2009年11月
2009年11月30日
『ゴチソウ山』
作家は、山田健。これは、新聞の小さな紹介で知った。
またまた林業がテーマで、森を守ることを軸にしたまちおこしの小説である。
螢川温泉のまちで、ある日、道路が崩落し10数軒の商店街の家が押しつぶされてしまった。主人公・「高橋」は旅館の経営者、幸い自分の旅館は被害を免れたがまちがこんなでは商売はあがったりである。
学者の「佐々木」に調べてもらうと、原因は業者による開発の仕方にあり、そのために竹林が枯れて斜面をずり落ちたことによるものだという。竹の多くは中国からの外来種で、手入れをしなければ自然に対するインベーダー(侵略者)になる。
さらに調べると、竹林だけでなく、杉やひのきの林も手入れせずに放置されており、荒れて崩落の危険がある。川は三面護岸で死んだ川になっており、川下の海ではカキの養殖ができなくなり地魚の生産量も減っている。
高橋は、まちのみんなでこれらにとりくみ、いっそのこと農業も有機にして、自然豊かな「有機の里」にしてまちづくりをしたらどうかと思いついた。最初の相棒は、子どもの頃からやんちゃ、悪さをしてきた若者「鉄也」である。
協議会をつくり、補償交渉をすすめながら、少しずつ仲間を増やしてまちづくりのアイディアを増やし、とりくみを大きくしていく、……。
すこぶる面白い。その展開もだが、登場する人物が鉄也も、頑固な酒飲み「ゴンジイ」も、パチンコ店の「山田」もみんな小説に出てくる人物のように面白いのだ。
「鉄也」のあこがれは、小学校の女教師・「山口朋子」さんなのだが、小学校教師はここでもマドンナだ。
ぼくが訪ねてきた地域、−気仙沼、由布院、沖縄、高知、望月などでのまちづくりの発想がすべて凝縮されている。
またまた林業がテーマで、森を守ることを軸にしたまちおこしの小説である。
螢川温泉のまちで、ある日、道路が崩落し10数軒の商店街の家が押しつぶされてしまった。主人公・「高橋」は旅館の経営者、幸い自分の旅館は被害を免れたがまちがこんなでは商売はあがったりである。
学者の「佐々木」に調べてもらうと、原因は業者による開発の仕方にあり、そのために竹林が枯れて斜面をずり落ちたことによるものだという。竹の多くは中国からの外来種で、手入れをしなければ自然に対するインベーダー(侵略者)になる。
さらに調べると、竹林だけでなく、杉やひのきの林も手入れせずに放置されており、荒れて崩落の危険がある。川は三面護岸で死んだ川になっており、川下の海ではカキの養殖ができなくなり地魚の生産量も減っている。
高橋は、まちのみんなでこれらにとりくみ、いっそのこと農業も有機にして、自然豊かな「有機の里」にしてまちづくりをしたらどうかと思いついた。最初の相棒は、子どもの頃からやんちゃ、悪さをしてきた若者「鉄也」である。
協議会をつくり、補償交渉をすすめながら、少しずつ仲間を増やしてまちづくりのアイディアを増やし、とりくみを大きくしていく、……。
すこぶる面白い。その展開もだが、登場する人物が鉄也も、頑固な酒飲み「ゴンジイ」も、パチンコ店の「山田」もみんな小説に出てくる人物のように面白いのだ。
「鉄也」のあこがれは、小学校の女教師・「山口朋子」さんなのだが、小学校教師はここでもマドンナだ。
ぼくが訪ねてきた地域、−気仙沼、由布院、沖縄、高知、望月などでのまちづくりの発想がすべて凝縮されている。
2009年11月29日
『神去なあなあ日常』
人に勧められて読んだ。三浦しをんさんの小説だ。
主人公・平野勇気は、高校生活はアルバイトに明け暮れ、卒業したら「まあ適当にフリーターで食っていこう」と思っていたが、高校教師と母親の「陰謀」で和歌山県の山奥の神去村で「林業研修生」になることになった。
