2025年03月27日
侍アイムスリッパ―

テレビでは、キー局がそれぞれ人気時代劇を持って、ほとんど毎日のように放映されていた。
それが今は映画でもテレビでもつくられなくなった。
そんな現代に、時代劇の復活をかける映画人の意気込みが描かれる映画である。
幕末の覇権を争っていた会津藩と長州藩の武士が現代にタイムスリップして時代劇で活躍するという話。タイムスリップの滑稽と、武士の生真面目と斬られ役俳優の生真面目さの重なりが面白い。
時代劇らしく殺陣の迫力も魅力のひとつになっているのだろうか。
未来映画社という独立プロが製作。スタッフは10人ほどらしい。友人の話では、ふつう何億円もかかるところを3千万円くらいですませたらしい。最初は1館だけの上映から始まったが、いまだにロングランを続けている。ブルーリボン賞、日本アカデミー賞の作品賞も受賞、興行収入は10億円を超えたという。
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2025年03月26日
劇団銅鑼「私の紅皿」

中核をなしているのは、西日本新聞の女性投稿欄「紅皿」の記事。戦後約10年がたって1954年に始まった投稿欄。戦後憲法ができて戦争をしない国として生まれ変わったのだが、朝鮮戦争を経て自衛隊がつくられようとし、「逆コース」が始まろうとしている。そこにはいまだ戦争のつらい記憶に悩まされる女性たちの声が書かれている。
作・演出の五戸真理枝さんによれば、「生活、家族、そして同時代を生きる人々を肯定し、抱きしめる力」であり、「戦争の暴力とは真逆な方向に人を引っ張り」、「泣けてくるほど小さな風前の灯のようなものだが、…この光さえあれば絶望しない」ものだという。
もうひとつは、その記事を読む当時の普通の家族の会話。というか、芝居ではこの場面が主。
おばあちゃん、妻、娘の女性陣が軸だが、夫、おじいさん、息子たちという男性陣は、戦争に対してもそれぞれ異なる感情や意見を持つ。世代、男女、論理と感情、などさまざまな意見が交錯する。
そして最後のひとつは、この芝居作りに参加する劇団銅鑼の俳優たちの生の会話。いわば芝居づくりも劇化されている。戦争を知らない若い世代の役者さんはどう立ち向かうのか。
この3つの世界を行ったり来たりする。取り上げられる「紅皿」の記事は、戦争というテーマで一貫はしていても、ストーリーがあるというのではないのでドラマを追いかける興味が湧くようにはなっていない。
また、演出家の意図なのだろうけれど、昨今の早口言葉のような芝居とは違って、日常会話に近い、ときに間のあくようなゆっくりとしたしゃべりなのだ。前夜わけあって寝られず睡魔とたたかうぼくには少し大変だった。
もう1回、いいコンディションで見ればこの芝居の面白さとすごさがわかるだろう。
劇のあと、劇団のみなさんと居酒屋「あらた」で食事。魚中心だが、おいしかった。本当に久しぶりの俳優さんとも会えてうれしかった。
駅前のビッグで大田文化の会のみなさんと2次会。
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2025年03月23日
あの夏の絵実行委員会事務局
昨日、西公民館で事務局会議。若い人たちにどう見てもらうか、若い実行委員の人たちがさまざまなアイディアを出してくれる。
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2025年03月22日
2025年03月21日
青年劇場「ホモ・ルーデンス」
30年以上前、青年劇場は同じ原作の「シシとササの伝説」を舞台に上げた。
縄文時代の逸話。村の二人のなかよしの若者、シシとササの物語。狩猟が上手でリーダーシップのあるシシは将来の長(おさ)を見込まれているが、ササは狩猟が下手で遊び人。花を愛し、空想の世界に遊び、次々と遊びをつくりだす。気候変動で食べるものがなくなったとき、ササはかたりべになって人々を励ます、……。
「役に立つ」だけが評価の基準になる社会はゆがむ。人間にとって遊びは、そして文化は不可欠なのだ。
この劇を、当時、大井中央公民館のホールで観た。大井高校の学校公演だったが、生徒が荒れていて、劇の途中、ヤジが飛び、騒ぐ生徒がいる。そんなとき先生が飛んで行って静まらせる。そのほうがよっぽど目障りで劇に集中できなかった。そのうち生徒たちは劇にひきこまれていった。二重構造の劇を観ているようだった。
今回の脚本は、まったく新しい劇になった。
この脚本は二重構造になっている。
シシとササの話は、劇中劇である。
福島のある町で、高校時代の演劇部の同窓生たちが、大震災のために公演できなかったこの劇を公民館で上演しようということになる。それというのも町の公民館をなくすことになり、それに抗議して公民館を存続させようというのだ。
脚本を書いた大島は震災で亡くなり、大島とのみんなつらい思い出を抱えている。教師としての仕事、公務員としての仕事に疑問を持っている者もいる。介護を抱えている者もいる。不登校の妹を持つ者もいる。そんな一人ひとりが「遊び」play としての演劇 play に真剣に取り組んでいく。
いい芝居になった。
公民館の廃止、公務員としての仕事のありかた、などぼく自身が関心を持っていることとも重なった。
縄文時代の逸話。村の二人のなかよしの若者、シシとササの物語。狩猟が上手でリーダーシップのあるシシは将来の長(おさ)を見込まれているが、ササは狩猟が下手で遊び人。花を愛し、空想の世界に遊び、次々と遊びをつくりだす。気候変動で食べるものがなくなったとき、ササはかたりべになって人々を励ます、……。
「役に立つ」だけが評価の基準になる社会はゆがむ。人間にとって遊びは、そして文化は不可欠なのだ。
この劇を、当時、大井中央公民館のホールで観た。大井高校の学校公演だったが、生徒が荒れていて、劇の途中、ヤジが飛び、騒ぐ生徒がいる。そんなとき先生が飛んで行って静まらせる。そのほうがよっぽど目障りで劇に集中できなかった。そのうち生徒たちは劇にひきこまれていった。二重構造の劇を観ているようだった。

