2010年11月
2010年11月30日
書
中野重治さんの、全集では4ページにも満たない短編だが、「菊の花」という名作がある。戦前、治安維持法で投獄されていたときに、差し入れられた菊の花に自分の境遇と感懐を重ねたものである。
ぼくは囚われの身ではないが、菊の花に慰められる境遇は同じである。
最近のこのブログは、写真と文章の乖離が著しい。
数年前、学生の卒業証書にぼくの署名を書く(印刷するのだが、その版下用)ことになって、ぼくは自信作を数枚持っていった。ところが採用されたのは、ぼくが何気なしに書いた、その数枚を入れた封筒に書いた署名であり、いたく傷つけられた、そのことはブログにも書いた。
今日もまた、新しい署名を求められて、今度は書道研究所に行って練習しようと出かけた。大学には全国で唯一、書道学科がある。
大学院生や研究指導員に教わりながら、5,60は自分の名前を書いた。
そこへ、珍しがってか、教授陣もやってくる。なにせ相手は日展審査員など名にしおう権威である。
「先生、どれがいい?」とぼくが訊くと、言葉を濁して退散していく。
これはきっと、素人であるぼくの書に恐れをなして逃げるのか、あまりのお粗末さにぼくを傷つけたくないと思うからなのか、どちらか。
ぼくは前者だと思うことにしたが、…落ち着かない。
この菊の写真はまずまずなので、クリックして観てください。
2010年11月28日
2010年11月27日
英語スピーチコンテスト
金曜日。午前中は、板橋で卒論指導。ここの紅葉も今が一番。
午後は、東松山校舎で、今年11回目を迎えた英語スピーチコンテスト。
予選を通った参加者20数人が、「一般」「留学生」「大学生」「高校生」の4部門で、スピーチを競った。
今年のテーマは、「Energy」(エネルギー)、ぼくは現代社会で問われる人間の「生きる力」について挨拶した。スピーチの内容の「人間ドラマ」にも感動したが、参加者の英語の達者なことに驚いた。4時間以上英語漬けで、ぼくも上達したような気になった。
このコンテストは、「学生だけで企画、立案、実施する行事であり、本学の理念、教育目標が学生によって具体化されていることを示すものである」と評価されている。
アトラクションのダンスにも感嘆した。
午後は、東松山校舎で、今年11回目を迎えた英語スピーチコンテスト。
予選を通った参加者20数人が、「一般」「留学生」「大学生」「高校生」の4部門で、スピーチを競った。
今年のテーマは、「Energy」(エネルギー)、ぼくは現代社会で問われる人間の「生きる力」について挨拶した。スピーチの内容の「人間ドラマ」にも感動したが、参加者の英語の達者なことに驚いた。4時間以上英語漬けで、ぼくも上達したような気になった。
このコンテストは、「学生だけで企画、立案、実施する行事であり、本学の理念、教育目標が学生によって具体化されていることを示すものである」と評価されている。
アトラクションのダンスにも感嘆した。
秋葉忠利広島市長
昨日(木曜日)。朝、病院へ。血圧の薬を少し強くしてもらった。
病院は社交の場でもあるらしく、知り合い3人に会った。
写真は、モミジ、ドウダンツツジ。橙色のきれいさ。
午後は、東松山校舎で広島市長の秋葉忠利さんの講演を聴いた。
これは、同僚の3人の先生方がオムニバスでやっておられる「愛」についての授業の一貫として行われたもの。3人のお一人のT先生が秋葉市長の高校時代からの友人で、その縁で実現した。
秋葉さんは、原爆の被害から、そこは自然科学者らしく語り始め、被爆者の生の体験を伝えながら、被爆者の思いや、「被爆体験の底にひそむ愛」について語った。
そのなかで、「被爆者の3つの足跡(本では「勝利」とされている)」として、
1 死を選んでもだれも非難できない状況のなかで、生きる道を選び、生き続けたこと、
2 被爆体験を語り続け、3度目の核兵器使用を阻止したこと、
3 復讐や敵対という世界観を捨て、和解の哲学をつくり出したこと、
をあげた。
風邪のために話の抑揚をつけられなかったと、終わった後の喫茶店で自らおっしゃっていたが、淡々としながら、しかし体験に裏づけられ想像力に満ちた語り口で、感動を呼び起こす強い力があった。学生たちも真剣に聴き、質問者の列が並んだ。
2010年11月25日
2010年11月24日
2010年11月23日
2010年11月22日
2010年11月20日
2010年11月19日
長野の紅葉4 −平塚らいてう記念館
