2009年09月
2009年09月30日
2009年09月28日
「結いの風ラプソディ」
今日は、大学で授業と会議。
研究室を卒業生のEmさんが訪ねてくれた。
小学校が、運動会の振り替えで休みだからと。
思い出して訪ねてくれることが、ほんとうにうれしい。
ゆっくり食事や話ができなかったのが、残念で、申し訳ない。
先日、青年劇場「結いの風ラプソディ」を観た。
青年劇場は、ここのところ「藪の中から龍之介」「呉将軍の足の爪」「ばんさん会」などの新作に挑戦してきた。ぼくは新しい試み、挑戦する意欲は大好きだが、作品としてはなんだかなあと思うところもあった。
「結いの風」は、高橋正國さんの脚本で、「遺産ラプソディ」「菜の花ラプソディ」につづく農業3部作の3番目である。
佐賀の唐津で、まだ20代の若い女性である結が、有機農業に挑戦する。
農家を次ぐのをやめて公務員になっている父親をはじめ周囲はみんな反対だが、おじいさんだけは温かく見守り、協力してくれる。
そこへ、大きな資本による大規模経営をもくろむ「農業コーディネーター」なるものが現れて村も家族も揺れていく。
舞台は、結の結婚話もからんで展開する。
正國さんへのひいきではなく、久しぶりのヒット作品だと思う。
でも舞台としての完成度はまだ課題が残っているとも思った。
いったんはまっすぐ帰るつもりだったが、一言言いたく、俳優のHtさんをつかまえて、ご無沙汰の「千草」で話し込んでしまった。
研究室を卒業生のEmさんが訪ねてくれた。
小学校が、運動会の振り替えで休みだからと。
思い出して訪ねてくれることが、ほんとうにうれしい。
ゆっくり食事や話ができなかったのが、残念で、申し訳ない。
先日、青年劇場「結いの風ラプソディ」を観た。
青年劇場は、ここのところ「藪の中から龍之介」「呉将軍の足の爪」「ばんさん会」などの新作に挑戦してきた。ぼくは新しい試み、挑戦する意欲は大好きだが、作品としてはなんだかなあと思うところもあった。
「結いの風」は、高橋正國さんの脚本で、「遺産ラプソディ」「菜の花ラプソディ」につづく農業3部作の3番目である。
佐賀の唐津で、まだ20代の若い女性である結が、有機農業に挑戦する。
農家を次ぐのをやめて公務員になっている父親をはじめ周囲はみんな反対だが、おじいさんだけは温かく見守り、協力してくれる。
そこへ、大きな資本による大規模経営をもくろむ「農業コーディネーター」なるものが現れて村も家族も揺れていく。
舞台は、結の結婚話もからんで展開する。
正國さんへのひいきではなく、久しぶりのヒット作品だと思う。
でも舞台としての完成度はまだ課題が残っているとも思った。
いったんはまっすぐ帰るつもりだったが、一言言いたく、俳優のHtさんをつかまえて、ご無沙汰の「千草」で話し込んでしまった。
開かれた学校づくり全国交流第10回記念集会in東京
表題のような集会に参加した。集会自体は昨日からだが、ぼくは今日からの参加。明治大学リバティタワーの会場に100名を超えるメンバーが集まった。
午前中はさまざまな学校からの実践事例報告。
午後は、研究者によるシンポジウムで、教師論、親論、教育委員会論、ガバナンス論、国民の教育権論、など多岐にわたる視点からの問題提起が行われた。
ぼくは、「地域づくりの視点から」の課題を与えられて報告した。学校教職員の立場からではなく、「地域住民」をどう位置づけるか、また「学校は地域に何ができるのか」という視点から報告した。遠吠えだったかもしれない。
ほかでは、「学びの共同体」をどう見るか、など面白い論点も出た。
終了後、参加者の父母のHさんが来て、「もしかして」と話しかけてきた。30数年前にぼくがM学院大学の非常勤講師をしていたときの講義を受けていたとのこと。ぼくはまだ20代だったのではないかと思う。
そのあと、ある雑誌の特集の編集について意見を求められており、1時間ほど話し合いを持った。誘われていた反省会はパス。
午前中はさまざまな学校からの実践事例報告。
午後は、研究者によるシンポジウムで、教師論、親論、教育委員会論、ガバナンス論、国民の教育権論、など多岐にわたる視点からの問題提起が行われた。
ぼくは、「地域づくりの視点から」の課題を与えられて報告した。学校教職員の立場からではなく、「地域住民」をどう位置づけるか、また「学校は地域に何ができるのか」という視点から報告した。遠吠えだったかもしれない。
ほかでは、「学びの共同体」をどう見るか、など面白い論点も出た。
終了後、参加者の父母のHさんが来て、「もしかして」と話しかけてきた。30数年前にぼくがM学院大学の非常勤講師をしていたときの講義を受けていたとのこと。ぼくはまだ20代だったのではないかと思う。
そのあと、ある雑誌の特集の編集について意見を求められており、1時間ほど話し合いを持った。誘われていた反省会はパス。
2009年09月26日
長野 日帰り
昨日は、どちらも研究所がらみの2つの仕事で長野へ。
日帰り。
ひとつは、雑誌『人間と教育』のインタビュー。戦後教育を担ってきた教師のライフヒストリーを聞くもので、この日は山岸堅盤さん。担当はノノさんだが、山岸先生はぼくの高校時代の教師であり、研究運動でも旧知だということで、同行した。
先生の自宅で。
写真は、駅付近。
ぼくの実家からも遠くないが、寄ることはできない。
もうひとつは、来年1月の集会の準備の打ち合わせ。
これは、市街の教育会館で、Aさん、N先生と。
終わってから4人で、いつもの比呂志へ。
ノノさんが、長野らしいものを食べたいというので、馬刺、トマト?