この脚本は二重構造になっている。
シシとササの話は、劇中劇である。
福島のある町で、高校時代の演劇部の同窓生たちが、大震災のために公演できなかったこの劇を公民館で上演しようということになる。それというのも町の公民館をなくすことになり、それに抗議して公民館を存続させようというのだ。
脚本を書いた大島は震災で亡くなり、大島とのみんなつらい思い出を抱えている。教師としての仕事、公務員としての仕事に疑問を持っている者もいる。介護を抱えている者もいる。不登校の妹を持つ者もいる。そんな一人ひとりが「遊び」play としての演劇 play に真剣に取り組んでいく。
いい芝居になった。
公民館の廃止、公務員としての仕事のありかた、などぼく自身が関心を持っていることとも重なった。
masao55ota1 at 08:27|Permalink│Comments(0)│
2025年03月19日
侘助
昨日は、大井診療所で定期検査と診察。
午後は、BSで「ポセイドン・アドベンチャー」を見た。ここのところ、「夜の大捜査線」「タワリング・インフェルノ」と70年前後の名作がかかってありがたい。これらを鹿島田や川崎駅近くの映画館で見た。
侘助が咲いたが、去年咲きすぎたのか、剪定がまずかったのか、今年は3輪しか咲いていない。


侘助が咲いたが、去年咲きすぎたのか、剪定がまずかったのか、今年は3輪しか咲いていない。

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2025年03月18日
ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』

