2010年05月

2010年05月31日

ムサシ

ムサシだいぶ前の過日、埼玉芸術劇場で、井上ひさし作、こまつ座・ほりプロほか共同制作、蜷川幸雄演出の「ムサシ ロンドンNYバージョン」を観た。これは、友人のAさんが行く予定で買ったチケットを、仕事ができて行かれなくなり、泣く泣く譲ってくれたもの。

鎌倉の禅寺・宝山寺が開山することになり、その寺開きの参籠禅が執り行われることになった。柳生宗矩や沢庵和尚らとともに宮本武蔵が参加している。そこに、巌流島の決闘で敗れはしたが、一命をとりとめた佐々木小次郎が復讐の念に燃えてやってくる、という設定。

井上作品らしく、とにかく面白く、とくに前半は抱腹絶倒の連続。
ぎょっとしたのは、ムサシが「日本では、人を殺すことが許されている場合が2つある」というくだり。ぼくはこのブログで似たようなことを書いたばかりだったから。芝居の中では、1つは三種の神器を持っている場合(権力者)、2つは1人を殺すことが万人の死を救うと考えられるとき(死刑もそのひとつだろう)と説明される。

作品は復讐の連鎖がいっそう大きな悲劇を生むことへの警句に満ちており、作者はおそらく9.11以降の欧米社会へ日本からの平和のメッセージを伝えたかったのだろうと思う。

蜷川演出は、こまつ座や地人会とは趣を異にし、舞台は大がかりだし、芝居もエンターテインメントとして洗練されている。



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望月の田植え

佐久平ケシ1佐久平ケシ2佐久平ケシ3






望月の田植え。17回目になる。

6時半に川越駅に集合してクルマ5台に分乗して出発。団体行動は、遅刻があったり、トイレに時間がかかったり、迷うクルマがいたりして何かと大変だが、今年はスムーズに行けた。

佐久平インターの出口で最後の集合。

10田植え310田植え110田植え2






ゼミは教育実習とぶつかった学生も多く、4年生は3人だけ。3年生は初めての学生も多い。その代わり、卒業生が4人、中国からの留学生、大学職員のSさんも参加。(去年大学で開いた学会で、若いSさんは学生の兄貴分のように手伝ってくれた。)元「月刊社会教育を読む会」のOさんも孫のケイ君を連れて同行。

はじめは太陽ものぞいたが、おおむね曇り。でも囲む緑に神経が溶かされていく。
水は少し冷たかったが、学生はきゃーきゃー言いながらやった。

10田植え610田植え410田植え5






参加者がそれぞれ自己紹介や感想を述べて交流。
大学からはほかに早稲田大学の友人のHゼミが約20人。長野大学のOB。Toちゃんと家族、カナダのお知り合い。K小学校の親子。最後は、今年89才になるモリちゃんのおばあちゃんの挨拶で〆。

望月荘で温泉に入り、疲れを癒した。

ぼくも今年は差配だけでなく、自分でもみっちり田植えをしたので、一夜明けた今も疲れが残る。

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2010年05月29日

新宿の姿

今年の8月に開かれる「全国教育の集い」の準備会が麹町であった。
同じ職場の同僚が、ぼくも含めて4人も出ていた。
全国からのなつかしい顔もある。

四季の路そのあと、T子さんのおねえさん、Yさんの写真展が新宿で開かれており、顔を出した。昨日お会いしたばかりだが。今回のテーマは女性のヌード写真。身体とは何だろうか、と。

そこに行くには、区役所前の「四季の路」を通る。
繁華街のすぐ横にこんな道がある。

ゴールデン街1ゴールで街2ゴールデン街3






すぐ脇はゴールデン街。開店前はわびしい。

花園神社1花園神社3花園神社4






花園神社2帰り途、お囃子の音が聞こえてくるので足を向けると花園神社の祭礼だった。
神楽が奉納されていた。

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命日

新任の教師として夢ふくらませて赴任しながら自ら命を絶ったT子さんの3回目の命日である。

サクランボ1サクランボ2サクランボ3






クルマで行く途中立ち寄った千代田PAの桜の樹は、サクランボの実をたくさんつけていた。

奥津城T子さんのお墓は、林のなかにあり、そこだけ光があたっている。奥津城という漢字がふさわしい。花と、かつていっしょにつくったお米からできたお酒「信濃のかたりべ」を手向けた。
ご家族と一緒に食事をいただきながら偲んだ。


久敬会1久敬会2久敬会5






いったん家に戻り、池袋で開かれた学科の非常勤の先生方との懇談会。ついで学園全体の懇親会。
今年のアトラクションは学生の室内楽。
事務の裏方の人たち、ブログに載せるように、というので。


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2010年05月28日

畑と雲

ナス10.5キューリ10.5トマト10.5






最近収穫したのは、小松菜、春菊、絹さや。でもいずれもじきに終わり。
なす、キュウリ、トマトが花が咲き、小さな実をつけ始めた。写真でわかるだろうか。

ニンニク10.5デイジー10.5ニンニクとデージー。






雲1雲2雲3






雲。同じ日、多分同じ時間に同じ雲を見ていた友人が同じ写真を撮っている。
彼は、この雲をミケランジェロの作品に見立てている。ぼくのはレンズが短くて迫力に欠けるが。

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2010年05月27日

ダメな奴

ぼくは、オレはなんてダメな奴だんだろうと1日に10回くらい思う。この重さは10段階あるが、1〜3段階くらいは、出かけるとき財布を忘れた、タクシーで財布を落とした、講義がうまくいかなかった、わけも聞かず学生を叱った、原稿が書けない、原稿を書かない、お酒が過ぎた、腹がたるんだ、たばこをやめない、発言すべき時にしなかった、すっくと立たなかった、などなど。他者や社会に関わるほど思いは重い。反対に、よしっ、やった!と思うのは年に10回くらい、この比率を何とか逆にしたいのだが。