最終の新幹線で帰埼。
2009年09月25日
2009年09月24日
2009年09月23日
『学問』
ビルドゥングスロマンBildungsroman という呼ばれる小説の分野があって、人間の幼児期から大人になる過程の、精神的な成長や発達を描くものをいう。
日本では、教養小説と訳されているが、「教養」ということばが現在では必ずしも正しいニュアンスを伝えているとは言えない。Bildung には、「形成」、「教育」、「教養」、「学識」などの意味があるが、ビルドゥングロマンというときには、「形成小説」とか「成長小説」のほうがいい。
もっとも日本語の「教養」自体が、かつてとは意味が違ってきていることにも原因がある。夏目漱石全集では、そのことばは2回しか出てこないが「教養する」というように、ほとんど教育と同義に使われている。だから、教育学徒としていえば、「教育小説」でもいいくらいだ。
ヘッセの『車輪の下』も教養小説に分類されるので、少年期や思春期の一時期を切り取ったものでもいい。現代では、重松清も、石田衣良も、あさのあつこもその分野に分類可能であろう。
ぼくは、ずっと以前、今は廃刊になったある教育雑誌に隔月だが7,8年間書評を担当して、そうした小説を渉猟した。山田詠美もそのころ発見して、『ぼくは勉強ができない』を書評した。少女を描かせたらうまい、ぼくにはよく理解できないところもあるが。
この『学問』は、4人組の男女の小学校から高校までの交友を描いている。
タイトルとは違って、勉強やいわゆる学問のことはまったく出てこない。
友情、恋愛、性など思春期の課題がテーマである。若々しいテーマではあるが、4つの節の冒頭にそれぞれの死亡記事が付されており、どこか死の影もある。
小学校あたりが、小説としてはいい、青年期の叙述は大人の視点も目立つ。それだけ青年期は描くのが難しいということだろう。
日本では、教養小説と訳されているが、「教養」ということばが現在では必ずしも正しいニュアンスを伝えているとは言えない。Bildung には、「形成」、「教育」、「教養」、「学識」などの意味があるが、ビルドゥングロマンというときには、「形成小説」とか「成長小説」のほうがいい。
もっとも日本語の「教養」自体が、かつてとは意味が違ってきていることにも原因がある。夏目漱石全集では、そのことばは2回しか出てこないが「教養する」というように、ほとんど教育と同義に使われている。だから、教育学徒としていえば、「教育小説」でもいいくらいだ。
ヘッセの『車輪の下』も教養小説に分類されるので、少年期や思春期の一時期を切り取ったものでもいい。現代では、重松清も、石田衣良も、あさのあつこもその分野に分類可能であろう。
ぼくは、ずっと以前、今は廃刊になったある教育雑誌に隔月だが7,8年間書評を担当して、そうした小説を渉猟した。山田詠美もそのころ発見して、『ぼくは勉強ができない』を書評した。少女を描かせたらうまい、ぼくにはよく理解できないところもあるが。
この『学問』は、4人組の男女の小学校から高校までの交友を描いている。
タイトルとは違って、勉強やいわゆる学問のことはまったく出てこない。
友情、恋愛、性など思春期の課題がテーマである。若々しいテーマではあるが、4つの節の冒頭にそれぞれの死亡記事が付されており、どこか死の影もある。
小学校あたりが、小説としてはいい、青年期の叙述は大人の視点も目立つ。それだけ青年期は描くのが難しいということだろう。
2009年09月21日
懇親会
学会2日目の懇親会。
懇親会には、いちばんやきもきさせられた。どのくらいきてくれるのか見当も付かず、昨年のを参考に料理など予約していたが、初日は人数も参加費も予約の半分もいかなくて、赤字は避けたいと3分の2に減らした。そうしたら、その場での入場も多く、あふれるほどの人数になってしまった。
司会は、埼玉社会教育研究会のKさん、Sさんにお願いしたし、乾杯は同じくUさん、閉会の言葉はMさんと研究会メンバーのオンパレード。
いちばん力を入れて準備したのが、「信濃のかたりべ」の鏡開き。S会長、昨年のW大学のYさん、それとぼくでやった。
「信濃のかたりべ」は、樽に入れたせいもあって、ぼくが飲んでもいつもよりおいしい。ひしゃくで汲むのもおいしさを増すのか、飲まれ量はなんと1斗。
すごい。
アトラクションは、卒業生の飯島君に頼んだ。太鼓はもちろんすばらしいが、八丈島の唄もよかった。
あたたかい、いい会でした、と何人もから言われた。
懇親会には、いちばんやきもきさせられた。どのくらいきてくれるのか見当も付かず、昨年のを参考に料理など予約していたが、初日は人数も参加費も予約の半分もいかなくて、赤字は避けたいと3分の2に減らした。そうしたら、その場での入場も多く、あふれるほどの人数になってしまった。
司会は、埼玉社会教育研究会のKさん、Sさんにお願いしたし、乾杯は同じくUさん、閉会の言葉はMさんと研究会メンバーのオンパレード。
いちばん力を入れて準備したのが、「信濃のかたりべ」の鏡開き。S会長、昨年のW大学のYさん、それとぼくでやった。
「信濃のかたりべ」は、樽に入れたせいもあって、ぼくが飲んでもいつもよりおいしい。ひしゃくで汲むのもおいしさを増すのか、飲まれ量はなんと1斗。
すごい。
アトラクションは、卒業生の飯島君に頼んだ。太鼓はもちろんすばらしいが、八丈島の唄もよかった。
あたたかい、いい会でした、と何人もから言われた。
学会終わる
学会大会が昨日で終わった。
ブログは、夜は疲れていて寝てしまうし、朝は7時台に職場に着いていることもあって書きかけてはみたが、アップすることはできなかった。
当初、3日間とも雨だった天気予報だが、台風がそれてくれてずっと晴れ。気持ちよく過ごせた。裏方で部屋の中にいることが多かったのに、構内を走り回ったせいか陽にも焼けた。
1日目は、参加者の出足がよくなく懇親会の予約も少なくて青くなったが、2日目に伸び、終わってみれば要員をいれれば400名を遙かに越す参加者という規模になった。
