2006年04月
『明日の記憶』
小説、荻原浩『明日の記憶』について、ブログで書かなければと思い、書き出してみると、すでに書いたような気がし始めた。また、同じような文章を載せるのでは認知症だ。それで、過去のブログを精査してみたが、ないようだ。パソコンで原稿を残しておく「ドキュメント」のいろいろなフォルダも探してみたが見あたらない。書いたことを忘れてしまったのか。もしかして、書いたけれど捨ててしまったのか。自分の記憶が頼りないと、怖くなる。
荻原浩『明日の記憶』(光文社)は、「アレ、どうしたっけ?」「ああ、アレね。」というような中年夫婦の会話から始まる。ウチなどでよくある光景である。そのうち、夫の方が、物忘れが激しくなる、約束を忘れる、知っていたはずの道で迷ってしまう、ということが増えてくる。若年性アルツハイマーである。知的な面だけではなく、味覚や嗅覚など五感などの身体的な能力にも障害が出、さらには人格障害にも至るという話である……
と、いうようなことをたしかに書いたはずなのである、どこの出版社だったか、とインターネットで調べた、「アレ」をカタカナで書くかどうか迷った、「五感」は「五官」ではないかと考えた、ことは記憶にあるのである。でも残っていない。
読んでいてもあまりにぼくのことに近くて怖かったが、そのことを書いたかどうかで、疑似体験しているぼくも怖い。
ずっと以前、湯布院の中谷さんは、ぼくの文章は内田多聞のような企みとどんでん返しがあると評してくれたことがあるが、この文章はそういう企みで書いているのではない。
昨日、ノートパソコンの電源コードがなくて、家の中を何十分も探してしまった。よくよく思い出して、3日も前の麹町の研究会の時に忘れたのではないかと電話を入れてみると、あった。
荻原浩『明日の記憶』(光文社)は、「アレ、どうしたっけ?」「ああ、アレね。」というような中年夫婦の会話から始まる。ウチなどでよくある光景である。そのうち、夫の方が、物忘れが激しくなる、約束を忘れる、知っていたはずの道で迷ってしまう、ということが増えてくる。若年性アルツハイマーである。知的な面だけではなく、味覚や嗅覚など五感などの身体的な能力にも障害が出、さらには人格障害にも至るという話である……
と、いうようなことをたしかに書いたはずなのである、どこの出版社だったか、とインターネットで調べた、「アレ」をカタカナで書くかどうか迷った、「五感」は「五官」ではないかと考えた、ことは記憶にあるのである。でも残っていない。
読んでいてもあまりにぼくのことに近くて怖かったが、そのことを書いたかどうかで、疑似体験しているぼくも怖い。
ずっと以前、湯布院の中谷さんは、ぼくの文章は内田多聞のような企みとどんでん返しがあると評してくれたことがあるが、この文章はそういう企みで書いているのではない。
昨日、ノートパソコンの電源コードがなくて、家の中を何十分も探してしまった。よくよく思い出して、3日も前の麹町の研究会の時に忘れたのではないかと電話を入れてみると、あった。
イワヤツデ
青森の山本ケイ子さんがメールをくださり、先日わからないと言った植物の名前を教えてくれた。イワヤツデというのだそうだ。
春の便りが次々すてきな写真で届きます。ありがとうございます。
先日のワカラナイという植物名、「イワヤツデ」(ユキノシタ科)だそうです。見たこともない植物で私の図鑑にもない。でも、なにかと似ている、ヤツデのような、ヤグルマソウのようで違う、と。そういうのは全く関係なくもないということがわかりました。植物の会の長尾キヨ先生に写真を送り聞きました。青森県(たぶん東北)にはないそうです。で、写真よく撮れているとほめておいででした。キヨ先生も植物の写真をとります。職場が同じ先輩でした。植物のこといろいろ教えていただきました。その方面ではすごい人です。とりあえずお知らせまで。
今あらためて見てきたが、葉っぱがまるきりヤツデのかたちで、でも葉肉は薄く山野草のよう。
春の便りが次々すてきな写真で届きます。ありがとうございます。