旅行気分で出かけ、いつでも逃げ出そうと考えていたが、雪下ろし、枝打ち、下草刈り、伐採、植林、とつづく山の仕事に魅せられていく。
ヨキをはじめ林業にたずさわる人や村人との交流、祭りやオオヤマヅミさんなどの行事、山火事との遭遇、などを通して腰を据えて林業をしようとする決意に至る1年間の物語だ。あこがれの小学校の女教師、直紀さんへの恋慕も強い動機だ。
とにかく面白い。
探検物の要素もあるし、青年期の話でもあるし、何より林業、森を守る仕事が生き生きしている。
山の四季の描写も見事だ。
(春)「空気にいろんなにおいが混じりはじめる。小川を流れる澄んだ水の甘さ。いままさに土を押しのけようとする草の青さ。どこかで枯れ枝を焼く焦げくささ。冬のあいだに山深い場所で死んだ獣のかすかな腐臭。なにもかもがいっせいに動きはじめ、新しい季節を迎えようとしている、…」
主人公・平野勇気は、高校生活はアルバイトに明け暮れ、卒業したら「まあ適当にフリーターで食っていこう」と思っていたが、高校教師と母親の「陰謀」で和歌山県の山奥の神去村で「林業研修生」になることになった。
旅行気分で出かけ、いつでも逃げ出そうと考えていたが、雪下ろし、枝打ち、下草刈り、伐採、植林、とつづく山の仕事に魅せられていく。
ヨキをはじめ林業にたずさわる人や村人との交流、祭りやオオヤマヅミさんなどの行事、山火事との遭遇、などを通して腰を据えて林業をしようとする決意に至る1年間の物語だ。あこがれの小学校の女教師、直紀さんへの恋慕も強い動機だ。
とにかく面白い。
探検物の要素もあるし、青年期の話でもあるし、何より林業、森を守る仕事が生き生きしている。
山の四季の描写も見事だ。
(春)「空気にいろんなにおいが混じりはじめる。小川を流れる澄んだ水の甘さ。いままさに土を押しのけようとする草の青さ。どこかで枯れ枝を焼く焦げくささ。冬のあいだに山深い場所で死んだ獣のかすかな腐臭。なにもかもがいっせいに動きはじめ、新しい季節を迎えようとしている、…」
学習会
金曜日の夜は、長野から青年劇場に直行した。
学習会のあと、稽古場で、俳優の卵さんたちと指導の人たちと懇親会。
土曜日午前、朝早く準備して、富士見市・針谷コミセンへ。(問題の、結婚詐欺練炭殺人事件容疑の現場の近く)
「市民がつくる公共施設」をテーマに研究会。自治体でも事業評価が行われ、施設の民間委託や縮小が進む。そういうなかで、住民が自らの力で施設をつくっていくかが焦点となっている。
相模原市のOさんとともに報告。
もう40年近くいっしょに社会教育の活動をしてきたなつかしい人々の顔が見え、ふるさとに帰った気持になる。
この集会は、職員のTさんたちが準備した。Tさんは、ゼミの卒業生、これもうれしい。
2009年11月28日
釈迦内柩唄
有馬理恵さんと「希望舞台」の芝居、「釈迦内柩唄」を観に長野へ行って来た。
調べるのもおっくうなほど前、水上勉『釈迦内柩唄』の本について書いた。
以来、有馬理恵さんの芝居を観たいと思ってきた。でも公演のスケジュールがあわなくて悔しい思いをしてきた。
2,3ヶ月ほど前、長野でそのポスターを観て、うまい具合に日程が空いていたので、知人に頼んで買ってもらった。
穏防(火葬場の仕事をする人)の子として生まれたふじ子が、それを継いで行くまでの回想を中心とした物語。だから、舞台はずっと火葬場の釜の前だ。
前半と最後は、有馬さんの一人芝居で、あいだに他の俳優さんも加えた回想場面が入る。
最後は、水上勉さんの脚本のように、コスモスが舞台いっぱいに咲き乱れる。
美しい芝居だ。
