2006年10月

2006年10月29日

お茶の花

お茶の花1お茶の花2ぼくは、ツワブキは冬の花と書いたが、これはまったくぼくの感覚に過ぎない。これから咲くだろう、茶色のノジギクはぼくには秋の花だし。今が盛りの船津さんのところのコスモスも秋の花だ。さて、このお茶の花は?このあたりは狭山茶の産地で、1キロも行けば、広大な茶園がある。畑の境に植えているのも多い。

 今日は、ケンイチ夫婦が来て、もちろん犬のモモも一緒なので昼食はどうするか迷い、三芳パーキング・エリアの「銀座まい泉」に行き、外のテーブルで食べた。
 午後、市ヶ谷のアルカディアで職場の関係の記念式典と祝賀会。
 明日から、ドイツに行きますので、ブログは1週間休みます。


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「族譜」

 昨日は、午前中会議のつもりで麹町まで出かけたが、会議室は暗くて誰もいず、事務局のMさんに電話すると、来週に延期したじゃないですか、という話。そうだった、でも予定表から削除するのを忘れていた。
 いったん家に帰り、夕方新宿でKさんと仕事の打ち合わせ。その後、紀伊国屋サザンシアターで青年劇場の「族譜」を観た。梶山季之さんの原作に、ジェームズ・三木さんが脚本を書いたもの。戦前戦中に、「内鮮一体」「一億一心」という名目で朝鮮の人々が「自主的に日本名に改名すること」を強いられた「創氏改名」問題を芝居にしたものである。

 畑の向こうに白い花が見えた。行ってみると、巨大なミョウガのようでもあり、南国の芭蕉のようでもある。人間の背丈ほどもある。やっぱりミョウガに近いか。花はきれいだ。
巨大茗荷1巨大茗荷2

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2006年10月28日

冬のツワブキ

ツワブキ1ツワブキ2今、庭にはホトトギスとフジバカマが花盛りで、これは秋の花の最後だが、ツワブキが咲き始めた。これはぼくのなかでは冬の花の代表。季節が変わる。

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ツルウメモドキ

ツルウメモドキ2ツルウメモドキ3
仙仁の直売所で手に入れたもの。ぼくはマユミの系統ではないかと思ったが、おばちゃんはツルウメモドキだと言う。

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2006年10月27日

菅平

 菅平は若いときからの思い出がいっぱいである。
 仙仁の直売所から、岩の湯を通り、(昔は、菅平でスキーを滑った後、道を下って岩の湯あたりまでスキーで下ったような気がする)菅平へ。
 長い時間がかかった工事の末、立派な道もできた。
 菅平からは、烏帽子岳も見える。これは、大江健三郎さんの小説にも、水上勉さんの画集にも出てくる山である。
 菅平の紅葉は、黄色が多くきれいだ。でも、道が一本道で止まるところがないし、午後の暗い時間でうまく写真が撮れなかった。
菅平1菅平2菅平3







菅平4菅平5菅平6

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おやきの平家

 長野と埼玉をクルマで往復するときに、長野と上田の間を高速道ではなく、菅平経由で行くことがある。時間さえあれば、そのほうが景色も気分もいいからだ。
 長野から菅平に向かい、仙仁温泉の手前の道沿いに、地元の物産や野菜などを売っている店があって、必ず寄ることにしている。地元の人が山に入って採ってきたものを持ち込んで売っているようで、いつも地元の人が集まってお茶を飲んでいる。春は山菜、秋はキノコなど珍しいものが多く、一人で切り盛りしているおばちゃんが気っぷがよくて、安い。
 同じ建物の半分は、おやきの店で「おやきの平家」という。「平家」と書いて「ていじや」と読ませる。こちらもHさんというおばさんが一人でやっているのだが、父親が戸隠でやっていた店の屋号を継いで、ここに開いたのだという。
 朝、電話で、野蒜のおやきを中心に頼んでおいて、埼玉へ帰る午後に取りに寄った。おやきは素朴でおいしい。ここにはアミという犬がいていつも遊んでくれる。店の前に、ホトトギスと青い小さな花が咲いていた。青い方は、名前はわからないが、戸隠から持ってきたという。
ていじやのアミホトトギス白ホトトギス須坂







戸隠1戸隠2戸隠3

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松川渓谷5 −赤

 松川渓谷の橋を渡って少し行った左側の民家の向こうに、カエデ(多分)の大木があった。木全体が燃えているように真っ赤で、圧倒された。大湯の前のドウダンツツジ、ハゼもあわせて、朱というのか緋色というのか赤シリーズ。
カエデ1カエデ2カエデ3