先日のワカラナイという植物名、「イワヤツデ」(ユキノシタ科)だそうです。見たこともない植物で私の図鑑にもない。でも、なにかと似ている、ヤツデのような、ヤグルマソウのようで違う、と。そういうのは全く関係なくもないということがわかりました。植物の会の長尾キヨ先生に写真を送り聞きました。青森県(たぶん東北)にはないそうです。で、写真よく撮れているとほめておいででした。キヨ先生も植物の写真をとります。職場が同じ先輩でした。植物のこといろいろ教えていただきました。その方面ではすごい人です。とりあえずお知らせまで。
今あらためて見てきたが、葉っぱがまるきりヤツデのかたちで、でも葉肉は薄く山野草のよう。
2006年04月25日
2006年04月21日
桜街道2
母親の入退院のことがあって、昨日長野に行き、さっき帰った。先週、桜街道というタイトルで書いた同じ道をまた往復したが、様相は一変していた。埼玉から碓氷峠のこちら、横川まではもう染井吉野はまったくなく、横川の梅も終わっていた。そのかわり、緑が主役。新緑の萌え出る若芽が美しい。
ただ、長野市ではちょうど桜が満開。写真は、ぼくの家の庭の桜。木は縮めてあって、小さいのだけれど。けだし、桜は見に行くもので、家の庭に植えるものではないというのは名言である。
ただ、長野市ではちょうど桜が満開。写真は、ぼくの家の庭の桜。木は縮めてあって、小さいのだけれど。けだし、桜は見に行くもので、家の庭に植えるものではないというのは名言である。
2006年04月20日
「審判」
阿部さんの手紙に刺激されて、というだけではないのだが、その日、劇団民藝の「神と人のあいだ 第1部 審判」を観に行った。当日券も売り切れて(一番の人は3時間も前から並んでいたそうで)、それでもキャンセル待ちをしてやっと観ることができた。
「審判」は、36年ぶりの上演で、東京裁判のA級戦犯の裁判を題材にしている。セリフ劇に近いので退屈しないかと心配したが、息急く展開はそんな心配をはねとばし、折りたたみ式の補助椅子のせいもあったが、むしろ疲れた。
東京裁判は「勝者による裁判」であり、「事後法による裁き」であって、芝居では確かに勝者の身勝手さや、連合国側の、アメリカとソ連の内部矛盾も描かれたりもするが、芝居が何よりも主張しているのは、「日本が自らの手で戦争責任を追及しなかったこと」である。だから、過去をすぐ忘却し戦犯の復活を許してしまう。過去を本当に精算できないから今また靖国問題に直面している。
作者である木下順二さんの全集(『木下順二集』)の7巻は「神と人のあいだ」や「戦争責任の問題はもう終わったか」をはじめとする「日本人の戦後」が収められている。30年以上も前に書かれたこれらの文章は、今日の状況のなかでもまったく問題提起性を失っていない。これはわれわれにとって不幸というべきだろう。もうずっと以前、東京本郷の木下順二さんの家をお訪ねしたことがある。たしか『人間と教育』の仕事で、山住正己さんとご一緒したのだと思う。「審判」のパンフレットにも「寸感」という短い文章を寄せておられ、お元気そうなのがうれしい。
「審判」は、36年ぶりの上演で、東京裁判のA級戦犯の裁判を題材にしている。セリフ劇に近いので退屈しないかと心配したが、息急く展開はそんな心配をはねとばし、折りたたみ式の補助椅子のせいもあったが、むしろ疲れた。
東京裁判は「勝者による裁判」であり、「事後法による裁き」であって、芝居では確かに勝者の身勝手さや、連合国側の、アメリカとソ連の内部矛盾も描かれたりもするが、芝居が何よりも主張しているのは、「日本が自らの手で戦争責任を追及しなかったこと」である。だから、過去をすぐ忘却し戦犯の復活を許してしまう。過去を本当に精算できないから今また靖国問題に直面している。
作者である木下順二さんの全集(『木下順二集』)の7巻は「神と人のあいだ」や「戦争責任の問題はもう終わったか」をはじめとする「日本人の戦後」が収められている。30年以上も前に書かれたこれらの文章は、今日の状況のなかでもまったく問題提起性を失っていない。これはわれわれにとって不幸というべきだろう。もうずっと以前、東京本郷の木下順二さんの家をお訪ねしたことがある。たしか『人間と教育』の仕事で、山住正己さんとご一緒したのだと思う。「審判」のパンフレットにも「寸感」という短い文章を寄せておられ、お元気そうなのがうれしい。