有馬さんの情熱的な演技に圧倒された。笑う場面も多いが、何度も目頭が熱くなった。
これが418回目の公演で、1000回をめざすという。
会場は家からは少し遠い松代。ここしか空いていなかったのだ。
芝居には、戦時中の秋田の花岡鉱山事件が出てきて、反戦同盟の韓国人が逃げてくる場面がある。
松代も戦争末期に大本営を移築する計画が立てられ、朝鮮人の強制労働で地下壕が掘られた。その跡地は、篠ノ井朝日高校の生徒たちによって調査されて、今は重要な戦跡になって平和教育の訪問地になっている。
個人的には、十数年前、父親が亡くなったとき、長野市の火葬場が空いていなくて、ここで火葬した。その場所でこの芝居を観た。不思議な縁である。
写真は、長野に行く途中の自動車道から見えた妙義連山。晴れたパノラマだった。
2009年11月26日
2009年11月25日
2009年11月24日
2009年11月22日
信濃毎日新聞10月27日記事
若者を受け入れて15年 佐久に農業体験の拠点が開所
若者の農業体験の拠点として建てた「希望の里」
佐久市春日の農業伊藤盛久さん(64)、君子さん(61)夫妻が、若者の農業体験の拠点施設「農学舎 希望の里 盛ちゃん」を自宅隣に建て、24日、開所式をした。これまで大学生の農業体験を15年間、東京の不登校の子どもたちの通年農業体験学習を10年間受け入れてきた。その際、宿泊場所は地域の公民館を借りていたが、今後は柔軟に対応できる。地元の女性グループの会合場所にも提供し、さまざまな人の「たまり場」として活用する。
希望の里は木造一部2階建て延べ約150平方メートル。ミーティングや語り合いに使う集会室や調理場、風呂、トイレを備え、2階に二つの宿泊室を設けた。長年構想を温め、君子さんが小学校教諭を定年退職した昨年3月から準備を進めてきた。
開所式には農業体験に訪れている大東文化大の太田政男教授(63)や、不登校の子どもたちを受け入れる「フリースペースコスモ」を運営する佐藤洋作さん(62)、地元で活動を支える仲間ら約40人が参集。これまでの歩みを振り返り、交流した。
酒米「ひとごこち」を育てる伊藤さんの水田約80アールではこれまでに長野大、大東文化大、早大、法大の学生が田植えと稲刈りを体験。学生たちは酒米を原料に、地元の酒造会社が醸造した新酒発表会にも参加した。コスモは約10アールの田を借り、4月から11月までほぼ毎月通って苗作りから稲刈り、脱穀まで一連の作業をしている。
小中学校のころ不登校だった大滝千紘さん(20)=東京=は、14歳からコスモの通年農業体験学習に参加した。開所式で、十数人の仲間で力を合わせてコメ作りした体験を振り返り、「やり切ったという気持ち良さがあった」と話した。地元の人が気軽に声を掛けてくれたのも心地よかったと言う。今は大学で教育学を学んでいる。
農業体験の受け入れは準備に手間がかかり、苦労も多いが、伊藤さん夫妻は「若者たちとのコミュニケーションを通じて、自分たちも生きる力がもらえる」と話す。「希望の里を訪れる人にも何か得るものがある」と信じ、今後の活動を楽しみにしている。
(提供:信濃毎日新聞)
若者の農業体験の拠点として建てた「希望の里」
佐久市春日の農業伊藤盛久さん(64)、君子さん(61)夫妻が、若者の農業体験の拠点施設「農学舎 希望の里 盛ちゃん」を自宅隣に建て、24日、開所式をした。これまで大学生の農業体験を15年間、東京の不登校の子どもたちの通年農業体験学習を10年間受け入れてきた。その際、宿泊場所は地域の公民館を借りていたが、今後は柔軟に対応できる。地元の女性グループの会合場所にも提供し、さまざまな人の「たまり場」として活用する。