カエデ4ドウダンハゼ

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2006年10月26日

松川渓谷4 −大文字草

 松川渓谷の橋を渡ると、山田温泉の温泉街。戸倉・上山田温泉に対して下山田温泉と呼ばれることもあるが、通常山田温泉で通っている。温泉街と言っても数軒の旅館だけ。共同浴場の「大湯」の前のひろばで、餅をついて配ったり、山野草の店が出ていた。頼んで大文字草を撮らせてもらった。下の段のは、洋モノかもしれない。でもいずれも一応、ほんとうに「大」の字に見える。そのかわり、斑入りのアセビを買った。
大文字草1大文字草2大文字草3







大文字草4大文字草5大文字草6

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臭木

山本さんからお便り。

秋色の見事さ、素敵な写真ありがとう!「背景」いろいろ変えて楽しませていただいております。山の木々のいい匂いや空気が伝わってきます。あの青い木の実は「臭木、くさぎ」です。紅色の部分はお察しのようにはガク片。枝や葉を傷つけると悪臭を放つのでクサギ。けど、青い実は染料となり、藍のほか、美しいブルーをだすのはクサギだけ、と染色の本に本にかいてありました。

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松川渓谷3 −川面

松川渓谷13松川渓谷14松川渓谷15







川面の近くに降りる。
青い実の草が川面を被うように生えていて、
紫色の花のような、これは多分萼(ガク)なのであろう、きれい。
末かっわけいこく16松川渓谷17松川渓谷18

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2006年10月25日

松川渓谷2 −モミジ

つづき。
松川渓谷7松川渓谷8松川渓谷9







松川渓谷10松川渓谷11松川渓谷12

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2006年10月24日

松川渓谷の紅葉

松川渓谷1松川渓谷2松川渓谷3Aさんは、写真を趣味とする友人だが、桜や紅葉を追いかけて跳び回る。何度もコンクールなどで入賞しているプロ裸足の人である。紅葉はどこが一番ですか、と聞いたことがある。そしたら長野県の高山村、とすぐ答えが返ってきた。高山村には、水中桜という桜の名所もある。
 母のところから高山村はクルマで2,30分なので、足をのばした。現地の松川渓谷はすごいクルマのラッシュだった。紅葉はまだ少し早く、そのせいか色の冴えもないように感じたが、それでも初めての紅葉。
松川渓谷4松川渓谷5松川渓谷6

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2006年10月23日

リンゴ畑

ふるさとの窓からふるさと百日草ふるさと・碑母はこの日は調子がよいようで、しっかりとしていた。小春日和の中を車椅子で散歩した。百日草がうららかに咲いていた。「ふるさと」のこのあたりはリンゴの産地である。一面のリンゴ畑がつづく。
 今朝の朝日新聞には、「地域に生きる」として青森の板柳町のリンゴのことがことが大きく出ていた。山本さんの住む町である。きっと今頃リンゴがスゴイのだろう。
リンゴ畑1リンゴ畑2リンゴ畑3

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長野の庭のサンシュユ

sannsyuyu1サンシュユ2長野の「庭のサンシュユ」の実。サンシュユの花は、埼玉よりもずいぶんと遅いが、実が色づくのはずいぶんと早い。もう少しすると、葉が落ちて、鈴なりの真っ赤なサンシュユの実が現れる。


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教育科学研究会から長野へ

 土曜日は、教育科学研究会の教育学部会。5月に出した『現代教育のキーワード』の検討会。参加人数は少なかったけれど、グロバリぜーションのとらえかた、近代把握など意見も多様で勉強になった。
 そのあと、長野へ。写真は日曜日の朝。長野の実家の庭。前回に植えたネギがあまりに立派で、自分でもビックリ。柿もなり始めた。あとの方の柿は多分渋柿。
 それでも確実に秋。
 長野のネギ長野の柿1長野の柿2

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秋のノゲシ

山本さんからの便り(10月17日の「稲刈り2−土手の花」について)

「モリちゃんの田んぼの土手」の黄色い花。「背景」に使わせていただきました。まんなかの群落。腕白っ子らが元気満々で遊んでるみたいなイメージの写真。青空のもと、明るく楽しげに遊びまわる子どもたち。こんなたくましい雑草らしいのがわりと好きなのです。これは「アキノノゲシ」かな。1メートルこえるほど伸びます。
二ガナは茎が細く華奢、そして春に咲きます。でも同じキク科の仲間。

