミツバチの羽音も地球の回転に影響を与えるかもしれないという意味で、そういうエネルギー生産のあり方や、人々の小さな努力の積み重ねへの期待を表明している。
この映画は、震災によるフクシマ原発事故よりも前につくられた。それだけに新鮮で衝撃的だ。
でもこの9月末の町長選挙では、ダブルスコアで原発推進派町長が当選した。
鎌仲さんは、この映画の前に「六ヶ所村ラプソディ」を撮った。
ぼくは、数年前、旅の途中で思い立ち、その映画に出てきた十和田の苫目地ヤス子さんの家を訪ねた。突然の、映画を観て来た、という訪問に驚かれた。以来、お米を送ってもらって食べている。
ところで最近、大江健三郎さんたちが呼びかけた脱原発の大きな集会が開かれた。しかし、東京新聞など一部を除いて新聞やテレビなどマスコミではほとんど報道されなかった。インターネットの世界だけで情報が交換されている。
これは、統制なのか自主規制なのかわからないが、ジャスミン革命前の独裁国家のようでもある。
2011年10月02日
文化団体
先週は忙しく、ブログを書くことができなかった。
金曜日から大学の後期が始まった。やっぱり学生がいるキャンパスは活気があっていい。
その金曜日、秋季卒業式。今年は53人と大勢になった。
昨日の土曜日午後、板橋区と共催の大学公開講座。今年のテーマは、「日本経済復興の精神」。震災をふまえてのテーマ。
夕方から、父母会主催の学生文化団体連合会の激励会。
こういう会を父母会がやってくださるのはありがたい。
ぼくは挨拶で御礼を言うのを忘れた。あらためて御礼申し上げる。
大学での自主的な活動は、学生にとっても大学にとっても重要だ。
文連に加盟している20数団体の紹介や活動報告を聞いた。音楽、美術、映画、演劇や、地域活動などの団体があり、書道部のように大学発足の時からの長い歴史を持つものもある。幹事長は89代目だそうだ。
100名を越す部もいくつかある。
このほかに幾多の同好会やサークルがあるから、参加者の総数はすごい数になるだろう。
父母の中には、ゼミの学生のお母さんもいた。
また、学生のHa君のお父さんは、20数年前のゼミ卒業生だった。
思わぬめぐり逢いもうれしい。
金曜日から大学の後期が始まった。やっぱり学生がいるキャンパスは活気があっていい。
その金曜日、秋季卒業式。今年は53人と大勢になった。
昨日の土曜日午後、板橋区と共催の大学公開講座。今年のテーマは、「日本経済復興の精神」。震災をふまえてのテーマ。
夕方から、父母会主催の学生文化団体連合会の激励会。
こういう会を父母会がやってくださるのはありがたい。
ぼくは挨拶で御礼を言うのを忘れた。あらためて御礼申し上げる。
大学での自主的な活動は、学生にとっても大学にとっても重要だ。
文連に加盟している20数団体の紹介や活動報告を聞いた。音楽、美術、映画、演劇や、地域活動などの団体があり、書道部のように大学発足の時からの長い歴史を持つものもある。幹事長は89代目だそうだ。
100名を越す部もいくつかある。
このほかに幾多の同好会やサークルがあるから、参加者の総数はすごい数になるだろう。
父母の中には、ゼミの学生のお母さんもいた。
また、学生のHa君のお父さんは、20数年前のゼミ卒業生だった。
思わぬめぐり逢いもうれしい。