専任教員の会員はぼくひとりというハンディがあったが、非常勤講師の先生方、大学職員、ゼミ卒業生の社会教育職員、それに埼玉社会教育研究会の市民、その他友人のみなさんの献身的なお力添えによって成し遂げることができた。ゼミを中心とする学生もよく働いてくれて、参加者からの感謝ももらった。
いま写真をと思ったら、カメラがない。大事な参加費をかばんに入れなくてはと思い、Mさんからもらった山栗といっしょに紙袋にいれたのだが、家までは持ってこなかったような気がする。どこに置き忘れたのだろうか。
昨日は、最後まで残った学生、友人と小さな打ち上げをして、「大都市の社会教育研究・交流の集い」の懇親会が開かれている美松さんへ寄って、……。ウーン。青くなっている。
ブログは、夜は疲れていて寝てしまうし、朝は7時台に職場に着いていることもあって書きかけてはみたが、アップすることはできなかった。
当初、3日間とも雨だった天気予報だが、台風がそれてくれてずっと晴れ。気持ちよく過ごせた。裏方で部屋の中にいることが多かったのに、構内を走り回ったせいか陽にも焼けた。
1日目は、参加者の出足がよくなく懇親会の予約も少なくて青くなったが、2日目に伸び、終わってみれば要員をいれれば400名を遙かに越す参加者という規模になった。
専任教員の会員はぼくひとりというハンディがあったが、非常勤講師の先生方、大学職員、ゼミ卒業生の社会教育職員、それに埼玉社会教育研究会の市民、その他友人のみなさんの献身的なお力添えによって成し遂げることができた。ゼミを中心とする学生もよく働いてくれて、参加者からの感謝ももらった。
いま写真をと思ったら、カメラがない。大事な参加費をかばんに入れなくてはと思い、Mさんからもらった山栗といっしょに紙袋にいれたのだが、家までは持ってこなかったような気がする。どこに置き忘れたのだろうか。
昨日は、最後まで残った学生、友人と小さな打ち上げをして、「大都市の社会教育研究・交流の集い」の懇親会が開かれている美松さんへ寄って、……。ウーン。青くなっている。
2009年09月18日
学会初日
今日から学会。
参加者向けにつくったチラシ。楽しまなっきゃあ、と思って。
日本社会教育学会ご参加の皆さんへのお知らせ
「信濃のかたりべ」とは何か−懇親会へのお誘い
本学・○○ゼミは、「地域づくりと教育」をテーマにしていますが、そのフィールドは長野県望月町と沖縄県名護市です。
望月町は社会教育活動が盛んで、まちづくりの異業種共同の会「かたりべの会」があります。○○ゼミは、16年間、手植え・手刈りの有機低農薬の米づくりに参加しています。
その米を使って、地元の大沢酒造が作ったお酒が「信濃のかたりべ」です。
大沢酒造は、日本最古の酒を保存し、いまも「明鏡止水」をつくる名酒造です。
「信濃のかたりべ」、懇親会でご披露します。
懇親会では、生協のM店長が大盤振る舞いをする料理もお楽しみください。
ピーター・ラビット
本学には、世界で最も発行部数が多いといわれる絵本ピーター・ラビットを書いたベアトリクス・ポター資料館があります。(東松山校舎)
機会があったら是非お出かけください。
大学に隣接する子ども自然動物公園のなかにあります。(東上線高坂駅下車)
今回の大会用バッグは、そのピーター・ラビット・グッズです。
中には、ファイルも入れてあります。
何でも申しつけてください
今回の大会スタッフは、社会教育講座担当教員6名(学会員)、大学職員、埼玉社会教育研究会々員の市民・社会教育職員のボランティア、ゼミ生を中心とする学生がつとめます。至らないところはご容赦ください。
何でもお申し付けください。
この最後の部分は、ぼくの思いでもある。結局、日頃からお世話になっているみなさんの力に頼ってのぼくとしての事業である。
第1日は、社会教育職員問題でのシンポジウム、など。
明日は、自由研究発表。
2009年09月17日
2009年09月16日
進学格差
高校教育研究会の第3回公開研究会。東京大学の小林雅之さんに、マスコミでも話題になった「高校生の進路についての調査」について報告してもらった。
進路、とくに4年制大学への進学については、地域格差、男女格差があるが、最大の規定要因は所得格差である。年収200万円以下の家庭の子どもの進学率は28%、1200万円以上では62%であること、その差は私立大学に行けるかどうかであること、などが調査結果にもとづいて報告された。
また、大学進学が「無理する家計」をつくり出しており、奨学金制度の充実改善が必要だと述べた。精査を重ねた大規模な調査であり、説得力があった。
参加者からは、奨学金制度も大事だが、高等教育の無償化こそが大事ではないかという意見も出された。
ぼくは自宅で原資料をプリントアウトしていったが、これ自体が膨大なものである。
進路、とくに4年制大学への進学については、地域格差、男女格差があるが、最大の規定要因は所得格差である。年収200万円以下の家庭の子どもの進学率は28%、1200万円以上では62%であること、その差は私立大学に行けるかどうかであること、などが調査結果にもとづいて報告された。
また、大学進学が「無理する家計」をつくり出しており、奨学金制度の充実改善が必要だと述べた。精査を重ねた大規模な調査であり、説得力があった。
参加者からは、奨学金制度も大事だが、高等教育の無償化こそが大事ではないかという意見も出された。
ぼくは自宅で原資料をプリントアウトしていったが、これ自体が膨大なものである。
2009年09月15日
2009年09月14日
2009年09月13日
四斗樽
今週ぼくの大学で開く学会に参加する人は読まないでください。
ぼくの研究室には、去年別の学会で使った「信濃のかたりべ」の四斗樽が置いてあった。学生が長野で作った米を使ってつくったお酒である。
今度の学会の懇親会でこの樽を使って鏡開きをしたい、と考えてきた。(新しく樽をつくってもらうだけで5,6万円かかる。)
それで先日、研究室で少し水を入れてみたらジワーッと漏る。ぼくは1時間も床をぞうきんで拭き続けたのだった。
それで家に運んで、水を入れてみたら、1ミリもある何本もの隙間から水がジャージャー流れ出てしまった。ところが水に浸かった木の復元力はすごいもので、何時間かすると水漏れはピタッと止んだ。これは感動ものだった。