藤袴は、花も匂いを出すようになってきました。お香のような気高い匂いがします。



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2006年10月21日

鳥千寄席

鳥千寄席1鳥千寄席2鳥千寄席3 鳥千は、富士見市鶴瀬にある割烹居酒屋である。
 富士見市は、ほぼ30年前、社会教育調査をしたり、関係の審議会の仕事をしたり、学生たちの実習のお世話をいただいたりして、要するにぼくにとって研究のフィールドでもあり、実践の場でもあった。
 そのなかで鶴瀬西は、高度成長期につくられた団地を中心に最も早く都市化した地域で、自治会を中心にして地域の文化運動や自治的な運動が盛んで、公民館はその中心だった。そして、それと同じくらい鳥千は人々の交流の場であり、地域づくりの拠点だった。公民館の仕事を終えて職員や市民の人とひきつづき議論をしたり、くつろいだりする居場所だったし、ただ飲みに行っても、そこには知り合いの誰彼がいるというたまり場でもあった。
 だからぼくは鳥千を「夜の公民館」と命名したのだった。
 鳥千は、10年前から「鳥千寄席」を開いてきた。ママさんが席亭で、元社会教育職員の東海林さんが与太郎の役を買って出て、何かと切り盛りしてくださったようである。今年の八月に箱根で開かれた全国社会教育研究集会では、ママさんも行って地域の文化活動として寄席のとりくみについて報告してきたそうである。
 ところがその鳥千が12月10日で閉店するという。多くの人にとって青天の霹靂である。当然、鳥千寄席もしまわざるを得ない。1年に2回開いてきたので、今回の21回が最後になるという。どういうわけか、ぼくは寄席には出たことがないのだが、最後ということもあってか細川夫(おっと)さんが誘ってくれた。
 混むからと30分ほど前に行くと、もう30人以上の人が来ている。幟が立ち、提灯もついて雰囲気を出している。和室に机で高座をつくり、カウンター席の方の土間は床をはめ込んで平らにしてある。この日の予約は113人だそうで、超満員だった。
 この日の出演は、落語の桂き太郎、講談の神田陽子、落語の春風亭小柳枝師匠の面々。狭い熱気のなかで聞くのは、迫力もあり実に面白かった。10年間に出演した噺家さんたちもこの寄席を喜んでくれていたという。そして何よりもこの寄席をつくってきたのには、ママさん、東海林さんのお二人はもちろん、美術協会のNさん、細川夫(おっと)、元職員のWさんたち、大勢の支えがあったからであり、地域の力だということが、当日の運営を見ていてもよくわかった。
 終わってからはあと席、飲み会。あっという間に料理が並んだが、これもFさんたちが一日かけて準備したらしい。卓袱台は、店の前の庭にまで並べられて大にぎわい。師匠たちも遅くまでいっしょに楽しんでいた。「人形劇団ドン」のTさん、「教育を読む会」のMさんご夫婦、ギターを教えてもらったNさんなど旧知と会えたこともうれしかった。
 東京・昭島の社会教育職員だった山崎功さんも来ていたが、この寄席の出演者の紹介などはずっと山崎さんがやってくれていたそうな。これも初めて知った驚きだった。
鳥千寄席4鳥千寄席5鳥千寄席6

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基本検診

 昨日は、大井診療所とアポロ歯科と2つ行った。病院嫌いのぼくが、最近3つも行ったことになる。診療所は、9月の基本検診の結果を聞くため。
 あらためて3年分の結果を通してみると、体重も血圧もおまけに尿酸値もほぼ法則的に順調に増えている。要注意は、高血圧、心臓の左室肥大、尿酸値。お医者さんの話では、ぼくには高血圧、加齢、過去に吸っていたタバコの3つの危険因子があるのだという。運動をし、食事に気をつけて、酒を控えめにということで、引き続き継続観察をすることになった。
 2,3ヶ月前だったろうか。職場の同僚のTさんが「お元気ですか」と気遣ってくださった。ぼくが「悪いところだらけで、特に頭が悪い」と言うと、「ご冗談でしょう」という。さらにぼくが「いいのは顔だけです」と言うと、「もっと冗談でしょう」と言われた。最初の「ご冗談」は社交辞令で、2度目のは本気だったような気がする。
 夜、雑誌『高校のひろば』の編集委員会のあと、Uさん、Kさん、Kさんと「鳥珍」で飲みながら、検診の結果のことを話すとみなさん似たような課題を持っていて、話が盛り上がりついついお酒を過ごしてしまった。