昨日も一日仕事。どうしても早朝に目が覚めてしまい、机に向かう。年のせいもあるか。
長野からの帰りは、菅平から吾妻渓谷に方に向かうことにした。
ふと、そうだ平塚らいてう記念館があるはずだ、と思いだした。記念館は2006年に開館している。一度訪ねたいと思っていたが、この日まで果たせなかった。
記念館は、四阿山の登山口近くにあった。
雪に閉ざされる冬は閉館となるため、この日は今年最後の開館日だった。幸いだった。さらに幸いだったのは、館長で歴史学者の米田佐代子さんがちょうどいらしたこと。20年ほど前、数年間、研究所の委員としていっしょだった。突然の訪問に驚き、歓迎してくれた。
この写真は、らいてう記念館から少し下ったところ。
山が燃え、山また山の向こうにアルプスを望む。
2010年11月18日
2010年11月17日
2010年11月16日
2010年11月14日
同窓会
ラグビーの応援。この日こそわがチームが勝つだろうと勇んで出かけた。後半15分くらいまでは何とか頑張ったが、勝ち越されると集中力が切れたのか、つぎつぎと防御ラインを突破され、終わってみると惨敗だった。
夜は、銀座日航ホテルで高校同期の同窓会。
東京と長野で隔年開催されていて、ぼくは4年ぶりの参加。
会なかば、クラスごとに前に出て一人一人近況報告をするのだが、わが2組は10数人の参加。
ぼくが名前を言うと、何十年ぶりかに再会したタッちゃんが、「うそだろう、お前がOのはずがない、おれはOと認めない」と大騒ぎ。痩せていて妻夫木聡のようだったのが、変わり果てた姿になって、という詠嘆。仕方なしに血圧降下剤のことを話した。
ぼくのあとが都副知事の猪瀬直樹、「おれはOと違って、3ヶ月前からジョギングをしている」と威張っていた。たしかに痩せた。
写真は、同窓のMさんの主宰するハワイアンのアトラクション。
夜は、銀座日航ホテルで高校同期の同窓会。
東京と長野で隔年開催されていて、ぼくは4年ぶりの参加。
会なかば、クラスごとに前に出て一人一人近況報告をするのだが、わが2組は10数人の参加。
ぼくが名前を言うと、何十年ぶりかに再会したタッちゃんが、「うそだろう、お前がOのはずがない、おれはOと認めない」と大騒ぎ。痩せていて妻夫木聡のようだったのが、変わり果てた姿になって、という詠嘆。仕方なしに血圧降下剤のことを話した。
ぼくのあとが都副知事の猪瀬直樹、「おれはOと違って、3ヶ月前からジョギングをしている」と威張っていた。たしかに痩せた。
写真は、同窓のMさんの主宰するハワイアンのアトラクション。
2010年11月13日
血圧
これは、職場の仕事部屋を出たところで撮ったキャンパスの写真。
今日、血圧降下剤を飲み始めた。
ぼくは青年時代まで低血圧症で、上が100まで上がらないこともあった。(栄養失調だったのかもしれない。)
それが加齢と体重増加とともに上昇し、5年ほど前には150/100くらいになった。医者に血圧降下剤を飲むことを勧められたが、体重を落として血圧も下げてみせると、ダイエットと運動を始め、体重は3ヶ月ほどで6キロ落とし、血圧も上下それぞれ10くらい下げた。(そのころはカンサンジュンのような顔になった。)
ところが運動が過ぎたのか、手足にしびれがきて、運動をやめ、タバコも再開して、体重も血圧も元に戻った。
2週間前から生活が一変した。一日、仕事部屋を中心に職場にいて、家へ帰っても仕事のことを考え、寝ても夢でも考えているうちに、朝起きたら頭が重い。血圧は160/110になった。
昨日、医者に行って血圧降下剤を飲むことになった。
その第1日というわけである。
今日、血圧降下剤を飲み始めた。
ぼくは青年時代まで低血圧症で、上が100まで上がらないこともあった。(栄養失調だったのかもしれない。)
それが加齢と体重増加とともに上昇し、5年ほど前には150/100くらいになった。医者に血圧降下剤を飲むことを勧められたが、体重を落として血圧も下げてみせると、ダイエットと運動を始め、体重は3ヶ月ほどで6キロ落とし、血圧も上下それぞれ10くらい下げた。(そのころはカンサンジュンのような顔になった。)
ところが運動が過ぎたのか、手足にしびれがきて、運動をやめ、タバコも再開して、体重も血圧も元に戻った。
2週間前から生活が一変した。一日、仕事部屋を中心に職場にいて、家へ帰っても仕事のことを考え、寝ても夢でも考えているうちに、朝起きたら頭が重い。血圧は160/110になった。
昨日、医者に行って血圧降下剤を飲むことになった。
その第1日というわけである。