学会当日まで、水を張っておこうと思う。
ちなみに、写真のように四斗樽は上げ底になっているが、これだけで1升瓶20本、2斗入る。これにいったん剥いである銘入りの菰(こも)をかぶせると立派なものである。
ぼくの研究室には、去年別の学会で使った「信濃のかたりべ」の四斗樽が置いてあった。学生が長野で作った米を使ってつくったお酒である。
今度の学会の懇親会でこの樽を使って鏡開きをしたい、と考えてきた。(新しく樽をつくってもらうだけで5,6万円かかる。)
それで先日、研究室で少し水を入れてみたらジワーッと漏る。ぼくは1時間も床をぞうきんで拭き続けたのだった。
それで家に運んで、水を入れてみたら、1ミリもある何本もの隙間から水がジャージャー流れ出てしまった。ところが水に浸かった木の復元力はすごいもので、何時間かすると水漏れはピタッと止んだ。これは感動ものだった。
学会当日まで、水を張っておこうと思う。
ちなみに、写真のように四斗樽は上げ底になっているが、これだけで1升瓶20本、2斗入る。これにいったん剥いである銘入りの菰(こも)をかぶせると立派なものである。
ワーカーズコープ
12日は、東京家政大学で開かれたワーカーズコープの「第2回全国子育て研究・交流集会 −若者支援の現場から日本の子育て支援・教育を考える」に参加した。朝から一日ぶっ続けのハードな集会だった。
近年、学童クラブ、児童館、保育所などが行政の手を離れ、指定管理制度で民営化されている。それを受注し行政に代わって運営するのは、民間企業やNPO、ワーカーズコープなどである。指定管理そのものには大きな問題があるが、企業がやるよりはNPOやワーカーズなどのほうが住民の参加や共同を広げる可能性がある。
2006年から始まった若者自立援助の若者サポートステーションも同様である。
そういう施設・機関で働く人たちの研究集会である。
「子育て」と「若者支援」をつなげた発想は面白い。
これまで「子ども」と「若者」は、行政的にも研究的にも別個のものとされてきたからだ。
ちなみに「子ども」中心だった教育学に「青年」の視点を入れるべきだとして、「子ども・青年」と呼びならわすようになったのは、1960年代のことである。故小川利夫さんらの主張であった。
10年ほど前から、ぼくは「子ども・若者」とすべきだと主張してきた。日本語としても歴史的にも「子ども」に対応するのは「若者」だからである。厚生労働省が「若者」を使うことでにわかに「子ども・若者」は一般的になりつつある。
たくさんの実践報告を聞いた。
子どもや若者のおかれている生活・労働の現状や、悩み・課題について、固有名詞の(Aちゃん、B君、というような)リアルな報告が多かった。教育学の常識にとらわれない発想や枠組みも新鮮だった。新しい研究の視点や方法を創造する必要を感じる。
ぼくは、最後に「総括講演」。この話を依頼された最初は、20分ほどの問題提起ということだったのが、ふたを開けてみると大きくなっていた。
終わってから主催者、参加者の皆さんと、十条駅近くの中華料理・竜虎で交流会。
さらに、池袋の沖縄料理・みやらびさんで反省会。
帰りの駅でタクシーに乗りこんで、ふと見ると次の人は、さっきの交流会までご一緒だったワーカーズのZさんだった。同乗して着いてみたら、家から2,300メートルの近さだった。魂消た。
近年、学童クラブ、児童館、保育所などが行政の手を離れ、指定管理制度で民営化されている。それを受注し行政に代わって運営するのは、民間企業やNPO、ワーカーズコープなどである。指定管理そのものには大きな問題があるが、企業がやるよりはNPOやワーカーズなどのほうが住民の参加や共同を広げる可能性がある。
2006年から始まった若者自立援助の若者サポートステーションも同様である。
そういう施設・機関で働く人たちの研究集会である。
「子育て」と「若者支援」をつなげた発想は面白い。
これまで「子ども」と「若者」は、行政的にも研究的にも別個のものとされてきたからだ。
ちなみに「子ども」中心だった教育学に「青年」の視点を入れるべきだとして、「子ども・青年」と呼びならわすようになったのは、1960年代のことである。故小川利夫さんらの主張であった。
10年ほど前から、ぼくは「子ども・若者」とすべきだと主張してきた。日本語としても歴史的にも「子ども」に対応するのは「若者」だからである。厚生労働省が「若者」を使うことでにわかに「子ども・若者」は一般的になりつつある。
たくさんの実践報告を聞いた。
子どもや若者のおかれている生活・労働の現状や、悩み・課題について、固有名詞の(Aちゃん、B君、というような)リアルな報告が多かった。教育学の常識にとらわれない発想や枠組みも新鮮だった。新しい研究の視点や方法を創造する必要を感じる。
ぼくは、最後に「総括講演」。この話を依頼された最初は、20分ほどの問題提起ということだったのが、ふたを開けてみると大きくなっていた。
終わってから主催者、参加者の皆さんと、十条駅近くの中華料理・竜虎で交流会。
さらに、池袋の沖縄料理・みやらびさんで反省会。
帰りの駅でタクシーに乗りこんで、ふと見ると次の人は、さっきの交流会までご一緒だったワーカーズのZさんだった。同乗して着いてみたら、家から2,300メートルの近さだった。魂消た。
2009年09月12日
酒呑童子
栃尾でおじいちゃんから酒呑童子の話を聞いた。
酒を呑む男、というからには無縁ではない。
酒呑童子は、丹波の大江山に住んだ「日本三大悪妖怪」のひとりとされ、酒を飲んでは悪さをして、最後は源頼光に退治された。
なぜ栃尾で酒呑童子の話が出るのか、帰ってからネットで調べたら、酒呑童子の出生伝説には3つあって、そのうちの有力なひとつが新潟の国上(くがみ)で生まれたというものだ。桓武天皇の家来が住みつき、信濃の戸隠権現に祈願して生まれたのだという。
酒呑童子との共通点は、酒だけではなかった。
ウィキペディアによれば、「12, 3歳でありながら、絶世の美少年であったため、多くの女性に恋されたが全て断り、彼に言い寄った女性は恋煩いで皆死んでしまった」とある。