以下、*印がそういう思いの時。
昨日は授業(*1)のあと、長野のKさんに電話をして、先日送ってもらったクルマの中に、出たばかりの『教文会議40年史』を忘れていなかったか(*2)尋ねていた。(あった!)電話中に、携帯のほうにさる役所から電話があり、聖徳太子さながら両方と同時会話したが、「今どちらですか?」とあわてた声。そうだった、今日は会議の日だ、今始まる時間だ、自分が行かなければ始まらない!(*3)あわててタクシーに飛び乗ったのが間違いで、こういう時にかぎって渋滞(*5)……ついつい夜の酒も過ぎた(*6)。ほかの*は省略。

そういうことにかかわらず、花は美しく咲く。

ウツギ10.1ウツギ10.2ウツギ10.3






ウツギ10.4うつぎ10.4更級ウツギも咲いた。

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2010年05月26日

雨のウツギ

雨のウツギ2雨のウツギ3雨のウツギ1






短信

1 青年劇場の俳優・広戸聡さんは、NHK朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」の方言指導を担当しているが、今日の放映分に喫茶店のマスターの役で出ていた。端役だが演技はさすがと伺わせる。

2 辺野古の問題に関して、先日総理官邸に送ったメールに返信が来た。
「ご意見等を受領し、拝見しました」。自己満足のようでもあるが、何かをしなければというせっぱ詰まった思い。

3 今年もこのウツギが咲き始めた。


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教育は貧困にどう立ち向かうか

平和文化平和文化の本が出た。ぼくは最終章を担当した。
貧困と格差は社会がつくり出したものだが、教育はその再生産に加担する側面と、それに抵抗し緩和する可能性を持つ。学校が福祉的な機能を高めること、そのために教師の「教養」を見直すこと、当事者の生徒にどういう力をつけるか、などについて書いた。

白鳥さんはじめ、現場でこの問題にとりくむ執筆者たちのリアリティが迫力を持つ。
憲法の精神を説くことから始めて、先頭に立って貧困に立ち向かう校長先生がいることに感動する。

編集者の熱意で引き受けたのだが、ぼくには初めてのテーマで苦労した。

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2010年05月25日

綺羅、星のごとく

今日のゼミ、急に思い立って望月町について学習した。
来週望月町で田植えなのだが、ただ自然と親しみ、田植えの体験学習をするだけが目的ではない。
望月町の内発的発展をめざすまちづくりと、その土台をつくった社会教育について考えるのが主題だ。

急遽3年生を中心に調べ、報告してもらったが、あらためて田植えを世話していただく伊藤盛久さんをはじめとする「かたりべの会」の人たちは、みんなすごい人生を歩んでいると思う。それは、その人の力もあるが、集団の他者との関わりのなかで発揮されたものだと思う。綺羅、星のごとく、である。

綺羅という言葉の「綺」は綾織りの絹、「羅」は薄絹のことで、きれいな衣服のことをいう。綺羅、星のごとく、というのは、きれいな衣服が並んでいるさまをいうのだが、ぼくはむかし、「キラ星(ぼし)のごとく」と、つまりきらきらした星(キラ星)がたくさんあることを言うのだと思っていた。

富塚今日来た『月刊社会教育』の最新号に、Tさんが「地域と共に歩む公民館だより」という文章を書いている。内容がよくてとても説得力がある。文書も平明で、やさしい人柄もよくあらわれている。長いつきあいだが、あらためて見直した。
彼もゼミの卒業生である。
綺羅、星のごとく、である。


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2010年05月24日

味噌造り

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長野は日曜日、終日しとしと雨。
連休のときにみっちり草を取ったせいか、例年よりは少ない感じ。
牡丹が終わり、アイリスとツツジの季節。

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味噌を自家製で造り始めて3年目。もっともこれまではHさんに教えてもらいながらだったので自力では初めて。豆は3キロ、5キロと増やしてきたが、今年は8キロに挑戦。豆をつぶすのは去年までは「もちっこ」の機械に頼ったが、今年はそれもないので、すり鉢を使い、また足で踏んでつぶすことにした。2日前から浸した豆を8つの鍋で煮て、つぶす。1日中、足踏みとすりこぎ。同量の糀、半量の塩を混ぜて、桶にたたきつけて完成。

ダイエットにはなったが、くたくた、今日月曜日までひびいた。

味をみるのは一年後になるから気の長い話だ。
こういう作業をしていると、母親のことを思い出す。

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長野高校教文会議

長野教文1長野教文2土曜日。午前中、研究所の会議に出て長野へ。高校教育文化会議の40周年記念。挨拶で、教育学研究におけるこの会議の意味と、院生の時から勉強に来てともに歩ませてもらったお礼を述べた。

原さんは記念誌の編集を担当した。

最後の大合唱は、豊田町出身の高野辰之「ふるさと」である。長野の人は、東京のどこの飲み屋でも「信濃の国」を歌ってひんしゅくを買うが、実は長野では歌わない。

2次会は会場内で設定されており、3次会は恒例の油屋さんで。

Tさんの「花をおくろう」、Y先生の「妻をめとらば」、Hさんの「霧の摩周湖」に伍してぼくは「太陽の子」を歌った。今は、沖縄!