映画を観て押しつぶされたような気持ちで買った。
この本は、池澤夏樹さんが「最も恐ろしい本」という(『読書という体験』)本である。
「インディアス」という言葉は、コロン(ブス)などが活躍した時代には、アメリカ大陸の存在は知られておらず、ヨーロッパを出発して西へ進めば中国やインドがあると考えられており、もともとはその一帯、つまり東アジアを指す言葉だった。そこでたどり着いた地域、西インド諸島やアメリカ大陸の一部を「インディアス」と呼んだ。
この本は、そのインディアスをスペイン人(「自称キリスト教徒」とラス・カサスは呼ぶ)が征服(コンキスタ)する過程で犯した戦争と虐殺の報告である。報告(スペイン王への)したのは、布教のために同行したカトリックのドミニコ会の宣教師・ラス・カサスである。
アメリカが発見されたのは、イヨクニ(1492)モエル、1492年。それからの40年間のことを書いている。
そこには先住民が住んでいた。
「この上なく素朴で、悪意や二心を持たない民」、「極めて恭順で、…忠実」、「どの民族よりも謙虚で辛抱強く、また温厚でおとなしく、諍いや騒動を好まない」、「人に怨みや憎しみ、それに復讐する気持ちをいだくこともない」、「傲慢になったり、野心や欲望をいだいたりすることなど、決してない」人々だった。
しかし、「この40年間に、男女、子ども合わせて1200万人を超える人たちがキリスト教徒の行なった暴虐的かつ極悪無残な所業の犠牲になって残虐非道にも生命を奪われたのである」。
スペイン人は、「不正かつ残酷で、血なまぐさい暴虐的な戦争を仕掛け」るか、「この上なく過酷で無慈悲な恐るべき奴隷状態に陥れて虐げ」、いずれにせよ大勢の命を奪った。
本では、その具体的な実態を、地域ごとに、エスパニョーラ島(現在のハイチ、ドミニカ)、サンファン島(プエルトリコ)、クーバ(キューバ)、ニカラグア、グアテマラ、ユカタン、サンタ・マルタ、トリニダード島、べネスエラ、フロリダ、ペルー、などについて書いている。
その結果、エスパニューラ島には約300万人のインディオが暮らしていたが、「今ではわずか200人しか生き残っていない」。クーバについては、先住民はゼロになった。
ちなみに今の国の人口構成を見ると、エスパニョーラ島のドミニカ共和国はヨーロッパ系が16%、アフリカ系が11%、ムラート(混血)が73%であり、先住民タイノ族の血が残っているのは人口の10―20%とされている。
ぼくは、スペインには一度しか行っていないが、人びとは明るく、料理もおいしいので好きな国である。しかし、こういう歴史の上に今の世界があるということを忘れてはならないとあらためて思う。
スペイン語を公用語とする国は、現在21か国(複数語を公用語とするアメリカも含まれているが、トランプは英語だけにするといっているので20になるかもしれない)。これは英語、フランス語、アラビア語に次いで世界4位である。インターネットでの使用者は8%で、英語、中国語に次いで3位である。これらもインディアスの破壊と植民地化の結果といえば結果である。
コロンブスは、ウィキペディアでは、「探検家、航海者、コンキスタドール(征服者、侵略者)、奴隷商人」と書かれている。
この本を、ぼくは、映画「ノー・アザー・ランド」の場面を思い返しつつ、暗澹たる気持ちで読んだ。
masao55ota1 at 15:10|Permalink│Comments(0)│
2025年03月17日
命名紙
ゼミ生同士で結婚した卒業生のサトルくんとトモミさんにめでたく赤ちゃんが生まれた。双子の男の子と女の子である。
産まれたら命名紙に名前を書いて欲しいと前から言われており、昨日の夜に紙を持ってくるという。普段筆など握ったことがないので、稲城から帰ってからすぐ猛烈特訓をした。たくさん墨も使ったので、かれこれ1時間以上は墨を摺っていた。
夜、サトル君が来た。もちろんトモミさんと赤ちゃんは入院中なので一人。(トモミさんと赤ちゃんとはビデオ電話で対面。)
命名紙に書くなどもちろん初めてのこと。かれが小川町で自分で梳いたという紙は2枚だけ。失敗は許されない。極度に緊張したが、何とか書き上げた。
「絢仁」という名前だが、昔のぼくの本を読み直して「人を結う人」になってほしいと付けたそうである。命名も揮毫もむしろ光栄なことである。
お持たせの福島の「しぜんしゅ」(仁井田本家)で乾杯(おいしい!)
連れ合いは、尾頭付きのカレイの煮魚をつくって祝った。