(中略)
それはともかく、鬼になった酒呑童子は、茨木童子を家来にして連れて丹波に行くのだが、その茨木童子の出身地が栃尾の軽井沢だった。
栃尾は影虎だけではない。
酒を呑む男、というからには無縁ではない。
酒呑童子は、丹波の大江山に住んだ「日本三大悪妖怪」のひとりとされ、酒を飲んでは悪さをして、最後は源頼光に退治された。
なぜ栃尾で酒呑童子の話が出るのか、帰ってからネットで調べたら、酒呑童子の出生伝説には3つあって、そのうちの有力なひとつが新潟の国上(くがみ)で生まれたというものだ。桓武天皇の家来が住みつき、信濃の戸隠権現に祈願して生まれたのだという。
酒呑童子との共通点は、酒だけではなかった。
ウィキペディアによれば、「12, 3歳でありながら、絶世の美少年であったため、多くの女性に恋されたが全て断り、彼に言い寄った女性は恋煩いで皆死んでしまった」とある。
(中略)
それはともかく、鬼になった酒呑童子は、茨木童子を家来にして連れて丹波に行くのだが、その茨木童子の出身地が栃尾の軽井沢だった。
栃尾は影虎だけではない。
2009年09月07日
2009年09月06日
『農への銀河鉄道』など
小林節夫さんの本は、Waさんから推薦された。
節夫さんは(と、先輩を呼ぶのははばかられるが、ぼくらはそう呼んでいた)、長野県佐久の乳価闘争で伝説的な人物になった。1962年(確か?)大学を出て農業を営んでいた節夫さんは、乳牛会社の乳価引き下げに抗議して搾乳した牛乳を千曲川に流すという激しいたたかいを指導した。
ぼくが、名前しか知らなかった節夫さんに実際にお会いしたのは、それから20年以上たってからだった。そのときはもう全国農民連の代表をしておられただろうか、風貌もお人柄も、予想に反して穏やかで純朴で実に謙虚な方だった。木曽わっぱの弁当が印象的だった。
最近宮沢賢治論が盛んだが、そのなかには、宮沢賢治は「エセ農民だった」、文学以外は「凡俗な人間だった」、「人間も農民も信じなかった」、「戦争協力者だった」などの批評もあるらしい。節夫さんは、この本で、愛してやまない宮沢賢治を熱情を込めて擁護し、自ら農民として生きる立場から独自の賢治像を描き出している。
宮沢賢治もだが、節夫さんもあらためて惚れ直す。
『農民になりたい』はヨウサクさんに推薦された。
日本の食糧自給率は約4割、農業就労者数は減る一方である。
2006年に新規就労した20歳以下の青年は、2400人弱、トヨタ一社の新入社員よりも少ない。
しかし、会社員をやめたり、定年就労して、農業を始める人は8万人を超した。
会社を辞めた人たちは、収入は何分の一かになる、労働は厳しい、休日はない。5年以内に黒字になる人は5割に満たない。
しかし、その人たちは、実に生き生きと暮らしている。そんなルポルタージュである。
「第2章 東大卒インテリ農民の夢」の藤井さん夫婦は、長野県望月町のわれらが由井自然農園で修行して、長者原で有機農業をしているということだ。
2冊の本を読んだからと言うのでもないが、夕方、2時間ほど畑作業をした。
ほんとうに久しぶりだ。
ワレモコウが咲いている。
節夫さんは(と、先輩を呼ぶのははばかられるが、ぼくらはそう呼んでいた)、長野県佐久の乳価闘争で伝説的な人物になった。1962年(確か?)大学を出て農業を営んでいた節夫さんは、乳牛会社の乳価引き下げに抗議して搾乳した牛乳を千曲川に流すという激しいたたかいを指導した。
ぼくが、名前しか知らなかった節夫さんに実際にお会いしたのは、それから20年以上たってからだった。そのときはもう全国農民連の代表をしておられただろうか、風貌もお人柄も、予想に反して穏やかで純朴で実に謙虚な方だった。木曽わっぱの弁当が印象的だった。
最近宮沢賢治論が盛んだが、そのなかには、宮沢賢治は「エセ農民だった」、文学以外は「凡俗な人間だった」、「人間も農民も信じなかった」、「戦争協力者だった」などの批評もあるらしい。節夫さんは、この本で、愛してやまない宮沢賢治を熱情を込めて擁護し、自ら農民として生きる立場から独自の賢治像を描き出している。
宮沢賢治もだが、節夫さんもあらためて惚れ直す。
『農民になりたい』はヨウサクさんに推薦された。
日本の食糧自給率は約4割、農業就労者数は減る一方である。
2006年に新規就労した20歳以下の青年は、2400人弱、トヨタ一社の新入社員よりも少ない。
しかし、会社員をやめたり、定年就労して、農業を始める人は8万人を超した。
会社を辞めた人たちは、収入は何分の一かになる、労働は厳しい、休日はない。5年以内に黒字になる人は5割に満たない。
しかし、その人たちは、実に生き生きと暮らしている。そんなルポルタージュである。
「第2章 東大卒インテリ農民の夢」の藤井さん夫婦は、長野県望月町のわれらが由井自然農園で修行して、長者原で有機農業をしているということだ。
2冊の本を読んだからと言うのでもないが、夕方、2時間ほど畑作業をした。
ほんとうに久しぶりだ。
ワレモコウが咲いている。
3時の宝石
知人からメールをもらった。
8月26日の「宝石」の記事に関して。
ああ、この花を「宝石」と眺めて美しいと受け止めているのだ、うーん、いいなあと。素敵です!
その花、たぶん「ハゼラン」スベリヒユ科ハゼラン属)です。帰化植物。
お隣の奥さんが「3時のあなた」と呼ぶ花です。3時に咲くからです。俗に「サンジソウ」「ヨジソウ」の名があるそうです。3時、4時あたりに咲くからですね。
原産地は熱帯アメリカ。明治の初め、観賞用に移入されたそうです。
私が思うには<種子がよくはぜる、から「ハゼラン」>
とここまで書いて、一応調べました、本で。そしたら語源は「丸い小粒の蕾から一気にはぜるように花が開き、しかも花がきれいなことから蘭にたとえて」とありました。
これからは「3時の宝石」とでも呼ぼうかなあ。
「3時」は気が付かなかった。いろいろな個性があるものだなあ。
8月26日の「宝石」の記事に関して。
ああ、この花を「宝石」と眺めて美しいと受け止めているのだ、うーん、いいなあと。素敵です!