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2010年05月22日

シャクヤク

シャクヤク1シャクヤク2シャクヤク3






昨日は真夏日。
写真は、一昨日雨のシャクヤク。今年のシャクヤクは、豊作。

ブログの文字が小さいとクレームをいただいた。
大きくしているのだけれど、ときどき自分で勝手に小さくなってしまう。
でも今は大きいはずなのだけれど。どうしてなのだろうか。

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2010年05月21日

はるかな過去、遠い世界に

ハイビスカス1昨日、6月に出る雑誌の表紙写真を選んだ。今は沖縄しかないと思い探したが、探すのに時間がかかり、いい写真もありそうでなく、手間がかかってしまった。掲載されるのは、この写真ではない。

先日、若い人と沖縄について話した。今を考えるにつけ、過去のこと、たとえば沖縄戦を忘れてはならないと。その際、加藤周一『私にとっての20世紀』の次のような文章を紹介した。加藤さんは、「日本人はなぜ外で起こっている殺戮に対して無関心でいられるのか、外で起こっていることと自分たちの選択との距離をどうふうに縮めて行くことができるのか」と問い、日本人は「過去や未来との関係において現在の行動を定義することが少ない」ことを問題にしている。(この場合、「日本人」は「本土の日本人」である。)

沖縄戦は本土の犠牲にされたという側面を持ち、集団自決は軍隊とは何かを考えさせられるからである。

ただ今の沖縄の問題に対する態度の選択は、沖縄戦の歴史を知らなくてはできないというのではない。「戦争に反対する動機は、客観的な理解過程ではなくて、一種の倫理的正義感である。つまり子ども(人間)を殺すのは悪いということがある。それでためらうことはない」。そこであいまいにすることはできない。

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2010年05月20日

ワジワジー

第3日95ワジワジー。怒り、焦燥、やるせなさ、などの気持を言うウチナーグチ(沖縄語)だそうだ。普天間基地移転問題で、いったん夢を与えられながら、いっこうに進展しない状況に、いま沖縄はワジワジーの心理状態が広がっているという。

それは政府だけでなく、本土の人間(ヤマトンチュー)にも向かう。「沖縄は日本だと本土は本当に思っているのか」と怒り、「痛み受けとめぬ本土にがっかり」している、コザ暴動と同じくらいの怒りがたまっている、と。「真剣に悩み、受けとめなければならないのは本来、沖縄の人たちではなく、日本人すべてのはずだ。…問われているのは、私たちである」と、5月13日の朝日の記事は結んでいた。

ぼくはこの問題が起こったときから、15年、毎年沖縄に出かけ、辺野古の海を訪ね、現地の人々の話を聞いてきた。ジュゴンを守ろうと粘り強く運動を進める東恩納琢磨さんはじめたくさんの人々の話を聞いてきた。何ほどもできないぼく自身にも向けてぼくもまたワジワジー思いを強めている。

今朝の朝日新聞の朝刊で、米軍普天間基地の移設問題で、日米両政府が辺野古移転を明記した共同声明の最終調整に入ったと報じられている。この海が基地になる。

しかし今ここで「結局」、「やっぱり」、とあきらめるのは傍観者の立場になってしまう。
まずは、「それだけはなんとしても止めてください」と総理官邸の意見箱にメールを送った。

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2010年05月19日

葵アオイ2葵が咲き始めた。
調べてみると、実はアオイはものすごく大きな属で、ムクゲもオクラも綿も、それからハイビスカスもみんなアオイ属らしい。
ぼくがアオイだと思っていたこの花は、ゼニアオイというらしい。
この花を見ると、夏を感じる。

火曜日夜は、編集会議。青年論について論じた。

今日は、授業のほか、来客が2件。いずれも自治体行政関係の仕事の打ち合わせ。
電話も多いので、無理をするな、と事務のS君が心配してくれる。

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2010年05月18日

埼玉平和資料館

平和資料館5.18学生と、埼玉平和資料館に見学に行った。緑が美しい。

今年の学生は、メモもよく取るし、どんどん質問してきて気持ちが良い。

「最後の熊谷空襲」のアニメを初めて見た。
1045年8月14日の深夜に熊谷空襲があり、何人もの人が死んだ。あと12時間で終戦というときだったのに。

命の尊厳が言われ、人を殺しては行けないということは疑うことの許されない公理のようになっている。しかし、今の社会で合法的に人を殺すことが許されていることが二つある。死刑制度と戦争だ。原理的に考える必要がある。