産まれたら命名紙に名前を書いて欲しいと前から言われており、昨日の夜に紙を持ってくるという。普段筆など握ったことがないので、稲城から帰ってからすぐ猛烈特訓をした。たくさん墨も使ったので、かれこれ1時間以上は墨を摺っていた。
夜、サトル君が来た。もちろんトモミさんと赤ちゃんは入院中なので一人。(トモミさんと赤ちゃんとはビデオ電話で対面。)
命名紙に書くなどもちろん初めてのこと。かれが小川町で自分で梳いたという紙は2枚だけ。失敗は許されない。極度に緊張したが、何とか書き上げた。

お持たせの福島の「しぜんしゅ」(仁井田本家)で乾杯(おいしい!)
連れ合いは、尾頭付きのカレイの煮魚をつくって祝った。


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稲城青年教室 ノーベル平和賞

稲城長沼の駅は30年ぶりくらい。すっかりきれいに変わっていた。
50x年前の1971年9月30日、稲城町(当時)教育委員会社会教育課が呼びかけた「いなぎ青年のつどい」(青年教室)が発足した。「遊ぶ」「恋愛」「働くこと」「学ぶこと」が学習のテーマだった。地元企業や郵便局で働く若者、大学生などが集まった。大学院生だったぼくは「学級主事」として参加した。
まだ公民館がなく、第1回は消防署の2階の部屋で集まった。以降、バラックの青年集会所、小学校の部屋、児童館などを会場に毎週集まった。毎週で2年間続いた。
その後、独立したサークル「カボチャの会」になり、「うたごえ」の会などを開くなど地域の青年サークルとして発展、三多摩青年サークル連合でも活躍する大きな青年運動になった。

ブログにもときどきコメントを寄せてくれる「50x年来の悪友」蓮見さんが、この日も呼びかけて世話してくれた。
社会教育の職員として担当した2代目の濱住治郎さんは胎内被爆者であり、被団協の事務局長代行だが、このほどノーベル平和賞を受賞したので話を聞こうということだ。
11人が集まった。
受賞のニュースを聞いた時のことはすでに書いた。
去年の10月11日、所沢の盛寿司で高校時代の同級生で弁護士の大久保賢一君と夫人たちともども飲んでいた。彼は反核法律家協会の会長なので、被団協とも深いかかわりがある。そのとき寿司屋の女将さんがノーベル賞を受賞したと知らせてくれて、すぐ蓮見さんからも電話があり、濱住さんがテレビに出ていると知らせてくれたのだった。大久保くんとは、濱住さんは友人だ、オレもよく知っているということになったのだった。
午前中は、第4文化センターで濱住さんの話。
濱住さんは先日ニューヨークで開かれた核兵器禁止条約の締結国会議にオブザーバーとして参加し報告もして帰国したところである。






プロジェクターで写真を写しながら12月の授賞式の様子を話した。
代表団は30人、被団協には田中さんのほかに広島と長崎の人を含めた3人の代表がいるということ、オスロの平和センターには、濱住さんの2階まで届く大きなポスターが貼られていたということ、たいまつデモのこと。ノルウェイ・ノーベル委員会のフリードネス会長のスピーチの「記憶の継承」と田中煕巳さんの授賞あいさつの「国家の責任」については印刷物で紹介した。
話の後半は、胎内被爆者としての自身の体験。父親や親せきの被曝死のことや胎内被曝のこと。被爆者には直曝(1号)、1週間以内の入市者(2号)、看護や「黒い雨」(3号)、体内被曝(4号)がいるのだそうだ。「黒い雨」についてはその地域範囲について今も争われている。直曝で亡くなった人は21万人だが、いま死没者名簿は51万人になっているそうだ。
濱住さんは静かに諄諄としゃべる。心に沁みるいいお話だった。