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2006年10月20日

万両の実

万両9.3万両の実は、鳥が運んでくるせいか、あちこちに生えている。左の写真は、一ヶ月半ほど前、9月3日のもの。まだ青い。下の写真は1ヶ月半経った今のもの。実の柄のところが赤く色づいてきた。実も心なしか赤みがかり始めている。
 センリョウの実は、あんなに付いたのに途中で落ちてしまった。今年は、ウメモドキもダメだった。



万両1万両2万両3

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藤袴

山本さんから、昨日のブログについて、うれしい便り。

ぱっとみ、ふじばかまです。決め手は匂いです。ふじばかまの葉を手で揉んで匂いをかいでみてください。いい香りがします。いにしえの人たちは、この葉を乾燥させて箪笥に入れて、衣類にいい香りをしみこませたそうです。ちなみにフジバカマはどんどんふえるので、のばなしにせず、必要な分を残し、毎年、根からとりのぞくことが栽培ポイント。

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2006年10月19日

和楽

和楽1和楽2和楽3先週の和楽。つまみの牡蠣の塩辛が絶品。生のからすみも初めてのもの。蕎麦味噌も、酒はもちろんうまい。

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「少年よ、大志を抱け」について

 先週木曜日、テレビドラマ「Dr・コトー診療所2006」が再開された。
そのなかで、沖縄の孤島の人々の期待を一身に背負って、医者になるべく東京の学校に通う少年が有名中学校に合格して、そのお祝いに、コトー先生が自分が使った英語の辞書を贈る場面がある。
 その辞書には、「Boys,be ambitious」(少年よ、大志を抱け)とそれに続く英語が書かれており、ドラマではそれを日本語の手紙で読む。ぼくは、それに続く文章があるということも知らなかったし、その内容にはいっそう驚かされた。
 朝日新聞1964年3月16日の「天声人語」の訳によると、
 「青年よ大志を持て。それは金銭や我欲のためにではなく、また人呼んで名声という空しいもののためであってはならない。人間として当然そなえていなければならぬあらゆることを成しとげるために大志を持て」
 ぼくは、クラーク博士の時代が、時代は明治の最初であり、場所は北海道の開拓地であるということもあって、「大志」を、個人的ではないにしても「大望」とか「野心」に近いイメージでとらえていたと思う。そういう社会的な文脈で理解されていたのではないか。実際は、より内面的な価値の追究を言っていたということだ。
 ネットで検索すると、最初の「Boys」に違和感を表明する人もいる。それは、年齢に関わりなく、白人が黒人に対するように社会的に優位なものや目上の者が下のものに発する言葉だからというのだ。しかし、これについても,Boys ,be ambitious in God という宗教的な慣用句としてとらえた方がいいという意見もある。
 友人もブログでドラマについて書いている。

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フジバカマ…モドキ

 「フジバカマ」が咲いた。
 もうだいぶ前になるが、絶滅危惧種の「フジバカマ」を手に入れ、庭に植えた。そしたら絶滅危惧種もなんのそのどんどん増えて他を圧するようになっている。しかし、最近、杉本秀太郎=文、安野光雅=絵『みちの辺の花』(講談社学芸文庫)を読んでいたら、「藤袴」の項には文だけで絵がなく、入手困難なので、フジバカマに似た「さわひよどり」の絵を載せているとあった。
 うちのもサワヒヨドリなのだろうか。それで「フジバカマ…モドキ」。

フジバカマ1フジバカマ2フジバカマ3

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2006年10月18日

職人館

 民芸館でコーヒーをいただいて、職人館へ。(写真のシュウメイギクは職人館の前の畑に咲いていた。写真は昼のうちに撮ったもので、このとき着いたのはもう日が暮れていた)
 職人館の主人、北沢正和さんは蕎麦と料理の職人で、物書きでもあり、本の『新職人宣言』や『山里のごちそう話』(いずれも、ふきのとう書房)では、ぼくも「助っ人」として執筆や対話などの手伝いをさせてもらった。
 そして、僕らが訪ねたこの日、もっとスゴイ助っ人が来ていて、その人はS山さん。S山さんは、かつて目白にある田中真紀子さんが経営するレストランのシェフだった人であり(ぼくも行ったことがある)、今は望月町に引っ込んで野菜を作り、ときどきは北さんと一緒に出張料理をしている。そのS山さんが、真鴨を持ち込んで、自ら毛をむしり、料理をしてくれた。それは、鴨猟を趣味とする何とか言う資産家が送ってくれたものそうで、海の近くで育って潮の香りがしみこんだ肉なのだそうだ。それが、鴨の足も写っているリアルな写真。
 キタさんは最近、新潟の山北町に出かけて料理による「まちおこし」の相談役のような仕事をしているそうで、日本海で育ったハゼやホウボウの一夜干しなどを食べさせてくれた。
 それから、二人は自分たちで採ってきたキノコの話をしており、その一部はもらってきたが(これも写真)、話を聞いていると、一流の料理人はつまるところ食材についての識見によるのではないかと思わせられたものだった。
 キタさんのところを出るときには、すっかり日も暮れて星が出ており、それを撮ろうと思ったら、うまくゆかず、漆黒の空になった。と言っても、空にうっすらと電線のようなものが写っている。
シュウメイギク1シュウメイギク2ハゼ







