2009年07月
2009年07月31日
揺れる天気
昨日は、蒸し暑い一日。晴れたかと思えば、にわかに曇り、さらに雨、と不安定な天気。それもかなり局所的なようで、異動すると天気も変わる。
午前は市ヶ谷で会議。
駅前で食事の場所を探したが、夜しか行かない居酒屋さんがみんなランチをしている。それもみんな盛況である。居酒屋の昼食は旨いというが、これほど営業しているとは。
午後は、大学にいる。9月の若者自立支援・子育て支援の集会の相談で、労働者協同組合の方々が3人来訪。いろいろ教えていただいて勉強になったが、たくさんの宿題を出された。
夜、神保町の岩波ホールで羽田澄子監督「嗚呼、満蒙開拓団」を観た。31日までなので、どうしても観たかった。これについては、後ほど。
佐藤春夫『小説永井荷風伝』を読んだ。文庫の新刊で出たのと、上田自由大学がらみで話題になったようなかすかな記憶があったからだが、そういうことはまったく書かれていない。荷風も、有島武郎と同じように恵まれすぎた自分の出生を負い目に市井の人々の風俗を身をもって描き、非社会的な(反権力とも言えるが)人生を生きた。
午前は市ヶ谷で会議。
駅前で食事の場所を探したが、夜しか行かない居酒屋さんがみんなランチをしている。それもみんな盛況である。居酒屋の昼食は旨いというが、これほど営業しているとは。
午後は、大学にいる。9月の若者自立支援・子育て支援の集会の相談で、労働者協同組合の方々が3人来訪。いろいろ教えていただいて勉強になったが、たくさんの宿題を出された。
夜、神保町の岩波ホールで羽田澄子監督「嗚呼、満蒙開拓団」を観た。31日までなので、どうしても観たかった。これについては、後ほど。
佐藤春夫『小説永井荷風伝』を読んだ。文庫の新刊で出たのと、上田自由大学がらみで話題になったようなかすかな記憶があったからだが、そういうことはまったく書かれていない。荷風も、有島武郎と同じように恵まれすぎた自分の出生を負い目に市井の人々の風俗を身をもって描き、非社会的な(反権力とも言えるが)人生を生きた。
2009年07月30日
2009年07月29日
公民館運営審議会と…
三芳町の公民館運営審議会の初会合。
自治体の教育関係審議会の委員はいろいろと関わってきたが、こと公民館運営審議会委員となると、鶴ヶ島市以来だから10数年ぶりである。自分でも意外。職員の方の説得に負けてお引き受けした。
委員の方々は、住民の学習や文化活動をしている団体の代表が多いのだが、外国人のための日本語教室、障害者の点訳サークル、子育て支援、子どもの環境教育(エコクラブ)、高齢者大学、学校のPTA、などの団体である。これらは、社会的なハンディキャップをもつ人々が人間らしく生きていくことを支え合う仕事であり、地域が地域として存続していくために不可欠のものである。久しぶりの新参者として、あらためて感動した。
しかし、一方で、公民館について、全国的には自治体の直接責任から切り離して指定管理者制度へ移行するところも出ている。
ぼくは、公民館と委員の役割について最初の問題提起をさせてもらった。
夜、東京・市ヶ谷で子育て文化協同旧事務局メンバーの暑気払い。
若者自立支援で活躍しているYさんが元気だ。かれのフリースペースには今5,60人もの社会的ひきこもりの若者たちが集まっているのだそうだ。ニート・フリーターをふくめて若者たちが社会的に自立していく経済的・教育的システムをつくろう、韓国を含むアジアの運動と結ぼう、「定常型社会」へ向けての社会や人間のあり方を探ろう、と話が盛り上がり、ハッパをかけられた。
写真は、三芳町庁舎から自宅のある元大井町方面を望む。武蔵野の平地林である。左の方が三富新田、右のツインタワーがふじみ野駅周辺、正面、森の向こうが自宅である。写真の大きなビルではない。
自治体の教育関係審議会の委員はいろいろと関わってきたが、こと公民館運営審議会委員となると、鶴ヶ島市以来だから10数年ぶりである。自分でも意外。職員の方の説得に負けてお引き受けした。
委員の方々は、住民の学習や文化活動をしている団体の代表が多いのだが、外国人のための日本語教室、障害者の点訳サークル、子育て支援、子どもの環境教育(エコクラブ)、高齢者大学、学校のPTA、などの団体である。これらは、社会的なハンディキャップをもつ人々が人間らしく生きていくことを支え合う仕事であり、地域が地域として存続していくために不可欠のものである。久しぶりの新参者として、あらためて感動した。
しかし、一方で、公民館について、全国的には自治体の直接責任から切り離して指定管理者制度へ移行するところも出ている。
ぼくは、公民館と委員の役割について最初の問題提起をさせてもらった。