料理はとてもおいしかった。
みんな当時のことを思い出すままに語った。青年教室、サークルでその後の人生が決まった、転機だったという人が多かった。ハスミさんは、その後全国中小企業家同友会の事務局長として活躍した。そのおかげでぼくも中小企業運動の「共育」に深く関係することになった。社会教育の力を強調する人も多かった。3代目担当職員だった霜島さんは今、三多摩社全協の委員長を務めている。
話は延々3時間近くに及んだ。当時のことをあらためて知ったり、今をかえりみる刺激の多い集まりだった。
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2025年03月16日
野蒜(ノビル)
昨日、サヤエンドウの棚をつくったりした。
とった野菜を浮間のヒビキたちの家に届けた。
菜花、小松菜、ホウレンソウ、ブロッコリー、里芋、大根(地中に埋めておいた)、人参、などなどである。ヒビキはまだ学校で留守。マリアがいたが、ヒカルは夕方具合が悪いので(部活を)早引けしてきたと帰ってきた。熱が38度もあった。
畑のあちこちに野蒜が出ていて、とった。何度も書いているが、野草の中でぼくがいちばん好きなものである。

とった野菜を浮間のヒビキたちの家に届けた。
菜花、小松菜、ホウレンソウ、ブロッコリー、里芋、大根(地中に埋めておいた)、人参、などなどである。ヒビキはまだ学校で留守。マリアがいたが、ヒカルは夕方具合が悪いので(部活を)早引けしてきたと帰ってきた。熱が38度もあった。
畑のあちこちに野蒜が出ていて、とった。何度も書いているが、野草の中でぼくがいちばん好きなものである。

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2025年03月15日
ノー・アザー・ランド ほかに故郷はない

村の若者のバーセル・アドラーと、イスラエルの非人道的なやり方に疑問を持って村にやってきたイスラエル人のユヴァル・アブラハムが、ほかの二人の友人とともに4人で映像を記録した。撮影機器は手持ちのカメラやスマホである。イスラエル軍隊が村に来ると飛んで行って撮る。走っている地面の画面も多い。ときにはカメラを奪われようとするから、画面は、空になる。
村は、イスラエルの軍隊の訓練所に指定されることになり、軍隊とブルドーザーがやってきて、人家が壊されていく。再建された子どもたちの学校すら破壊される。そこにイスラエル人の入植者がやってくる。ときには武装した入植者たちに襲撃される。
家を壊されたパレスチナ人の家族は、洞穴生活を強いられる。
家を壊されるとき、発電機まで持って行かれそうになって、それに抵抗しようとしたマーハーンは軍隊に銃で撃たれる。人々の前で。辛うじて命はとりとめたが、首から下は不随になって洞穴での療養生活になる。銃創が原因でのちには死ぬ。
撮影は、2023年10月まで、ガザ侵攻の前である。最後の方の画面では、軍隊がいるときに武装した入植者たちが覆面を被って襲ってくるが、軍隊は住民を守ろうとせず、逆に住民が撃たれる。
家を奪われ、恐怖と不安のなかにいる住民たちの中には、村を出ていく者も出てくる。おそらくは難民となっていく。
唯一の救いは、バーセルとユヴァルの友情である。ユヴァルはユダヤ人社会のなかでは裏切り者とされ孤立していくが、そこまでするユヴァルをバーセルも最初は信じることができない。映画を撮り続ける共同作業の中で、友情を育てていく。
パレスチナとガザ自治区をのぞけば、イスラエルの土地はもともとパレスチナの人びとが住んでいた土地であり、今も住んでいる。そこにユダヤ人が来て土地を奪い「入植」し、拡大していく。建国以来、その地域が増え続けている。国連の禁止命令にもかかわらず。
ガザ侵攻はそれをさらに拡大したものである。
イスラエルは国境を定めないとも言われる。
やるせない。
カンヌ映画祭では、観劇後、満場の拍手とともに大合唱まで起こったという。
池袋シネルーブルで。
masao55ota1 at 07:33|Permalink│Comments(0)│
2025年03月13日
ヒヤシンス
人参はまだ少し小さいが、暖かくなってトウダチし始めたので採った。蒔く時期がちょっと遅かったのだろう。でもぼくとしてはこれまでにない出来栄え。
下仁田ねぎの苗。