鴨キノコ漆黒の空

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民芸館

 再び、望月の稲刈りその後。
 田んぼで現地解散をし、ぼくは大井町のOgさんたちと大澤酒造に行く。ここは、僕らの作ったお米をお酒にしてくれる酒蔵。「信濃のかたりべ」を仕入れ、職人館にいったん寄ってから、北の台地に立つ「民芸館」へ。
 民芸館は、民芸運動や信州白樺にかかわっておられた小林多津衛先生の収集した民芸品を展示する建物として作られた。このほど吉川徹さんが常駐するようになって、新しい出発をした。吉川さんは、社会教育ではぼくの大先輩であり、望月町の町長も務められた。 コーヒーの入れ方を練習したという吉川さんは、エプロン姿もしゃれていて、これでパンプキンパイなどを焼いたらいっぱしのマスターである。
 展示も以前と比べるとはるかに整理され、洗練されて、ひとつひとつの作品も立派になったように感じた。心落ち着く空間になった。
 写真。民芸館には「望月釜」があって、製陶、販売もしている。その作品が左。中、これも収集品か。右、前庭から見た市街地方面。
民芸館1民芸館2民芸館3

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2006年10月17日

火中の栗

 昨夜、池袋の「山ちゃん」で知人たちと飲んだ。山ちゃんは、名古屋の手羽先のチェーン店である。尊敬する先輩は自分の人生を「火中の栗」を拾ってきた人生だと言った。誰も手を出さない仕事も、義侠心というか義務感というか、で引き受けてきた。君もだな、とも言われたが。
 今日は、職場はウォーキングの行事。そっちに出たい気持ちもあったが、整形外科の病院へ。内出血と腫れがひかず痛みが増すような気がする左足脛と、五十肩を見てもらうため。骨折はなさそう。その前にクルマの免許の更新に行く。交差点に花のポッドがあった。園芸種だろうか。
園芸種1園芸種2園芸種3

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稲刈り6 −ネクタイ

ネクタイ1ネクタイ3モリちゃんの話を聞き、感想を出し合って、締めようとすると学生が「ちょっと待って」と言って、ぼくに贈り物をしてくれた。還暦記念のネクタイだという。えび茶色で、ムーミンやスナプキンの絵の模様である。おまけに、ネクタイピンは、カメラの図柄。ほんとうにうれしかった。
 翌日、さっそく職場へ着けて行った。そしたら、MさんやHaちゃんから、今日のネクタイはいい色合いですね、可愛い絵ですね、カメラのピンなんて幸せですね、と声をかけられた。ぼくから自慢したわけではないので驚いた。
 写真は、ネクタイだけにしておく。上(顔)も下(腹)も人様のお目に入れるには忍びなく。

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稲刈り5 −太鼓、踊り

バーベキュー飯島君阿麻和利お昼は恒例の田んぼでのバーベキュー。男子がよく働いていた。それから飯島君の太鼓。そして、阿麻和利の踊り。学生たちはスゴイ。

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稲刈り4 −虫

虫1虫2虫3田んぼには虫がたくさんいる。今年はイナゴは少なかったような気がする。食事の時には、小川でドジョウを獲ってバーベキューの足しにした。
 こういう写真を撮っていると、稲刈りをさぼっているように見えるが、半分は当たっている。それは手足が痛いからである。肩は「60肩」である。ぼくは、「40肩」「50肩」と、それも両腕について丁寧にやってきたが、今は「還暦肩」である。足は、1週間ほど前に向こう脛を思い切りぶつけて腫れあがっている。
 それでも、最初の模範作業と、最後の仕上げで稲刈りをしたら、その夜と昨夜、2晩続けて肩が痛くて眠れなかった。