その花、たぶん「ハゼラン」スベリヒユ科ハゼラン属)です。帰化植物。
お隣の奥さんが「3時のあなた」と呼ぶ花です。3時に咲くからです。俗に「サンジソウ」「ヨジソウ」の名があるそうです。3時、4時あたりに咲くからですね。
原産地は熱帯アメリカ。明治の初め、観賞用に移入されたそうです。
私が思うには<種子がよくはぜる、から「ハゼラン」>
とここまで書いて、一応調べました、本で。そしたら語源は「丸い小粒の蕾から一気にはぜるように花が開き、しかも花がきれいなことから蘭にたとえて」とありました。
これからは「3時の宝石」とでも呼ぼうかなあ。
「3時」は気が付かなかった。いろいろな個性があるものだなあ。
2009年09月05日
2009年09月04日
長野
今年は、今月18日から開かれる学会の会場校になっており、また来年2月に行われる研究所の全国集会の担当を引き受けていている。大きな集会の準備が2つ重なってけっこう忙しい。
昨日はその関係で大学へ、今日は長野へ。明日はまた大学へ出なければならないので、長野は日帰り。疲れてもいるのでクルマはやめて新幹線にした。
会議が終わった後、まだ日が明るかったがN先生に、ちょっと、と誘われ、しかしなかなかビールの飲めるところが見つからず、仕方なく権堂のラーメン屋さんで餃子とメンマをさかなに軽く飲んだ。N先生はまた戦前の教育運動の新しい資料を発掘されたようで、ひたすら感心する。
長野の家に行き、玄関前の掃除をし(ブドウ棚から粒が落ちる)、通りに面した畑の大きな草だけ取った。
今、帰りの新幹線のなか。車中日記。いや車中酒中日記。ついでに暑中でもある。
昨日はその関係で大学へ、今日は長野へ。明日はまた大学へ出なければならないので、長野は日帰り。疲れてもいるのでクルマはやめて新幹線にした。
会議が終わった後、まだ日が明るかったがN先生に、ちょっと、と誘われ、しかしなかなかビールの飲めるところが見つからず、仕方なく権堂のラーメン屋さんで餃子とメンマをさかなに軽く飲んだ。N先生はまた戦前の教育運動の新しい資料を発掘されたようで、ひたすら感心する。
長野の家に行き、玄関前の掃除をし(ブドウ棚から粒が落ちる)、通りに面した畑の大きな草だけ取った。
今、帰りの新幹線のなか。車中日記。いや車中酒中日記。ついでに暑中でもある。
2009年09月02日
沖縄8 −学校支援地域本部(31日)
31日午前は、中央公民館で「学校支援地域本部」についての話を聞いた。市教育委員会の方で出羽をしてくださり、コーディネータの宮城さんから、立場を変えて2度目の話を伺った。
「地域本部」については、去年の学会でその政策的流れについてぼくが報告した。
こんなに実態が進行しているのだと、驚き、危惧し、勉強の必要を痛感させられた。
これで全日程が終了。
7台の車に分乗して那覇に向かうが、ぼくは許田の道の駅に再び寄った。
北部農林高校のチャーグーは、肉でもコロッケでも目玉のひとつになっている。
また、ここの三矢さんのサーターアンダギーは沖縄で一番うまい。おみやげはこれに決めている。
また、パッションフルーツを初めて食べた。
これはうまい。
一路、那覇へ、そして羽田へ。
「地域本部」については、去年の学会でその政策的流れについてぼくが報告した。
こんなに実態が進行しているのだと、驚き、危惧し、勉強の必要を痛感させられた。
これで全日程が終了。
7台の車に分乗して那覇に向かうが、ぼくは許田の道の駅に再び寄った。
北部農林高校のチャーグーは、肉でもコロッケでも目玉のひとつになっている。
また、ここの三矢さんのサーターアンダギーは沖縄で一番うまい。おみやげはこれに決めている。
また、パッションフルーツを初めて食べた。
これはうまい。
一路、那覇へ、そして羽田へ。
沖縄7 −旧知探訪・みちじゅねえ
この日は、学生は唯一の余暇として、エコネット美の「じんぶん学校」へ行き、海で遊んだり、体験学習をする。出発の場所まで送った後、ぼくは、旧知の人々を訪ねることにした。
まず大湿帯(オオシッタイ)にある「シャシ・クマール」へ。
ここは、トキワさん夫婦がやっている喫茶店で、やんばるの山の山の中にある。こんなところにお客さんが来るのだろうかと思うほどなのに、不思議なことに誰かしら客がいる不思議な店である。
地域の工芸家の作品も販売しており、ガラス製品、万華鏡などここで手に入れたものも多い。
ご主人は不在だったが、今度始めたというミチミツを買ってきた。イジュ(伊集)とサシという沖縄ではポピュラーな花から採ったというもの。また味わっていない。
ついで、本部町にある「ファームハウス」へ。
ここは、イゲイさん夫婦がやっている喫茶店。
以前は民宿もしており、ぼくも何度か泊めていただいた。有機の食材を使った料理がおいしく、ご主人がつくった果実酒もうまく、映画が好きなご夫婦なので話が弾んだものだった。その後、おくさんが体をこわして今は喫茶と料理だけになっている。
さらに、本部の原田さんのお宅を訪ねた。ご主人は著名な漆芸作家である。
トキワさんをふくめてみなさん、ぼくの友人で、合宿にも同行してくれ、今は病気療養中のMさんを心配していた。いずれもMさんが紹介してくれた人たちである。
原田さんの奥さんのミキさんが、ちょうどもらったところだと言って、たくさんの果物をくださった。キーツマンゴー、ドラゴンフルーツ、ナーベラー(ヘチマ)など。(下の段左は、帰埼してからつくったナーベラー料理。)荷物があふれそうなので、ついでにと島バナナを買って一緒に送ることにした。
夜は、「くねんぼ」までタクシー飛ばしたが、日曜日で休みで、市内に戻りいつもの「山桜」へ。
日曜日のせいか、選挙の開票速報のせいか、お客さんは少ない。はじめにいた観光客の人も帰ってからは、しゃれて広い店内と、支配人、総料理長、若いTさんを独り占めでぜいたくな夜だった。