希望の里は木造一部2階建て延べ約150平方メートル。ミーティングや語り合いに使う集会室や調理場、風呂、トイレを備え、2階に二つの宿泊室を設けた。長年構想を温め、君子さんが小学校教諭を定年退職した昨年3月から準備を進めてきた。
開所式には農業体験に訪れている大東文化大の太田政男教授(63)や、不登校の子どもたちを受け入れる「フリースペースコスモ」を運営する佐藤洋作さん(62)、地元で活動を支える仲間ら約40人が参集。これまでの歩みを振り返り、交流した。
酒米「ひとごこち」を育てる伊藤さんの水田約80アールではこれまでに長野大、大東文化大、早大、法大の学生が田植えと稲刈りを体験。学生たちは酒米を原料に、地元の酒造会社が醸造した新酒発表会にも参加した。コスモは約10アールの田を借り、4月から11月までほぼ毎月通って苗作りから稲刈り、脱穀まで一連の作業をしている。
小中学校のころ不登校だった大滝千紘さん(20)=東京=は、14歳からコスモの通年農業体験学習に参加した。開所式で、十数人の仲間で力を合わせてコメ作りした体験を振り返り、「やり切ったという気持ち良さがあった」と話した。地元の人が気軽に声を掛けてくれたのも心地よかったと言う。今は大学で教育学を学んでいる。
農業体験の受け入れは準備に手間がかかり、苦労も多いが、伊藤さん夫妻は「若者たちとのコミュニケーションを通じて、自分たちも生きる力がもらえる」と話す。「希望の里を訪れる人にも何か得るものがある」と信じ、今後の活動を楽しみにしている。
(提供:信濃毎日新聞)
2009年11月20日
1968年
1968年を主題とした本が相次いで出版された。言うまでもなく、当時の大学紛争(当事者は闘争と呼んだ)、学生の叛乱についてである。
小熊英二『1968年』の上巻を読んだ。
高度経済成長の絶頂期にあり、貧困も失業も起きていない「あの時代」になぜ起こったのか。著者は、当事者(の一部)が主張したような「世界革命」とも、マスコミが言うような「風俗現象」ともみなしていない。
「戦後民主主義教育の申し子」である世代が、自分たちが教えられた真理、正直、正義などの価値意識や行動原理と異なる大人や社会の虚偽に異議申し立てをしたとも言える。しかし、著者は、より根本的には、彼らが貧困や飢餓という「近代的な不幸」ではなく、現代の不登校やひきこもり(こういう言葉は出てこないが)につながる「生きづらさ」・閉塞感・アイデンティティの危機といった「現代的な不幸」をかぎとっていたという青年問題と言いたいのだと思う。
このブットイ本の原資料は、当時まかれた膨大な量のチラシである。それを読み分析した労苦には恐れ入る。資料はまた、当事者の回想記にもよる。この点では、その扱い方には異論もある。
また、原資料を大切にしていることは認めるが、依拠する専門書は、たとえば小中学校、高校教育についてはこれでいいのかと思うほど少なく、ジャーナルなものが多い。
1968年、ぼくはその大学の4年生だった。書かれているその場にいたこともあるし、知っている人も多く登場する。複雑な気持ちで読んだ。
『1968年の世界史』はもちろん異なる視座から編集されている。
フランスの5月革命、アメリカのバークレーやウッドストック、メキシコ、ソ連など「68年」は「全地球的現象」だった。その意味を探ろうとしている。これらについてはいずれ。
小熊英二『1968年』の上巻を読んだ。
高度経済成長の絶頂期にあり、貧困も失業も起きていない「あの時代」になぜ起こったのか。著者は、当事者(の一部)が主張したような「世界革命」とも、マスコミが言うような「風俗現象」ともみなしていない。