夜、東京・市ヶ谷で子育て文化協同旧事務局メンバーの暑気払い。
若者自立支援で活躍しているYさんが元気だ。かれのフリースペースには今5,60人もの社会的ひきこもりの若者たちが集まっているのだそうだ。ニート・フリーターをふくめて若者たちが社会的に自立していく経済的・教育的システムをつくろう、韓国を含むアジアの運動と結ぼう、「定常型社会」へ向けての社会や人間のあり方を探ろう、と話が盛り上がり、ハッパをかけられた。
写真は、三芳町庁舎から自宅のある元大井町方面を望む。武蔵野の平地林である。左の方が三富新田、右のツインタワーがふじみ野駅周辺、正面、森の向こうが自宅である。写真の大きなビルではない。
2009年07月28日
片山敏彦さん
5月頃、ある授業で2年生の学生が彫刻家・高田博厚さんについて報告した。高田さんの作品が大学の乗降駅の街路に並んでいるからだ。
その報告によれば、高田さんが大正期の大学時代、ドイツ文学者の片山敏彦さんと知り合い、晩年に至るまで親交があったという。
片山さんは、一方で武者小路実篤とも晩年に美術展を開いてもいる。
そうだ!『ジャン・クリストフ』は、片山敏彦さんの翻訳で読み始めたのだったと思い出し、今度長野の書棚から持ってきた。
豊島さんの訳よりも(7月21日付)、ずっと洗練されており、読みやすい。
たとえば、豊島訳で、くだんの「ルイザは心転倒してしまい、クリストフは感動して駆け寄った」((一)の511ページ)とあるが、この場合の「感動」は、「動転」とか「驚愕」と訳すべきではないか、とぼくが書いたところだが、片山訳では、
「ルィーザは気も転倒するほどに驚き、そしてクリストフもおどろいてエルンストのほうに駆けよった」
となる。はるかに正確で読みやすい。岩波文庫はどうして豊島さんの訳をそのままにしておくのだろうか。
ぼくはどちらで読み続けるべきなのだろうか、悩みが増えてしまった。
その報告によれば、高田さんが大正期の大学時代、ドイツ文学者の片山敏彦さんと知り合い、晩年に至るまで親交があったという。
片山さんは、一方で武者小路実篤とも晩年に美術展を開いてもいる。
そうだ!『ジャン・クリストフ』は、片山敏彦さんの翻訳で読み始めたのだったと思い出し、今度長野の書棚から持ってきた。
豊島さんの訳よりも(7月21日付)、ずっと洗練されており、読みやすい。
たとえば、豊島訳で、くだんの「ルイザは心転倒してしまい、クリストフは感動して駆け寄った」((一)の511ページ)とあるが、この場合の「感動」は、「動転」とか「驚愕」と訳すべきではないか、とぼくが書いたところだが、片山訳では、
「ルィーザは気も転倒するほどに驚き、そしてクリストフもおどろいてエルンストのほうに駆けよった」
となる。はるかに正確で読みやすい。岩波文庫はどうして豊島さんの訳をそのままにしておくのだろうか。
ぼくはどちらで読み続けるべきなのだろうか、悩みが増えてしまった。
絵本
W君はゼミの卒業生で、いま川崎の小学校の先生をしている。自らフルートを奏する音楽愛好家で豊かな芸術的な素養の持ち主だ。感じること、表現することを軸にした教育実践で、2,3年前には朝日新聞で大きく紹介されたりもした。
先日、贈り物をいただいたので礼状を出したら、すぐさままた「夏バテ対策第2弾」と称して絵本を贈ってくれた。1冊1冊が写真のような素敵な装丁になっていて、メッセージが付いている。
『エリカ 奇跡のいのち』には、「先日、先生の懐かしい字体の葉書が届き大感激です。元気を振り絞らなければならない日の明け方に読む本です」とある。
『ともだちからともだちへ』、「必要とされている自分に気づき、めきめき自尊感情が湧く本です」。
『だいじょうぶだよ、ゾウさん』、「愛する人の存在に鈍感になりそうなときに読む本です。先生は働き過ぎです。でも、とても楽しそうなので気をつけながら続行です」。
絵本は、楽しみにとっておいて、夏休みの大事な時間に読む。
先日、贈り物をいただいたので礼状を出したら、すぐさままた「夏バテ対策第2弾」と称して絵本を贈ってくれた。1冊1冊が写真のような素敵な装丁になっていて、メッセージが付いている。
『エリカ 奇跡のいのち』には、「先日、先生の懐かしい字体の葉書が届き大感激です。元気を振り絞らなければならない日の明け方に読む本です」とある。
『ともだちからともだちへ』、「必要とされている自分に気づき、めきめき自尊感情が湧く本です」。
『だいじょうぶだよ、ゾウさん』、「愛する人の存在に鈍感になりそうなときに読む本です。先生は働き過ぎです。でも、とても楽しそうなので気をつけながら続行です」。
絵本は、楽しみにとっておいて、夏休みの大事な時間に読む。
2009年07月27日
母一周忌