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2010年05月17日

整枝

この時期の植物は伸びるのがすごく早い。
庭の植裁の整枝剪定をした。

畑1。1畑1.3畑1.5






畑ではスギナが伸び放題。デイジーも繁殖力がすごい。
小松菜は、モンシロチョウの青虫用、のつもりはないのだが。
ウドは1本だけついた。

畑1.2畑1.4キジ







去年の残りのイチゴが実をつけている。
ナデシコもむかしなつかしい花。
畑のとなりの藪に棲むキジが、ケーン、ケーン、と啼きながら、散歩する。

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2010年05月16日

「月あかりの下で」上映の実行委員会

映画「月あかりの下で」を地元で上映したい、ついては協力してくれそうな人に相談したいと思い、何人かの人に呼びかけて集まってもらった。

土曜日夜、上福岡西公民館。Oさんも言っていたのだけれど、ここは「東上沿線月刊社会教育を読む会」など、ぼくらの地域活動の拠点にしていたところ。ご無沙汰していたので、ほんとうになつかしい会場。

かつて演劇鑑賞などいろいろなイヴェントをいっしょにやってきた人たちに声をかけたところ、19人もの人が集まってくれた。「義理で来た」という人が圧倒的に多かったが、まあ世の中義理と人情だ。そして今の時代、それは高倉健さんの時代よりも大事で貴重だ。

強者(つわもの)どもが侃々諤々。まだ入ったばかりのぼくのゼミ生も目を丸くしていた。
でもなんとか7月31日に、上福岡西公民館ホールで3回上映ということで決まった。

そのあと、分福で交流会。ここもとてもなつかしく、むかしの地域活動の気分。
試写DVDを持って参加してくれた制作・配給の「グループ現代」のSさん、ワーカーズコープのUさん、Vさんも参加。

若い(若かった)友人のS君、N君も元気だったのは、ぼくにはことさらにうれしかったが、1時近くの終電に間に合うように駅に向かったぼくらの気配りを無視して、二人はカスバの街に消えていった。

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2010年05月15日

ポピー

ケシ1ケシ2ポピー2






ケシ3ケシ5ケシ4






ケシ6ケシ8ケシ9






ケシ7ケシ91船津さん、今年はポピーの花畑をつくった。
花には一つひとつ個性がある。

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2010年05月14日

雑草

雑草1雑草3斑入りオオバコ






庭は雑草でいっぱいだが、今ものすごく繁茂しているのは、左の雑草。
葉っぱがニリンソウと似ているし、花も二つずつ咲くのだが。
この花は鉢に入り込み、栄養が良いのか特別に花が大きい。

先日草取りをしていたら、斑入りのオオバコをみつけた。
数年前、鉢で育て、去年種をばらまいておいたものだろう。1本だけ出ていた。


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2010年05月13日

小説『プレシャス』

小説『プレシャス』映画の原作でサファイアという人が著者。
 映画化されるときに著者が一番心配したのは、「原作はプレシャスが読み書きを覚え、自我を獲得する過程を焦点としているが、それを映像で描くと退屈なものになってしまうだろう」ということだったと言う。
 でもぼくがプレシャスの文字習得の場面に注目したように、映画は勘所をよく押さえており、原作に忠実だと言える。それどころか、「居場所」や「母親への理解」など原作以上に原作の趣旨を伝えているとも言える。

 小説を読んで、映画を観ていないとしても、これは小説としてもとても面白いと思った。
 貧困や家庭の崩壊という社会問題をテーマにしつつ、文字を獲得していく識字の話でもある。だからプレシャスの語りのかたちでつづられる小説の最初は、ほとんどひらがなで言葉も口語体だ。単語も間違いだらけ、書くことを習い始めると鏡文字も出てくる。
 読み書きの修得とともにしだいに漢字も増え、文章も整ってくるし、プレシャスの視野がひろがり、自分への自信や他者への理解も獲得されてくる。

 アメリカのオルターナティブ・スクールについて部屋にある本を見てみた。
 金子郁容『コミュニティ・スクールの構想』、ジョー・ネイサン『チャーター・スクール』、鵜浦裕『チャータースクール』など。そうしたら、ハーレム地区のオルターナティブ・スクールはアメリカで最も成功した事例として紹介されていた。ぼくは、覚えていなかったが、赤線もきちんと引いていた。映画が、ようやく勉強していたことと結びついた。著者のサファイアはそこで教師をしていた経験もあるといい、教師「ミズ・レイン」は自らがモデルであるのだろう。

 ただ、チャータースクールについては、厳しい批判もある(山本由美『ベストスクール』、など)。これらの学校の多くは、企業が経営するようになっており、営利事業の色彩を強めている、結局公費を削減するためのものである、というものである。

 日本では、不登校、中退、「落ちこぼれ」などによって学校から排除された若者たちは広域通信制やサポート校、フリースクールに通う実態が生まれており、NPOなど良心的なとりくみもあるが、企業の馬草場にもなっている。

 ついでに、これが最も重大だが、文部科学省の政策の目玉のひとつとする「地域運営学校」(コミュニティスクール)は、アメリカの「もうひとつの学校」がモデルだとされる。住民や子どもが要求する「良い学校」をつくることになるのか、公教育の縮小につながるのかが問われる。

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紅と白

カタバミ1カタバミ2カタバミには紅と黄色があることは知っていたが、白いカタバミがあることを発見した。前の家の道ばたに咲いていた。


シラン1シラン2シランの季節。紫蘭と書くくらいだから、赤紫の花が本家なのだろう。ずっと前に真っ白なシランを植えたが絶えてしまったようだ。そのかわりに口紅がピンクの花が咲き始めた。混血だろうか。