ヒヤシンスが咲き始めた。畑は風が吹くせいで背が低いが、すごく増えてあちこちに咲いている。


下仁田ねぎの苗。


ヒヤシンスが咲き始めた。畑は風が吹くせいで背が低いが、すごく増えてあちこちに咲いている。


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映画「20歳のソウル」

市立船橋高校といえば、サッカーでは全国にとどろく名門。野球部も何度も甲子園に出場しているし、陸上部は男女とも駅伝で名を馳せる。ぼくが現役の頃、大東文化大学の女子チームのエースだった関谷さんも市立船橋の出身だった。
浅野大義は吹奏楽部でトロンボーンを吹いている。ピアノが得意だが、吹奏楽ではトロンボーンだ。作曲の才能もあり、めだちたがり屋で旗手も務める。
3年生のときには、応援の「市船ソウル」と呼ばれる応援曲の作曲もする。それは野球の試合などで「神応援歌」といわれるようになる。
もうひとりの主人公は吹奏楽部顧問の高橋先生である。熱血教師というのとは少し違って生徒の意志を尊重する教師だが、生徒とともに悩み、楽しむときは先頭に立つ。
大義は音楽大学に進学し、素敵な恋人もできるが、肺にガンが発見され、脳に転移する。その都度大義は果敢に立ち向かうが、再度肺に転移。病と闘いながら大義は高校吹奏楽部のために「ジャスミン」を作曲、定期演奏会で演奏される。
葬儀のときには、OBを含む164人の吹奏楽部部員が集まり、「市船ソウル」で送る。
この映画(と小説)については、鈴木大裕さんが『崩壊する日本の公教育』で、「生命の讃歌」として数ページにわたって書いている。ここに教育の本来の姿があるという。
Prime Videoで見ることができる。
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2025年03月12日
2025年03月11日
黒澤明「生きる」
昨日NHKBSでやっていたのを見た。
市役所の市民課の課長、渡辺勘治は奉職30年、一度も欠勤をしたことがない。若い時には仕事の改革に意欲を燃やしたこともあるが、縄張り主義と事なかれ主義、上司にはイエスマンのお役所仕事に慣れて、今は毎日判子を押すだけの毎日。生物として生きてはいるが人間として生きてはいない。
そんなとき、不治の病の胃がんにおかされていることがわかる。余命は1年か半年。渡辺は酒やパチンコ、キャバレー、ストリップショーなど歓楽におぼれるが、満たされない。かつての部下だった若い女性のトヨがおもちゃ作りに精を出しているのを見て、自分も何か作ろうと市民の要求である公園づくりに邁進する。役所の冷たい視線や妨害、ヤクザの脅しにも負けず、作り上げ、雪の降る公園のブランコで死ぬ。
葬式では、残った職員たちは、渡辺のように仕事をしようと盛り上がるが、仕事の実態は変わらない。
志村喬が公園のブランコで口ずさむ「ゴンドラの唄」がこの映画を忘れられないものにしている。金子信雄、伊藤雄之助、中村伸郎、左卜全、浦辺粂子、丹阿弥谷津子らのわき役陣もなつかしい。
胃がんが不治の病だという状況は今日では変わっているが、公務員の一人ひとりが「全体の奉仕者」として市民のために献身できるような状況に変わっているのだろうか。
ずっと前ブログに書いたが、ずっと年上のいとこのトオルちゃんが、長野市の市役所に勤めていたのだが、鍋屋田小学校の脇の公衆便所は自分がつくったと、生前、自慢げに話すたびにこの「生きる」のことを思い出していた。