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稲刈り3 −土手の花・追加

土手の花1土手の花2ヒメジオン2追加。黄色は、ノジギク。ぼくはノジギクの系統が好きだ。ヒメジオンも時期の長い花だ。最後のは、食事のときの20日大根。畑で掘ったばかり。味噌をつけて食べた。ついでだが、モリちゃんのうちの味噌は美味い。モリちゃんのうちの自家製醤油はもっとウマイ。
ヒメジオン20日大根

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稲刈り2 −土手の花

kiiroihana 1黄色い花2黄色い花3モリちゃんの田んぼの土手には、花がいっぱいだ。黄色いのは、ニガナに似ているが、時期が違うようだし、なんという花だろうか。アザミもたくさん咲いている。

アザミ1アザミ2アザミ3

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2006年10月16日

稲刈り

 15日は、長野県望月町の伊藤盛久さんの田んぼで、第13回農業体験交流集会。ゼミの学生が参加しての米作りも13年ということになる。稲刈りは、例年は10月10日の体育の日の前後が多かったが、今年は7月9月の長雨の影響で成長が遅れ、1週間ほど遅くなった。
 この日は、快晴。稲刈り日和の本当に気持ちのいい天気だった。学生はゼミを中心に、他ゼミ、2年生、卒業生を含めて25人。ほかに大井町の友人たち、5人も参加した。米のできは、少し籾が軽いような気がする。2週間ほど天日干しをして脱穀。そのあと大沢酒造さんが仕込んで来年春にお酒「信濃のかたりべ」になる。
稲刈り1稲刈り2稲刈り3

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野に立つ貴婦人

 山本さんからの便り。

(19月14日のブログ写真)パッと見でハーブ、その中でも「セージ」の仲間ですね。紫色の花、2枚目のほう、「背景」に使わせていただきました。実にいいいろあい、長い裾をふんわりさせて、野に立つ貴婦人、そんなイメージの写真。そう、白い手袋、白い帽子、白いパラソル、もちろんドレスは薄紫。葉が白っぽい緑でそこが全体の雰囲気をやわらかくしています。
 今日は、秋晴れの日曜日。庭のアケビの蔓で「リース」作り。飾りは野茨の赤い実やキバナアキギリ、アジサイなどの枯れ花など。ちなみにアケビは皮の味噌炒めが美味。


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2006年10月15日

小さな楽隊

なんぽの道1なんぽの道2散歩を再開。砂川堀に沿って造られた散歩道は「なんぽの道」と名付けられている。長さは800メートル。200メートルごとに標識、20メートルごとに星座のかたちを彫り込んだ六角の自然石がおかれているほか、写真のような電柱もある。その電柱のなかほどに、小さな楽隊の人形があって、人が近づくとセンサーが働いて、人形がうごき、音楽を演奏してくれる。3つあって、この間まではひとつだけが動いていたが、今はそれも動かなくなったようだ。

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2006年10月14日

日本教育行政学会

 今日は、日本教育行政学会第41回大会のシンポジウム「転換期の教育行政」にシンポジストとして参加。午前中、職場でレジュメの印刷。ちょうど来たゼミの学生たちに手伝ってもらって助かった。
 会場は、参宮橋の国立オリンピック記念青少年総合センター。
 このシンポジストは、学会長である国立教育政策研究所の結城忠さんの要請を断り切れずお引き受けしたのだが、引き受けたことの後悔しきり。準備も進まず、気になって、何度も夜中に飛び起きたりしていた。
 シンポは、憲法学の立場から竹内俊子さん(広島修道大学)、経済学の立場から八代尚宏さん(国際基督教大学)、そしてぼく。八代さんは、安倍首相の政策理念「アベノミクス」の中枢を担う人材である。今朝の新聞各紙でも、経済財政諮問会議の民間委員への就任が報じられ、「朝日新聞」では、「ミスター規制改革」と称せられている。
 シンポには、かつて他大学に在籍しながらぼくの講義に通ってくれたM君をはじめ、知り合いにも何人か会えて幸いだった。
 シンポを終わって、家へ帰ってテレビを見ていると、NHKの医療制度改革に関する長時間番組にさっきと同じシャツで(ごめんなさい、当然です)八代さんが出ていた。八代さんは、市場原理を改革の原理とすべきだと主張する方で、医療問題では「混合医療」を説き、教育問題でも「市場重視」、バウチャー制の導入を説かれる。その同じ番組には、ぼくの通う大井診療所の増田医師が出ておられた。