思えば、この赤紫の色を写すデジカメを求めてぼくのデジカメ研究は始まったのだった。

連休に小さな子どもたちが置きみやげにしていった風邪に家族中が感染した。ぼくだけが仲間はずれだったが、昨日から大取を務めている。全滅状態だ。
昨日、朝からそわそわしていて、授業だけは何とかやったが、午後になるとつらくて、夜の仕事はキャンセルさせてもらった。
夕方帰って寝て、食事だけ起きたが、今朝までひたすら寝た。少しいい。

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2010年05月12日

緑浴

緑の森1緑の森2フォレストストーリー






今緑がきれい。
岩殿観音とは反対側にある物見山公園へ行く道。
CDは「西の魔女が死んだ」の映画の音楽。小鳥のさえずりも入った癒しの音楽。

P1010018P1010014P1010070






これらの写真は、絵はがきにして使っている。
写真は、もう数年前の由布院。亀の井別荘。

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岩殿観音

雨の花1雨の花2火曜日。この日は終日細かい雨が降っていた。花も雨に濡れて。

長野県泰阜村のNPOグリーンウッドの辻さんにゲストスピーカーとして来てもらい、山村留学をはじめとする自然体験教育について特別講義をしてもらった。
ぼくもいっしょに伺ったが、毎年話の重点を少しずつ変えてくれるせいか、ぼくもまた新しい発見があった。世のため人のための「学力」、人とつながる「学力」という話をされた。

岩殿観音1岩殿観音2岩殿観音3






岩殿観音5岩殿観音4Mさんとともに、昼食に。大学の裏手に岩殿観音がある。その門前に昔ながらの蕎麦を出す店があったはずと、行くとうどんやになっていた。前の店は、T村に越したとのこと。手打ちの素朴な味わいでおいしかった。

夜は麹町で研究会。

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2010年05月11日

庭の花

やまぶき?えびね






連休明けの本格的な再開。

今の季節はたくさんの花が咲いて撮るのが忙しい。
ヤマブキの花びらは、咲いてしばらくすると脱色して白くなる。
エビネは去年すべて植え替えたが、時期が遅く根が傷んだのか、5鉢だけ咲いた。それもほとんど黄色系、黄色は強いということか。

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2010年05月10日

『「あヽ野麦峠」と山本茂実』

山本 野麦峠 著者は、山本和加子さん。山本茂実さんの夫人である。

『あヽ野麦峠』は、長野県の諏訪地方の、近代最初の産業であった製糸工場で働いた女工さんたちの記録である。県内はもとより遠く飛騨地方から10才を越えたくらいの少女たちが集まって働いた。その飛騨から諏訪への峠が野麦峠である。稼いだお金を持って帰った女工さんも多かっただろうが、結核を患って戻される少女や、子どもを孕んで帰る途中に産み落とした者もいたという。ただなまってなのかもしれないが、「ノウミ(野産み)峠」とも昔の人は言ったという。
 映画にもなった。大竹しのぶなどが出た。

 著者は、360人もの経験者に会い、ひたすらそれを記録した。
 その手法は、『山びこ学校』など生活綴り方教育の影響を受けて社会教育の学習運動として発展した生活記録の方法であることで注目された。生活綴り方や生活記録は、『母の歴史』や『えんぴつを握る主婦たち』などの作品を生み出し、歴史学の石母田正、社会学の鶴見和子、文学の小田切秀雄などが、日本で初めての民衆的学問と評価した。

 この本を読んであらためて認識したのは、『あヽ野麦峠』を作品化する前に、山本さんが主宰して人生記録雑誌『葦』を出していたことだ。1950年代から農村だけでなく都市青年にも読まれ、各地に「葦の会」がつくられていった。
 これを嚆矢として、寺島文夫さんの『人生手帳』が出、ぬやまひろし(西沢隆二)の『グラフ若者』も出された。さらに商店などに働く若者を中心に「若い根っこの会」もつくられた。60年代には、いずれの青年サークルも活発であり、ぼくもセツルメントを通して関わった。
 経済成長とともに青年が都市に移動し、農村が中心だった青年団が勢いをなくしてくるなかで、こうした都市型青年運動が必要とされたということだろう。青年の家、青年会館が都市でつくられるのもこのころである。しかし、青年に占める学生の比率が圧倒的になり、また青年の生活と意識も変化するなかで、どこか農村的な性格を持っていたこれらの運動は今はほとんど見る影もない。
 新しいコミュニティ、ユートピアはどんなかたちであらわれるのか。

 この伝記は奥さんが書いた。回想録ならともかく、きちんとした考証もあるこういう仕事を夫人がやるというのはめずらしい。山本茂実を夫として書いたのではない、と断っている。「夫として書くと、人物がしだいに小さくなっていくのです」。「夫は家庭人に向いていない人でした。子育てのことや生活習慣のことなどでソリが合わなくなり、溝ができ、自分から孤立していきました」。わがこととしてつらい。
 

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ナガミヒナゲシ

ナガミヒナゲシ名前も知らないで、アップしたこの花、ナガミヒナゲシというのだそうな。教えてもらった。青森にはまだない、とも。

ネットで調べると、地中海あたりからの外来種だそうで、ものすごい繁殖力を持っていて、人によっては在来種への影響が大きいので、見つけたら早期駆除を呼びかけている人もいるようだ。