11時半くらいに店を出ると、元気なエイサーの音がする。
駆けよってみると、為又(びーまた)青年会のみちじゅねえだった。
巡り会えてよかった。
沖縄6 −北部農林高校(30日)
絶滅寸前のアグー約30頭のうち、18頭を集めた島袋さんは、当時館長をしていた博物館に飼おうかとも思ったが、当然教育委員会の承諾を得られず、北部農林高校に預けた。
30日午前は、「食・農」班とともに、北部農林高校に東江先生を訪ねた。東江先生は、先任の大田先生の後を受けて、アグーの飼育と研究を担当している。研究の経過や、地域のブランドとして育て、地域産業を支援する活動について話してくださった。
ちなみに「チャーグー」という「北」を意味する「チャー」を入れた命名は生徒に寄るそうである。
実際に飼育している豚舎もみせていただいた。
高校生が開発した商品は、「南高梅」(和歌山)、「コメロンパン」(熊本農)など少なくなく、産業的にも成功しているものも多い。
今後、できれば生徒にも会って、生徒にとっての意味、教育的な意義についても調査していければいいと思っている。
お昼は、「食・農班」の4年生と、名護曲へ。
今日は、ぼくはウニそばを食べてみた。
2009年09月01日
沖縄5 −島袋正敏さん(29日午後)
学校班の4年生と、宇茂佐公民館に寄った後、「どこかおいしいとこ、ありますか」というので名護曲(なぐまがい)で食事。ぼくは、アーサー(あおさ)そば。
店の庭にあった花。最初と2枚目は、ホウオウボク。後は名前がわからない。
最後のは、宇茂佐公民館のもの。
午後遅くから中央公民館で、「社会教育」「学校」班と島袋正敏さんからお話を伺った。
島袋さんには、10年以上前のゼミ合宿の最初から相談に乗ってもらい、ぼくらの注文に応えて助力をいただいてきた。
今回は、「アグー(沖縄豚)の保存と再生」「泡盛の普及」、そして「ものづくり塾」について話を聞いた。
泡盛の普及については、それが地域の歴史や家庭のあり方に関する文化の問題であるという考えからのものだということだった。家庭に瓶を置いて、「仕次ぎ」をしながら代々伝えていくということをしたいのだという。瓶は今3000個普及した。
ぼくは、自宅に市販の「久米仙」の古酒5升の瓶を置いているが、今度は手作りの瓶にやんばるの古酒を入れてもらうことをお願いしている。
島袋さんの話で、個人的に新鮮だったのは、古酒は振舞酒ではないということ、家族や親戚でうれしいこと、めでたいことがあったときに祝い酒として飲むものだ、ということだ。
そのあと、さとうきびの栽培について調査に行っていた「食・農」班も合流して懇親会。
この日、写真を撮るのをすっかり忘れた。
沖縄4 −辺野古(29日午前)
ホテル・タニューから見た屋我地方面、遠くの島は古宇利島。第3日朝。
この日午前は、全体で「ジュゴンの里」の東恩納琢磨さんのところへ。
琢磨さんにも毎年、話をしてもらっている。
琢磨さんは、ジュゴンの保護運動と辺野古基地建設反対闘争をしている。
船で沖合の長島、平島に渡った。
この日は、環境アセスメントの視察委員の舟とも遭遇した。最後の写真。
長島で、熱弁をふるう琢磨さん。この美しい海を基地で埋め立てていいのか、ジュゴンが住めなくなっていいのか、みんなもこの海を見た以上他人事ではないはずだ、と熱く語った。
下の真ん中の写真の鳥は、アジサシだそうだ。
左の写真のあたりが埋め立ての対象。
学生は、海に入れて大喜び。
この日午前は、全体で「ジュゴンの里」の東恩納琢磨さんのところへ。
琢磨さんにも毎年、話をしてもらっている。
琢磨さんは、ジュゴンの保護運動と辺野古基地建設反対闘争をしている。
船で沖合の長島、平島に渡った。
この日は、環境アセスメントの視察委員の舟とも遭遇した。最後の写真。
長島で、熱弁をふるう琢磨さん。この美しい海を基地で埋め立てていいのか、ジュゴンが住めなくなっていいのか、みんなもこの海を見た以上他人事ではないはずだ、と熱く語った。
下の真ん中の写真の鳥は、アジサシだそうだ。
左の写真のあたりが埋め立ての対象。
学生は、海に入れて大喜び。
沖縄3 −漢那小学校・宇茂佐青年会(28日午後)
勝山から、時間の関係でお昼はクルマの中ですませ、「学校班」と宜野座にある漢那小学校へ。
今は久辺小学校にいる斉藤博孝先生が設営してくれた。
数年前、『生活教育』誌に書いた実践報告を偶然ぼくが読み、お訪ねした。以来、毎年お世話になっている。先生は、東京の和光小学校にいた総合学習のエース。
漢那小学校だけでなく先生の研究仲間の若い先生たちも参加してくださって、一方的な報告−聞き取りというのではなく、さながら「地域と学校」をテーマにした研究会になった。
報告は3本。漢那小学校の校長先生は、「丘の上の小さな学校から世界へ夢が広がる」というロマンに満ちた「開かれた学校づくり」の報告をしてくださった。
「学校と教室を開く」「地域の教育資源を生かした授業実践の展開」「信頼される学校づくり」「地域と協同した学校行事やコミュニティづくり」など実にダイナミックだった。こんな校長が沖縄にはまだいる。
同校のキャシー先生は、地域と結び地域を学ぶ社会科や総合学習の実践報告。
3本目は、大宮小学校のS先生・T先生の、「語り継ぐ沖縄」の平和総合学習の報告。
いずれも感動的で、すごく学ぶところの多いものだったし、学生もつぎつぎと質問していた。
そして、笑顔で挨拶してくれたT先生は、ゼミは違うが、ぼくの大学の卒業生だった。うれしい。
場所を移して、市街地の「ゆきの」で懇親会。
そこへゼミの卒業生のK君が現れた。同級生のT君のはからいである。かれが学生のときの合宿調査の最中に、01年のニューヨークの同時多発テロが起きた。