「戦後民主主義教育の申し子」である世代が、自分たちが教えられた真理、正直、正義などの価値意識や行動原理と異なる大人や社会の虚偽に異議申し立てをしたとも言える。しかし、著者は、より根本的には、彼らが貧困や飢餓という「近代的な不幸」ではなく、現代の不登校やひきこもり(こういう言葉は出てこないが)につながる「生きづらさ」・閉塞感・アイデンティティの危機といった「現代的な不幸」をかぎとっていたという青年問題と言いたいのだと思う。
このブットイ本の原資料は、当時まかれた膨大な量のチラシである。それを読み分析した労苦には恐れ入る。資料はまた、当事者の回想記にもよる。この点では、その扱い方には異論もある。
また、原資料を大切にしていることは認めるが、依拠する専門書は、たとえば小中学校、高校教育についてはこれでいいのかと思うほど少なく、ジャーナルなものが多い。
1968年、ぼくはその大学の4年生だった。書かれているその場にいたこともあるし、知っている人も多く登場する。複雑な気持ちで読んだ。
『1968年の世界史』はもちろん異なる視座から編集されている。
フランスの5月革命、アメリカのバークレーやウッドストック、メキシコ、ソ連など「68年」は「全地球的現象」だった。その意味を探ろうとしている。これらについてはいずれ。
2009年11月18日
2009年11月17日
鯛
これもだいぶ前のことになるが釣りに行った。みなみさんのところで季節はずれの暑気払いをしていたときに仲間のみんなと意気投合した話。
朝3時に釣りきちM師匠のクルマで迎えに来てもらい、千葉の富浦まで。海上釣り堀という関東にはあまりないという釣り場。仕掛けから、取られた針の付け替えまですべてMさんにやってもらい、ぼくは糸を垂れるだけ、という至れり尽くせりの釣り。
この日は波が荒くずいぶん揺れたが、釣りに熱中して酔うこともなかった。
ビギナーズ・超ラックで、結局、鯛7尾、シマアジ1尾を釣った。
最後は、活きアジで青物と呼ばれるイサキやヒラマサの大物をねらったが鯛が釣れて、何だ、鯛か、というほどだった。
鯛を釣ったのはもちろん初めてで、あのグイグイと引く鯛との格闘は醍醐味。
家へ帰って、裁いたのも初めて。
房総は暖かいせいか、植物も違う。カイコウズ(デイゴの種類)とシャリンバイ。
翌日、ぬまっちゃんが青森の酒「豊盃」を持って遊びに来たので、夫人のKコさんも呼んで鯛を食べた。鯛は、刺身でも焼いても煮てもうまい。それにもましてシマアジはぬまっちゃんも、これあうまい、というほどうまかった。
2009年11月15日
土門拳
Yさんが写真の感想を送ってくれた。
11月9日の上から3段目、左端の写真、すごい傑作、というのは自分が気にいったということですが。題は「イチョウのウチュウ」。秋の気配が画面いっぱい。色がいいです。グレイの濃淡とイチョウのキイロがなんとも素敵です。構図的にもいい。右端にのぞいている池?の存在が画面に広がりをもたらしているし。灰色の人工的な道?のひび割れのような線の色が味をだしている。なつかしい雰囲気と心がほっとする作品。遠近もあるし、無駄なモノもない。ふかふかに積もる落ち葉の重量感もたっぷりあるし。カンペキ気に入り、背景に。いい写真です(と私が気に入っています)
率直にうれしいが、ぼくが落ち葉の写真で本当にすばらしいと思うのは、土門拳のこの写真だ。(正確には、落ちた花だが)
土門拳の写真は、子どもを撮っても、仏像を撮っても、風景を撮ってもものすごく力感がある。生命力にあふれて、岡本太郎ふうに言えば爆発している。そういえば、土門拳と岡本太郎は似ているかもしれない。
酒田市の土門拳写真館であまりの迫力に圧倒された感動はまだ残る。