母親が亡くなってそろそろ1年になる。26日、一周忌を営んだ。法要は自宅でやり、お斉きは犀北館でやった。
前夜、偶然に開けたら、長野の机の引き出しに、写真のような広告の裏に書いた母親の書き付けがみつかった。
母親は、メモや、ときには手紙にも広告の紙の裏を使った。
ぼくは18才で長野を離れ、東京の大学の寮に移った。一周忌にも出ていてくれた高校時代からの友人Mも同じ部屋だった。そこに毎月のように母親から段ボールの箱で食べ物が送られてきて、調理などしないぼくにはうっとうしいくらいだったが、かならず広告の紙の裏に書いた手紙が入っていた。貧しかった母はそのようにして僕らを育ててくれた。
写真の書き付けはそんなに古くはない。家の何かの行事があって、東京から長野に行ったぼくらに、「先に寝る」ということを伝えるものである。
そんなことを、ぼくは挨拶で述べた。
母親にとってこういう行事は楽しみでもある反面、一大イヴェントで、しばしばパニックにもなって埼玉にいるぼくらは悩まされた。しかし、長野のコミュニティのしきたりなどがあって、ぼくらにも大行事ではあり、金曜日から今日、月曜の朝までびっちり疲れた。
緊急の職場の仕事で帰り、夜は雑誌の編集企画の相談が持ち込まれており、さっき帰宅。
前夜、偶然に開けたら、長野の机の引き出しに、写真のような広告の裏に書いた母親の書き付けがみつかった。
母親は、メモや、ときには手紙にも広告の紙の裏を使った。
ぼくは18才で長野を離れ、東京の大学の寮に移った。一周忌にも出ていてくれた高校時代からの友人Mも同じ部屋だった。そこに毎月のように母親から段ボールの箱で食べ物が送られてきて、調理などしないぼくにはうっとうしいくらいだったが、かならず広告の紙の裏に書いた手紙が入っていた。貧しかった母はそのようにして僕らを育ててくれた。
写真の書き付けはそんなに古くはない。家の何かの行事があって、東京から長野に行ったぼくらに、「先に寝る」ということを伝えるものである。
そんなことを、ぼくは挨拶で述べた。
母親にとってこういう行事は楽しみでもある反面、一大イヴェントで、しばしばパニックにもなって埼玉にいるぼくらは悩まされた。しかし、長野のコミュニティのしきたりなどがあって、ぼくらにも大行事ではあり、金曜日から今日、月曜の朝までびっちり疲れた。
緊急の職場の仕事で帰り、夜は雑誌の編集企画の相談が持ち込まれており、さっき帰宅。
2009年07月24日
2009年07月22日
どんでん
今週も毎日授業。
20日。海の日の休日なのに大学は授業。文部科学省の授業時数を確保しろという方針がきびしくなり、ハッピー・マンデーがアン・ハッピーになってしまった。そもそも、数年前までは7月に入れば夏休みモードだったのに、この時期まで授業をしていること自体が大変化。授業はするに越したことはないが、いい意味での大学らしさがなくなると思う、学生にも教員にも。小学校も中学校も夏休みなのに。
おまけに、ぼくの場合、週あたり2コマも担当が増えている。これは高校教員よりも多い。
さらに言えば、今年から初めて、夏休みに教員免許更新制の講座をわが大学でも実施する。ぼくも講義をするのだが、これが夏休みのど真ん中で、いろいろな研究計画が立てにくい。
ただ、受講者名簿を見たら、ゼミの卒業生が6,7人もいて、会うのは楽しみである。講座の合間に同窓会をやろうということになった。
夜は、民研の研究会と暑気払い。若い人と一緒で、張り合ったせいか、食べ過ぎた。
21日。授業。このうち1コマは試験。今年は、いい問題が作れたと自負していたが、時間中に机間巡視すると、書けていない学生も散見された。試験は、学生にとっても試練だが、教員にとっても成果が問われる。怖くてまだ答案を見ていない。
空き時間に、月刊雑誌の小さな原稿を仕上げて送った。
夜は、青年劇場の俳優さんたちに呼び出されて会議。会場だけは、ぼくが指定して友人の店(新宿の「どんでん」)にしてもらった。そのうち、何年ぶりかに会う高校時代の同窓生がまったく偶然に現れて、張り合ったせいか、飲み過ぎた。
今日、22日。朝から夕方まで授業。途中、頭がもうろうとしていた。来客があったが、8時ころ帰宅。一人だったので、酒を飲みながらテレビのヤクルト−阪神戦を大音響で見た。今年、初めての夏気分。幸いヤクルトが勝ったのでいい気分。
ヤクルトといえば、最近知り合いのブログにヤクルトのことが書かれていた。
……高田(監督)はスワローズに相応しい。何故かというと、古い順に金田、船田、安田、飯田、古田と、それぞれの時代を引っ張ってきた中心選手はみんな田の字が付いているからだ。これはぼくの今日一番の発見だ。……