T君はいま違う道をめざして猛勉強中である。
そんな話をしながら盛り上がっていると、ほかの班から、宇茂佐(ウグサ)の青年会とエイサーを踊っていると連絡が入った。商店街活性化を調査していた流れらしい。こちらも全員で異動することになった。
沖縄のお盆は陰暦だが、今年は9月はじめで、その練習に合流したらしい。
練習後は、飲み会。明日の朝まで飲むぞ、と夜は更けていった。
沖縄2 −勝山のシークァーサー(28日午前)
沖縄は観光で行くのではない。学生は、「学校」「社会教育・文化」「食・農」の3つの班に分かれる。調査は班ごとのものと、全体で共通のものがある。
いずれも一日びっしり日程が入っていて、調査の冊子を見た現地の人は、かわいそうにというくらいだ。
ぼくは、ご挨拶が必要だと思われるいずれかの班に同道する。
第2日は、「社会教育」「学校」班と、名護の勝山地区に行った。
那覇のホテルから(途中、「食・農」班が行く許田の道の駅に寄ったが)直行。
勝山は、一昨年に続いて2回目。
勝山地区は、嘉津宇岳の中腹に集落がある地区で、今は人口は127人と減少し高齢化も進んでいる。でも他地区と合併はせず、自立して頑張っている。区長の宮城さんは他地区出身で年も40才と若く異例である。
地域の資源を生かそうと、「シークァーサー」と「山羊」と「山」が地域づくりの軸だ。
山の中腹を利用してシークァーサーを栽培している。下草狩りをして草を山羊に与え、その糞を肥料としている循環型農業だ。
ここのシークァーサーは、皮が厚く酸度が高く、豊富な栄養分を含むのだそうだ。
付加価値をつけるために、工場を造り加工している。果汁、ジュース、ポン酢、石けん、化粧品など。社長の山川良勝さんは、実直なお人柄で、自分は農民ですと言いながらで、商品開発への夢を語ってくださる。手にしているのは、向こうになっていたグァバ。
アセロラの木と花。
池の蓮。
トンボと蝶。
本土と一番違うと思うのは、蝶だ。
いずれも一日びっしり日程が入っていて、調査の冊子を見た現地の人は、かわいそうにというくらいだ。
ぼくは、ご挨拶が必要だと思われるいずれかの班に同道する。
第2日は、「社会教育」「学校」班と、名護の勝山地区に行った。
那覇のホテルから(途中、「食・農」班が行く許田の道の駅に寄ったが)直行。
勝山は、一昨年に続いて2回目。
勝山地区は、嘉津宇岳の中腹に集落がある地区で、今は人口は127人と減少し高齢化も進んでいる。でも他地区と合併はせず、自立して頑張っている。区長の宮城さんは他地区出身で年も40才と若く異例である。
地域の資源を生かそうと、「シークァーサー」と「山羊」と「山」が地域づくりの軸だ。
山の中腹を利用してシークァーサーを栽培している。下草狩りをして草を山羊に与え、その糞を肥料としている循環型農業だ。
ここのシークァーサーは、皮が厚く酸度が高く、豊富な栄養分を含むのだそうだ。
付加価値をつけるために、工場を造り加工している。果汁、ジュース、ポン酢、石けん、化粧品など。社長の山川良勝さんは、実直なお人柄で、自分は農民ですと言いながらで、商品開発への夢を語ってくださる。手にしているのは、向こうになっていたグァバ。
アセロラの木と花。
池の蓮。
トンボと蝶。
本土と一番違うと思うのは、蝶だ。
帰着
昨夜、沖縄から帰った。
台風の影響で飛行機が遅れ、羽田に着陸できるかも危ぶまれたが、無事帰着。
無事といえば、沖縄のインフルエンザも心配されたがみんな元気だった。行く前は沖縄ではマスクが売り切れというニュースがあり、たくさん持っていったが、一人にあげただけ。沖縄ではマスクをしている人にはほとんど会わなかった。
なぜ暑い沖縄で流行ったかについては、現地の人に聞いたところでは、クーラー原因説もあるという。沖縄は太陽はガンガン照るし、もちろん外は暑いが、部屋はきんきんに冷やすところが多い。北海道の人が冬部屋を暑いくらいに暖めるのと似ているかもしれない。そのせいだというのだが?
さすがに帰りの飛行機では寝る人が多かった。
だって毎夜(朝)2時、3時、ときには5時まで飲んでいたという学生もいたので。その割には、ぼくが一緒にいた限りでは、話を聞きながら居眠りする学生はいなかった。
ついでだが、往きの飛行機で「空弁」を食べた。普段は食べないが、少し長時間だし、昼食の時間帯だったので。浅草今半のこれがうまかった。おすすめ。
家に帰って、5日間断酒していたので(日本酒にかぎってだが)、久しぶりに「信濃のかたりべ」を飲んだ。
台風の影響で飛行機が遅れ、羽田に着陸できるかも危ぶまれたが、無事帰着。
無事といえば、沖縄のインフルエンザも心配されたがみんな元気だった。行く前は沖縄ではマスクが売り切れというニュースがあり、たくさん持っていったが、一人にあげただけ。沖縄ではマスクをしている人にはほとんど会わなかった。
なぜ暑い沖縄で流行ったかについては、現地の人に聞いたところでは、クーラー原因説もあるという。沖縄は太陽はガンガン照るし、もちろん外は暑いが、部屋はきんきんに冷やすところが多い。北海道の人が冬部屋を暑いくらいに暖めるのと似ているかもしれない。そのせいだというのだが?
さすがに帰りの飛行機では寝る人が多かった。
だって毎夜(朝)2時、3時、ときには5時まで飲んでいたという学生もいたので。その割には、ぼくが一緒にいた限りでは、話を聞きながら居眠りする学生はいなかった。
ついでだが、往きの飛行機で「空弁」を食べた。普段は食べないが、少し長時間だし、昼食の時間帯だったので。浅草今半のこれがうまかった。おすすめ。
家に帰って、5日間断酒していたので(日本酒にかぎってだが)、久しぶりに「信濃のかたりべ」を飲んだ。