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2010年05月09日

郵便局の帰り

あやめけしヒメジオン







一気に夏の気配。
郵便局の帰り道。

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2010年05月08日

北林谷栄さん

北林谷栄さんが亡くなった。
劇団民芸の創立者の一人であり、映画やテレビなどでも「御婆さん」役として広く活躍した。

ぼくが大学院生でまだ川崎に住んでいた頃、1970年頃だろうか、友人のもっちゃん(望月さん)が呼びかけて青年労働者の『資本論』の学習会が始まり、ぼくも混ぜてもらった。講師は堀江正規さんが務めてくれた。堀江さんは、当時は立教大学だっただろうか、経済学の泰斗でありながら労働者教育にも情熱を注いだ。予習の仕方が変わっていて、「読んでいく」のではなく、大学ノートの開いた左ページに全文を書いていくというもので、余白の右ページをノートにする。怠け者のぼくは、文庫本を破いて貼りつけるようになった。裏表があるので2冊必要だった。
高度成長のまっただ中で京浜工業地帯の鉄、化学産業で働く人たちが参加していたほか、教師もいた。(その10数年後、ぼくがロンドンにいて息子の一人が通った日本人学校に、そのときいっしょだったS先生がおられて再会した。)

その学習サークルに通ってきていたのが、北林さんだった。50代だったろう、大田区蒲田に住んでおられた。学習会でも、そのあとに行く喫茶店でも一番よくしゃべるおばさんだった。もうおばあさん役として有名で、役作りのことや、どうやって古着を集めるかというようなことを話してくれた。

ぼくにとっては、中学生の頃見た映画「キクとオサム」が圧倒的だった。「にゃんちゃん」や「キューポラのあるまち」、その後の「橋のない川」「ああ野麦峠」などにも出た。

舞台では、10年ほど前の「蕨野行」を見たのが最後になった。棄老伝説に取材した村田喜代子さんの小説を舞台化したもので、若い女優さんと2人で舞台の上手と下手で朗読する掛け合いで、もう相当な年だった北林さんは、椅子に腰掛けての出演だった。自分のヨメであるヌイに、「ヌイよい」(ヌイよ)と呼びかけるセリフは、村田さんの原作にもよるが、それはそれは美しい日本語だった。今も耳に残る。
合掌。



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2010年05月07日

ヤグルマソウ

矢車草ヤグルマソウ5ヤグルマソウ4






ヤグルマソウ2ヤグルマソウ3ヤグルマソウが咲いた。
この花を見ると、子どもだった頃が思い出されて、甘酸っぱい気分になり、鼻の奥がつんとする。

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映画「プレシャス」

プレシャス 映画「プレシャス」を観た。

 アメリカの貧困の吹きだまりとも言えるニューヨークの黒人街ハーレムが舞台である。 主人公のプレシャスは、16才の高校生。働かないで生活保護をもらう母親との二人暮らしだが、肉体的にも精神的にも虐待を受けている。父親にレイプされて12才の時にダウン症の子どもを産み(おばあちゃんが育てている)、今また2番目の子どもを身ごもっている。

 そのことで学校から退学させられるが、数学の教師と校長のすすめで、オルターナティブ・スクール(代替学校)である「イーチ・ワン、ティーチ・ワン」(Each One Teach One、「かけがえのないひとり、個別指導、とでも訳せばいいか)に再入学する。そこの教師、ミズ・レインは、プレシャスにやさしく辛抱強く働きかける。

 プレシャスは、読み書きができない。「文字はみんな同じに見える」。レイン先生の個別指導で、A,B,C、からはじまり、day(日)の単語を知り、A Day at the Shore (海辺のある一日)という本のタイトルを読むことができた。プレシャスは、at は「エイト」と読み、Shore は、絵を見て 「ビーチ」(beach)と読んでいたのだ。

 プレシャスはまた、ミズ・レインの「自分のことを話して」という呼びかけに応えて、立って自己紹介をする。「教室で話したのは初めて」といい、なぜできたの?というミズ・レインの問いに「ここは私のいる場所(居場所)だから」と答える。

 この教室の風景は、映画「月あかりの下で」とほとんど重なる。プレシャスが出産して入院している病室をこもごも訪ねてくるやんちゃな同級生たちは浦和商業定時制の生徒のようだ。

 「自分のことを話して」とプレシャスに迫り、心を開かせていったもう一人は、福祉事務所のソーシャルーワーカー、ミセス・ワイスである。(この役は、歌姫マライア・キャリーがノーメイクで演じていて、個人的にうれしい)
 自分を愛してくれる人がいる(ミズ・レインは、愛している love と言い、ミセス・ワイスは、好き like と伝える)ということの発見は、人生を変える。学力はみるみる向上し、子どもを愛し、友だちができる。
 しかし、次々と試練が襲うのだが、…。

 ぼくのことになって恐縮だが、最近書いた文章の関心と重なった。(まだ印刷中)

1 「もうひとつの学校」(オルターナティブ・スクール)では、アメリカと韓国(代案学校、対案学校)にも少し言及した。この映画でアメリカの実態の一端に触れた。

2 映画でミズ・レインは、プレシャスに「ノートの大事さ」、自分の経験したことをなんでも「書くこと」を要求する。ぼくは、「学校は貧困と格差にどう立ち向かうか」で、表現すること、書くことの意味について書いた。
 大阪・千代田高校の「貧困学習」では、「KGノート」が重要な役割を果たす。埼玉の白鳥先生も一種の交換ノートをしている。
 考えてみれば、貧困は明治以来日本近代史の課題であり、生活綴り方教育がとりくんできた課題である。
 それと同じような教育をミズ・レインがしている、そのことに驚いた。