前世からのヤクルトファンであるぼくは当然ながらそのことを知っていた。もっと言うと、金田投手の球を受けたのも谷田比呂美捕手。1955年のホームラン王は町田行彦選手(高校の先輩)、名手箱田3塁手もいる。
箱田の後がまと期待されて鳴り物入りで入団したのが亀田選手だった。亀田選手は、大宮工業高校の選手で、甲子園で7連続安打を打ち、長嶋茂雄さんが史上最高額の契約金(1000万円)で巨人に入った翌年、高校生でありながら同じ契約金でヤクルト(当時の国鉄)に入った。
残念ながらそれほど活躍できなかったが、引退後知り合い、家族でお世話になっていて年に何回かはお会いする。
ぼくも「田」の字が付くし、現役の志田、鎌田、花田も応援している。
20日。海の日の休日なのに大学は授業。文部科学省の授業時数を確保しろという方針がきびしくなり、ハッピー・マンデーがアン・ハッピーになってしまった。そもそも、数年前までは7月に入れば夏休みモードだったのに、この時期まで授業をしていること自体が大変化。授業はするに越したことはないが、いい意味での大学らしさがなくなると思う、学生にも教員にも。小学校も中学校も夏休みなのに。
おまけに、ぼくの場合、週あたり2コマも担当が増えている。これは高校教員よりも多い。
さらに言えば、今年から初めて、夏休みに教員免許更新制の講座をわが大学でも実施する。ぼくも講義をするのだが、これが夏休みのど真ん中で、いろいろな研究計画が立てにくい。
ただ、受講者名簿を見たら、ゼミの卒業生が6,7人もいて、会うのは楽しみである。講座の合間に同窓会をやろうということになった。
夜は、民研の研究会と暑気払い。若い人と一緒で、張り合ったせいか、食べ過ぎた。
21日。授業。このうち1コマは試験。今年は、いい問題が作れたと自負していたが、時間中に机間巡視すると、書けていない学生も散見された。試験は、学生にとっても試練だが、教員にとっても成果が問われる。怖くてまだ答案を見ていない。
空き時間に、月刊雑誌の小さな原稿を仕上げて送った。
夜は、青年劇場の俳優さんたちに呼び出されて会議。会場だけは、ぼくが指定して友人の店(新宿の「どんでん」)にしてもらった。そのうち、何年ぶりかに会う高校時代の同窓生がまったく偶然に現れて、張り合ったせいか、飲み過ぎた。
今日、22日。朝から夕方まで授業。途中、頭がもうろうとしていた。来客があったが、8時ころ帰宅。一人だったので、酒を飲みながらテレビのヤクルト−阪神戦を大音響で見た。今年、初めての夏気分。幸いヤクルトが勝ったのでいい気分。
ヤクルトといえば、最近知り合いのブログにヤクルトのことが書かれていた。
……高田(監督)はスワローズに相応しい。何故かというと、古い順に金田、船田、安田、飯田、古田と、それぞれの時代を引っ張ってきた中心選手はみんな田の字が付いているからだ。これはぼくの今日一番の発見だ。……
前世からのヤクルトファンであるぼくは当然ながらそのことを知っていた。もっと言うと、金田投手の球を受けたのも谷田比呂美捕手。1955年のホームラン王は町田行彦選手(高校の先輩)、名手箱田3塁手もいる。
箱田の後がまと期待されて鳴り物入りで入団したのが亀田選手だった。亀田選手は、大宮工業高校の選手で、甲子園で7連続安打を打ち、長嶋茂雄さんが史上最高額の契約金(1000万円)で巨人に入った翌年、高校生でありながら同じ契約金でヤクルト(当時の国鉄)に入った。
残念ながらそれほど活躍できなかったが、引退後知り合い、家族でお世話になっていて年に何回かはお会いする。
ぼくも「田」の字が付くし、現役の志田、鎌田、花田も応援している。
2009年07月21日
芭蕉布・レミゼラブル
ゼミで沖縄調査の準備学習。だれかが「ところで、芭蕉布って何だ?」。
ぼくは、芭蕉からつくる布、芭蕉はバナナの種類の植物、だから松尾芭蕉は別名・松尾バナナ、最近は吉本芭蕉という女性の小説家もいる、と説明。
「バナナの実からどうやって繊維を取るんだ?」というので、ぼくは、そうだ!とかばんの中からティナラク織りのブックカバーを取りだした。ティナラク織りは、フィリピンの先住民族ティボリの女性たちがつくる布で、やはり芭蕉から取る。
かばんの中をあれこれ探したので、机に並んだのは、右からティナラク織りのブックカバー、青森のこぎんざしの名刺入れ、山梨の印伝の小銭入れ、伊東屋の筆入れ。ものを忘れる、なくす名人のぼくだが、この筆入れだけは15年もっている。
学生にティナラク織りを回すと、中の本を見ている学生がいる。「先生ってどんな本を読んでるのかと思って」。
本は、岩波文庫の『ジャン・クリストフ』だった。本の内容についてはいずれ書くが、翻訳について一言。
これは、豊島与志雄さんの翻訳だが、なにせ古い。日本語の用語法が相当違うところがある。