「春だより」
阿部一子さんから「春だより」が届いた。阿部さんは、福島市の「阿部農園」で梨をつくっておられて、ふきのとう書房の目黒さんが毎年その梨をぼくに贈ってくれる。阿部さんの作る幸水という梨は、本当にみずみずしくおいしい。
阿部さんは以前、雑誌『住民と自治』のコラムのエッセイを連載したくらい達意の文章を書く才人でもあって、この「春だより」も実に面白い。手紙も付いていた。
「桜の花が咲き出し、また忙しくなりそうです。靖国神社(山中恒著)の本を読んでいて、私は日本の歴史を知らない!ということにようやく気がつきました。試験で赤点を取らないための勉強だったので、一体何を学んできたのだろうと我ながらあきれ果てています。困ったもんだ!と思っていたら、娘たちはもっと知らないということを知り……でも79歳になるばあちゃんは今でも床の間に天皇ファミリーの写真を飾っていて…もっともっと知らない人がいたと呆然としています」。
その文章のブログへの転載許可を求めるファックスを送ったら、来た返事が写真の文章。文字もまた素敵なのだ。
「おはようございます。
私はアナログ人間! −こんな使い方でいいのでしょうか?−ですので、インターネットもパソコンもまったく関係なく生きていますので、ブログの意味もよく分からないのでした。どうぞテキトーにお使いくださいませ。
梨の花がチラホラ咲き出しました。桜が咲いて一週間して桃の花が咲き、それから一週間して梨の花が咲くというのが今までの状況でしたが、桃の花はまだ咲かないのに、梨の花が咲く!何か変ですねー。これから畑仕事です」。
阿部さんは以前、雑誌『住民と自治』のコラムのエッセイを連載したくらい達意の文章を書く才人でもあって、この「春だより」も実に面白い。手紙も付いていた。
「桜の花が咲き出し、また忙しくなりそうです。靖国神社(山中恒著)の本を読んでいて、私は日本の歴史を知らない!ということにようやく気がつきました。試験で赤点を取らないための勉強だったので、一体何を学んできたのだろうと我ながらあきれ果てています。困ったもんだ!と思っていたら、娘たちはもっと知らないということを知り……でも79歳になるばあちゃんは今でも床の間に天皇ファミリーの写真を飾っていて…もっともっと知らない人がいたと呆然としています」。
その文章のブログへの転載許可を求めるファックスを送ったら、来た返事が写真の文章。文字もまた素敵なのだ。
「おはようございます。
私はアナログ人間! −こんな使い方でいいのでしょうか?−ですので、インターネットもパソコンもまったく関係なく生きていますので、ブログの意味もよく分からないのでした。どうぞテキトーにお使いくださいませ。
梨の花がチラホラ咲き出しました。桜が咲いて一週間して桃の花が咲き、それから一週間して梨の花が咲くというのが今までの状況でしたが、桃の花はまだ咲かないのに、梨の花が咲く!何か変ですねー。これから畑仕事です」。
2006年04月18日
ナズナを背景に
山本ケイ子さんからメール
素敵な写真ありがとうございます。ナズナを背景に使わせていただきました。ほんわか緑が気分をやわらげてくれます。今までずうっと写真拝見して
1、たぶん、見る側でいえば人それぞれかなと。でも自分の「お気に入り」を探すのは楽しみです。
2、光と影。私が気に入っているのは、結果として、どれも陽の光が感じられるものでした。背後に陽の光があふれているもの、やわらかく差し込んでいるものなど。今回のナズナも。
3、スイセンなど形の決まりすぎているもの、しかも見慣れているものは、案外撮りにくいのでは。難しいですね、植物一つ撮るのも。ブナばかり何年も撮り続けている人もて、その粘りはすごいなあと思います。写真で一つのテーマを持つと、抜けられなくなりますね。時々動物を撮っていられますね。それを見てなんだか笑みがでます。ほかにもあるのに、写真のことばかり。勝手な感想です。
それへのぼくの返事
「見る側それぞれ」というのは本当です。
それぞれの感性ですね。
だから面白いということ、あります。