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畑に咲く花

畑の花1畑の花2畑の空き地に咲いている花。名前は知らない。

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2006年10月13日

雲の天の川

雲の天の川1雲の天の川2サンシユの実雲の天の川のよう。サンシユの実が色づき始めた。花を撮ったのが、つい最近のような気がするのに、時間がたつのはあっという間。少し疲れた。

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2006年10月12日

タデ(蓼)

昨日は、両方のキャンパスで仕事があり、忙しかった。
隣の畑に群生しているイヌタデ。3枚目は、時期は少し前のオオベニタデ。
イヌタデ1イヌタデ2oobenitade

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2006年10月11日

ネコ専門店

猫専門店しばらく新しい花に出会わないので、街でみかけた新しい店。ぼくの家から、表通りの地蔵院のとおりへ出たところに、こんな奇抜な店ができた。一見、なんの店かとギョッとするが、「ネコ専門店」と書いてある。猫の床屋さん、いや美容院?遊び心いっぱいで、入り口には「ペットお断り」のステッカーが貼ってある。

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2006年10月10日

お茶の水界隈2

蓮華おしろい花1おしろい花2







9日朝。昨夜、飲んだ「BAR蓮華」。小栗坂のおしろい花、白い花がきれいで。下2枚、朝の唐楓並木。最後、「アカデミア」から見た市街。遠くに富士山が見える。
 集会第2日は、分科会。ぼくは「地域の高校制度と若者の自立支援」へ。
 終わって、山の上ホテル喫茶店で、運営委員が集まる。あとは書かない。
唐楓並木唐楓2富士山

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お茶の水界隈

空の雲お茶の水1お茶の水28日も快晴。雲がやさしそうで、駐車場のところで撮った。
 第15回全国教育研究交流集会。会場の明治大学のあるお茶の水で、地下鉄から上へ出ると、しばらく見ない間に高層ビル群がニョキニョキと建っているのに仰天した。3枚目の写真は、聖橋方面を見たところ。さだまさしさんは、歌「檸檬」でここから檸檬を投げたことになっている。4枚目、会場の明治大学の「アカデミア・コモン」も立派でビックリ。
 始めの全体会では、堀尾輝久さんが挨拶を兼ねた講演。佐貫浩さん(法政大学)が基調報告「教育基本法改正に抗し、教育課程を考える」。全体会後半はシンポジウム。シンポジストは、梅原利夫さん(和光大学)、田中昌也さん(北海道教育大)、植田一夫さん(滋賀県近江八幡市・小学校)。ぼくはいろいろいきさつもあったが、司会をした。
 夜は懇親会。さらにノノさん、Y生さんたちと駅近の「とう」で打ち上げ。楓通りを通って、水道橋のグリーンホテルへ。三上昭彦さんが並木の樹木を「唐楓」というのだと教えてくれた。(6枚目の写真)ちょうど月も出ていた。ホテルの手前のバーを通るときに、窓越しに、カウンターに向かっているH尾さん、Y湯さん、Y木さんの後ろ姿が見えて合流。
明治大学集会1唐楓

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胡蝶蘭

胡蝶蘭職場のIさん、Mさんが胡蝶蘭を送ってくださった。こんなに大きくて見事な胡蝶蘭は始めてだ。

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2006年10月08日

森三平太さんを偲ぶ

満月 青年劇場の俳優、森三平太さんを偲ぶ会が、7日午後日本青年館であった。森さんはガンのために亡くなったのだが、闘病しながら舞台に立ちたいという執念がすさまじく、酸素ボンベを担ぎながらの公演旅行だったらしい。
 ジェームズ三木さんが、人がなくなって悲しいのは、もう会えないとか何かしてあげたりしてあげられないという自分にとっての都合からだ、という趣旨のことを言っていた。亡くなった人自身の無念や悲しさに共感する部分もあるが、たしかに自分にとっての喪失の悲しみが中心かもしれない。
 劇団に帰って2次会。解散後、高橋正国さんらと近くの「うどん房倉」へ。ここはぼくの高校の同級生のK君の店である。そして、さらにもう一軒。
 家に帰ると、夜なのに庭が明るい。見上げると、空に満月。ぼくの望遠で、しかも三脚なしでは、せいぜいここまで。

 今日はこれから全国教育研究交流集会。東京だけど、泊まりで明日まで。

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晴天のムクゲ

 昨日の嵐のような雨が去り、一転晴天の気持ちのいい天候になった。うちの庭は、ムクゲ、キレンゲショウマ、ホトトギスなど花期の長いものが咲いている。
庭のムクゲムクゲ2ムクゲ3