一番気になるのは、「感動」ということば。
たとえば、「ルイザは心転倒してしまい、クリストフは感動して駆け寄った」((一)の511ページ)とあるが、この場合の「感動」は、「動転」とか「驚愕」と訳すべきではないか。
同じことを思ったことがある、と本棚を探すと、同じ豊島与志雄訳の岩波文庫『レミゼラブル』があった。ここにも(111ページ)、「感動」は「衝撃」か「ショック」とすべき、と、ぼくが書いた付箋が貼ってあった。
ちなみに、ウィキペディアには、つぎのように書かれている。
1917年、生活のため、新潮社に中村武羅夫を訪ねて仕事を貰ったのが、『レ・ミゼラブル』の翻訳であった。これがベストセラーになり、大金を得たが、何度か改訂を経てこの翻訳は今も岩波文庫で読み継がれている名訳である。
1917年であれば、おそらく日本語自体も相当違っていたのかもしれない。
ついでだが、「変化」の用語法も今とはずいぶん違う。「変化」とは、「ナニナニからナニに−−する」(『新明解』)というように、いわば自動詞的に使うのが現代では普通だと思うが、豊島さんは「ほかのナニカを変える」(変革する)と他動詞のように使う。読みながらとげが刺さるような感じ。
ぼくは、芭蕉からつくる布、芭蕉はバナナの種類の植物、だから松尾芭蕉は別名・松尾バナナ、最近は吉本芭蕉という女性の小説家もいる、と説明。
「バナナの実からどうやって繊維を取るんだ?」というので、ぼくは、そうだ!とかばんの中からティナラク織りのブックカバーを取りだした。ティナラク織りは、フィリピンの先住民族ティボリの女性たちがつくる布で、やはり芭蕉から取る。
かばんの中をあれこれ探したので、机に並んだのは、右からティナラク織りのブックカバー、青森のこぎんざしの名刺入れ、山梨の印伝の小銭入れ、伊東屋の筆入れ。ものを忘れる、なくす名人のぼくだが、この筆入れだけは15年もっている。
学生にティナラク織りを回すと、中の本を見ている学生がいる。「先生ってどんな本を読んでるのかと思って」。
本は、岩波文庫の『ジャン・クリストフ』だった。本の内容についてはいずれ書くが、翻訳について一言。
これは、豊島与志雄さんの翻訳だが、なにせ古い。日本語の用語法が相当違うところがある。
一番気になるのは、「感動」ということば。
たとえば、「ルイザは心転倒してしまい、クリストフは感動して駆け寄った」((一)の511ページ)とあるが、この場合の「感動」は、「動転」とか「驚愕」と訳すべきではないか。
同じことを思ったことがある、と本棚を探すと、同じ豊島与志雄訳の岩波文庫『レミゼラブル』があった。ここにも(111ページ)、「感動」は「衝撃」か「ショック」とすべき、と、ぼくが書いた付箋が貼ってあった。
ちなみに、ウィキペディアには、つぎのように書かれている。
1917年、生活のため、新潮社に中村武羅夫を訪ねて仕事を貰ったのが、『レ・ミゼラブル』の翻訳であった。これがベストセラーになり、大金を得たが、何度か改訂を経てこの翻訳は今も岩波文庫で読み継がれている名訳である。
1917年であれば、おそらく日本語自体も相当違っていたのかもしれない。
ついでだが、「変化」の用語法も今とはずいぶん違う。「変化」とは、「ナニナニからナニに−−する」(『新明解』)というように、いわば自動詞的に使うのが現代では普通だと思うが、豊島さんは「ほかのナニカを変える」(変革する)と他動詞のように使う。読みながらとげが刺さるような感じ。
2009年07月20日
中山晋平・追補
学生と、DVD「ララ、唄は流れる」を観た。中山晋平のドキュメンタリーである。野口清人監督・作品のもの。近作「草の実」よりも映画としてはていねいにつくられていると思った。
信濃自由大学も「赤い鳥」も出てくるが、自由大学については簡単に触れられているだけで、ぼくとしては残念だったが、それは自然なのだろう。
野口先生は、以前に「童謡・唱歌」のビデオも作成している。これは、長野にかかわるさまざまな歌に、長野のあちこりの風景を配したとてもいい作品である。
ぼくは自分で手に入れたほか、母親が世話になっていた医療施設にも寄贈した。
野口先生の音楽についての識見は、「まほろばニュース」に、毎号書いておられる曲の解説と写真で、よくわかる。童謡を中心とした解説を支える博識に感心する。
ぼくの夢は、いつかこれを本にすることである。
「まほろばニュース」を探したついでに、ぼくに贈られてくるさまざまなニューズレターを並べてみた。学会の通信をはじめ、ぼくが所属するNPOやサークルの会誌である。ほとんどが会員制のNPOやサークルのものである。教育や地域づくりの関係が多いが、先日数えてみたら60数団体あった。全国にわたるが、それぞれ親しい友人たちなので断り切れない。