比べるなどはおこがましいが、ぼくはぼくの個性で行くしかない。
(本からのコピーは許されないかもしれないが、ご寛恕頂きたい)
11月9日の上から3段目、左端の写真、すごい傑作、というのは自分が気にいったということですが。題は「イチョウのウチュウ」。秋の気配が画面いっぱい。色がいいです。グレイの濃淡とイチョウのキイロがなんとも素敵です。構図的にもいい。右端にのぞいている池?の存在が画面に広がりをもたらしているし。灰色の人工的な道?のひび割れのような線の色が味をだしている。なつかしい雰囲気と心がほっとする作品。遠近もあるし、無駄なモノもない。ふかふかに積もる落ち葉の重量感もたっぷりあるし。カンペキ気に入り、背景に。いい写真です(と私が気に入っています)
率直にうれしいが、ぼくが落ち葉の写真で本当にすばらしいと思うのは、土門拳のこの写真だ。(正確には、落ちた花だが)
土門拳の写真は、子どもを撮っても、仏像を撮っても、風景を撮ってもものすごく力感がある。生命力にあふれて、岡本太郎ふうに言えば爆発している。そういえば、土門拳と岡本太郎は似ているかもしれない。
酒田市の土門拳写真館であまりの迫力に圧倒された感動はまだ残る。
比べるなどはおこがましいが、ぼくはぼくの個性で行くしかない。
(本からのコピーは許されないかもしれないが、ご寛恕頂きたい)
2009年11月13日
『ジャン・クリストフ』
ぼくが日頃持ち歩くリュックザックは重い。何が入っているの、とよく聞かれるが、ドラエモンのポケットのように何でも出てくる。何せ30のポケットがあるのだ。
でも中でも一番重いのは2台のカメラと、数冊の本だ。どうせ1冊しか読めないのに、と言われることもあるが、気分で選択できるようになっていないと不安なのだ。昨日入っていたのは写真のような本だ。『ジャンクリストフ』は、ブログをたどると7月21日に書いているので恥ずかしいが3ヶ月以上になる。これまで約1800頁を読み、ようやく第4冊目に入った。
これはバッグに入れ放しで、電車の中で読む。10分くらいでも、1頁でも読む。そうすると、日常とは違う世界に、クリストフとともに生きているようで、それは至福なのだ。
ぼくのばあい、気に入ったところ、気になったところはページの隅を折っておく。だから写真のように厚くなる。
第1巻「曙」は、クリストフの出生から幼児の時代だ。
まだ記憶が生まれる以前から、クリストフの立場から、恐怖と不安に満ちた世界、さらに光と母親のぬくもりの発見までを描く技法は見事だ。文学だからなしえる描写だ。
第2巻「朝」は少年時代。生命に充ち満ちた自然との一体化、音楽のあふれる自然(クリストフの場合)の喜び、そして同姓の友達との激しい恋にも似た交流が描かれる。
第3巻「青年」は、異性との恋と音楽への没入の青年時代。
第4巻「反抗」では、純粋で、粗野な自然児で、芸術を愛するクリストフは、狂気とも言える大人と社会への反逆に生きる。
ここまでは、「成長小説」(教育小説)として実に見事である。これが執筆された時期は、ロランがベートーヴェンの評伝を書いた時期と重なり、しばしばベートーヴェンがクリストフのモデルとして指摘されるようである。ロランがベートーヴェンを自らの「英雄」としていたことは事実だが、そういう見方をしないように要望している。
「反抗」の末に事件に巻き込まれたクリストフは、ドイツから追われフランスのパリに逃れる。第5巻「広場の市」以降は、パリでの青年期後期の物語である。人々との交流、音楽の仕事上の挫折と成功、のストーリーを中心としながら、ドイツとフランスの思想、文化、精神についての比較的な考察が増える。