3 「学力」の意味についてである。学力もつけて視野を広げてきたプレシャスは、映画の最後の方で、それまで恐怖と憎悪の対象であった母親について「おかあさんのことを初めて知った、かわいそう」という意味のことを言う。
 夜間中学を描いた映画「こんばんは」では、「貧乏という文字を習って、親を恨むことをやめました」という場面が出てくる。学力は、人を理解し、つながる力である。

 映画で、虐待を受けるプレシャスが、その最中に、現実を逃避する手段として自分が映画俳優や歌手やダンサーになって華やかな衣装を着て脚光を浴びることを空想する場面が原色で出てくる。「まさに映像ならではの見事な演出」と評価する向きもあるが、ぼくにはそうは思えない。「フリーダ・カーロの肖像」や「嫌われ松子の一生」でも使われた手法だが、なんだか映画が安っぽくなってしまうような気がするのだが、どうだろうか。

 ともかくおすすめの映画である。
 ちなみにプレシャス precious とは、愛しい、かけがえがない、私の宝、というような意味である。

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2010年05月06日

『天河まで』と『日本語の話』

山本もえぎ日本語の話山本萌さんは、墨人を名のり、絵を描き、エッセイを書き、写真を撮る詩人である。第6冊目になるという詩集を贈ってくれた。「詩集はお好みじゃないと思いつつ、近況がわりに送らせていただきます。画は見て頂きたいな」と添えて。ぼくが、日頃自分のことを散文的な人間だと言っているからだろう。

ちょうど谷川俊太郎さんと和合亮一さんの二人の詩人の対談を読んでいた。詩論というのではなく、タイトルにあるように、日本語論として興味があったからである。最近読んだ本の中では一番知的な刺激が多かった。

それによれば、散文の言葉は表層言語、詩の言葉は深層言語で、詩の言葉は音に近く、より身体性を持ち、無意識から表出するという。いわば右脳に近いところから出る。最近の日本語は、どんどんヴァーチャルになっていて身体性を失っているので、詩の持つ役割が根元的な人間存在を回復するために重要だという。詩は感じることが大事なのだ、とも。(ということを「知的に」理解した)

ぼくのように言葉の意味にこだわってしまうと、萌さんの言葉はぼくの文脈では理解できず、むずかしい。
『日本語の話』を読んで、萌さんの詩を読むと、萌さんは小さな庵を結んで、たしかに宇宙と交歓しているのだろうなと「感じる」。



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長野3

4.29.1長野4.29.2長野4.29.3長野






別のカメラで撮ったのでアップが遅くなった。
1枚目、湯ノ丸のユキヤナギ。遠くに見える山は、蓼科山と八ヶ岳。頂上には雪。
2枚目、須坂・仙仁、樋口さんの「おやき・平家」の前の通りには立派な桜並木がある。例年だとこの時期は散ってしまっているが、今年は満開だった。
3枚目、同じ場所の鯉のぼりと桜。

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2010年05月05日

『西の魔女が死んだ』

西の魔女梨木香歩さんのこの本は、『ぼんやりの時間』で知った。ちなみにその本には「果歩」と誤記されていたので、親切に岩波書店にメールしたのだが、お礼の挨拶がない。失礼なことだ。まあ、勝手にやっているのだが。

ぼくはクレーマーではないが、ミスプリや事実の誤認に気がついたときには出版社や新聞社に連絡する。もっと自分自身の文章に注意深くあれ、と言われるような気もするが。

もう30年ほど前だと思うが、ファンだった澤地久枝さんの自伝的な本で、1930年代の頃のことを「義務教育8年制」と書かれていたので、たしかに事実上それに近く、そういう改革案も喧伝されていたが、制度的には違う、と出版社に送ったら、澤地さん自身から「ご教示ください」と返信用切手を同封した封書をいただいた。その誠実さに感激した。2度ほど手紙を往復した。その後研究集会などでお顔を拝見することがあり、一度は朝食のテーブルをご一緒したが、あがっていて手紙のことを話すのは忘れた。

閑話休題。『西の魔女』の話である。
中学生になった女の子「まい」は、突然学校に行くことができなくなってしまった。不登校である。そこで、母親の母親である、つまりはおばあちゃんのところで暮らすことになった。おばあちゃんは日本人のおじいちゃんと結婚した外国人で、おじいちゃんが亡くなった今は、西の方でひとり暮らしをしている。まいはおばあちゃんが大好きで、「西の魔女」と呼んでいる。

おばあちゃんと暮らして「魔女修行」をするのだ。魔女になるためには、早寝早起きをして規則正しい生活をすること、いわば人間的な自然を取り戻すこと、ジャムにするイチゴを取ったり植物を育てたりお手伝いをすること、森の中の生活を楽しむこと。魔女とは、「身体を癒す草木に対する知識や、荒々しい自然と共存する千恵、予想される困難をかわしたり、耐え抜く力」を持つことだった。それとなによりも、すべてを自分で考えて、ほかのことに影響されず、自分で決めること、である。