ナズナは、実際にあのぼけた背景がすべてナズナだということはありますが、
ぼけた分、全体が緑に染まったような感じで不思議な写真です。
「光と陰」、たしかにそうで、ぼくも光の方が断然好きなのですが、
陰の写真も撮れなくてはいけないと、課題にしています。
スイセンなどかたちの決まりすぎているもの、しかも見慣れているものは撮りにくいのでは、というご指摘、その通りです。
でも、今年は、こんなにたくさんの種類のスイセンがあったのかという単純な新鮮な驚きで撮っています。
先日も長野の帰りに、「藤岡じゃらん」という高速道のショッピングモールの花屋さんで、ついついスイセンの苗を買ってしまったくらいです。
素敵な写真ありがとうございます。ナズナを背景に使わせていただきました。ほんわか緑が気分をやわらげてくれます。今までずうっと写真拝見して
1、たぶん、見る側でいえば人それぞれかなと。でも自分の「お気に入り」を探すのは楽しみです。
2、光と影。私が気に入っているのは、結果として、どれも陽の光が感じられるものでした。背後に陽の光があふれているもの、やわらかく差し込んでいるものなど。今回のナズナも。
3、スイセンなど形の決まりすぎているもの、しかも見慣れているものは、案外撮りにくいのでは。難しいですね、植物一つ撮るのも。ブナばかり何年も撮り続けている人もて、その粘りはすごいなあと思います。写真で一つのテーマを持つと、抜けられなくなりますね。時々動物を撮っていられますね。それを見てなんだか笑みがでます。ほかにもあるのに、写真のことばかり。勝手な感想です。
それへのぼくの返事
「見る側それぞれ」というのは本当です。
それぞれの感性ですね。
だから面白いということ、あります。
ナズナは、実際にあのぼけた背景がすべてナズナだということはありますが、
ぼけた分、全体が緑に染まったような感じで不思議な写真です。
「光と陰」、たしかにそうで、ぼくも光の方が断然好きなのですが、
陰の写真も撮れなくてはいけないと、課題にしています。
スイセンなどかたちの決まりすぎているもの、しかも見慣れているものは撮りにくいのでは、というご指摘、その通りです。
でも、今年は、こんなにたくさんの種類のスイセンがあったのかという単純な新鮮な驚きで撮っています。
先日も長野の帰りに、「藤岡じゃらん」という高速道のショッピングモールの花屋さんで、ついついスイセンの苗を買ってしまったくらいです。
2006年04月15日
浅田次郎さん
ぼくは浅田次郎さんは小説の上手な人だと思っている。泣かせるのが特にうまい。『鉄道員』や『月のしずく』は好きな作品である。切なく恋しい気持ちにさせる。ただ、『鉄道員』もそうだが、その手法のひとつに、「あの世」のことや、幽霊を使うことがある。さらに、『壬生義士伝』のように激しい暴力描写を伴うことがある。一言で言えば、ハードボイルドな怪奇小説のような手法であり、ぼくはそういう面は抵抗もある。『蒼穹の昴』は2巻で止まっている。
今度、『見上げれば星は天に満ちて』(文春文庫)を読んでみた。浅田さんが編んだ短編小説集であり、なるほどと思った。森鴎外『百物語』、川端康成『死体紹介人』、中島敦『山月記』、井上靖『補陀落渡海記』、とつづく。谷崎潤一郎もあり、谷崎のような耽美趣味的な趣も、たしかに浅田さんにあるなあとある意味で出自を確かめたような気分。
今度、『見上げれば星は天に満ちて』(文春文庫)を読んでみた。浅田さんが編んだ短編小説集であり、なるほどと思った。森鴎外『百物語』、川端康成『死体紹介人』、中島敦『山月記』、井上靖『補陀落渡海記』、とつづく。谷崎潤一郎もあり、谷崎のような耽美趣味的な趣も、たしかに浅田さんにあるなあとある意味で出自を確かめたような気分。
2006年04月14日
長野にて
火曜日早朝、長野の母親が高熱を出して急に入院することになったと電話があり、もともと長野に行く予定ではあったのだが、時間を繰り上げて出かけた。前日に通った道路である。母親は、39度以上と聞いたが、あとでベッドのところに懸けてある、記録を見たら40度を越していたらしい。着いた時には、聞くことにも反応が弱く心配したが、治療が功を奏したのか次第に熱も下がり容態も落ち着いてきた。夕方には、少し言葉も出るようになったのでひとまず安心した。
