2011年06月
2011年06月29日
中国の子ども
中国から帰ったのが夜中で、足かけ5日の旅行になろうかという遅くだったが、翌日朝早くから大学に出ている。そんなわけで、疲れが一度に取れない、年のせいか。
中国の子どもの服装で目立ったのが、この2枚のようにおしりのところが出ているズボン。トイレがしやすいようにということだと思うが、なんともかわいい。
頭髪では、モヒカン刈りが目立った。
一人っ子政策で、「小皇帝」のように大事にされているとも言う。
あとの写真、おばあちゃんが「カメラの方を向いて!」と言う(多分)のに、振り向いてもくれない。
他方、庭園で出会ったこの女の子、めっぽう愛嬌がいい。
「いい顔して」というと、日本語がわかるのか、こういう顔をするし、ジュリアナスタイルまでしてくれる。
世界中どこでも子どもはかわいい。
中国の子どもの服装で目立ったのが、この2枚のようにおしりのところが出ているズボン。トイレがしやすいようにということだと思うが、なんともかわいい。
頭髪では、モヒカン刈りが目立った。
一人っ子政策で、「小皇帝」のように大事にされているとも言う。
あとの写真、おばあちゃんが「カメラの方を向いて!」と言う(多分)のに、振り向いてもくれない。
他方、庭園で出会ったこの女の子、めっぽう愛嬌がいい。
「いい顔して」というと、日本語がわかるのか、こういう顔をするし、ジュリアナスタイルまでしてくれる。
世界中どこでも子どもはかわいい。
2011年06月28日
2011年06月20日
2011年06月19日
2011年06月15日
2011年06月10日
『震災歌集』
やはり枕元の1冊に長谷川櫂『日本人の暦』がある。
歳時記である。これで季節を感じることもある。
先日は、朝日の「新人脈記」に、40代で新聞記者をやめ俳句一筋の人生を送る長谷川さんが紹介されていた。
その長谷川さんが『震災歌集』を出した。俳人がなぜ短歌を、というのは本人もわからないと言う。自然の猛威、人々の哀しみ、政治への怒り、俳句に収まらなかったということか。
****************************
津波とは波かとばかり思ひしがさにあらず横ざまにたけりくるふ瀑布
乳飲み子を抱きしめしまま溺れたる若き母をみつ昼のうつつに
嘆き疲れ人々眠る暁に地に降り立ちてたたずむ者あり
見しことはゆめなけれどもあかあかと核燃料棒の爛れをるみゆ
火の神を生みしばかりにみほと焼かれ病み臥(こや)せるか大和島根は
浮き彫りの硝子花瓶の乙女らがかたかたと鳴り余震告知す
被災せし老婆の口をもれいづる「ご迷惑をおかけして申しわけありません」
原発をかかる人らに任せていたのかしどろもどろの東電の会見
かかるときかかる首相をいただきてかかる目に遭う日本の不幸
高飛車に津波対策費仕分けせし蓮舫が「節電してください!」だなんて
みちみてる嘆きの声のその中に今生まれたる赤子の声きこゆ
人々の嘆きみちみつるみちのくを心してゆけ桜前線
「日本は変はる」「変へねばならぬ」といふ若者の声轟然と起これ
歳時記である。これで季節を感じることもある。
先日は、朝日の「新人脈記」に、40代で新聞記者をやめ俳句一筋の人生を送る長谷川さんが紹介されていた。
その長谷川さんが『震災歌集』を出した。俳人がなぜ短歌を、というのは本人もわからないと言う。自然の猛威、人々の哀しみ、政治への怒り、俳句に収まらなかったということか。
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津波とは波かとばかり思ひしがさにあらず横ざまにたけりくるふ瀑布
乳飲み子を抱きしめしまま溺れたる若き母をみつ昼のうつつに
嘆き疲れ人々眠る暁に地に降り立ちてたたずむ者あり
見しことはゆめなけれどもあかあかと核燃料棒の爛れをるみゆ
火の神を生みしばかりにみほと焼かれ病み臥(こや)せるか大和島根は
浮き彫りの硝子花瓶の乙女らがかたかたと鳴り余震告知す
被災せし老婆の口をもれいづる「ご迷惑をおかけして申しわけありません」
原発をかかる人らに任せていたのかしどろもどろの東電の会見
かかるときかかる首相をいただきてかかる目に遭う日本の不幸
高飛車に津波対策費仕分けせし蓮舫が「節電してください!」だなんて
みちみてる嘆きの声のその中に今生まれたる赤子の声きこゆ
人々の嘆きみちみつるみちのくを心してゆけ桜前線
「日本は変はる」「変へねばならぬ」といふ若者の声轟然と起これ
2011年06月09日
梅雨葵
枕元にはいつも数冊の本が置いてあるが、今そのなかの1冊が倉島厚さんの『花の季節ノート』(写真は平野隆久)だ。
倉島さんは、かつてNHKの天気予報をしていた。同郷で高校の同窓でもあるので親しみを感じていたが、著書も好きだ。倉島さんは退職後鬱病にもなったが、そのときのすさまじい病状と、恢復の過程を描いた『やまない雨はない』には励まされた。
『花の季節ノート』には、写真のタチアオイのことも出てくる。
天保年間の『世事百談』からの引用だが、梅雨入り、梅雨明けがわからないときは、「花葵の花咲そむるを入梅とし、だんだん標(すえ)の方に咲終わるを梅雨のあくるとしるべし」とあるそうだ。
だから梅雨葵とも呼ばれる、と。
倉島さんは、かつてNHKの天気予報をしていた。同郷で高校の同窓でもあるので親しみを感じていたが、著書も好きだ。倉島さんは退職後鬱病にもなったが、そのときのすさまじい病状と、恢復の過程を描いた『やまない雨はない』には励まされた。