1ヶ月ちょっとの短いおばあちゃんとの生活だが、まいはみるみる元気を取り戻していく。その生活の描写がソローの『森の生活』にも似て生き生きと美しい。


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連休も仕事

斑入りきっぱり連休は良い天気が続く。今日などは、真夏日になったのではないかしらん。
埼玉での連休後半は、散歩やたまに外で食事をしたりしたほかは、ずっと机の前で仕事をしている。

合間の3日に、池袋のロサ会館にある居酒屋・魚屋(トトヤ)さんで友人のAさん、卒業生の2人、現役の1人と会った。Aさんは、今貧困と福祉に関わる大きな社会的な仕事に意欲を燃やしており、その話を聞くため。卒業生は、それぞれ臨時教員、ほかの大学院でがんばっているが、久しぶりに会えて話ができてうれしいことだった。

今日、とりかかっていた雑誌のための2本の小さな文章を仕上げて送った。でも次の締め切りが迫る原稿や、締め切りが過ぎたのもあって、試練はつづく。

写真は、斑入りのイタドリだが、ちょうど半分にきっぱりと斑が入っていて気持ちが良いので撮ってみた。



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2010年05月04日

いただいた本若い人たち、−ほんとに若い人からぼくよりは若いという程度の人、からいただいた本。

『八犬伝』は、ぼくは昔偕成社か講談社の「少年少女小説全集」で読んだ程度。八犬子の仇討ちのような物語で、忠孝の、今から思えば儒教的な、小説としては怪奇的な作品だったと思う。その作品と著者についての研究である。まったく専門ではないが、誠実な研究には感嘆する。著者とは、写真同好のあいだ。

デューイ研究も、ぼくには専門外だが、研究され尽くしたと思われるほどの対象についてまったく新しい視角からとりくんだ。原典に忠実であることについては厳しくなければならず、なおかつ独創的で創造的であることを要求される課題によくとりくんでくださったと感嘆する。

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『浜風』

浜風ここのところ同世代の作家の青春時代を読んでいる。
著者は風見梢太郎。ぼくより2才下、まあほぼ同年代。
兵庫の私立高校で、男子の伝統校で進学校のK学園が舞台。
同時代体験というものはおそろしいもので、なんか自分の高校時代を読んでいる感じだ。新聞部というのもぼくと同じ。回りには背伸びする哲学者や文学者がいて、割り切って出世をねらい受験勉強に励む者もいる。

教師群像も、ぼくも当時の教師を思い出すようなリアリティで描かれている。
ぼくが高校教育を研究しようと思った最初は、自分の受けた高校教育について書かされたK先生のレポートにとり組んだときだった。
主人公もだが、ぼくも教師には恵まれた。そのひとりのY先生とは、今もいっしょに研究活動に参加する幸運に浴している。

連休の一日の今日、横浜、山梨、青森、新潟とつづけた高校教育調査のまとめを書いたが、この読書と重なった。

小説には、裕福な家庭に育つ女子高校生も登場する。
また大学でセツルメント活動をしている卒業生も出てくる。これも重なる。

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砂川堀

5.2.25.2.15.2.3






5.2.42日。もう20数年続けている新座時代の友人たちとのバーベキュー。
当然いるべき人がいない不思議もあり、お互い年も取ったが、気持はずっと同じ。
ふと天国で遊んでいるような永遠の感覚がする。
でも確実に若い人は育っている。

八重桜の花びらが散って、河岸の石垣にたまっている。

それぞれの担当のメニューがあり、ぼくは「のびる」の油味噌炒め。

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2010年05月03日

「トランクロードのかぐや姫」

トランクロード4月下旬、王子の北とぴあで、新生ふるきゃらの「トランクロードのかぐや姫」を観た。

サラリーマンへの賛歌など独特のミュージカル舞台をつくってきた「ふるきゃら」はリーマンショックのあおりもあって、「株式会社」としては倒産してしまった。再建された「新生ふるきゃら」の初めての作品が、この「トランクロード…」。

「まちづくり」がテーマ。
失恋して旅に出た美伽子が、街道筋(トランクロード)の元宿場のまちに立ち寄る。そこも商店街はシャッター通りになりかけているが、呉服屋の婆さんをはじめとする町の人たちに気に入られ、まちは元気を取り戻してくる。倒産した熟練工で道路補助金をあてにするガンさんは気に入らず、その言葉に追われるように町を出る。…

庶民的な泥臭さを大事にしながら、社会問題をテーマに人情ドラマを繰り広げる「ふるきゃら」は健在だった。売り物の歌と踊りも相変わらず生きが良い。でも歌舞伎座や四季の完成度もめざして欲しい気もある。


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2010年05月02日

長野2

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梨の花。長野は長男家族と行ったが、村の中を散歩するほかは、終日草取り。
取って穴を掘って埋めて。体は疲れたが、自然の中で過ごせてよかった。

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峠では唐松の芽吹き。ほんとにきれい。

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2010年05月01日

長野

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29日から、今日1日まで長野に行って来た。
ぼくの村だが自宅は見えない。
快晴が続いた。
ちょうど梅が散り、桜も最後。

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それにかわって、梨、リンゴの花が咲きはじめ。
この白い花は、春靄の中ですごく目立った。

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花桃、ライラックも咲き始めた。



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