水曜日は、ぼく自身の検査。今月28日と2度に分けて検査することになった。検査は好きでなく、疲れもしたが、これもなんとか終えてひとまず安心。結果は28日に出る。
長野の実家あたりは、いまが水仙の見どころ。それにしてもいろいろな種類があることだ。梅は種類や個体差はあるが、家のは3分咲きくらい。桜は咲き始めというところ。
水曜日は、ぼく自身の検査。今月28日と2度に分けて検査することになった。検査は好きでなく、疲れもしたが、これもなんとか終えてひとまず安心。結果は28日に出る。
長野の実家あたりは、いまが水仙の見どころ。それにしてもいろいろな種類があることだ。梅は種類や個体差はあるが、家のは3分咲きくらい。桜は咲き始めというところ。
桜街道
火曜日に長野県望月に行き、水曜日と昨日、長野市の実家に行ったので、3日間で、埼玉と、少なくとも佐久インターまでの間を2往復することになった。
川越インターから碓井峠までの関越道と上信越道は、いま桜街道である。クルマで高速運転しながらだから、街道というような風情ではないが、それでも道路沿いや、遠くの民家や山の中に咲くさまざまな桜が目を楽しませてくれる。大井町ではもうかなり散り始めた桜だが、北上するに連れて花勢を取り戻し、藤岡を過ぎて上信越道にはいると、満開である。
中でも見事なのは、松井田インターから横川S.A.のあたり。道路の土手にビッシリと咲く黄色のエニシダと真っ白の雪柳。傾斜地の斜面を埋め尽くすように咲く梅の林。コブシの白い花がポッカリと空に浮かぶように咲いて、桜や桃も一斉に開いている。おそらくはここらは植生からして一年で最もいい季節であり、まさに桃源郷である。
トンネルを抜けて長野側に出ると、そこはまだ冬の終わりであり、蕾がふくらんで木々はモンヤリとしてきてはいるが、唐松の葉もまだ赤いままだ。
望月では、梅も桜もまだ。桜は4月20日過ぎだろうということ。
望月には鶴ヶ島の松崎さんや友人たちと出かけた。
たくさんの人と会い、話し、酒も飲んだ。酒「信濃の語りべ」の大沢酒造を訪ね、職人館へ。前町長のYさんも来て、いっしょにキタさんのおまかせ膳で食事。長者原に上り、「由井自然農園」、林夫妻の「くさぶえ農園」を見て、坂田パン屋さんでハニーどら焼きを買い、喫茶「yushi coffee」へ。 ここはキタさんを師匠と仰ぐ若主人が始めた喫茶店で、浅炒りコーヒーを極めることをめざしている。Yさんは好物の赤ワイン、あとからキタさんの車に乗ってきたモリちゃんとぼくは鹿児島のそば焼酎。またまた盛り上がった。話題は、合併や選挙で望月も鶴ヶ島も困難に遭遇しているが、いずれまた流れが変わる。そのときのために以下に残り火(種火)を絶やさずに燃やしつづけるか、燃えつづけるか、が主題。
この望月と鶴ヶ島の2つのまちは、先の「民研調査」の地域であり、今度4月22日に行われる民主教育研究所主催の研究会でも両方の町から報告がある。(当日は、モリちゃんと、Mさんが報告する、今回はそのうち合わせも兼ねていて、22日の半分はこれからの課題について議論しようということになった)
望月では、アカリちゃんの家や、Yさんの自宅にも立ち寄り、奥様や孫のエマちゃんにもあったりして、楽しみの温泉どころではなかった。
写真は、上から、職人館から見た田んぼの風景。北側だが、窓枠が額縁のようになって、ぼくが好きな望月である。右は最後のデザート。由井さんのとこの馬、2代目花子。
川越インターから碓井峠までの関越道と上信越道は、いま桜街道である。クルマで高速運転しながらだから、街道というような風情ではないが、それでも道路沿いや、遠くの民家や山の中に咲くさまざまな桜が目を楽しませてくれる。大井町ではもうかなり散り始めた桜だが、北上するに連れて花勢を取り戻し、藤岡を過ぎて上信越道にはいると、満開である。
中でも見事なのは、松井田インターから横川S.A.のあたり。道路の土手にビッシリと咲く黄色のエニシダと真っ白の雪柳。傾斜地の斜面を埋め尽くすように咲く梅の林。コブシの白い花がポッカリと空に浮かぶように咲いて、桜や桃も一斉に開いている。おそらくはここらは植生からして一年で最もいい季節であり、まさに桃源郷である。