信濃自由大学も「赤い鳥」も出てくるが、自由大学については簡単に触れられているだけで、ぼくとしては残念だったが、それは自然なのだろう。
野口先生は、以前に「童謡・唱歌」のビデオも作成している。これは、長野にかかわるさまざまな歌に、長野のあちこりの風景を配したとてもいい作品である。
ぼくは自分で手に入れたほか、母親が世話になっていた医療施設にも寄贈した。
野口先生の音楽についての識見は、「まほろばニュース」に、毎号書いておられる曲の解説と写真で、よくわかる。童謡を中心とした解説を支える博識に感心する。
ぼくの夢は、いつかこれを本にすることである。
「まほろばニュース」を探したついでに、ぼくに贈られてくるさまざまなニューズレターを並べてみた。学会の通信をはじめ、ぼくが所属するNPOやサークルの会誌である。ほとんどが会員制のNPOやサークルのものである。教育や地域づくりの関係が多いが、先日数えてみたら60数団体あった。全国にわたるが、それぞれ親しい友人たちなので断り切れない。
2009年07月16日
芙蓉・公開授業
今日も太陽がかっと照る夏日。
近所が毎年咲かせる大きな花。芙蓉だと思うのだけど。ムクゲにも似ているし。
今日は東松山キャンパスで公開授業。
ぼくの学部では、この4月からFD(教職員の資質向上)のとりくみを始めているのだが、この日は同僚の若い先生が授業を公開してくださった。学部としては初めてのこと。教員が7人参加して学んだ。ビデオも撮った。
ぼくは教育学だから、小学校から高校までの公開研究会での授業や、学生の教育実習の研究授業は、しょっちゅう参加しているが、大学の授業に、こういう立場で参加するのは初めて。
それ自体、なんだかエキサイティングな体験だった。専門も近いので、内容にも興味津々だった。授業者の先生には心からの敬意とお礼。
近所が毎年咲かせる大きな花。芙蓉だと思うのだけど。ムクゲにも似ているし。
今日は東松山キャンパスで公開授業。
ぼくの学部では、この4月からFD(教職員の資質向上)のとりくみを始めているのだが、この日は同僚の若い先生が授業を公開してくださった。学部としては初めてのこと。教員が7人参加して学んだ。ビデオも撮った。
ぼくは教育学だから、小学校から高校までの公開研究会での授業や、学生の教育実習の研究授業は、しょっちゅう参加しているが、大学の授業に、こういう立場で参加するのは初めて。
それ自体、なんだかエキサイティングな体験だった。専門も近いので、内容にも興味津々だった。授業者の先生には心からの敬意とお礼。
2009年07月15日
猛暑
梅雨も明けて猛暑。会う人ごとに、暑いね!
朝の9時から夕方5時まで授業の最もハードな日。
写真のように、太陽熱発電、風力発電とエコキャンパスを標榜しているのだが、中庭の樹木は枯死寸前。それは、この木の下に、大きな風洞がつくられていて冷房や冬の暖房に有効だということになっているが、その分樹木を養う土が十分ないのではないかと思う。樹木にやさしくなくて、エコもないと思う。
もう1枚の写真の3階のどれかがぼくの研究室。
夜は、このあいだの検査結果を聞きに夜間診療に行った。
活動中の胃潰瘍があるが、生検は異常なし。ピロリ菌がいるので駆除することになった。
ところで先日の胃カメラは、初めて鼻孔からの検査というのを体験した。
ぼくは、のどを通す検査が非常に弱い。検査の間もつらいし、終わるとカメラの管を締め付けるのか、のどは数日間痛む。
長野の病院にいる友人の医者のMは「お前は緊張が強い」と、麻酔(麻薬)で眠らせてやってくれるので、毎回長野でやっていた。これは、検査が楽というだけでなく、癖になりそうで危険なくらい、実に気持ちがよくなるのだ。
しかし、そのMは検査を引退したので、仕方なく埼玉で、少しは楽だという鼻孔検査をしたのだ。のどよりははるかに楽だったが、後で鼻血が出て困った。同じ検査をした知り合いは、検査中から出血して大変だったとも聞いた。だって弱い粘膜だものね。
朝の9時から夕方5時まで授業の最もハードな日。
写真のように、太陽熱発電、風力発電とエコキャンパスを標榜しているのだが、中庭の樹木は枯死寸前。それは、この木の下に、大きな風洞がつくられていて冷房や冬の暖房に有効だということになっているが、その分樹木を養う土が十分ないのではないかと思う。樹木にやさしくなくて、エコもないと思う。
もう1枚の写真の3階のどれかがぼくの研究室。
夜は、このあいだの検査結果を聞きに夜間診療に行った。
活動中の胃潰瘍があるが、生検は異常なし。ピロリ菌がいるので駆除することになった。
ところで先日の胃カメラは、初めて鼻孔からの検査というのを体験した。