クリストフは、音楽の上での達成を高めつつ、貴族的な虚偽を嫌い、「大衆のための芸術」という考えに近づいていく。
さて、第9巻「萌ゆる荊」では、労働者階級に接近し、さまざまな社会改革の運動に参加していく。ここから後はいずれ。
2009年11月12日
井戸
今日は、教育実習にいっている学生のTさんの研究授業に東京・羽村に行った。
1年生の国語の授業だったが、よく準備された授業で、ぼくとしては驚くほど子どもたちが静かにしていた。学校の先生からは厳しい批評もされていたが。
早く着いたので、近くの「まいまいず井戸」に行った。この井戸を見るのは何十年ぶりだろう。深く掘り下げたので、螺旋状に「まなこ」まで降りてゆくが、それがカタツムリのようなので、この名が付いた。
大事な場所だったからだろうか、隣接して五の神社の神社がある。
帰り道に狭山を通ったが、そうだ、ここには「堀兼の井戸」があったと思いだし、ちょっと寄った。
昔、武蔵野台地の人たちは水に苦労したらしい。「掘りかねる」というところからこの名が付いたと聞いたこともある。
井戸が貴重だったことは、「小金井」の地名でもわかる。
堀兼の井戸も神社のなかにある。左はその神木。
ぼくが知っているもう一つの井戸は、地元・大井の「大井戸」。ついでにここも寄った。
一日に3つ見たのは初めてのこと。
狭山あたりで、出会った木。
ハゼのようでもあるがそれにしては大きい。なんだろう。
やさしくあたたかい色で、遠くからも目立った。
これから研究所の会議で、麹町へ行く。
1年生の国語の授業だったが、よく準備された授業で、ぼくとしては驚くほど子どもたちが静かにしていた。学校の先生からは厳しい批評もされていたが。
早く着いたので、近くの「まいまいず井戸」に行った。この井戸を見るのは何十年ぶりだろう。深く掘り下げたので、螺旋状に「まなこ」まで降りてゆくが、それがカタツムリのようなので、この名が付いた。
大事な場所だったからだろうか、隣接して五の神社の神社がある。
帰り道に狭山を通ったが、そうだ、ここには「堀兼の井戸」があったと思いだし、ちょっと寄った。
昔、武蔵野台地の人たちは水に苦労したらしい。「掘りかねる」というところからこの名が付いたと聞いたこともある。
井戸が貴重だったことは、「小金井」の地名でもわかる。
堀兼の井戸も神社のなかにある。左はその神木。
ぼくが知っているもう一つの井戸は、地元・大井の「大井戸」。ついでにここも寄った。
一日に3つ見たのは初めてのこと。
狭山あたりで、出会った木。
ハゼのようでもあるがそれにしては大きい。なんだろう。
やさしくあたたかい色で、遠くからも目立った。
これから研究所の会議で、麹町へ行く。
2009年11月11日
2009年11月10日
ハヤトウリ
先日畑に出てみたら、GさんとKさんが来て、ハヤトウリを収穫するという。
GさんとKさんは、20数軒はやっているだろうか、この家庭菜園の世話人のような人である。この家庭菜園は、地域の年金者組合の余暇活動として運営されているのだが、畑での日常のお付き合いだけでなく、収穫祭などの行事もする地域活動である。
その資金稼ぎで、Gさんたちはハヤトウリを栽培している。ハヤトウリは、鹿児島から来たので、薩摩隼人の隼人をとって名前になっているらしい。しゃきしゃきとした舌触りで、漬け物にもみそ汁の具にもいい。今年3回目の収穫だそうだが、霜が降りてしまったので、最後の収穫だそうだ。
手伝った。
後で聞くと、いつもの八百屋さんでも引き受けてくれ、2日前の健康祭りでも売ったそうだ。けっこうたくさん採れた。
ハヤトウリは畑の境のお茶の木にはわせたのだが、見ると、ハヤトウリの下でツルウメモドキもちょうど見頃。