トンネルを抜けて長野側に出ると、そこはまだ冬の終わりであり、蕾がふくらんで木々はモンヤリとしてきてはいるが、唐松の葉もまだ赤いままだ。
望月では、梅も桜もまだ。桜は4月20日過ぎだろうということ。
望月には鶴ヶ島の松崎さんや友人たちと出かけた。
たくさんの人と会い、話し、酒も飲んだ。酒「信濃の語りべ」の大沢酒造を訪ね、職人館へ。前町長のYさんも来て、いっしょにキタさんのおまかせ膳で食事。長者原に上り、「由井自然農園」、林夫妻の「くさぶえ農園」を見て、坂田パン屋さんでハニーどら焼きを買い、喫茶「yushi coffee」へ。 ここはキタさんを師匠と仰ぐ若主人が始めた喫茶店で、浅炒りコーヒーを極めることをめざしている。Yさんは好物の赤ワイン、あとからキタさんの車に乗ってきたモリちゃんとぼくは鹿児島のそば焼酎。またまた盛り上がった。話題は、合併や選挙で望月も鶴ヶ島も困難に遭遇しているが、いずれまた流れが変わる。そのときのために以下に残り火(種火)を絶やさずに燃やしつづけるか、燃えつづけるか、が主題。
この望月と鶴ヶ島の2つのまちは、先の「民研調査」の地域であり、今度4月22日に行われる民主教育研究所主催の研究会でも両方の町から報告がある。(当日は、モリちゃんと、Mさんが報告する、今回はそのうち合わせも兼ねていて、22日の半分はこれからの課題について議論しようということになった)
望月では、アカリちゃんの家や、Yさんの自宅にも立ち寄り、奥様や孫のエマちゃんにもあったりして、楽しみの温泉どころではなかった。
写真は、上から、職人館から見た田んぼの風景。北側だが、窓枠が額縁のようになって、ぼくが好きな望月である。右は最後のデザート。由井さんのとこの馬、2代目花子。
2006年04月10日
2006年04月09日
晴れた空の姫リンゴとたらのめ
昨日の天気は変だった。朝は曇り空で、さっきの姫リンゴや畑のたらのめの写真を撮ったのだが、まあ、これはこれで落ち着いた色合いでいいかなと思っていたのだが、そのうち太陽が出てきたので、それっとばかりに飛び出した。ところが、何分もたたないうちに、空がにわかにかき曇り、雨までがパラパラし始めたのだ。ふつうはこれで終わりだが、変なのはこれからで、またまた晴れ、さらに曇り、雨、と繰り返したのである。そのたんび、ぼくはニコンD70とD100の重いカメラをたすきがけにして、自転車に飛び乗って出て行くので、家族は隣近所の目を気遣うことしきりなのである。
夜は、ケンイチと冬子さんが来た。もちろんモモちゃんも一緒である。ところがこのモモちゃん、おてんばぶりは相変わらずだが、足の長さがグングンと伸びているのである。そして、毛の色が変わって、あんなに蒼くグレーがかっていたのが、やや茶色の入った薄い色になっているのである。たらのめは、天ぷらにして食べた。今年初物である。
夜は、ケンイチと冬子さんが来た。もちろんモモちゃんも一緒である。ところがこのモモちゃん、おてんばぶりは相変わらずだが、足の長さがグングンと伸びているのである。そして、毛の色が変わって、あんなに蒼くグレーがかっていたのが、やや茶色の入った薄い色になっているのである。たらのめは、天ぷらにして食べた。今年初物である。
2006年04月07日
兵庫の桜
新幹線の新神戸に降りると、桜はまだ5分咲きくらいである。迎えに来てもらったクルマでトンネルを通り六甲山の裏側に回ると、まだ3分咲きくらいの木も多い。兵庫は東京より南なのだから、桜はもうとっくに終わっていると勝手に思ってきてみると、東京よりはるかに遅い。桜前線というものはわからない。
兵庫の小野市へ行ってきた。小野加東青年会議所の招きでの学習会である。世話役のY氏が、インターネットでたまたまぼくの講演記録を読んで、わざわざ兵庫から職場まで出向いてこられたという熱意による。青年会議所も、小野市も初めてである。小野市は、かつてはそろばんの産地として有名だったという。写真は、会場から撮ったものだが、そろばん最中というものまであるようだ。また、隣の三木市と並んで、金物が地場産業のようで、替え刃のノコギリはここの発明だそうだが、価格競争の中で厳しさを増しているという。小野市の北側の旧東条町はガマカツの釣り針が主産業であるとも聞いた。