ぼくは、のどを通す検査が非常に弱い。検査の間もつらいし、終わるとカメラの管を締め付けるのか、のどは数日間痛む。
長野の病院にいる友人の医者のMは「お前は緊張が強い」と、麻酔(麻薬)で眠らせてやってくれるので、毎回長野でやっていた。これは、検査が楽というだけでなく、癖になりそうで危険なくらい、実に気持ちがよくなるのだ。
しかし、そのMは検査を引退したので、仕方なく埼玉で、少しは楽だという鼻孔検査をしたのだ。のどよりははるかに楽だったが、後で鼻血が出て困った。同じ検査をした知り合いは、検査中から出血して大変だったとも聞いた。だって弱い粘膜だものね。
2009年07月13日
ガクアジサイ
前後するが、土曜日。
午前中は、研究所の会議。終わって昼食の韓国料理を食べていたら、ホームページにエッセイを書けという。躊躇していたら、Tさんが、この間のブログのアラゴンの記事を転用していいかと聞く。それでいいなら、と快諾。
その後、Gホテルの喫茶店で、Hさん、Mさんとコーヒーを飲みながら四方山話。
内容は切実だが、こういうゆったりとした時間のなかでは、余裕を持ってゆっくりと考えることができる。
夜は、武蔵浦和で、3人で学会の企画の相談。楽しく飲みながらだと、いい考えも浮かぶ。
写真は、長野のアジサイ。裏の窓を開けると目に飛び込んできた。
表だけ見ていて、今まで気が付かなかった。生命の営みがありがたい。
午前中は、研究所の会議。終わって昼食の韓国料理を食べていたら、ホームページにエッセイを書けという。躊躇していたら、Tさんが、この間のブログのアラゴンの記事を転用していいかと聞く。それでいいなら、と快諾。
その後、Gホテルの喫茶店で、Hさん、Mさんとコーヒーを飲みながら四方山話。
内容は切実だが、こういうゆったりとした時間のなかでは、余裕を持ってゆっくりと考えることができる。
夜は、武蔵浦和で、3人で学会の企画の相談。楽しく飲みながらだと、いい考えも浮かぶ。
写真は、長野のアジサイ。裏の窓を開けると目に飛び込んできた。
表だけ見ていて、今まで気が付かなかった。生命の営みがありがたい。
2009年07月12日
シバムシか、電気虫か?
ニシキギに虫が大量発生。
むしずが走るという人もいるから写真は出さない。
昨日、連れ合いが知らずに触れたら電気が走ったという。それで、「電気虫」という。
その虫を見たら、ぼくの知識では「シバムシ」だった。
どちらが正しいか。
昨日から、群馬で農家をしている姉のところにトウモロコシの収穫の手伝いに行った連れ合いは、みんな「電気虫」だと言っていたという。
それで、辞書を見たらどちらも載っていない。
ネットで検索したら、正しくは「イラガ」。
「電気虫」は地方語、「シバムシ」は長野語とあった。
どうもぼくが分が悪い。
朝早く起きてタンクをかついで消毒をしたが、シバムシは強く、元気に活動している。仕方なく、割り箸で一匹ずつ取った。50匹くらい取ったが、しばらくして行くと、また現れる。午前中、シバムシとにらめっこしていた。
さすがに飽きて、午後は学会通信の原稿や仕事の報告書を書いた。
夕方、畑に行って草取りや収穫をした。
あらためて言うこともないが、キュウリ、ナス、ピーマン、トマト、シシトウ、ネギ。
ネギは売るほどある。
むしずが走るという人もいるから写真は出さない。
昨日、連れ合いが知らずに触れたら電気が走ったという。それで、「電気虫」という。
その虫を見たら、ぼくの知識では「シバムシ」だった。
どちらが正しいか。
昨日から、群馬で農家をしている姉のところにトウモロコシの収穫の手伝いに行った連れ合いは、みんな「電気虫」だと言っていたという。
それで、辞書を見たらどちらも載っていない。
ネットで検索したら、正しくは「イラガ」。
「電気虫」は地方語、「シバムシ」は長野語とあった。
どうもぼくが分が悪い。
朝早く起きてタンクをかついで消毒をしたが、シバムシは強く、元気に活動している。仕方なく、割り箸で一匹ずつ取った。50匹くらい取ったが、しばらくして行くと、また現れる。午前中、シバムシとにらめっこしていた。
さすがに飽きて、午後は学会通信の原稿や仕事の報告書を書いた。
夕方、畑に行って草取りや収穫をした。
あらためて言うこともないが、キュウリ、ナス、ピーマン、トマト、シシトウ、ネギ。
ネギは売るほどある。
2009年07月11日
2009年07月10日
2009年07月08日
2009年07月07日
2009年07月05日
沖縄・第2日
沖縄第2日。一日仕事。
今回は大学の入試関係のものだが、高大接続についての現状について認識を改めさせられるところも多く、自分自身の中等教育研究にとっても意味があった。