『花の季節ノート』には、写真のタチアオイのことも出てくる。
天保年間の『世事百談』からの引用だが、梅雨入り、梅雨明けがわからないときは、「花葵の花咲そむるを入梅とし、だんだん標(すえ)の方に咲終わるを梅雨のあくるとしるべし」とあるそうだ。
だから梅雨葵とも呼ばれる、と。
2011年06月08日
2011年06月07日
2011年06月06日
小山道夫さん講演
ヴェトナムのフエで、ストリートチルドレンのための「ヴェトナム子どもの家」をつくり、18年間運営してきた小山道夫さんが、東松山キャンパスで講演した。
国際関係学部のN先生の企画で行われたものだが、ぼくは5年前に佐藤ヨウサクさんに連れていってもらったことがある。とても勉強になり、楽しい旅でもあった。
「ヴェトナム子どもの家」は、「支える会」の東京事務所を持っているが、かつて7年間、その事務局長を務めたのはゼミの卒業生の大西昌典くんだった。また、現地でスタッフとして働いていた石岡寛子さんに会ったが、彼女は国際関係学部の卒業生だった。だから大学とも少し縁がある。
「小山さんに講演をしてもらうのは、大学にとって光栄であり、みなさんにとっては幸運だ」とあいさつ。
国際関係学部のN先生の企画で行われたものだが、ぼくは5年前に佐藤ヨウサクさんに連れていってもらったことがある。とても勉強になり、楽しい旅でもあった。
「ヴェトナム子どもの家」は、「支える会」の東京事務所を持っているが、かつて7年間、その事務局長を務めたのはゼミの卒業生の大西昌典くんだった。また、現地でスタッフとして働いていた石岡寛子さんに会ったが、彼女は国際関係学部の卒業生だった。だから大学とも少し縁がある。
「小山さんに講演をしてもらうのは、大学にとって光栄であり、みなさんにとっては幸運だ」とあいさつ。
2011年06月02日
「切り結ぶ」「教育実践」
「串刺し」と同様の言葉使いはまだある。
たとえば、「現代的課題と切り結ぶ」というようなときの「切り結ぶ」という言葉だ。これも教育学ではよく使われるが、数ヶ月前、ぼくがこの言葉を使った文章を書いたときに、広報の担当者から指摘された。
「切り結ぶ」は、「逃げないで、正面から格闘する」というような意味合いで使ったのだが、辞書を調べると、「刀の刃と刃をぶつけ合うようにして激しく切り合う」(『新明解国語辞典』第6版)という意味しか載っていない。
そうするとこれは業界用語(ジャーゴン)なのかと思い、これはその後使わないようにしている。
もうひとつ、「教育実践」ということば。これはもっと重要で、いわばキーワードである。昔、と言ってもいいくらい以前、ある編集者からも指摘されたし、実際に同業者の間でも議論したことがある。「教育活動」ではいけないのか、と。
「実践」という言葉は、辞書では「読書を通したり人から聞いたりして得た、また、自分で考えた主義・主張や理想を、自分で行動に移すこと」とあるが、何となく「修養」などが連想され、宗教的倫理的で古いイメージがあるのかもしれない。
たしかに日常語ではあまり使われない。
そうするとこれも業界用語だろうか。
「編成」もそうだ。
いまも「カリキュラム編成」などよく使用されるが、かつてはもうすこし広い意味で使われていたようだ。
このあいだ、学生がどこかの文献から引用しており、今の意味と違うので調べてみたら元は1949年の文章だった。軍隊用語の「編制」に近かったかも知れない。
「お飲物とか、お持ちさせていただいてよろしかったでしょうか」(『曲がり角の日本語』水谷静夫)も困るが、死語になる言葉や意味もあるのは仕方ない。
たとえば、「現代的課題と切り結ぶ」というようなときの「切り結ぶ」という言葉だ。これも教育学ではよく使われるが、数ヶ月前、ぼくがこの言葉を使った文章を書いたときに、広報の担当者から指摘された。
「切り結ぶ」は、「逃げないで、正面から格闘する」というような意味合いで使ったのだが、辞書を調べると、「刀の刃と刃をぶつけ合うようにして激しく切り合う」(『新明解国語辞典』第6版)という意味しか載っていない。
そうするとこれは業界用語(ジャーゴン)なのかと思い、これはその後使わないようにしている。
もうひとつ、「教育実践」ということば。これはもっと重要で、いわばキーワードである。昔、と言ってもいいくらい以前、ある編集者からも指摘されたし、実際に同業者の間でも議論したことがある。「教育活動」ではいけないのか、と。
「実践」という言葉は、辞書では「読書を通したり人から聞いたりして得た、また、自分で考えた主義・主張や理想を、自分で行動に移すこと」とあるが、何となく「修養」などが連想され、宗教的倫理的で古いイメージがあるのかもしれない。
たしかに日常語ではあまり使われない。
そうするとこれも業界用語だろうか。
「編成」もそうだ。
いまも「カリキュラム編成」などよく使用されるが、かつてはもうすこし広い意味で使われていたようだ。
このあいだ、学生がどこかの文献から引用しており、今の意味と違うので調べてみたら元は1949年の文章だった。軍隊用語の「編制」に近かったかも知れない。
「お飲物とか、お持ちさせていただいてよろしかったでしょうか」(『曲がり角の日本語』水谷静夫)も困るが、死語になる言葉や意味もあるのは仕方ない。