会の後は、市内の居酒屋さんで懇親会。池田市の「呉春」という初めてのお酒、東京でもなかなか飲めない「十四代」、先代のご主人が和歌山のどこかの蔵から手に入れてきたというラベルのないお酒などをいただいた。どこの蔵か、若主人もわからないのだと言う。
写真は、新神戸駅前のオリエンタルホテル24階の部屋からの夜景と朝の景色。
兵庫の小野市へ行ってきた。小野加東青年会議所の招きでの学習会である。世話役のY氏が、インターネットでたまたまぼくの講演記録を読んで、わざわざ兵庫から職場まで出向いてこられたという熱意による。青年会議所も、小野市も初めてである。小野市は、かつてはそろばんの産地として有名だったという。写真は、会場から撮ったものだが、そろばん最中というものまであるようだ。また、隣の三木市と並んで、金物が地場産業のようで、替え刃のノコギリはここの発明だそうだが、価格競争の中で厳しさを増しているという。小野市の北側の旧東条町はガマカツの釣り針が主産業であるとも聞いた。
会の後は、市内の居酒屋さんで懇親会。池田市の「呉春」という初めてのお酒、東京でもなかなか飲めない「十四代」、先代のご主人が和歌山のどこかの蔵から手に入れてきたというラベルのないお酒などをいただいた。どこの蔵か、若主人もわからないのだと言う。
写真は、新神戸駅前のオリエンタルホテル24階の部屋からの夜景と朝の景色。
2006年04月05日
雨の入学式
今日は大学の入学式。桜はちょうど満開なのに、あいにく朝から雨が降り出してしまった。雨にけぶる桜も趣があっていいが、お祝いにはそぐわない。式のあと、別の棟の方に移動していると、父母の中から「先生!」と呼びかけられた。20数年前の卒業生で鯨井チエ子さん。今日は娘さんの入学式につきあってということであり、ひとしきり話し込んでしまった。当時の仲間のことなど。みんな自分の子どもをこの大学に入れたいと言っているんですよ、とも。ほんとうにうれしくありがたい。
夕方、犬のブンと、薄暮の中、桜並木を散歩した。散った花びらがビッシリと歩道に積もり、場所によってはフカフカした絨毯のよう。夜の初雪のように幽玄だった。
夕方、犬のブンと、薄暮の中、桜並木を散歩した。散った花びらがビッシリと歩道に積もり、場所によってはフカフカした絨毯のよう。夜の初雪のように幽玄だった。
ベトナム行き追伸
フエはかつて首都であったこともあり、中国の故宮にならってつくられた宮殿は今は世界遺産になっている。日本の京都になぞらえられることもある。
フエでのホテルはフォンザンホテルと言って、現在のところフエでは一番いいホテルということらしい。フエでは三泊したのだが、洋作さんが案配した部屋割りでは、男性シングルのぼくが、夜の宴会室用にということで、VIPの部屋を割り当てられた。ところが、小山さんの話では、その部屋は昔カトリーヌ・ドヌーブが映画「インドシナ」のロケで、3ヶ月滞在した部屋だという。カトリーヌ・ドヌーブは、「シェルブールの雨傘」や「昼顔」であまりにも有名である。最初の夜は、うわさを聞いた見学客が絶えなかった。3日間、ぼくはダブルベッドより大きいベッドで、貧乏性なのでどうしても隅の方に行って寝たものである。
フエでのホテルはフォンザンホテルと言って、現在のところフエでは一番いいホテルということらしい。フエでは三泊したのだが、洋作さんが案配した部屋割りでは、男性シングルのぼくが、夜の宴会室用にということで、VIPの部屋を割り当てられた。ところが、小山さんの話では、その部屋は昔カトリーヌ・ドヌーブが映画「インドシナ」のロケで、3ヶ月滞在した部屋だという。カトリーヌ・ドヌーブは、「シェルブールの雨傘」や「昼顔」であまりにも有名である。最初の夜は、うわさを聞いた見学客が絶えなかった。3日間、ぼくはダブルベッドより大きいベッドで、貧乏性なのでどうしても隅の方に行って寝たものである。
2006年04月04日
木の芽