そんなとき、不治の病の胃がんにおかされていることがわかる。余命は1年か半年。渡辺は酒やパチンコ、キャバレー、ストリップショーなど歓楽におぼれるが、満たされない。かつての部下だった若い女性のトヨがおもちゃ作りに精を出しているのを見て、自分も何か作ろうと市民の要求である公園づくりに邁進する。役所の冷たい視線や妨害、ヤクザの脅しにも負けず、作り上げ、雪の降る公園のブランコで死ぬ。
葬式では、残った職員たちは、渡辺のように仕事をしようと盛り上がるが、仕事の実態は変わらない。
志村喬が公園のブランコで口ずさむ「ゴンドラの唄」がこの映画を忘れられないものにしている。金子信雄、伊藤雄之助、中村伸郎、左卜全、浦辺粂子、丹阿弥谷津子らのわき役陣もなつかしい。
胃がんが不治の病だという状況は今日では変わっているが、公務員の一人ひとりが「全体の奉仕者」として市民のために献身できるような状況に変わっているのだろうか。
ずっと前ブログに書いたが、ずっと年上のいとこのトオルちゃんが、長野市の市役所に勤めていたのだが、鍋屋田小学校の脇の公衆便所は自分がつくったと、生前、自慢げに話すたびにこの「生きる」のことを思い出していた。
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2025年03月10日
菜花
久しぶりに畑に出た。
何人かに会ったが、みんなジャガイモの植え付けがすんだという。あわてた。まだ耕してもいなかったのでとりあえず耕した。今日、植え付けをしなければ。
久しぶりだったので、菜花が咲いていた。


何人かに会ったが、みんなジャガイモの植え付けがすんだという。あわてた。まだ耕してもいなかったのでとりあえず耕した。今日、植え付けをしなければ。
久しぶりだったので、菜花が咲いていた。


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『名作で読む日本近代史』『三酔人経綸問答』


[
「経綸」とは国家をどう治めるかということであり、3人の酔っぱらいが国の行く末を論じるということである。本の出版は1887年(明治20年)だが、文章は、その後の日本の歩んだ道を知っている現代の読者からすれば興味深い。
それよりもガザやウクライナの戦争、台湾をめぐる緊張、日本の軍拡など現代の世界の問題についての論争をそのまま見るような展開は、実に刺激に満ちている。
「南海先生」のもとへ訪ねて来た「洋学紳士」と「豪傑君」、それにまとめ役としての「南海先生」の3人が酒を飲みながら談論する。
「洋学紳士」は、主にルソーやカントに依りながら、社会は「君主制」→「立憲制」→「民主制」と「社会進化」しているとし、小国日本が「独立」していくには、武力を放棄し、もっぱら自由、平等などの道義によって隣国とも平和にやっていくと主張する。他国は攻めてくる理由がないが、攻めて来たら降伏する。(「南海先生」は最後のまとめで「防衛」の権利を言うが)憲法9条につながるような「非武装・中立」「非暴力・無抵抗」の思想に近い。(マハトマ・ガンジーがそれを唱えたのは20世紀に入ってからである。)
「豪傑君」は現実主義の、今日風に言えばパワーポリティクス論に立つ。「独立」のために「かの大国」(中国)への侵略支配も匂わせる。ただ、「新しずき」と「昔なつかし」の分類をして自由民権運動にも「昔なつかし」派的なところもあると分析するなど「リアリズム」に立つところもある。
「南海先生」は、「進化」は一直線ではないし、「民主制」の理想主義ではいかないと「洋学紳士」を批判し、選ぶところは「立憲制」である。
3人はブランデイ1本と、ビール1,2本を飲んだ。
* * * *
ところでなぜこの本が文学者たちの書いた文学の「名作」に入るのか。
たしか、加藤周一は『日本文学史序説』でこの本を入れており、『三酔人経綸問答』の現代語訳をした桑原武夫は「解説」で中江兆民を「哲学的文学者」と書いている。
加藤周一は、逆に中上健次を「文学ではない」として認めなかったような記憶があり(間違いでなければ)、「文学」の範疇が独特である。
masao55ota1 at 08:59|Permalink│Comments(0)│