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2006年10月07日

秋の気配

 昨夜、日本テレビの「太田総理と秘書田中」を見た。「爆笑問題」の太田光が総理になったら、という設定で安部総理の政策を批判検討するという番組。太田光という人は、上福岡市の中学校出身で、高校はぼくと同じ学校法人なので親近感を持つだけでなく、お笑いタレントでありながら(と言うのは失礼なのか?)聡明でしっかり明日意見を持っていて日頃から感心していた。
 番組のヤマは最後の9月9日を「憲法9条を考える日」にして休日にするという「政策」をめぐる議論である。石破元防衛庁長官らを相手に、9条の存在意義や理想を語って一歩もひかない。政治の議論は思想信条の根幹に触れるので、いわば人格の対決という様相を帯びることが多く、テレビ番組のお笑いの枠を越えそうにもなり、ハラハラもしたが、そこまで真剣になるのもスゴイと思った。賛成と反対が二分したが、「反対」(つまりは9条改正すべし)の多くが自民党と民主党の政治家だったのにも考えさせられた。政治家が自民党と民主党だけというのはともかく、ベアテ城田ゴードンさんや海老名香葉子さんも登場させて、9条問題をこれだけ正面から取り上げた制作者は偉いと思った。

 10月2日のブログ記事、一番左の蕎麦畑の写真ですが、クリックして画面を大きくすると、空に黒い斑点がいくつもあります。もう一度載せますね。これは、よくみると、トンボです。もう秋の気配です。このあたりでも紅葉が始まりました。
みよしそば1秋の気配1秋の気配2

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太鼓どんどん

牡蠣蕎麦前進座劇場で「太鼓どんどん」を観た。以前の井上ひさしさんの、これでもか、これでもかという言葉遊びの作品で、それはそれで面白かったが、後半は冗漫で疲れた。
 写真は、劇場のある吉祥寺、駅構内の「あずみ」の牡蠣蕎麦。以前にもブログで書いたことがあるが、写真を載せられなかった。そこで、あえてもう一度食べて写真を掲載する。

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こしじ

花7ノノさんやジュンコ姉さん、Sちゃんたちが、ぼくの60回目の誕生日を祝ってくださるという。10月5日、誕生日の前日である。場所は、大井町の「こしじ」。ここは、もう20年以上のおつき合いになるので、場所もいい。こういう会を設けてくださっただけでうれしいが、みなさんから素敵な贈り物もいただいた。
 その夜、ノノさんはうちへ泊まり、深夜まで日本棋院7段の対局指導をいただいた。今回の写真は、クリックしても大きくなりません。名前が読めてしまうので。

尾頭つきケーキカーディガン

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2006年10月05日

ミズヒキ

mizuhiki1ミズヒキ1ミズヒキの写真は難しい。うまく撮れた試しがない。

昨日、送られてきた「新聞全国私教連」10月2日号の一面には、私学助成運動の実行委員会のことが載っていて、われらがジュンコ姉さんが写真入りで(しかも2枚)登場している。肩書きは、「全国父母懇・すすめる会代表」で、スゴイのだ。


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2006年10月04日

越辺川

赤い花 学生のE君は、「総合学習」のテーマに、東松山近辺を流れる越辺川(オッペガワ)を選んでいる。E君が、役場に勤めるA山さんを訪ねるというので、僕も付いていった。
 A山さんは、ナチュラリストで、鳥が「専門」である。あそこに○○がいる」と梢の方を指さすのだが、ぼくには皆目鳥の姿は見えない。A山さんにだけは見えるらしい。以前は、「よんどけ」というぼくらの地域ミニコミ紙に連載してくれていた。
 A山さんは、最近はミツバチの養蜂を始めて、超自然の蜂蜜をくださったりもする。また、越辺川にもシジミ撮りに出かけたりもしていると聞いたことがあって、E君に紹介したのである。
 一緒に話を聞いたが、昔は入間川にも、越辺川にも鮎がいたとか驚くような愉快な話だった。
 写真の花の向こうが、役場(大井町総合支所)。
 重い課題が多いせいか、心身疲れている。

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2006年10月03日

ムラサキシキブ

長野の家の鎮守。「安政二年十二月」と刻字されている。ムラサキシキブに覆われてしまったが、切るのは実が落ちてからにしよう。3枚目は、その近くに咲く紫の花。紫のついで。
murasakisikibu 1ムラサキシキブ2紫の花

masao55ota1 at 15:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)