今朝、近所に住むIさんが来て、庭先で話していった。Iさんは役場を退職して悠々自適の生活だが、ときどき留守にするときに家の犬のブンの面倒を見てもらう。だからブンもすっかりなついている。
Iさんによると、タケノコと山椒の新芽はいつも季節が一緒なのだそうだ。そういえば、ぼくは昨夜は職場の新旧職員の歓送迎会だったが、そこでもタケノコと木の芽が出ていた。「木の芽」は、一般に木の新芽を意味するが、とくに「山椒の芽」を意味することも多い。
ふと見ると、家の山椒の芽も大きくなった。そろそろ食べ頃である。その脇に、カイドウも咲き始めた。
Iさんが帰ると、2軒隣のTさんのおばあちゃんが、福島の実家から送ってきたと山ウドを持ってきてくれた。夜、酢みそ和えにして食べた。
Iさんによると、タケノコと山椒の新芽はいつも季節が一緒なのだそうだ。そういえば、ぼくは昨夜は職場の新旧職員の歓送迎会だったが、そこでもタケノコと木の芽が出ていた。「木の芽」は、一般に木の新芽を意味するが、とくに「山椒の芽」を意味することも多い。
ふと見ると、家の山椒の芽も大きくなった。そろそろ食べ頃である。その脇に、カイドウも咲き始めた。
Iさんが帰ると、2軒隣のTさんのおばあちゃんが、福島の実家から送ってきたと山ウドを持ってきてくれた。夜、酢みそ和えにして食べた。
2006年04月03日
ベトナム行き2 子どもの目
フエにある「子どもの家」はストリート・チルドレンのために、東京で教師をしていた小山道夫さんが中心になって作った。JASSベトナムの「子どもの家」を支える会によって運営されている。10年以上にわたって維持してきただけでなく、その規模を拡大し、文化事業(文化センター)や日本語学校を開き、「家」の財政基盤を支え、子どもたちの進路を保障するために日本料理店も開業するなど内容も発展させている。
小山さんに聞くと、ぼくのゼミの卒業生である大西昌典君が「支える会」日本事務所の事務局長を7年間もやったらしい。また、もうひとつ驚いたのは、大学の国際関係学部の石岡寛子さんが現地でスタッフとして働いていたことだ。
子どもの目が輝いている。生活は貧しいはずのになぜだろうか。これは、今のゼミの学生たちと共有する疑問、課題でもある。
小山さんに聞くと、ぼくのゼミの卒業生である大西昌典君が「支える会」日本事務所の事務局長を7年間もやったらしい。また、もうひとつ驚いたのは、大学の国際関係学部の石岡寛子さんが現地でスタッフとして働いていたことだ。
子どもの目が輝いている。生活は貧しいはずのになぜだろうか。これは、今のゼミの学生たちと共有する疑問、課題でもある。
ベトナム行き1
ベトナムから帰った。
今度のスタディ・ツアーは、子育て文化共同の主催で、ストリート・チルドレンのための「子どもの家」をはじめ、水上生活者の地域の小学校、山岳地帯の少数民族の村を訪ねての交流と小学校見学、などが内容だった。
ベトナムは初めて。人口600万人というホーチミン市は、ドイモイ政策のためか経済成長が著しく、バイクが走り回る。町の中心街のドンコイ通りは、社会主義国とは思えないほどブランド店が並ぶ。ドイモイは一方で貧困層を生み出し格差を広げているともいう。
しかし、いったん郊外に出ると、懐かしい田園風景に出会う。50年前の日本の農村と同じで、台湾などとも繋がるアジアの風景だ。向こうの峰を越えるとラオスだという山岳地帯も行ったが、そこにも昔ながらの生活があった。
今度のスタディ・ツアーは、子育て文化共同の主催で、ストリート・チルドレンのための「子どもの家」をはじめ、水上生活者の地域の小学校、山岳地帯の少数民族の村を訪ねての交流と小学校見学、などが内容だった。
ベトナムは初めて。人口600万人というホーチミン市は、ドイモイ政策のためか経済成長が著しく、バイクが走り回る。町の中心街のドンコイ通りは、社会主義国とは思えないほどブランド店が並ぶ。ドイモイは一方で貧困層を生み出し格差を広げているともいう。
しかし、いったん郊外に出ると、懐かしい田園風景に出会う。50年前の日本の農村と同じで、台湾などとも繋がるアジアの風景だ。向こうの峰を越えるとラオスだという山岳地帯も行ったが、そこにも昔ながらの生活があった。