この日は、曇り、しばしば雨、ときどきスコール。これには驚く。いきなりクルマの屋根がバタバタバタと叩かれるような音がしたかと思うと、地面には直径5センチくらいの雨の粒が広がる。ワイパーを最速にしても前が見えなくなる。
4枚目の写真、避難するカタツムリと蝉。
名護で仕事が終わったのが、6時。東恩納琢磨さんと島袋正敏さんに電話した。
どちらも突然の電話だったのだが、ゼミの調査合宿についてお願いするためである。
ジュゴン保存運動にとりくむ琢磨さんには、合宿で毎回話を伺っている。琢磨さんは大江健三郎さんが「憂い顔の青年」と称した、地域づくりの担い手である。忙しい中かけつけてくれて、資料と土産を渡すことができた。
島袋さんが指定した新しい居酒屋は、「くねんぼ」という店。
おしゃれな店で、若い人も多い。
店の名前は、シークァーサーなどが苗を植えて実がなるまで9年かかるということから付けたという。
そういえば、メニューには「勝山シークァーサー」という名前がよく出てくる。
ぼくは、学生と一昨年勝山地区を訪ね、シークァーサーの畑や工場を見学したのだが、ここのマスターのYさんは、その工場長の息子さんだそうである。
おまけに学生時代は、ぼくの大学のすぐ近くに住んでいたのだという。驚いた。
島袋さんには、最近の青年団の様子や社会教育の状況などを聞き、協力をお願いした。個人的には、「山原島酒之会」の会長としての島袋さんに泡盛用の壺と酒をあつらえてくれるようにお願いもした。
島袋さんが用事があって帰った後、カウンターで飲んでいると、Mさんが現れた。偶然寄ったのだという。Mさんは、勝山地区の区長で公民館長であり、一昨年、地域を案内してもらったり話を伺った。これ幸いと、お祭りやエイサーの見学について調査の協力をお願いした。
そんなわけで一石三鳥くらいの収穫があった。
月桃の花・アグー
前回の写真の5枚目は、月桃の花。もう実がなっている木が多く、最後の花。
6枚目は、ナンバンサイカチ。
最後の写真の「花ずみ」さんは、アグーの料理のメニューが多かった。
アグーは、沖縄在来種の豚で、小型だが旨い。
1980年頃、洋豚が増えてアグーは絶滅の危機に瀕していた。
名護市の博物館をつくり、初代館長だった島袋正敏さんは、伝統文化や在来動物の保存をテーマにし、豚、山羊、馬などの絶滅危惧種を集めた。
アグーについては、当時30頭くらいになっていたうちの18頭を集めた。
島袋さんは、当時、博物館で飼おうとも思ったらしいが、「博物館は動物園ではない」という教育委員会の反対で(そのとき、「動物園は博物館だ」とつぶやいたという)、近所の農家や北部農林高校で飼ってもらい、「もどし交配」という方法で増やしてきた。
いまやアグーは、沖縄のブランドになった。
ちなみに、翌日島袋さん本人から聞いたところでは、「島豚」はアグーと黒豚のバークシャーのかけ合わせのF1種。「チャーグー」は、北部農林が開発したもので、アメリカのデュロック種とのかけ合わせ。チャーは北を意味し「北部農林高校」の豚の意味。
そういう功績で、島袋さんは今年1月、琉球新報賞を産業活動部門で受賞した。
島袋さんの受賞は、もうひとつ「島酒」、つまり泡盛の復興に貢献したことにある。泡盛は、本土でもウィスキーや焼酎以上に高価なブランドになった。
社会教育の仕事が、地域づくりと結ぶ最も顕著な事例である。
6枚目は、ナンバンサイカチ。
最後の写真の「花ずみ」さんは、アグーの料理のメニューが多かった。
アグーは、沖縄在来種の豚で、小型だが旨い。
1980年頃、洋豚が増えてアグーは絶滅の危機に瀕していた。
名護市の博物館をつくり、初代館長だった島袋正敏さんは、伝統文化や在来動物の保存をテーマにし、豚、山羊、馬などの絶滅危惧種を集めた。
アグーについては、当時30頭くらいになっていたうちの18頭を集めた。
島袋さんは、当時、博物館で飼おうとも思ったらしいが、「博物館は動物園ではない」という教育委員会の反対で(そのとき、「動物園は博物館だ」とつぶやいたという)、近所の農家や北部農林高校で飼ってもらい、「もどし交配」という方法で増やしてきた。
いまやアグーは、沖縄のブランドになった。
ちなみに、翌日島袋さん本人から聞いたところでは、「島豚」はアグーと黒豚のバークシャーのかけ合わせのF1種。「チャーグー」は、北部農林が開発したもので、アメリカのデュロック種とのかけ合わせ。チャーは北を意味し「北部農林高校」の豚の意味。
そういう功績で、島袋さんは今年1月、琉球新報賞を産業活動部門で受賞した。
島袋さんの受賞は、もうひとつ「島酒」、つまり泡盛の復興に貢献したことにある。泡盛は、本土でもウィスキーや焼酎以上に高価なブランドになった。
社会教育の仕事が、地域づくりと結ぶ最も顕著な事例である。